煤けた金貨と死にたがりの人魚姫 ~落ちこぼれの元山賊が生意気人魚を救って、救われたら~ 作:ソバカススキー
湖面に満点の星が瞬く、よく晴れた夜の事である。
人里離れた場所に位置するその湖は、街道からも離れた森の奥深くにある事も相まって滅多に人の寄り付かない、まさに野生動物の聖域だった。
━━だった、はずなのだが。
「だーかーら!その食べ方じゃお魚の美味しさをきちんと味わえないって言ってるでしょ!?」
「だから生で食えって言ってんのかよ!?んなのできるわけねえだろ、バカじゃねえのか!?」
「いい?食べるってのは命を奪う事なのよ。ならできるだけ美味しく食べなきゃ命に失礼じゃない」
「おう、そこまではいいな」
「だから生で……」
「食えるわけねえだろっつってんだよ」
そんな静寂を破るようにやかましく、かつ低レベルに罵り合う人影が湖のほとり、焚き火のそばに二つ。片方は焚き火から今まさに焼きあがった魚を取り上げた黒髪に目つきの悪い男で、もう片方の長い赤髪の女は
「そんなのガブッ!と噛み付けばいいだけじゃない!はーやだやだ、これだから軟弱な人類は困るわね……それともリヒトが特別弱いのかしら?」
「人間の消化器官と
「あらやだ、人魚差別?」
「ちげぇよ、厳然たる区別だわ」
そう、人魚。
湖から胴体だけ覗かせるその女の下半身は青い鱗に覆われ、巨大な魚の姿をしていた。しかし、二人ともそれについて殊更に何かを言うでもない。違うのが当たり前とでも言うように気にも留めていないその様子は、二人が気が置けない友人同士である事を雄弁に語っていた。
「……っていうかよ。お前だってそんな事言いながら、この前は俺の作ってた干魚を盗み食いしてたよな?」
「うっ」
魚は生で食べるべき、という先ほどの主張とは正反対の所業を男━━リヒトと呼ばれた青年が告発すると、痛いところを突かれた人魚は言葉に詰まったように呻く。
「ついでに言えば採ってきた果物が消えてた事もあったなあ?」
「うっ」
痛いところの二発目。住処の小屋に運び込むまでに一旦置いておいたはずの果物が入れていたカゴごと無くなっていた事があるのだ。食い意地が張った人魚の口元に果汁らしき色が付いていたのを、リヒトはよく覚えている。
「更に俺の釣り竿を魚にもってかせた事もあったよなぁ!?」
「いやそれは知らないわよ」
「…………そうか。そうか…………」
「ええ、そうよ」
痛いところの三発目は不発。これは単純にリヒトに釣りの才能が無いだけである。おそらく気のせいだろうが、人魚の目にはリヒトの体が少しだけ小さくなったように見えた。自分でも少し気にしている所を墓穴を掘って思わぬタイミングで突かれたのだから、気の毒といえば気の毒だが。
そうしてしゅるしゅると(心理的に)萎んでいくリヒトを、人魚は物欲しそうな顔で見ていた。正確にはその手に持つ焼き魚を。
「……あなたが食べてるの見てたらお腹空いてきたわね……それ、ちょっと寄越しなさいよ」
「あんだけ言っときながらマジかお前……ほれ、一口だけな」
「あら太っ腹、いただきまーす!」
「バッカ食いすぎだてめぇ!俺の夜メシが無くなる!」
目を輝かせて大口で焼き魚にかぶりつく人魚の女と、それを不満気な目で、しかしどこか楽しげに見つめる人間の男。
人里離れた森の奥で、ただの人間と希少な人魚がどうして共に暮らしているのか。
事の始まりは、リヒトが家を勘当された時にまで遡る。
***
商家産まれの落ちこぼれ、リヒト・スウェインは山賊集団の下っ端だった。
どうしてそうなったのか。簡潔に言えば、そうしなければ生き残れなかったからである。リヒトは中流の商人一家に次男として産まれたが、家業を継いだ兄ほど商才がある訳でもなく、行商人として修行に出た弟ほど野心がある訳でもなかった彼は二十歳になったその年に穀潰しを厭う家から追い出された後、路頭に迷うしかなかった。
生きていくには金がいるが、それも
そんなこんなで故郷を飛び出したのだが、そんな情けない思考で考え無しに街を出たらどうなるかは火を見るより明らかである。ぼんやりと王都にでも行こうか、と思っていたが数日も歩かない内に山賊に捕まって身ぐるみを剥がされ、しかし生来のゴマすり技巧と手先の器用さで何とかその山賊団の雑用兼下っ端に落ち着いた。落ち着いてしまったのだ。
━━そして現在、リヒトは山賊としての初陣に立つところであった。
「……いいか?あの馬車が近付いたらまずは御者をその
リヒトの横で、山賊団の古株だという凶悪な顔つきの男が遠くからやって来る馬車を指差しながら言う。嘘か誠か、かつてはさる貴族の私兵として戦争で数多くの武功を挙げたという男は、今では弱い獲物を狙ってはした金を巻き上げることで日々を食いつなぐ低俗な野盗に身をやつしていた。とんだ転落人生である。
