煤けた金貨と死にたがりの人魚姫 ~落ちこぼれの元山賊が生意気人魚を救って、救われたら~   作:ソバカススキー

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第五話 走り出す理由

 人魚が連れ去られたその後のこと。ひとり湖岸に残されたリヒトは、両脚から力が抜けたようになり立っていられず、その場にへたりこんでしまった。

 

 たった数日共にいただけの人魚が連れていかれた。

 言ってしまえばただそれだけのはずなのに、リヒトはまるで心にぽっかりと大きな穴が空いたような喪失感に襲われていた。

 

 どうして引き止める事ができなかったのか。

 どうして抵抗できなかったのか。

 どうしてこんなに心が乱れるのか。

 

 その理由を探そうとして、そして止めた。もういなくなった相手に対してそんな事を考えるなんてバカバカしい。

 それに何より、人魚本人が食べられる事を望んでいたのだ。長年の望みが叶うのだから祝福こそすれ、こんな風に悪く思うのはお門違いも甚だしいものだろう。例え引き止めたところで死にたがっている人魚の邪魔をするだけで、きっと誰も幸せにならないはずだ。

 

 リヒトは人魚を殺したくなくて、人魚は死にたがっていて、ダリルは不老不死を欲しがっている。

 

 この結末が一番良くてみんなが幸せになれるはずだ。だから、この胸の空白も気のせいに決まっている。

 

 ━━━━そうやって、目を背けて諦めようとしたその時。ふと、リヒトの視界の端に何かが映りこんだ。

 

「━━?」

 

 そこにあったのは、水際に几帳面に並べられた数匹の魚。自然に陸上に打ち上げられたとは考えづらく、そしてどれもまだ新鮮なままで、つい先程獲られたばかりだと予想できる。

 

「何でこんなものが……ああ、あいつが昼メシにでもしようと思ってたのか?」

 

 こんな状況なのに、人魚のあの食い意地が張った様子を思い出してふっと小さく笑いがこぼれる。あの細い体のどこに入るのか、というほどによく食べる女であり、そして本人も食べる事が好きなタイプだった。魚を獲る技術も大したもので、釣りが苦手なリヒトからしてみればその点は手放しに尊敬できる。とはいえリヒトが採ってきた木の実や獣の肉を勝手につまみ食いしていた事もあるため、何も尊敬するだけの相手では決してないのだが。

 

「━━━━?」

 

 と、そこまで考えて。何かが思考に引っかかったような違和感を覚えた。

 

「……?なんだ……何が引っかかる……?」

 

 ほんの些細な感覚だが、なぜだかその引っかかりがひどく気になって考えこむ。

 連れ去られた人魚。湖岸に残った魚。おそらくは昼にでも食べるつもりで━━

 

「━━あいつ、食べるのが好きなんだよな」

 

 人魚は食べる事が好きだった。美食家というよりは健啖家とでも言うべきか、とにかく食事が日々の楽しみのひとつになっていたのは間違いないだろう。いい笑顔で魚にかぶりつく姿をリヒトはよく覚えている。

 そして、その姿を見る度にリヒトは頭に疑問符を浮かべていた。

 

 それはすわなち、()()()()()()()()()()()()()()()()という疑問である。

 

 そう思い始めたきっかけは、出会ったその日からである。死にたがっていると口で言いつつ、魚を食べるのが好きだった。誰かに殺してほしいと言いながら、暮らしているのは誰も来ないような未開の地だった。矛盾を感じないと言えば嘘になるだろう。

 もちろんそれだけならば、おかしくないと考える事もできる。そういう事もあるだろう、程度で終わる話だ。

 だがしかし、人魚は日々を楽しそうに過ごしていた。食べる事をはじめ、日常に毎日の楽しみを持っていた。

 「海が見たい」と、将来の希望を話していた。

 

 ━━笑う顔が、何よりも綺麗だった。

 

 あまりにも恣意的な考えだとは分かっている。仮定に仮定を重ねた、どこまで行っても「もしも」でしかない思考。けれどそれでも、と考えざるを得ない。

 もしも、人魚が本心では死にたがっていないとしたら。

 本音では死にたくないのを、他の何かの感情で無理やり抑え込んでいるのだとしたら。

 

 

  ━━俺はアイツを助けられるか?

 

 

 リヒトは心の中で自問自答する。できるかできないかで言えば、出来損ないの自分はこの世の殆どの物事ができない方の枠に入る。だから、この質問への答えは『できない』一択だ。

 けれど。

 

 

 ━━俺はアイツをどうしたいんだ?

