私の名前は──有馬かな。
と言っても、それはこの世界での名前ね。
私の中身は、本来ここにいるはずの人間じゃないけど。
……って、こういう言い方をしてる時点で、もう割と精神が肉体に引っ張られてる気もする。
よくある成り代わり転生的なもの。
気がついたら前世の記憶を持ったまま、『推しの子』の有馬かなとして生まれていた。
いや、分かる。最高じゃんってなるよね。私もなった。
だって有馬かな、私の推しだったし。推しの子好きだし。
推しの中に入れたらそりゃ歓喜するじゃん。普通。
ただ問題は、転生って"現実"なこと。
物心ついて、ふと、鏡を見たときに理解した。
(……え、これが、私?)
可愛すぎて目が焼けるかと思った。
いや本当に。自分の顔で自分がダメージ受けるって何?
人生の仕様、どうなってんの?
最初のうちは、原作通りに進むのかなって身構えていた。
だって、有馬かなって原作だと結構ハチャメチャだし。
賛否両論を巻き起こしがちだし。
でもその危うさ込みで愛される、そういうファタール寄りの子じゃん?
今の私にとっては、自画自賛になるか。これ。
まあ、私が生まれたのは、そんな子がらしく"動く"ための世界だと思ってた。
……なのにこの世界、なんか平和だった。
平和というか、平和すぎた。
そもそも両親が芸能関係やらせてきたりとか、母親に振り回されるとか、そういうのも無かった。
母も父も普通に優しい。
普通って、怖い。
原作を知ってると、普通がいちばん怖い。
嵐の前の静けさみたいなものじゃん。
だから私は、自分から動いた。
「子役やってみたい」って母親に交渉して、オーディションを受けまくった。
そのまま原作通りに才能をガンガン発揮しては、気づけば人気子役になっていた。
……って、まとめるのは簡単なんだけど。
私にとっては、外から見てた、創作の中の追体験。
でも、実際に体感した時は、もっと具体的で"リアル"だった。
控室の空気は、色んなものが混ざりあう。
香水の匂い、ヘアスプレーの匂い、衣装の布の匂い。
弁当の美味しそうな匂いも、結構強い。
大人たちの声が、早口で飛び交っている。
みんな忙しいのに、私のことを見て「かわいい」って言う。
そりゃかわいいかもだけど。
大人の言うかわいいって、心がこもってない。
便利な言葉だと思った。
褒めてるようで、距離を保っている。
メイクさんが頬を軽く叩く。パフが柔らかい。
鏡の中の私は、もう"私"じゃない顔をしていた。
"天才子役の私"の顔になっている。
監督が「立ち位置ここね」と言って、目の前の床にテープが貼られた。
バミるとか言うんだっけ。
たったそれだけなのに、身体が勝手に理解している。
ライトが熱い。でも、熱いのに気持ちいい。
「本番、よーい……」
声が落ちてくる。
私の口が開く前に、感情が先に動いた。
台本の文字が、声になる一歩手前で"映像"に変わる感じ。
頭の中で、視線の向き・息の量・間が勝手に組み上がる。
――原作の"才能"って、こういう手触りなのね。
カットがかかる。
監督とスタッフが笑いかけてきた。
「すごいね、かなちゃん」
「天才だね」
褒められるのは嬉しい。でも同時に、怖い。
私は努力してる。読み合わせもした。
姿勢も、声も、癖も直した。
なのに、その成果が全部"仕様"みたいに思えた。
私の努力なのに"キャラの性能"なの、ちょっと悔しい。
それでも、やめなかった。やめられなかった。
"輝いてる"って感じがしたから。
有馬かなとして生まれたなら、推しの子とか関係なく、ちゃんと輝いていたい。そもそも推しだし。
前世の親に叩き込まれた礼儀と感謝の心得は、変なところで根性があるので忘れない。
驕らない。調子に乗らない。ひたすら磨く。
……順調だった。
順調すぎるくらい。
そろそろ何か来るぞ、と思って芸能界の空気をめちゃくちゃ気にしてた時期がある。
"来る"って何が?って言われると困るけど。
ほら、原作とか、そういうのあるじゃん。運命というか。
でも、何も起きない。
スキャンダルもない。
事故もない。
謎の大人に搾取される気配もない。
劇的な出会いもない。
炎上もない。
私の"物語"の歯車は、どこにも噛まなかった。
いや、それ普通に幸せなんだけどね?
でも私、原作の世界にいるつもりで身構えてるから。
平和が続くほど、逆に落ち着かない。
だから私は、探した。かなり探した。
星野アイ。苺プロ。B小町。
あの辺に付随するはずの何もかも。
たとえば「B小町」って検索に打つ。
結果、果物の小町(みたいなスイーツ店)とか、地域の商店街イベントとか、そういう情報しか出てこない。
いや、それはそれでほっこりするし可愛いけど!
そうじゃないの。そこじゃない。
そこにあるべき歴史が、ない。
検索して出ないというより、最初から存在しない感じがする。
空白っていうか、ページが抜け落ちてるというか。
で、結論。
この世界には、星野アイがいない。
苺プロもない。B小町もない。
――つまりここ、推しの子の世界じゃない?
