煤けた金貨と死にたがりの人魚姫 ~落ちこぼれの元山賊が生意気人魚を救って、救われたら~ 作:ソバカススキー
人魚が思い出せる最も古い記憶は、幼い自分が大怪我をした時のものだった。
岩にでも引っかかったのかそれとも流木にぶつかったのか詳しいところは忘れてしまったが、とにかく頭に大きな怪我をして、どくどくと血が流れていた事をよく覚えている。とは言っても、その怪我自体は人魚の持つ治癒力と兄の必死の看病のおかげで後遺症も無くすぐに治り、今では傷跡すら残っていない。
けれど、人魚は今でもその時の事を鮮明に思い出せる。
怪我した時に溢れ出た紅い布のような血の帯が、川に沿って下流へと流されていく。一匹の魚がその帯に絡まり、そしてすぐに離れていった。
自分の命が流れ出る感覚。どうしようも無く恐ろしくて、心細くて、薄ら寒い感覚。
━━━━同時に何よりも官能的なその光景を、人魚は忘れられないでいた。
***
「ん、こんなもんか」
「おー、意外とよくできてるじゃない。あなたって手先が器用なのね?」
「まあな。
「見るからに細々した感じだものね、あなた」
「それは貶してるって受け取っていいんだよな?喧嘩か?」
額に青筋を浮かべるリヒトと、素知らぬ顔をして水面を滑るように泳いでいく人魚。二人が話していたのはリヒトの頭上、木と木の間に枝や動物の皮を渡して作った屋根――そして、そうして出来上がった『家』についてだった。
「……まあ、私がかなり手伝ったけどね。あなただけだったらあのサイズの木を切り出すのも大変だったでしょう、感謝しなさい?」
「ん、それは確かに……まあ、ありがとう。おかげで家ができた」
しかし『家』とは行っても四方を板で囲み、その上に木々の枝を使って屋根を乗っけただけの粗末な物だ。それでも夜寝て、雨風を凌げるだけでも十分なのだが。
そしてリヒトにとって意外だったのは、家を建てる際に人魚が積極的に協力してくれた事である。リヒトを脅す際にも使った水の魔法で次々と木を切っては丸太や板へ加工し、建材を提供してくれたのだ。
なぜ、と理由を聞いても「なんとなく」としか答えが帰って来なかったため深追いはしなかったが、それでも疑問は残る━━どうして自分なんかを助けるのか。どうしてそんな事をするのか。
「……まさかお前!恩を売りまくって、それでいつか自分を食べさせようとしてるんじゃ……!?」
「なに急にバカな事言ってんのよ。そんなつもりは無いし、それに恩って言うなら、川に落ちたあなたを引き上げた時点でこれ以上無いくらい売りまくってるわよ」
これ以上売ったら恩の在庫が無くなるわ、と何だかよく分からない事を言う人魚。あげられる恩に限りがあるなんて随分と狭量なものだな、と言う考えがリヒトの脳裏を過ぎったが、それを言えばいつかと同じように
「ところであなた、家を作る時の手先の器用さとか、動物を捌くのも手際が良かったし……実家がもしかして狩人だったりするのかしらね?」
「んなわけあるか。俺ん家は普通の商家……いや、普通じゃねえかもな。あんなクソ親父のいる家なんか、むしろ追い出されてせいせいしたくらいだよ」
「そういえばそんな事も言ってたわね。追い出されたなんて、何をやらかしたのよ?」
「俺がなんかやった前提で聞くなよ!そりゃまあ、追い出されたって聞きゃあその発想になるんだろうけどよ……!」
声を荒げるリヒトだったが、しかし重ねて反論ができるわけでもなくその声も尻すぼみになる。追い出されたのは事実だし、何より胸を張って語れるほど過去の自分は大それた人間ではないからだ。
「そうじゃなくて、逆だよ、逆。何もできなかったから追い出されたんだよ」
「何もって……」
「兄貴みたいな才能も、弟みたいな野心も無かったからだよ。何もできねぇ、何も持ってねぇやつを家に置いとく理由なんざねえからな」
自嘲的にそう言って、そして少し沈黙した後に沈痛な面持ちで言葉を続けた。
