もしユメ先輩が居なくなった直後のホシノが現代のアビドスに来たら   作:気弱

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あやふやな気持ちに向き合う時

放課後の部室は、吸い込まれるような茜色に染まっていた。

窓から差し込む斜光が床に長い影を落とし、空中に舞う埃の粒さえもが黄金色の海を漂う星屑のように見えた。

 

ホシノはいつものソファに身を横たえ、片腕で目元を覆っていた。微動だにしないその姿は、一見すれば深い眠りに落ちているようだったが、その内側で、意識は皮肉なほど冴え渡っていた。

 

(……今日も、先生の顔、まともに見れなかったなぁ)

 

瞼の裏に焼き付いて離れない、あの穏やかな微笑み。

名前を呼ばれるだけで心臓が喉元まで跳ね上がり、視線が重なりそうになるたび、心を見透かされるのが怖くて逃げるように瞳を逸らしてしまう。

 

(私、いつからこんなに意気地なしになっちゃったんだか……)

 

情けなさに胸がちくりと痛み、ホシノは小さく、消え入りそうな吐息をこぼした。

その様子を、部室の反対側から二つの静かな視線が捉えていた。

 

「……ん。やっぱり、変」

 

ぽつりと呟いたのは、スポーツドリンクのボトルを手に取ったシロコだった。

 

「ん。私もそう思う」

銃のメンテナンスを終えたクロコが、無機質に、けれど確かな観察眼を持って頷く。「先生が来ると、ホシノ先輩の呼吸が浅くなる。視界が泳ぐ。会話の語尾が不自然に短い。戦闘訓練なら、致命的な隙」

 

「ちょ、ちょっと2人とも、そこまで観察してたの!?」

慌てて声を上げたセリカに、記録簿をつけていたアヤネが困ったような苦笑いを浮かべる。仲間たちの鋭い指摘に、ホシノは顔を覆ったまま、そっぽを向いて声を絞り出した。

 

「……うるさいなぁ。おじさんは、いつも通りだよ〜」

 

誤魔化そうとする声が、ほんの少しだけ震えて上ずる。

 

「ホシノちゃん?」

いつの間にか、ユメがソファの傍らに腰を下ろしていた。心配そうに覗き込んでくるその眼差しには、隠し事など通用しない。「最近、ちょっと無理してない?」

 

「……大丈夫ですよ、無理なんてしてませんから」

 

無理に作った笑顔で返すが、声はどこか空回りして、夕暮れの部室に虚しく響く。

クロコは一瞬、シロコと視線を交わした。短い沈黙ののち、彼女は静かに、けれど逃げ場を塞ぐような声音で核心を突いた。

 

「ホシノ先輩。……気持ちが伝わってないこと、気にしてる?」

 

その問いに、ソファの端を掴んでいたホシノの指先が、微かに、けれど明確に震えた。

 

「……そんなこと、ないよ」

「……嘘」

「シロコちゃんまで!?」

 

ホシノは堪らず跳ね起き、頬を精一杯に膨らませ、堰を切ったように本音を吐露し始めた。

「そもそもさ、二人には好きな人とかいないから、気づいてもらえない辛さが分からないんでしょ! おじさんだって、たまには乙女チックに悩むことくらいあるんだよ!」

 

勢いで口走ってしまった瞬間、部室の空気が一瞬で凍りついた。しまった、と思ったが、放たれた言葉はもう取り消せない。クロコは伏せた視線を動かさず、思考を巡らせるように間を置いた。

 

「……ん。それなら、私が先生の気持ちを確かめてくる」

「えっ?」

 

アヤネが止める暇もなく、クロコは迷いのない足取りで部室を出ていった。

 

---

 

数分後。

廊下の向こうから、聞き慣れた落ち着いた足音が近づいてくる。ホシノはいつの間にか、ドアの隙間からそっと外を窺っていた。他のメンバーも、息を殺して壁に耳を寄せている。

 

「クロコ? どうしたんだ、こんな時間に」

「ん。質問がある」

 

クロコの声は、いつも通り淡々としていた。

「先生は――」

そこで一呼吸、彼女はまっすぐに先生を見据えた。

 

「普段は一番余裕があるのに、先生の前だけ、弱さをさらけ出してくれる子のこと……どう思う?」

 