じゃあ私は何?
推しの皮を被ったまま、別の世界に投げ込まれた人?
うん、雑。転生の方向性、雑。
それがわかった時、色んな感情があった。
なんで!?とか、どうして!?とか。
でも、ここで腐るのも違う。
有馬かなとして生まれたなら、推しの子とか関係なく、ちゃんと輝いていたい。
その気持ちで動いた結果。
色んな縁で仕事は続いて、私は中学生になっても細々と役者兼タレントとして、芸能の世界で生きていた。
で、ここから本題!
ある日、今の住処である池袋付近を散歩していたとき。
私は「この世界の人物」と初めて、はっきり出会った。
それまでは、なんとなく現代日本のパラレルワールドかなとか、作品の設定が違うだけかなとか、そういう雰囲気で生きてたけど。
でも、その出会いは、
この世界の曖昧さも全部、鮮明にした。
――
仕事終わり。
帰り道、マネージャーに送迎してもらって、途中で「ちょっと散歩していい?」って言って降ろしてもらった。
「かなちゃん、池袋だよ?」
「いいでしょ。歩きたいときもあるのよ」
「一人で?」
「一人で」
「……何かあったら困るんだけど」
「困らせない。たぶん。家近いし」
「"たぶん"って言ったよね?」
たぶんって便利だよね。責任を半分だけ置いていく言葉。
私は芸能人だから、許されないことも知ってるけど。
こんな半ば日常と化したやり取りを経て、私は帽子とマスクで顔を隠して、池袋の人波に放流してもらう。
池袋は、息をつく場所じゃない。
人の声が重なって、ひとつの塊みたいに流れてくる。
信号の電子音、笑い声、靴音。ずっと雑音を聴いてる感じ。
いつも通り、コンカフェの女の子や、お笑い芸人が客引きをしている。
上を見れば、アニメとコラボした垂れ幕が主張する。
ちなみに、このまえ実写化で炎上していた。
混ざった匂い。
甘い、油っぽい、香水、雨上がりのアスファルト、下水のようなもの。
広告の光は目に刺さって、看板がやたら眩しい。
なのに、嫌いじゃない。
人が多いと、逆に自分の輪郭が薄まる。
芸能人の自分も、異物の自分も、上手く溶けた気がした。
誰も私を見ていない。
見ているとしても、ただの女の子として見ている。
うるさい場所のほうが、私が"誰"でもいいから気が楽だ。
有馬かなでも、転生者でも、ただの中学生でも。
そのまま人混みの流れをすり抜けて、静かな道に入る。
ビルの影が落ちて、街灯の光が白くて、空気が冷たい。
こういう感覚は、昔の自分に戻れる気がして好きだ。
カメラの前じゃない私。
台本がない私。
ただ歩くだけの、"私"。
気がついたら、思ったよりも遠くまで歩いていた。
帰りは電車でもいいな、なんて考えつつ歩いて。
――それで。
私は、あの子を見つけた。
歩道の端、植え込みの近く。
しゃがみ込んで、地面をじっと見ている女の子。
手元で小さく指が動いて、何かを拾って、掌に並べている。
落とし物を探してるのかな、と最初は思った。
でも違う。焦りがない。誰かを呼ぶ気配もない。
ただ静かに、ひたすら集中している。
目が、ひとつの点に吸い込まれてる。
いや、目だけじゃない。
呼吸も、肩の力も、世界の切り取り方も。
この子、いま"ここ"にしかいない。
関わらない選択肢も、もちろんあった。
私はいちおう芸能人だし。余計なトラブルは避けたい。
知らない人間と関わるのは危険だ。何が起きるか分からないし。
……なのに。足が止まった。
いや待って、なんで止まってんの私。
そんなことを考えながら、自然と口から言葉が零れた。
「なにしてるの?」
女の子は、ゆっくり顔を上げた。
目が、まっすぐだった。まっすぐなのに、鋭くない。
焦点が合っているようで、少し遠い。
正確に言うなら、"私"を見てないみたいでもあった。
私じゃなくて、私の後ろの街灯でもなくて――
だから、少し怖かった。
この子の世界に、土足で入る感じがする。
「……えと」
言葉の前に、ちゃんと間がある。
何かを形にしようとしている。
私は待つ。待つのは得意だ。
カメラの前の“間”って、責められるものじゃない。
表現だし、武器だから。
「石が、綺麗だから……あつめてる」
……石?
よく見れば、掌の上に、小さな石がいくつか並んでいる。
白に近いもの、黒いもの、少し光を拾うもの。
どれも普通の石だ。どこにでもある。
なのに、その子の手の中だと、なんか"宝物"っぽい。
扱い方や拾い方が丁寧だから。
そこにあることを、ちゃんと肯定してる拾い方。
「なるほど、やさしい趣味ね」
私はしゃがみ込む。距離を合わせる。
声のトーンを落とす。勢いを殺す。
この子は、大きい音に驚きそうだから。
「どれが一番好き?」
「……これ」
指が示したのは、ほんの少し緑がかった小さな石だった。
街灯の光を受けて、一瞬だけ色が揺れる。
「素敵なセンスね。光できらめいて、綺麗だわ」
私が言うと、女の子はこちらを見ながら小さく瞬きした。
誉められることに慣れていない感じがする。
あるいは、誉め言葉の受け取り方をまだ知らない感じ。
……この子、可愛い。
可愛いっていうのは、見た目だけじゃなくて。
存在の仕方が、ちょっと独特で、静かで、なのに妙に印象に残る。
「ねえ、名前、聞いてもいい?」
「……たかまつ。高松、燈」
――ちょっと待って。
(高松燈?)