「……悪ぃな。俺いま、すげえ意地悪なことしてた。どうしようもない事をお前に言って八つ当たりして、それで憂さ晴らししようとしてた」
「なによ。随分と殊勝なこと言うじゃない。柄でもないわよ?」
いつの間にか湖岸に寄って来ていた人魚が言う。ぶっきらぼうに言い捨てた風であり、そしてどこか不機嫌そうに言葉を吐いた。
「そんな風に自分をグチグチ腐すの、やめなさいよ。あなたは馬鹿みたいに何も考えてない顔でいるのがお似合いだわ」
「なんだよそれ。励ましてんのか貶してんのか、どっちかだけにしてくれよな」
「あなたは馬鹿みたいに何も考えてない顔でいるのがお似合いだわ」
「こういう時って普通は励ましを残すもんじゃねえかなぁ!?」
「だって本当の事だもの。そうやって悪い方にばっかり考えるよりはいいと思うのだけれど?」
「言っていい本当と悪い本当があるだろうがよ!」
「なるほど。私のこれは言っていいやつだから問題ないわね」
「無敵かお前?」
リヒトの悲痛な叫びに、それでも悪びれずに答える人魚。「俺ってそんな言われる程悪い事したかぁ……?」と頭を抱えるリヒトに対し、すこし言いづらそうにした後に小さく続けた。
「……それにまあ、私はあなたの家族じゃないから、彼らが何を思ってたかなんて知らないけど。何もできなかったなんて、少なくとも今のあなたを見ればそうは思えないのだけれど?」
「……そりゃなんでだよ?」
「だって、あなたは拙いながらも屋根と壁のある住処を作れる。狩りや釣りで日々の食料を確保できる。なんならこうして私の頼みを聞いて、話し相手になってくれてる」
一度聞かれて開き直ったのか、初めの言い辛さを感じさせない様子で人魚は早口に言った。
「あなたが自分じゃどう思ってるかは知らないわよ。でも私からすれば、この世の人は皆――あなたも含めて『煤けた金貨』なんじゃないかって思うのよ」
ゆらりと、尾ヒレが水面下で揺れる。
「磨けば光るものを、価値あるものを皆が――もちろんあなたも持ってる。それが今は見えないだけ。だからまあ、ちょっとくらいは自分の事を認めてあげてもいいでしょうに」
人魚が言い終えて、そしてリヒトが沈黙していると━━
「…………あの、せめて何か言ってほしいのだけれど」
「おお、悪い悪い」
ついに業を煮やしたのか、人魚がそう問いかけてきた。見ればその肩はふるふると小刻みに震え、更によく見ると耳の先が少し赤くなっている。これは━━━━
「……なんだお前、自分で言ってて恥ずかしくなってんのか?」
「なっ、なにを言って……!」
「……!いやー、まさかお前がそこまで俺の事を買ってくれて、そんなによーく見てくれてるとはなぁ」
この気を逃すものかとリヒトはからかいで追い討ちをかける。普段は言い負かされる事が多い分、ここまで恥ずかしがっていて、からかいがいのある人魚の姿というのは珍しい。
「普段はなんだかんだと小言ばっかの癖に、ほんとはそんなにまっすぐで熱いお方だったんですねぇ?いやー、さすが!よっ、世界一の熱血人魚!」
「うっさいバカ!黙ってなさい!」
「おわっぷ!?」
次の瞬間、罵倒と共にリヒトの顔面に水の塊が叩きつけられた。ただ単に水をかけたのではなく、わざわざ魔法で大きな水の塊を作って、それをぶつけてきたのである。ばしゃん、と大きな音がして、隣で水を飲んでいた二匹の小鳥が驚いて飛び立った。
「げほっがほっ……お前!水はダメだろ水は!俺はお前らと違って水ん中じゃ息できねえんだよ!溺れたらどうする!」
「うるっさいわね、せっかく珍しく励ましてあげようと思ったのに、あー気を使って損した!」
なんて、やいのやいのと喧しく言い合いながら。しばらくして口論が一段落した頃、人魚が静かに尋ねてきた。
「で、どう?気分は晴れた?」
「…………まあ、おかげさまで。ありがとうな」
「ん。ならよし」
