もしユメ先輩が居なくなった直後のホシノが現代のアビドスに来たら   作:気弱

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青い余韻と、孤独なクジラへの夜想曲(ノクターン)

アビドスの突き抜けるような青空は、あの日、未来で先生と約束した空の色によく似ていた。

 

「ホシノちゃーん! ちゃんと日焼け止め塗った? ちゃんと対策しなきゃダメだよー?」 「……うへー。先輩、朝から元気だねぇ。私はもう暑くて干からびそうだよ…」

 

集合場所のアビドス駅前。 留年中であることを微塵も気にしていない様子で、ユメ先輩が私の背中をバシバシと叩く。 私はいつものように気の抜けた返事を返したけれど、鞄の端で揺れるクジラのキーホルダーを指先でなぞる癖は、隠しきれない緊張の裏返しだった。

 

「ん、ホシノ先輩そのキーホルダー……大切そう」 「わわ、シロコちゃん、急に顔を近づけないでよ」

 

シロコちゃんが、私の鞄をじっと見つめる。 セリカは「またホシノ先輩、ボーッとしてる…しっかりしてよね」と呆れ顔で、ノノミは「お弁当、たくさん作ってきましたからね♪」と重そうな保冷バッグを掲げて笑っている。アヤネはしおりを確認しながら「皆さん、列を乱さないでくださいね!」と、引率の先生さながらに奮闘していた。

 

「みんな、お待たせ! 準備はいいかな?」

 

雑踏の向こうから、聞き慣れた、けれど何度聞いても耳の奥がくすぐったくなる声が届いた。 先生だ。

 

「……! 先生、遅いよ〜。おじさ――わ、私、待ちくたびれちゃった」

 

自然と口を突いて出た言葉に、私は慌てて自分の口を両手で抑えた。 けれど時すでに遅し。言い直したものの、耳の先まで一気に熱くなるのが自分でも分かった。

 

「……? ホシノ先輩、今なんて? おじ……?」 「聞き間違いかしら。ホシノ先輩が自分のことを『おじさん』だなんて、そんなわけないですもんね」

 

シロコが不思議そうに首を傾げ、アヤネが苦笑いしながら首を振る。 彼女たちの知る私は、少し大人びた「3年生のホシノ先輩」だ。「おじさん」を自称していた未来の私を知っているのは、ここにいるメンバーではユメ先輩……そして、未来の記憶を持つ私だけ。

 

「フフ〜、いいんだよホシノちゃん。先生の前だと、つい言っちゃうんだよねぇ✨」

 

隣でユメ先輩が、これ以上ないほど不敵な笑みを浮かべて私の肩を突っついてくる。 先生は先生で、「おじさん……?」と不思議そうにハテナを浮かべて私を見つめていた。その無垢な視線が、今は猛烈に恥ずかしくて、私は俯いて誤魔化すしかなかった。

 

電車に揺られる一行。ユメ先輩が「あ、私こっちの席座るねー!」と後輩たちを誘導したせいで、ホシノは自然と先生の隣に座ることになった。

 

「……先輩。何か企んでますよね?」 「んー?何のことかな〜♪ ほら、先生がガイドブック広げてるよ。一緒に見なきゃ!」

 

小声で抗議するホシノだったが、隣から漂う先生の香りと、時折肩が触れる距離感に、心臓の鼓動がうるさくてそれどころではない。 後輩たちは「お弁当楽しみですね」「ん、お腹空いた」「シロコ先輩さっき駅弁はもう食べてましたよね!?」と平和な会話をしているが、ホシノだけはガチガチに固まっていた。

 

水族館に到着し、潮風が吹き抜けるエントランス。 先生が「よし、チケット買ってくるからここで待ってて」と券売機へ向かった瞬間、ユメ先輩の「爆撃」が始まった。

 

「ねぇねぇみんな、聞いた? さっきの駅前でのホシノちゃんの『おじさん』発言!」

 

ユメ先輩が、待ってましたと言わんばかりにシロコたちを集めてヒソヒソ話を始める。

 