リヒトはその横で、古株にバレないように深くため息を吐いた。ここまで来てしまえばもはや逃げ出すことなどできようもない。それでも最後まで抵抗してみようと、必死に疑問を提示する。根本が臆病者と言うべきか、それとも善良と言うべきか、リヒトにはまだ無関係な他人を襲うことへの忌避感が大きく残っていたのだ。
それに何より。『人を殺す』という事を、リヒトはまだ受け入れられていなかった。
「……あの、ほんとにあれを襲うんですか?」
「なんだ、お前ビビってんのか?ガッハッハ!そりゃあ初めての仕事ならしょうがねえか!」
「それもありますけど……もし馬車に手練の護衛でもいたらどうするんです?例えば魔法使いとか、一人でもいたら太刀打ちできないんじゃ?」
「見ろ。あのサイズの馬車なら乗ってるのはどんなに多くても四人、荷物のぶんも考えたら二人が良いとこだ。それに対してこっちは十人もいる。数の暴力は強いんだぜ?」
何とかして馬車を襲わない方向へ持っていけないかとの目論見で問いかけた言葉だったが、それはあえなく一蹴された。続けて、魔法だって一発空振らせちまえば少しの間は撃てないしな、と古株が得意げに答える。この男、自分が短期的にどれだけ儲けられるかに対しての考えはよく回るようだが、その行いが長期的にどう関わるかまでは想像できないという残念な頭の造りをしていた。
具体的に言えば、こうして山道に隠れてそこを通る者を襲うのは今回で五回目であった。そしてそれだけ同じ道で略奪を繰り返せば、行き交う人々の間で噂が立ち自然とその道は使われなくなる。
「……っしゃ来た来た!全員、位置につけ!」
しかしそれでも尚、同じ道を使い続ける者はいる。それは例えば運悪く情報を手に入れられなかった者か、のっぴきならない事情でその道を使わざるを得ない者か━━
「今だ、撃てぇ!」
「━━これはまた、随分と手荒い歓迎だネ」
もしくは、山賊程度では障害にもならない強者かである。御者台に座るフード付きの薄汚いボロ布を纏ったその人物は、まさにその典型とでも言うべき相手だった。
「なっ、なんだアイツ!矢を受け止め……」
「なるほド。右に四人と左に六人、合わせて十人。ちょっと少ないけど……まあ、前菜程度にはなるかナ」
この時点ですでに、リヒトは逃げ出そうと心に決めていた。それもそうだろう。なにせ左右から放たれた矢を素手で掴み、そして一瞥もせずに茂みに潜む人数を当てたのだから。即座に弩を投げ捨ててみっともなく駆け出さなかっただけ褒めてほしい。とはいえ、それは特別度胸があるからそうなった、という訳ではない。
件の人物の発する
「━━━━」
「おや、逃げないのかイ?それならそれで手間が省けていいんだけド」
目の前の人物は少年のような声で無邪気に、そして楽しげに言うと、まるで散歩でもするかのような気安さでリヒトの潜む茂みとは反対側、六人の山賊が潜む方へと向かった。仲間たちはリヒトと同様にその場から動けず、気付けばすぐ横にまでの接近を許していた。
そして、次の瞬間に起こった出来事をリヒトは受け止める事ができなかった。
「それじゃア。いただきまス」
ばつん、と弾けるように嫌な音がして。すぐ横に立っていた男を呆気にとられたように見ていた山賊の一人が、
「━━━━は?」
誰からともなく、気の抜けたような声が出た。地面で激しく痙攣しているのは人間の腰から下であり、リヒトは幼い頃に見た半身のちぎれた虫を連想した。
地面に落ちた下半身は腰の辺りで大量の血を流しながら、その命がとっくに尽きていることを声高に主張していた。
ピクピクと痙攣していた死体の足が動かなくなると、その横にしゃがみこんでいた男は興味を失ったように立ち上がり、ぐるりと周囲を見渡した。その動きに合わせて被ったフードがずれ、その下から隠れていた顔が覗く。
宝石のように赤く輝く目に、それと同じく粘性のある赤い液体でべっとりと汚れた口。それを見て、リヒトたちは否が応でも起こった事を理解した。してしまった。
「━━うん、悪くは無いかナ」
目の前にいるこいつが仲間を━━人間を
「うっ……うわぁぁぁぁぁ!」
「逃げろ逃げろ!やべえぞあいつ!」
次の瞬間、周囲は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
一人が逃げると二人目が逃げ、二人が逃げると三人目、四人目と連鎖的に逃げ出していく。一人が走り出すとフードの男はそれよりも速く走り出し、その行く手に回り込むと楽しげに言った。
「そうそウ。そうやって逃げなヨ?そっちの方が達成感でもっと美味しくなるからサ」
「ひっ!?なんでこっちに……!」
フードを被った男━━リヒトからは見えないが、おそらくはフードの下の爛々と光る目で見つめられた山賊の一人は、恐怖からかその場に釘付けになって動けないでいる。次の瞬間、フードの男の口元が大きく開き━━もはや「裂けた」と言った方が良さそうである━━山賊の上半身を飲み込むと、先ほどと同じように下半身だけになって倒れ込む死体が出来上がった。