そう言って小さく笑う顔に、これだから勝てねえんだよな、とリヒトは胸中で息を吐く。笑顔ひとつで全て許してしまいそうになるのだから、男はなんと弱い生き物なのだろうか。
何も考えずに突っかかってくるようで━━もちろん単にそれだけの時もあるが━━その裏では何かと気を回していて、時折優しさを見せてくる。今回のこれも、放っておけばネガティブな方へと沈み続けそうなリヒトを無理やり引っ張りあげるためにやったのだろう。
ちゃぷちゃぷと水面を揺らしながら、人魚が再び岸から離れていく。少しすると小さな水音と共に姿が見えなくなったから、恐らくは昼飯の魚でも捕りに行ったのだろう。
「……ほんっと。いい女だよ、お前」
なんて、面と向かっては言えないけれど。人魚に聞こえないようにそう小さく呟くと、リヒトはナイフを持って森へと足を向けた。昨日しかけた罠に獲物がかかっているかを確かめに行くのである。
運が良ければ、二人が腹一杯になるだけの肉を手に入れられる。住む場所のせいか人魚の食べるものは基本的に魚ばかりだが、それでも陸の獣の肉も好物らしい。線の細い見た目とは裏腹によく食べる女なのだ。
自分が両手いっぱいに獲物を抱えてきたらどれだけ喜ぶだろうか、と考えて、そして小さく笑みがこぼれた。
いつまでこの生活が続くのかは知らないが、それでも、できるだけ長くこの安らかな時間が続いてほしい。
━━━━しかし、全てがひっくり返る時は確かに近付いていた。
***
そして、更に数日が経ったある日のこと。
その日は朝から嫌な胸騒ぎがしていた。空はよく晴れているのに何故だか胸の奥に突っかえがあるような、そんな不可解な感覚。
「おはよう……ってあなた、どうしたの?いつにも増してひどい顔してるわよ?」
「ああ、おはよう。どうしたっつーか、わかんねえけどよ……」
そんな思いを抱えていたからかは知らないが、朝起きてから人魚の顔を見てもリヒトはいつものような挨拶ができなかった。軽口が透かされたことで調子が狂ったのか、人魚はおかしな物を見るような表情をしてリヒトを見つめる。
「とにかく今日は無理しない方がいいわよ?私にできることなら、まあ、ある程度は聞いてあげるから」
「…………おう」
どう言えばいいのかわからずに何となく言葉がつかえて、会話もそこそこに切り上げるとナイフを手に森の罠を見回りに行く。
このところあまりにもよく捕れすぎていたせいだろうか、どの罠にも獲物がかかっている様子はない。ようやくこの森の小動物も危険を覚えたのだろうか。
「……だめだな。今日はもう大人しくしとくか……?」
リヒトはそう呟きながら肩を落として帰路に着く。
すると湖岸が近付くにつれ、何者かの話し声が聞こえてきた。
「━━から、私は━━」
「━━━━るほどな。それならここじゃなくて━━」
片方はここ数週間ですっかり聞き慣れた人魚の声。もう片方は男の声で、うっすらとどこかで聞き覚えがあるようなものであった。一体誰だろう、とぼんやりと考えた直後、ふとある事に気付いて弾かれたように走り出す。
人魚が他の人間に見られてしまえば、彼女は初対面の自分にやったように、そいつに自身を食べさせようと持ちかけるだろう。そして、相手がそれを拒まないとも限らない。
もしも。
もしも、人魚が食べられてしまえば。
もしも、彼女が死んでしまえば。
不吉な予感ばかりが先走ってしまわぬよう、リヒトは力一杯両の足で走った。
森を息せき切って走り抜けると、湖畔にはやはり見知らぬ人影があった。訂正、見知らぬ、ではない。確かあれは━━
「古株さん……ですか?」
「おお!?なんだ、お前も生きてたのか。お互いに助かって良かったなぁ!」
胸騒ぎの正体はこいつだ、とリヒトは即座に理解した。巨大と言う言葉がまさにピッタリな大男で、伸ばしっぱなしの髭もだらしない印象ではなく威圧感を与えるのに一役買っている。自分が山賊をやっていた時の上司であり、あの場所で共にあの惨劇を目にしていた人物。