「あ、改めて何言ってるんですか先輩!? 忘れてってば!」 「ん、気になる。ホシノ先輩、先生の前だとキャラが変わる……?」 「やっぱり! 私もさっきホシノ先輩が先生の袖をちょっとだけ掴もうとして、やめてるの見ちゃいました♪」「そういえば最初の頃も先生の前でおじさんって言ってたわね…?」

 

ノノミやセリカの指摘に、ホシノの顔が沸騰しそうなほど赤くなる。 「あーっ! もう、みんなして……!///」

 

そこに、チケットを手にした先生が戻ってきた。

 

「お待たせ。はい、これがみんなの分。……ホシノ、顔が赤いけど、熱でもある?」 「っ……! な、なんでもないよ! ほら、行くよ、早く!///」

 

一通り展示を回り、お昼休憩を終えた後のこと。 イルカショーの時間が近づき、後輩たちは「良い席を取ってきます!」と先生を連れてスタジアムへ先に向かうことになった。

 

「あ、私とホシノちゃんは、ちょっとお土産の下見してから行くねー!」

 

ユメ先輩がそう言って、自然な動作で私を引き止める。 先生と後輩たちが人混みに消えていくのを見送って、私とユメ先輩は、少し離れた静かなテラス席へと移動した。

 

「……先輩、お土産の下見なんて嘘でしょ?」 「バレちゃった? さすがホシノちゃん、鋭いねぇ」

 

ユメ先輩は手すりに寄りかかり、遠くに見える海を見つめた。 今、この場所には私たち二人だけ。 外見は同じ3年生。けれど、彼女は救われた命で、私は彼女を救った記憶を持つ。

 

「……ねぇ、ホシノちゃん」

 

ユメ先輩の声が、少しだけ真面目なトーンに変わる。

 

「今日、ここに来られて本当によかった。……ホシノちゃんが、ずっと頑張ってくれたおかげだよね」

 

それは、後輩や先輩たちの前では決して口にしない、私たち二人だけの「秘密」に触れる言葉だった。

ユメ先輩はふと表情を和らげ、隣に立つ私の顔をじっと見つめた。

 

「私ね、いまだにあの時、ホシノちゃんが助けに来てくれたこと、夢だったのかなーって思う時があるんだよ?」 「え……?」 「だって、あんなにクールでツンツンしてたホシノちゃんがさ。……あんなにボロボロ泣いて、私に抱きついて……『大好きです』って。……ねぇ、今思い返してもあれは可愛かったなぁ✨」

 

「っ……! せ、先輩! あれは、あの時は仕方ないでしょ!?それに大好きとは言ってません!」

 

揶揄うような視線に耐えきれず、私は思わず昔のような、余裕のない後輩らしい口調で言い返してしまった。顔が熱い。3年生になって、少しは大人になったつもりだったのに、この人には一瞬で「あの日」まで引き戻されてしまう。

 

「あはは、ごめんね?……でも、本当に。ありがと、ホシノちゃん」 「……お礼を言うなら、私じゃなくて未来のみんなに言ってください。あの時は、未来の先生やセリカちゃん、ノノミちゃん、アヤネちゃん……みんなに助けられたから」

 

(……そして、もう一人のシロコちゃんにも)

 

口には出さなかった。彼女の一人で背負っていた絶望を話せば、きっとユメ先輩は悲しむ。 けれど、鞄で揺れるクジラのキーホルダーに指先が触れた瞬間、心臓の奥がスッと冷えるような感覚があった。

 

(そうだ。……私には、もう一人、助けなきゃいけない先輩がいるんだ)

 

この温かい青空の下にはいない、暗闇の中で一人、時間を彷徨っているはずの彼女。 みんなが笑っているこの幸せな日常の続きに、いつか必ず、彼女の居場所もここに作ってみせる。

 

「……ホシノちゃん? 急に怖い顔して、どうしたの?」 「……ん? ううん、なんでもないですよ。……ほら、早く行きますよ、みんな待ってる」

 

