もしユメ先輩が居なくなった直後のホシノが現代のアビドスに来たら   作:気弱

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気づいてしまった気持ち

放課後の対策委員会室には、いつもの音が、今日も変わらず満ちていた。

窓の外、遠くから響く乾いた銃声。歩くたびに微かに軋む床板。誰かが机から落としたペンが、コロコロと乾いた音を立てて転がる響き。

 

いつも通り。何も変わらない。

少なくとも、そう「見せて」いる限りは。

 

ホシノは使い古されたソファにだらしなく身を横たえ、欠伸を噛み殺した。

「うへぇ……今日も平和だねぇ……」

 

その呟きと同時に、視線だけが吸い込まれるように部室の入り口を追う。その一瞬の、けれど切実な動きに、自分自身すら気づいていないふりをした。

 

「……ん。平和?」

シロコが不思議そうに首を傾げる。

「そうそう。何も起きないのが一番だと思うよー。変わらないのはいい事だね」

 

ホシノはいつもの調子で笑って、ひらひらと手を振った。その声は聞き慣れた温度で、いつも通りにその場の空気を和ませていく。

だが、その平穏を、セリカの投げかけた一言が静かに波立たせた。

 

「先輩、その割には今日、先生の話を一度もしてませんよね。いつもなら楽しそうに先生の話をするのに」

 

部室の時間が、一拍だけ止まった。

「え? あー……そうだっけ?」

ホシノの心臓が、嫌な速さで脈打つ。「ま、まぁたまにはそういう日もあるよ」

 

嘘ではない。けれど、それは真実のほんの一部でしかなかった。昨日の出来事の後、どうやって先生と接すればいいのか、そのシミュレーションだけで脳内が飽和していたのだ。

 

「……ん。来ないと落ち着かない?」

「ちがうちがう」

ホシノは即座に否定し、逃げるようにくるりと寝返りを打った。「今日は静かすぎて、落ち着かないだけだよ」

 

あまりにも軽やかな、拒絶。だからこそ、その響きは不自然なほど澄んでいた。

その時、ドアが開く音がした。全員の視線が一点に集まる。

 

「みんなお疲れ様。遅くなってごめん」

 

聞き慣れた、けれど聞くたびに胸の奥をざわつかせる声。

「せんせー!」とノノミが弾んだ声で手を振り、アヤネが礼儀正しく頭を下げる。

ホシノは――ほんの一瞬だけ、世界から切り離されたように動きを止めた。誰にも気づかれない、瞬きほどの停滞。それから、仮面を被り直すように笑った。

 

「おつかれ~。今日も忙しそうだねぇ」

 

視線は合わせない。けれど、露骨に避けもしない。

先生は気づいた様子もなく、自然な足取りで歩み寄り、ホシノのすぐ隣に腰を下ろした。

 

その瞬間、ホシノの指先がわずかにソファの縁を強く掴んだ。それもまた、誰の目にも留まらない、彼女だけの秘密の綻び。

 

「今日の報告は特にないです。平和でした」

「それが一番だね」

 

先生の言葉に、ホシノは「うん」と短く頷いた。その返事が、ほんの僅かに遅れたことに、やっぱり誰も気づかなかった。

 

「……ん」

シロコだけが、じっとホシノの横顔を見つめていた。「ホシノ先輩、今日……ちょっと静か」

「えー? そうかなぁ。おじさんはいつも通りだよ」

 

ホシノは鉄壁の笑顔を崩さない。その言葉は、誰かへの説明というより、自分自身にかけた呪文のようだった。

 

---

 

影が長く伸び、夕焼けが部室を赤く染め上げていく。

何も変わらない時間が過ぎていく。それなのに、ホシノは先生の背中から目を離せずにいた。

 

「じゃあ、今日はここまでだね」

先生の声で、止まっていた時間がゆるりと動き出した。一人、また一人と部室を出ていく中、ホシノだけはソファから動こうとしなかった。

 

「ホシノ先輩、帰らないんですか?」

セリカの問いに、ホシノは気の抜けた声で返す。「んー……私はちょっとだけ、だらだらしてから帰るよ。ほら、年上の特権ってやつ?」

 