 

 

 何かと気に食わない奴である。事ある毎に貶してくる上、渾身のボケも最近は冷めた目で受け流されるようになってきた。口も態度も悪く、無愛想で笑った顔など数える程しか見た事がない。

 『どうしたい』なんて聞かれたら、いなくなっても文句は無い、と答えられる。

 

 

 ━━俺にアイツを助ける理由はあるのか?

 

 

 だが、それでも。

 たまに見せる笑顔は本当に素敵だし、口ではなんだかんだと悪く言いながらも困った時には助けてくれる。

 何より、リヒトは人魚といて楽しかった。湖畔で二人で過ごす生活は、リヒトのこれまでの人生の中でも群を抜いて穏やかで、満ち足りた時間だった。

 その時間を取り戻す為ならば、理由としては十分ありえる。

 

 

 ━━俺はどうやってアイツに恩を返せばいい?

 

 

 人魚には命を救われた恩がある。それはあまりにも大きすぎて、ちょっとやそっとでは返せないような恩である。

 

 

 ━━それに、もうひとつ。

 

 

 救われたのは命だけではなかったから。

 価値を無くした自分を、それでも認めていいと言ってくれたから。

 

 救われたから、救いたい。

 笑顔をもっと見ていたい。

 リヒトが走り出す理由なんて、そんなもので事足りた。

 

 自暴自棄のように乱れきった感情のまま、ダリルの足跡を追う。

 

 自分のエゴを貫き通す覚悟は、もう固まっていた。

 

 

 ***

 

 

「……ところでよ。食うっつったって、俺はどうやってお前を食えばいいんだ?」

 

 湖から少し離れた場所にある薄暗い洞窟の中。

 人魚をそこまで担いで来たダリルは、そこで至極当然と言ってもいい疑問に行きついた。それはすなわち、いくら小柄とはいえ人ひとり分の大きさがある人魚をどのようにして食べるか、という事である。

 

「まさか頭から丸かじりって訳にもいかないだろうし。ちっさく切り分けでもすんのか?」

「それはちょっと遠慮して欲しいわね。想像するだけでも痛そうだし」

 

 はあ、とひとつ物憂げなため息をついて人魚が言う。

 

「首を絞めるなりして、一旦私を殺してちょうだいな━━私達人魚が不死だって言うのは、『そもそも死なない』んじゃなくて『死んでも生き返る』って事なのよ」

 

 洞窟の中で手頃な岩に腰掛ける人魚はその長い髪を手で梳きながら退屈そうに答えた。

 

「一旦死んだら生き返るまでに少し時間があるから。その間に、上手いこと心臓なりを食べて確実に殺してちょうだい。そうしてあとは切り分けてでもなんでも、体の粗方を食べてくれればそれでいいわ」

「なんだ、随分と投げやりだな」

「そりゃあそうでしょうよ。もうすぐ死ぬってのに、そんなにガツガツする人がどこにいるのかしら?」

「はっ、そりゃそうだ」

 

 乾いた軽口を叩きながら、よっこいしょ、とダリルが腰を上げた。

 

「肉の少ねぇ貧相な体で食いでは無さそうだが……まあ、構わねえか。食っちまえば同じだしな」

「あら、貧相で悪かったわね」

「いやいや、構わねえって言ってんだろ」

 

 苦笑しながら、ダリルが流れるような動きで人魚の細い首に手をかける。上から大きな体を覆いかぶせて両手でしっかりと気道を押さえ、そのまま力を入れれば簡単に相手を殺せるであろう体勢である。迷いも淀みもない動きでそれを成すというのが、ダリルの過ごしていた日常がどれだけ治安の悪いそれだったのかをよく表していた。

 

「……んじゃあ、これでてめぇは死ぬわけだが。最後に何か言い残す事はあるか?」

「言い残すこと……」

 

 そう問われ考え込む人魚。言い残す事と言われても、そもそも誰か言葉を残す相手すら自分にはもう残っていない━━そして何より、自分にはそんな権利などないのに。

 

 ()()が死んだ時、それは果たしてどのような死に様だったか。遠く離れすぎてもはや一目見ることすらできないだろう故郷と、もういない仲間たちを思う。

 彼らはこうして何かを言い残す暇すら無かっただろう。なのに、よりにもよって自分如きがそれを許されていいものか。

 

 ━━━━けれども。

 強いて言うならば、この数日を共に過ごしたあの男に━━

 

「……?」

 

 そこでふと、人魚は自分がまだあの男に名乗っていなかった事を思い出した。今ここで死ねば、自分を全く食べようとしなかったあの男は自分の名前を知らないままだ。別にそれは構わない。自分がそう望んだのだから、それで納得していた。