最後に自分が見捨てて逃げ出した、あの時の古株だった。
彼の気を損ねないようできる限り言葉を選んだリヒトに対し、彼は豪快に笑って続けた。
「それにお前、古株さんなんて他人行儀に言うなよ!俺にゃあちゃんとダリルって名前があるんだからそう呼んでくれよ!」
「……なんで、あなたがここに?」
「なんでってそりゃあ、命からがら逃げてきたんだろうがよ。他に何かあるか?」
おかしそうに笑う彼に、その反応は予想外だったとリヒトは目を丸くする。
なぜならリヒトは半ばダリルを置いて逃げ出したようなものであり、向こうからすれば囮として置いていかれたと見られても不思議では無かったのだ。
「あ、ああ。そうだよな……あの、ところで二人は何を話してたんで?」
「…………あなたってこの人の前じゃあ何か雰囲気違うわね。三下感が増し増し」
「話の腰折るなよ、そんで三下とか言うな!」
「まあ実際三下だったもんな、お前。一番の新入りだし」
「ああもうダリルさんまで!」
「がっはっは!すまんすまん。それで何だ、話してたことだったか?」
もう一度豪快そうに笑うダリル。山賊団にいた頃はそうでも無かった気がするが、どうやらよく笑う人らしい。それをあって、まるで頼れる兄貴分のような、そんな安心感すら抱いてしまう。
過去の治安の悪い面とは別の平和な側面を知って少し親近感を抱いたリヒトだったが、しかし、その感情は後に続いたダリルの一言で跡形もなく粉砕された。
「いやな。こいつが自分を食べて欲しいってんだから、じゃあ俺が食ってやるよ、って話してたんだよ」
それまでと全く変わらない調子で、ダリルはそんな事を言った。
「く、食うって……なにを言って━━」
「?当たり前だろ?」
さも当然のように、どうしてそんな事を聞くのか、とでも言いたそうな顔。その顔を見て、リヒトは腹の底が冷えるような感覚に襲われた。何より恐ろしいのは、それまでの会話にあった『親しみやすい兄貴分』の印象はそのままでその言葉を発したところだった。
「こいつは死にたがってる。それに俺もこいつを食って不老不死ってのになれるんなら、そりゃあ食わない訳にはいかないだろ?」
至極当たり前のように言う彼を見て、リヒトはそこでようやく気がついた。
この人には━━ダリルにとっては誰かの命を奪う事も、仲間の無事を喜ぶ事も、思い出話をする事も、その全てが等価値なのだ。
だからこうして、自身の普段の振る舞いの延長線のままで人魚を食べると言い出せる。
「な、なあ。ダリルさんの言ってる事って本気なのかよ?」
「ええ、そうよ。どうしてそんな事を疑うの?」
傍らの人魚に問いかけるが、返ってきた答えはあまりにもあっさりとしたものだった。死にたいというよりも自身の生に頓着していないような、そんな冷たさがあった。
「コイツから聞いたんだけどよ、お前はコイツを食いたくねえんだろ?それなら代わりに俺がもらうぜ。それでいいだろ?」
人魚の答えに絶句していたリヒトに対して、当然のようにダリルは言った。そしておもむろにしゃがみこむと、水中に手を差し入れて人魚の体をその太い腕で担ぎあげた。
「悪ぃな、そんじゃあこいつはもらってくわ。外で食うってのも悪くはねえけど、ちょっとやりづらそうだからな。俺の
「あら、あんまり遠いのは嫌よ?」
「大丈夫だ、そこまで遠かねえよ」
「ふうん、ならいいわ。それじゃあ行きましょうか」
そのままテキパキと準備を済ませると、人魚を担いだダリルは未だに放心しているリヒトを置いて大股で歩き去っていく。放っておけばそのままどこかへ行ってしまいそうで、そこでようやくリヒトは我に帰った。
「ちょ、ちょっと、おい……!」
だがしかし、リヒトは遠ざかっていく人魚に呼びかけようとして、そこで自分がまだ彼女の名前すら知らない事を思い出して。
ついには何も言えず、ダリルに担がれて連れ去られる人魚をただ見送るしかできなかった。