「あ、あああぁ……」
逃げる背中にフードが追いつき、更に一人、二人と最初に死んだ仲間の後を追うように倒れて━━食われていく。そうして気付けば、十人いたはずの仲間は半分以下にまで減っていた。
「━━━━」
咄嗟に辺りを見回して、何か役に立つものは無いかと探す。持っていた弩はもう矢が尽きてしまったし、そもそも矢が残っていたとしてもそれを当てられるとは到底思えない。一応、腰には小さなナイフを提げているが、それで立ち向かうのはあまりにも無謀がすぎる。
どうにかして逃げなければ。そう思って様子を伺っていると。
「う、うわぁぁぁ!」
「━━!」
リヒトとは道路を挟んで反対側の木の上に潜んでいた男が、耐えきれなくなったのか大声を上げながら手に持った筒をフードの男に向かって放り投げた。
指先から手首あたりまでの長さで銀色のそれは火薬の詰まった金属製の筒であり、投げられるなどして強い衝撃を受けると表面に刻まれた呪文が作動して爆発するという単純な魔道具であった。極めて単純なつくりである為にある程度の付呪への心得があれば誰でも作れるが、そのあまりにも高い威力により無許可で所持していれば一発で捕まってしまうような危険物である。
彼がそれを持っているのはリヒトも初めて知ったことだ。おおかた、どこかの荷車で盗んだのを物珍しさから懐にしまい込んだのだろう。
筒は過たずフードの男の足元に落ち、その直後、雷鳴のような轟音と爆風がリヒトのところまで届いた。フードの男は反射的に身を固くし防御の姿勢を取ったようだが、それでも至近距離での爆発には耐えられなかったのか大きくその身が吹き飛ばされる。
「━━━━?」
顔と胴体の急所を腕や体全体で庇うその姿に、リヒトは少しだけ違和感を覚える。だが、その理由に気付くより先に別の考えへと思考が飛んだ。
「今なら、逃げれる━━!」
さすがのフードの怪人にもダメージが大きかったのか、よろよろと力無く立ち上がる姿からは覇気が感じられない。とはいえ、常人ならば一撃で昏倒し再起不能になる、もしくはそのまま死んでしまってもおかしくないであろう爆発である。それを受けてもなお立ち上がろうとしているのだから、改めて怪人の規格外さを痛感する。
「━━ッ!」
「お、おい!どこに━━!」
そして、フードの怪人がいまだに上手く動けないでいるのを尻目に、リヒトは一目散に反対側へと走り出した。背後で古株の男が責めるように声を上げるが、それに取り合ってなんていられない。とにかく今は、一刻も早く遠くへと逃げたかった。
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
バクバクとうるさく鳴り続ける心臓の音に、少なくともまだ自分は生きているのだとどこかズレた感慨を抱きながら疾走する。走る途中であちこちに体をぶつけ、鋭い枝に身を切られるがそれに頓着してなどいられない。ただひたすら前へ、前へ。日の傾いてきた森の中を必死に足を回して駆ける。そうして、必死の思いで走っていると。
━━━━唐突に、世界が反転した。
「ッッ!?!?」
驚愕に目を見開き、そしてどうやら反転したのは世界ではなく自分らしいと遅れて気付く。
自分が反転している、つまりは頭を真下にした状態にいる━━分かりやすく言えば、谷底へと真っ逆さまに落ちているところであった。空へ見上げた目線の先には切り立った崖と、赤く染まりだした空を覆い隠すように生い茂る木々の葉。要は森の中に唐突に現れた谷間に気付けず、そのまま崖へと走り出してしまった、という事らしい。
「━━ヤバいヤバいヤバいヤバい!」
内臓が持ち上げられるような嫌な浮遊感と、風を切る顔の冷たさ。落下し続けるリヒトの感覚には今やそれしか残っておらず、数秒後に訪れるであろう最悪の未来を想像して血の気が失せる。
走馬灯というのだったか、これまでの人生が脳裏を駆け巡る。両親の笑顔、兄の頼もしい背中、よく懐いてくれた弟からの憧れの目。まだ幼い頃の、自分は何でもできるのだと根拠の無い万能感に満たされていた日々。
それが打ち砕かれたのはいつだったか。両親の眼差しが失望のそれに変わった日か、兄の考える事業計画についていけなくなった日か、弟の掲げる目標を眩しく思ってしまった日か。
━━いつから自分は、ここまで落ちぶれてしまったのか。
「……なっさけねえな、俺」
最期の瞬間まで考えるのがそんな後ろ向きであることに自嘲して、そしてそう思い至ってしまうくらいに冷めてしまった自分が嫌になる。
せめて、痛くなければいいなと。
そう思いながら谷底の川面に叩きつけられて、そうして意識を手放した。