 だがしかし同時に、自分もあの男の名前を知らない事に思い至って━━━━なぜだか少し、胸の奥が痒くなる。

 

「……ねえ。ひとつ聞きたいのだけれど」

「?なんだ?今更食われたくないとか言われても、悪ぃけど聞けねえぞ?」

「いえ、そうじゃなくて。私と一緒にいたあの男━━あなたの元部下だったとかいう彼の名前、なんて言うの?」

「部下?……ああ、あいつは……」

 

 そして、たっぷり数十秒は考え込んで。

 

「……ああ、()()()()()()()。というより最初から覚えてねえな、あんなの。どうせ()()()の激しい仕事だしな」

「…………そう。それは残念だわ」

 

 ダリルの言う『出入り』とはつまり命を伴うそれだろう、とは容易に想像できる。そしてそれを軽々しく語る彼が一体それをどれだけ気にかけていないか、かも。

 それを意識した途端、なぜだか人魚の胸は大きくざわついて━━それに、あの男を「あんなの」呼ばわりするこいつが、どうにも気に食わない。

 だからだろうか。ぎゅっと、きつく目をつぶって━━

 

「……おい、テメェ。コイツはどういう事だ?」

 

 不機嫌そうに言ったダリルの手と、それに掴まれた人魚の首の間。そこに、首をぐるりと取り囲むように水で薄い膜ができていたのだ。その水の膜はダリルの指がそれ以上首に食い込むのを妨げており、このままではいくら力を込めようとも窒息などできようはずもない。

 

「……これ、は……」

「死にてえって言ってたのはテメェだろうが!今更になって何を抵抗してんだ!?」

 

 人魚は咄嗟に答えられなかった。あれこれと理由をつける事もできるが、半ば無意識に魔法を発動して首を守ったようなものだからである。

 黙り込む人魚に、ダリルは畳み掛けるように問い詰める。

 

「聞いてんのか!?ここまで来て俺の邪魔をするんじゃねえよ!」

「━━邪魔したいとか、そういう訳じゃないわよ」

 

 喉から絞り出すようにして、かろうじて言葉を紡ぐ。言い訳じみた言い方になってしまったのは仕方がないと言えるだろうか。

 

「ただ、その……」

「ああ、もういい。よーく分かったからよ」

 

 ひどく冷たい口調で言葉が投げられた。そこから伝わってくるのは怒りと諦め、そして少しの侮蔑。人魚にとっては、そのどれもが身を萎縮させるのに十分な冷淡さのある感情だった。

 

「別に首を絞めるのに拘るこたぁねえ。人なんてどうせ、簡単に死んじまうんだからよ」

 

 言いながらダリルは手近にあった大きめの石を握ると、その尖った部分が下に来るように握り直す。それがもたらすであろう痛みと死の感覚を覚悟して、人魚は静かに目を閉じた。

 

「ちょっとは痛いだろうが……まあ、どうせ死ぬんだしいいだろ。せいぜい静かに死んでくれ」

 

 そうしてダリルが拳を振り上げた、次の瞬間。

 

「━━━━今すぐ、そっからどきやがれ!」

 

 聞こえてきたのは聞き覚えのある罵声と、硬いもの同士がぶつかる鈍い音。同時に跨っていたダリルの体がぐらついて人魚から離れ、その隙に何者かに腕を引かれダリルの下から人魚が引っ張り出された。目を白黒させながらされるがままに引きずられ、何者かの影が体に落ちた。

 一体何があった、と思って見上げると、そこには。

 

 見覚えのある男が━━━━共に湖で暮らしたあの男が、人魚を背に隠すように立ち塞がっていた。

 

 

 ***

 

 

「今すぐ、そっからどきやがれ!」

 

 ダリルの足跡を追って駆け出してから数十分。息せき切って洞窟へと駆け付けたリヒトは、ダリルが人魚に跨っているのを━━━━石を振り下ろそうとしているのを、今にも殺そうとしているのを見て。散々走って酸素の足りなくなった頭で、もう何がなんだか分からない感情のまま、地面に落ちていた石を力いっぱい投げつけていた。

 片手に収まるほどのサイズではあるが、それでも勢い良く投げられた石は当たれば相当な威力になる。横っ面をぶん殴られたような形になってよろめいたダリルの足元から人魚の手を取って引っ張り出し、身で守るようにして二人の間に立ち塞がる。

 

「……おい、おいおい、おいおいおい。何だよてめぇ、何のつもりだよ?」

 

 あわよくば気を失っていてくれないかとも期待したが、流石に一発でダウンしてくれるほど都合のいい話は無かったらしい。ゆっくりと立ち上がって振り返ったダリルはそれでも忌々しげに、心底うんざりしたように吐き捨てた。