頭の中で、音が鳴った。
いやだって、そんな名前、知らないわけがない。
MyGO!!!!!。バンドリ。
迷子たちの物語。
私が前世でハマりにハマって、死ぬ瞬間まで考えてた。
その時に放送されてたのは続編のAve Mujicaだけど。
こっちはこっちで情緒が爆発してて、阿鼻叫喚が続出するやつ。
待って待って待って。
私、推しの子の有馬かなに転生して、推しの子じゃない世界にいて、今、目の前に高松燈がいる!?
転生の方向性雑すぎない!?
脚本家いるなら出てきて説明して!?
一瞬、息を整える。
あまりの事態に内心大暴れだったが、顔には出さずにいられた。
芸能人だから。
てか、ここで取り乱したら普通に怖い人だから。
自分に怖い人の自覚があるのもまた怖いけど。
私は平静を装って、なるべく柔らかく言った。
演技、習ってて良かった。
「燈って呼んでいい?」
「……うん」
返事が小さい。
でも、否定じゃない。
「石集めるの、楽しい?」
「……たのしい。……でも、ひとりだと、ちょっと……」
ちょっとの後ろが続かない。
続けないという選択が、はっきり見えた。
私は笑ってしまいそうになる。
いや、笑うのは失礼なんだけど。
この言葉の途切れ方が、あまりにも"燈"で。
……本物だ。
それが怖いのに、嬉しい。
この矛盾が、気持ち悪いくらいに、気持ちいい。
「そっか」
私は立ち上がる。
立ち上がると、街の音が戻ってきた。
車の走行音、笑い声、足音。
燈はしゃがんだまま、掌の石を見つめている。
自分の"世界"に入り直したみたいだ。
本当なら、このまま立ち去るべき。
関わったら、話が動く。
作品世界で話が動くって、だいたい碌なことにならない。
……のに。
立ち上がったのに、足が一歩目を出さない。
心臓が、変な跳ね方をした。
こういうの、よくない。
分かってるのに、分かってるからこそ、口が負ける。
「また、ここで石集めてる?」
燈は少しだけ考えて、言った。
「……たぶん」
たぶん。半分置いていく言葉。
約束じゃないのに、妙に胸に残る言葉。
「じゃあ、またね。燈」
「……またね」
小さな返事。
その時、燈の指先がほんの少しだけ浮いた。
ちらりと見る。
手を振る、まではいかない。
でも"行っちゃうんだ"って確認するみたいな動きだった。
それだけで、私はちょっと救われた気がした。
何からかは知らない。自分でもよく分からない。
私は歩き出す。
歩きながら、頭の中が忙しい。
関わらないほうが良かった。
でも、関わってしまった。
ぐるぐる考えて、まだこの世界に存在しないはずの曲が脳内で鳴り響く。
(Imprisoned XII)
やめて!?そういうBGMつけないで!?
なんて、セルフツッコミを入れた。
私、いま、めちゃくちゃオタクの顔してる。
たぶん。マスクの下で。
改めて確認しないと、ここが何の世界なのか。
家に帰ってから、コートを脱ぐ前にスマホを開いた。
検索窓に打つ。
「星野アイ」「苺プロ」「B小町」
……やっぱり出ない。
分かってたけど、改めて見ると腹が立つ。
いや、誰に?世界に?
分からないけど、ムカつく。
次に、自分の名前。
「有馬かな」
出る。普通に出る。私が出た番組、記事、切り抜き。
画面の中の私は、私の顔をして、女優の笑い方をしている。
(私って何?)
ここで哲学し始めると一生戻れない。
一旦思考を切り替えて、最後の確認に進む。
「羽丘女子学園」
「月ノ森女子学園」
「ライブハウスRiNG」
まだ、"始まっていない"としても、この情報なら存在するはずだ。
画面が更新され、一瞬、真っ白になった。
次の瞬間、見覚えのある単語が、現実の情報として並ぶ。
感情が全部混ざって、最終的にわけ分からん!になる。
私はスマホを握りしめたまま、ベッドに飛び込んだ。
そのまま、天井を見上げる。
息を吸って、吐いて、もう一回吸った。
冗談みたいな話。
推しの子の有馬かなに転生して、推しの子じゃない世界で生きて、池袋で石を拾う高松燈に出会った。
この世界って何?
私って何?
わからない。迷っている。
でも、ひとつだけ確かなことがある。
私はもう、ただ有馬かなとして生きるだけじゃ済まない。
迷子たちの物語に、足を踏み入れてしまった。