刺すような、沈黙。

部室の中、全員が呼吸を止める。一瞬だけ、先生の視線が泳いだ。

それは質問を吟味しているというより、答えを決めかねている人間の迷いに近かった。そして先生は、言葉より先に、誰かの顔を思い浮かべてしまったようだった。

 

「……どうって」

先生の声が、数拍遅れて返ってきた。

「……嫌いなわけ、ないよ」

 

ほんの一瞬。照れを隠すような、あるいは何かを堪えるような、曖昧な間。

「むしろ……」

言葉が続きかけて、そして――止まった。

「……いや。何でもないよ」

 

その瞬間、ホシノの胸が万力で締め付けられたように苦しくなった。

 

(……誰のこと……?)

 

先生の頭に浮かんだのは、一体誰なのか。ホシノ自身にも分からなかった。ただ、はっきりと分かってしまった。今の先生の表情は、誰かを深く思い浮かべてしまった“後”の顔だった。

 

やがて、クロコが静かに部室に戻ってくる。

「ん。確認できた」

「……」

「先生は、思ったより動揺した。私の質問に、誰かを思い浮かべた」

 

その瞬間、ホシノの中で、張っていた糸が静かに崩れ落ちた。

否定されていない。それなのに、胸の奥がひどく冷えた。

 

「……やだ……」

 

言葉にした瞬間、堪えていたものが決壊し、ホシノの視界が急速に滲んでいく。

「……せんせい……とられちゃうの……やだ……っ」

 

ぽろり、と。抑えていた感情が、涙という形で溢れ出した。

 

「ホ、ホシノちゃん!?」

ユメがすぐに駆け寄り、小さな体を優しく抱きしめた。クロコは、自分が引き起こした結果の重さに、わずかに視線を逸らす。

「ここまで……なるとは思わなかった」

 

「……ん」シロコが静かに呟く。「ホシノ先輩、私たちが思っている以上に、もう……」

 

「……まだ言えないのに……」

ユメの胸元に顔を埋めたまま、ホシノは震える声で吐露した。「先生、きっと……私の気持ちなんて知らない。知ってたとしても、私のことだとは思ってないし……あれは、他の誰かのことを思ってる顔だよ……っ」

 

「それは、違うよ」

ユメの声は、羽毛のように柔らかく、けれど揺るぎない確信に満ちていた。「先生ね。生徒の好意に“気がつけない”人の顔じゃなかったよ」

 

「……え……?」

 

「……優しい人ほど、自分の気持ちより、守るべきものを先に考えちゃうからね。だから、答えが出ないんじゃなくて……出さないでいるだけ、なんだと思うよ」

背中をゆっくりと撫でながら、ユメは続ける。「言葉にしたら、もう戻れなくなるって……そう分かっている顔だった」

 

ホシノは、縋るようにユメの服をぎゅっと掴んだ。

「……でも……私のことだって、決まったわけじゃ……」

 

「ん。断定はできない」クロコが静かに補足する。「先生の友好関係は広い。可能性は、他にもある」

 

その言葉に、ホシノの肩が再び落ちる。

「……でも」

クロコが静かに付け加えた。「“違う”とも、言えない。先生があの瞬間、浮かべた光は……先輩が見ている光と同じだった」

 

その一言が、静かに胸に刺さった。否定されたわけじゃない。避けられたわけでもない。ただ、今はまだ――言葉にされなかっただけ。

 

「……ずるいなぁ……」

小さく、震える声。

「そんなの……期待、しちゃうじゃん……」

 

ユメは、困ったように優しく笑った。

「うん。だからね、今日はここまででいいんだよ」

「ホシノちゃんは、自分の気持ちに気づいた。先生も、多分……ずっと前から気づいてた。でも、答えを急ぐ必要はない。今はまだ、“両方とも”立ち止まっているだけだから」

 

ホシノは、胸の奥に残る熱を感じながら、ゆっくりと深く息を吐いた。

否定されていない。それだけで、今は、十分だった。

 

夕暮れの部室に、再び静かな時間が戻る。答えはまだ、形にならない。けれど、確かにそこに在る熱量だけは、もう二度と「なかったこと」にはできなかった。

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