私は努めて明るい声を作り、先輩の背中を押した。 幸せを噛みしめるだけじゃ足りない。この「三度目の正直」を本物にするために、私がすべきことは、まだ終わっていないのだから。

 

そうやって自分に言い聞かせ、歩き出そうとした時。ユメ先輩が私の腕を「ちょっと待って」と軽く掴んで引き止めた。

 

「先輩? 早く行かないと、ショーが始まっちゃいますよ?」 「ううん、その前にもう一つだけ! どうしても聞きたいことがあったの」

 

悪戯っぽく、けれどどこか確信に満ちた瞳が私を射抜く。 嫌な予感がした。この人がこういう顔をする時は、大抵ろくなことにならない。

 

「……ホシノちゃんってさ。先生のこと、好きだよね?」 「…………っ、は!?!?!?」

 

心臓が跳ねた。 あまりに直球すぎる言葉に、頭の中が真っ白になる。 「な、な、ななな……何を、何を言ってるのさ先輩! おじさ…わ、私が先生を……!? そんな、そんなわけないでしょ!?」

 

「ええ〜?顔、ゆでダコみたいに真っ赤だよ? さっきから見てたけど、先生が他の子と話してる時、ホシノちゃんすっごく寂しそうな顔してたもんねぇ✨シロコちゃん達も流石に気づいてると思うよー?」「そんな顔してない! 私はただ、迷子にならないか見張ってただけで……!」 「あ、見てることは認めんだ♪やっぱり気にしてたでしょー?」

 

ユメ先輩が「やったー!」とばかりに指を差して笑う。 私が会った未来の私なら、もっと上手くかわせるはず。けれど、この先輩の前では、今の私はいつまで経っても「隠し事のできない1年生」のままなのだ。

「……もう、先輩なんて大嫌い…///」 「ええーっ!? ごめんごめん、大好きだよホシノちゃん! ほら、先生のところに行こ? ……ホシノちゃんが「今」、一番隣にいたい人でしょ?」

 

そう言って、ユメ先輩は私の背中を優しく、力強く押した。 ……本当に、この人には敵わない。

 

私は熱を持った頬を両手で押さえながら、先を歩く「大好きな先輩」と、その向こうで待っている「大好きな人」の元へと歩き出した。

 

「あ、ホシノ先輩! ユメ先輩! こっちです!」

 

イルカショーのスタジアム。観客席の中ほどで大きく手を振るアヤネちゃんの声が聞こえた。 隣には先生と、ポップコーンを抱えたシロコちゃんたちの姿が見える。

 

(……どうしよう、まだ顔が熱い。先生の顔、まともに見られないよ……!)

 

私は必死に手で顔を扇ぎながら、ユメ先輩の背後に隠れるようにして歩み寄った。

 

「お待たせ! 良い席取ってくれたんだ!」 ユメ先輩は何食わぬ顔で――いや、口元に「ニヤリ」という含み笑いを湛えたまま、先生の隣に滑り込んだ。そして、わざとらしく私のために先生のすぐ隣の席を空ける。

 

「ホシノ? どうしたんだい、そんなに顔を赤くして……。やっぱり、どこか体調が悪いんじゃ」

 

先生が心配そうに身を乗り出し、私の額に手を伸ばそうとする。 その無自覚な優しさが、今の私には劇薬だった。

 

「ひゃ、ひゃいっ!? なんでも、なんでもないから! ほら、先生も前向いて! ショーが始まっちゃうでしょ!////」

 

「わわっ、ホシノ、落ち着いて……!」 慌てて先生の手を振り払うようにして、私は空いた席にドカリと座り込んだ。 心臓がうるさい。バクバクと暴れる音が、隣に座る先生に聞こえてしまうんじゃないかと本気で焦る。

 

「……ん。ホシノ先輩、怪しい」 「ですよね……。ユメ先輩と二人で何を話してたんですか?」「これは…楽しそうな予感がしますね!✨」

 

