もしユメ先輩が居なくなった直後のホシノが現代のアビドスに来たら 作:気弱
「あはは! ホシノちゃん、また先生の顔を見て真っ赤になってるー! さっきの『クジラパジャマ』の話、そんなに効いちゃった?」
対策委員会室。ユメ先輩が楽しそうに、熟した果実のように赤いホシノの頬を指先でつんつんと突つく。ホシノはシュラフに顔を半分埋めながら、「もー、やめてよぉ……」と消え入りそうな声で抗議していた。
「ん。ホシノ先輩、最近チョロすぎ。先生に少し優しくされただけで、語彙力が幼児化してる」
「ん。クロコの言う通り。今の、愛の力に毒されたホシノ先輩なら、私一人でも十分制圧できそう」
二人のシロコが淡々と、けれど容赦のない追撃を加える。それを見ていたセリカたちがこらえきれずに吹き出した。
「もう、ホシノ先輩! いつまで照れてるのよ、だらしないわね! アビドスの最終兵器が聞いて呆れるわ」
「ふふ、でもそんな風に隙だらけな先輩も可愛いですよ」
アヤネの慈愛に満ちた言葉さえ、今のホシノには火に油を注ぐものでしかなかった。
「な……な、……そ、そろそろいい加減にしないと、おじさんだって怒るからね……!」
ホシノは顔を真っ赤にして睨みつけるが、その瞳にはまだ動揺と照れが混ざっている。それを見たユメ先輩たちがさらに畳み掛けた。
「ん。先生に毎回撃沈させられてるホシノ先輩なんか、ちっとも怖くない。吠えてるだけ」
「そうだよー。ホシノちゃんは怒ってても、フリフリのクジラさんパジャマが脳裏をよぎるから怖くないね〜♪」
「ん。私達『つよつよ』コンビに、今のボロボロなホシノ先輩は勝てない」
(……ぷつん)
ホシノの中で、張り詰めていた何かが鮮やかに弾ける音がした。
一瞬で、部室の温度が数度下がったかのように凍りつく。ホシノの瞳から潤んだ照れが消え、代わりにかつての「戦神」を彷彿とさせる、底の見えない冷徹な光が宿った。
「……そっか、そっかー。みんな、そんなに自信があるんだね。おじさんのこと、そんな風に思ってたんだ」
「……ほ、ホシノ先輩? 空気が……」
「ホシノちゃん……? ごめん、ちょっと調子に乗りすぎたかな……?」
ホシノはゆっくりと立ち上がり、壁に立てかけていた巨大な盾を、まるで羽根でも扱うかのように軽々と手に取った。
「それじゃあ、久しぶりに私の考案する特別訓練をしてもらおうかなー? まぁやることは単純な模擬戦なんだけどね。……私が良いって言うか、私を倒すまでは、たとえ意識が飛びそうになっても続けてもらうから、覚悟してよね」
「え、ちょっと待って……」
「あと、そこで笑ってたノノミちゃん、セリカちゃん、アヤネちゃん。……参加は強制だから。一人も逃さないよ」
「「「私たちも!?」」」
「あはは……みんな、一発でも掠らせることができるといいね?」
とばっちりを食らった三人の悲鳴も虚しく、ホシノの冷たい宣告を残して、全員が有無を言わさず演習場へと引きずり出された。
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演習開始から二時間が経過。
「はぁ……はぁ……っ、嘘でしょ……一発も、掠りもしないなんて……!」
セリカが膝をつき、肩で激しく息をする。銃を構える腕はガクガクと震え、狙いをつけることすらままならない。
「ん。……速すぎる。……これ、本当に同じ人間……? 予測が、すべて無効化される」
シロコもまた、全身砂まみれになりながら愕然と呟いた。
「ひぃん! もう疲れたよぉ! ホシノちゃん! 勘弁してー!」
ユメ先輩が地面にへたり込み、涙目で情けなく叫ぶ。しかし、その甘えは今のホシノには一ミリも届かなかった。
「……ほら、三人とも。誰が休んでいいって言いました? まだ弾丸が余ってるよ」
背筋が凍るような冷たい声。ホシノは巨大な盾を羽のように扱い、至近距離から放たれたクロコの精密射撃を、首をわずかに傾けるだけで回避した。
「ユメ先輩。先輩が一番動きが鈍いよ。無防備すぎる。……クロコちゃん、シロコちゃん。連携が全然なってない。お互いの射線を邪魔してる。……ほら、立って。次に行くよ」
「ホ、ホシノ先輩……もう、みんな限界です……っ!」
アヤネが悲鳴を上げるが、ホシノの瞳に慈悲はない。
「戦場なら、限界なんて言った瞬間に死んじゃうよ? 私をチョロいって言った『つよつよ』な自信はどこに行ったのかなー? そんなんじゃ、先生のことも、アビドスのことも守れないよ?」
ホシノは盾を地面に突き立て、爆風のような衝撃波を放って全員を一気になぎ倒す。
二時間ぶっ通しで動き回っているとは思えないほど、彼女の顔は涼しい。呼吸一つ乱れていない。本気になった彼女の前では、二人のシロコによる完璧な連携ですら、幼児の遊び同然だった。
「ん……くっ、これでも……!」
クロコが必死に銃口を向けるが、ホシノは一瞬で視界から消えた。気づいた時には懐に潜り込まれ、盾の縁で銃身を叩き落されていた。
「はい、おしまい。……今の、実戦なら首が飛んでたよ」
ホシノの銃口が、クロコの額にピタリと突きつけられた。
結局、二時間の地獄の模擬戦で、誰一人としてホシノの体に弾丸一つかすらせることさえできなかった。
「……ふぅ。お疲れ様。みんな、ちょっとは頭冷えたかな?」
ホシノがいつもの柔らかい、眠たげな表情に戻り、銃を下ろす。
地面に転がったメンバーたちは、恐怖を通り越して、自分たちの先輩がどれほど「バケモノじみた、理不尽なまでの強さ」を持っていたのかを、骨の髄まで思い知らされていた。
「……ん。ホシノ先輩。……ごめんなさい。もう二度と、チョロいなんて言わない。先輩は、アビドスの暴力の化身です」
クロコが地面に伏したまま、消え入るような声で謝罪した。
「あはは……。ホシノちゃん、やっぱり怒らせちゃダメな人だったねぇ……。あの時のホシノちゃんに戻ったみたいで、ちょっと怖かったよ」
ユメ先輩も大の字に寝転がりながら、乾いた笑いを漏らすしかなかった。
「分かってくれればいいんだよ。……あ、でもみんなの練度が落ちてるのがわかっちゃったから、明日からも特別訓練、継続するから覚悟してね?」
「「「「「ええええええ!!」」」」」
アビドスの静かな夜に、絶望に満ちた叫び声が響き渡った。
ホシノを弄る楽しさの代償は、あまりにも、あまりにも大きかったのである。
ホシノ(バーサーカー)を目覚めさせてはいけない