最後に先生が振り返り、「無理しないでね」と声をかける。

「はーい」

軽い返事。いつもと同じ。

 

ドアが閉まり、静寂が部室を支配した。

ホシノは天井を見つめたまま、溜め込んでいた肺の空気をすべて吐き出した。

「……はぁ」

 

無意識だった。まるで、張り詰めていた糸がふっと緩んだような。

「……なんだろうねぇ」

 

胸の奥が、落ち着かない。

(私は年上だし。余裕がある側でいなきゃ)

そう自分に言い聞かせ、無理やり体を起こす。立ち上がった拍子、さっきまで先生が座っていた場所が目に入った。もう温もりなど残っていない。それなのに、胸の奥がひやりとした。

 

部室の電気を消し、夕闇に包まれた廊下へ出る。

すると、廊下の端で壁にもたれたセリカが立っていた。

 

「……あれ? セリカちゃん、まだ帰ってなかったの?」

「……ホシノ先輩が出てくるのを、待ってました」

 

その言葉に、ホシノの胸が小さく跳ねる。

「……今日、無理してませんでした?」

セリカの直球が、ホシノの歩みを止めた。

「無理? してないよー。ほら、ちゃんと帰ってるし」

「……昨日のことがあったから。急に元に戻ったみたいで、逆に変だなって」

 

ホシノは降参したように、小さく息を吐いた。

「セリカちゃん、鋭いね」

「全部話さなくていいです。ただ……一人で考え込まなくていいってことだけ、忘れないでくださいね。先輩が思ってるより、私たちは役に立ちますから」

 

ホシノは目を伏せた。

「……うん。ちゃんと知ってるよ。ありがとね、セリカちゃん」

 

---

 

その夜。自室のベッドで天井を見つめながら、ホシノは自嘲気味に笑った。

「……静かすぎるなぁ」

 

目を閉じれば浮かぶ、昼間の光景。先生の背中。隣に座った距離。

変わらなかったのは、態度だけだ。気持ちはもう、とっくに元の場所にはない。

 

(……先生、もう帰っちゃったのかな。今頃何してるんだろ)

そう思った瞬間、胸の奥が、激しく、熱くざわついた。

 

(何してるかどうか、なんて……今まで気にしたことすらなかったのに)

 

窓際に歩み寄る。夕焼けが夜に溶け、群青色の空が広がっていた。

「……私は生徒で、先生はみんなを導く人」

 

その言葉は、自分自身に言い聞かせる最後の抵抗だった。

だが、”帰ったかな” ”今、何してるかな” そんな想いは、もう「生徒」という言葉の枠を、とうに食い破っていた。

 

(……あ)

 

そこでようやく、無意識に気が付かないようにしていた自分の気持ちを認めざるを得なくなった。

先生を見つめる自分の視線が、もう「頼れる大人」に向けるものではなくなっていることを。

安心したい。気にしてほしい。独占したい。けれど、それを悟られたくない。

 

(…気づいてるのに否定してたなんて…めんどくさいなぁ、私って。…うん…私は――)

 

言葉にしようとして、心の中で止めた。言った瞬間に、もう二度とこれまでの関係ではいられなくなる気がしたから。けれど、その感情はもう、はっきりとした形を持って、彼女の内側で脈打っていた。

 

(先生を……異性として、見てる)

 

逃げ場のない、残酷で甘い結論。

「……そっか」

 

ホシノは静かに、それを受け入れた。泣くこともなく、取り乱すこともなく。

「……参ったなぁ。私ってこんなに鈍感だったんだ。おじさん、失格だね」

 

こんな感情を、今さら自覚するなんて。

けれど、それを否定しようとは思わなかった。

 

(私は……先生のことが、一人の男の人として好きなんだ)

 

断定はしない。けれど、もう誤魔化さない。

明日も、きっと何も変わらない。同じように笑って、同じように冗談を言うだろう。

けれど、もう二度と、彼を「ただの先生」として見ることはできない。

 

それだけは、静まり返った夜の闇の中で、確実に変わってしまった事実だった。




ようやく自覚したホシノ、これからどうなるのでしょうか?
え?あんなに分かりやすかったのに気づいてなかったんですか…ですか?多分後輩達もそう思ってると思いますよ()
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