楽しそうにしているノノミちゃんを他所にシロコちゃんとセリカちゃんが、ジト目で私とユメ先輩を交互に見つめてくる。 すると、ユメ先輩は私の耳元で聞こえるか聞こえないかの小さな声で、トドメの一撃を放った。

 

「……よかったね、ホシノちゃん。隣、空いてて✨」

 

「……っ、もう、先輩のバカーっ!!/////」

 

スタジアムにイルカの跳ねる音と大歓声が響き渡る中、私の叫びは虚しくかき消された。 水槽の青が目に染みる。 未来の先生と約束した、静かな水族館。 今の先生と、ユメ先輩と、みんなで来た、騒がしい水族館。

 

火照った頬に、スタジアムの冷たい水しぶきがほんの少しだけかかって、心地よかった。

 

水族館からの帰り道、夕闇に包まれたアビドス駅で解散した。 「あー、楽しかった! また明日ね、ホシノちゃん!」と手を振るユメ先輩の笑顔と、先生の「お疲れ様、ホシノ。ゆっくり休むんだよ」という優しい声。

 

それらを背中に受けながら、私は一人、誰もいない部屋へと向かった。 窓から差し込む月光が、誰もいない長机を青白く照らしている。

 

私は鞄から、今日一日中ずっと握りしめていた「クジラのキーホルダー」を取り出し、机の上に置いた。

 

「……うへへ。おじさん、今日はちょっと欲張りすぎちゃったかな」

 

独り言が、静かな部屋に溶けていく。 先生の隣で笑い、ユメ先輩にからかわれ、後輩たちと騒ぐ。 あの日、未来の私が「こうなればいい」と願った景色。 それは、間違いなく今日、ここで形になった。

 

けれど、胸の奥にはまだ、拭い去れない冷たさが残っている。 目を閉じれば、あの日、私にこのキーホルダーをプレゼントしてくれたもう一人のシロコ――クロコの姿が浮かぶ。

 

彼女が一人で戦い、絶望し、それでもあの未来で楽しそうにしていた。救いのない絶望を抱えたまま、彼女はこの世界に辿り着くはずだ

私がこうして、大好きな先輩や後輩と、愛する先生の隣で笑っている今この瞬間も、彼女は暗い海の底のような孤独の中にいるのかもしれない。

 

「……誰か一人が不幸なまま、その代償で私たちが幸せになる……なんてそんなの、私が許さないよ」

 

私は、机の上のキーホルダーをぎゅっと握りしめた。 3年生になって、少しだけ強くなったこの手で。 ユメ先輩を救い出せたこの「可能性」を、今度は彼女のために使いたい。

 

ユメ先輩は、私に聞いた。 『先生のこと、好きだよね?』と。

 

答えは、もう決まっている。 大好きだ。

 

……先生は、あの日、暗闇の中にいた私に光を見せてくれた。元の世界に帰ると言って頑なにみんなを拒絶していた、見ず知らずの生徒だったはずの私を私を本気で心配してくれた。この人は、私が人生で初めて**「心から信じられる」と思った大人**なんだ。

 

だからこそ。 そんな大好きな先生が、命をかけて守ろうとしている「すべての教え子」の中に――あの暗闇を一人で歩き続けているもう1人のシロコちゃんも、絶対に入っていなきゃいけない。

未来の私が望んだ幸せ。その本当の完成は彼女の隣に並んで今日と同じ青い空を先生やユメ先輩……そして後輩たちと見上げた時に、ようやく訪れる。

 

「おやすみ、ユメ先輩。おやすみ、先生。……そして」

 

キーホルダーを枕元に置き、ゆっくりと目を閉じる。

 

「……おやすみ、もう一人のシロコちゃん」

 

意識がまどろみに沈んでいく中。 窓の外、遠い空の向こうで、何かが静かに歪んだような気がした。 それは、孤独な旅を続ける「もう一人の先輩」が、この温かな光に引き寄せられ始めた合図だったのかもしれない。

 

アビドスの夜は、どこまでも深く、そして優しく更けていった。

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