 

「そこの人魚と言いお前と言い、お前らは揃いも揃って俺の邪魔をすんのか?なんだ、それが生き甲斐とでも言いてえのか、ああ?」

「…………なあ、ダリルさん。考え直してくれないか?」

 

 脅すようなダリルの声には答えず、まっすぐその目を見て問いかける。

 

「アンタが不老不死を欲しがってるのも、その為にコイツを殺して食いたがってるのも分かる━━でも、頼むから。お願いだから、コイツだけは殺さないでくれ」

 

 懇願するように頼み込む。傍から見ればひどく情けないだろうが、それでも、リヒトはここで退く訳にはいかなかった。

 

「別にあんたが不老不死になろうが、他の方法なら何だって構わねえよ。でも、俺はこいつに」

「黙って聞いてりゃあウダウダと、随分と偉くなったもんだな?」

 

 リヒトの言葉を遮るようにしてダリルがつぶやく。ぞっとするほど冷たく低い声で、しかし少し離れた場所のリヒトにもはっきりと伝わる強さを持っていた。

 

「てめぇは俺に意見してる、そうだな?つまりお前は俺を下に見てるんだろ?見下してるんだろ?」

「見下してるなんて、そんな事はねえよ、ダリルさん。ただ俺はこいつに死んで欲しくねえんだ。だから、こうしてお願いをしてるだけなんだよ」

 

 そこで一度言葉を区切り、そして慎重に続ける。

 

「だいたい、何でアンタは不老不死が欲しいんだ?死なないなんてそんなもん、言うほど良いもんでも無いと思うんだが?」

「はあ?んなもん、誰だって欲しいだろうがよ。俺は死にたくねえんだ。死なないで、もっとデカくなってやる。そのためにはそいつが必要なんだよ。俺からしちゃあ、その人魚を庇いたがるお前の方がおかしいと思うんだけどよ」

「それは━━」

「一緒にいたのもせいぜい数週間くらいだろ?なのにてめぇは何で、そんなにそいつを庇うんだ?」

 

 はっ、と嘲るように笑うと、ダリルは馬鹿にした半笑いで言った。

 

「何だ、暮らすうちにそいつに情でも移ったか?それともあれか?()()()()関係にでもなってたか?」

「━━━前に、したい事は何かって聞いたんだよ」

 

 下卑た問い掛けに、それでも真っ正面から答えた。

 助ける理由も、庇う理由も。言おうと思えばあれこれと加えられるだろうが、それでも一言で示すにはこれしか無いだろうとリヒトは口を開いた。

 

「海が見たいって言ってたんだよ、こいつ」

 

 海が見たい。

 そうやって将来の希望を話す姿が、やけに目に焼き付いていて。これからやりたい事があるというのに死にたがる姿が、やけにちぐはぐに見えて。

 だから救うのだと、そう言い放つ。

 

「海って……なんだ、それが理由なのか?」

「ああ。悪いか?」

 

 今度こそ挑むように答えた。懇願するのでは無く、高らかに宣言するように。

 自分は正しい事をしているのだと、自分の行いに自信を持っていいのだと信じて放った言葉はしかし、鼻で笑う声と共に返ってきた一言でばっさりと切り捨てられた。

 

「くだらねえ。そんなもんが支えになるなんて、随分と軽い人生だったみたいだなぁ?」

 

 『くだらない』。

 その言葉を聞いて、何故だか酷く苛立って。

 

「……アンタは、そういう人なのか」

 

 心の奥から湧き出る熱い感情に任せて口走る。

 

「俺の命の恩人を……その夢を、アンタは――」

「命の恩人、と来たか」

 

 リヒトが言いかけた声はしかし、ダリルの低い声で遮られた。

 

「あの人魚はお前にとっての命の恩人で、俺はそんな人魚を食べようとしてる。なら、お前のやる事は想像がつくさ」

 

 ずい、とダリルは肩幅に脚を開いて、半身になって両の拳を顔の前で構える。

 人を殴るための――向かってくる敵を叩きのめす為の戦闘態勢(ファイティングポーズ)である。

 そして、更に煽るかのように続けた。

 

「その『下らない』夢をへし折ったら――どうだ、面白いか?」

「――――」

 

 ぷつん、と。

 その一言で、リヒトの中で何かが切れた音がした。

 

「……てめえが――」

 

 ぐらり、と重心を低くして、全身に力をこめて――

 

「てめえごときが、こいつの夢を下らないなんて言ってんじゃねえよ!」

 

 立ち向かう決意を精一杯声に込めて、リヒトは駆け出した。

 

 走り出した心は、もう止まらない。

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