深く、どこまでも深い眠りの底へと沈んでいく
保健室の喧騒も、自分の体の重みも消え、意識だけが霧の中を漂っているような感覚
ふと気がつくと、悠人は切り立った崖の頂に立っていた
目の前に広がるのは、雲海を突き抜けるほどに高い山々。空気がピンと張り詰め、肺に流れ込む風は驚くほど冷たく、そして「力」に満ちている
「……ここは?」
「ほう、随分とはっきりした意識を持っておるな。魂の格が違うのか、あるいは異邦の記憶ゆえか」
不意に背後から声をかけられ、悠人は弾かれたように振り返った
そこにいたのは、小柄な老人だった。白く長い髭を蓄え、古びた道着に身を包んでいる。一見すればどこにでもいそうな好々爺だが、その瞳だけは鋭く、まるで魂の奥底まで見透かされているような圧を感じる
「……あなたは?っというよりも、ここって夢?ですよね?」
「ほう、そこまでわかるか?…転生したものだからかのぉ?…人はわしを『夢仙人』と呼ぶ
まあ、ワシがそう名乗っているんじゃがの?…ある世界…お主の記憶にある言葉で言えば『HUNTER×HUNTER』という漫画の世界の山奥で、一生をかけて『念』の極致を追い求め、あの世へのお迎えを無視して夢の世界におる隠者に過ぎんよ」
悠人の心臓が跳ね上がった
スパイダーマンに続き、今度は前世で愛読していた漫画の体系そのものが、目の前の老人の口から語られたからだ…
「念……!? じゃあ、あんたは念能力を使えるのか?」
「いかにも…序でに、いろんな世界の者にも念を教えた存在でもある。…お主の記憶と想いも、見てしまったのだが、お主が歩もうとしておる道は険しい…それでもやるというのか?」
「当然!!この先で悲しい出来事が起きるの知ってるのに、それを無視しておけない!!」
「…本音は?」
「推しのキャラが悲しい目に遭うのはいやだ!!」
純粋な瞳でそう言う悠人に、夢仙人は「す、素直でよろしい…」と苦笑する
-ヒーローを目指す夢を捨てられぬ大うつけに、神の導きで生まれ変わった強くなりたいと願うものに続いて、こんどは誰かの不幸を認めぬからと力を求める者か…なんかワシの弟子って皆個性が濃いのぉ…
そう想いながらも、その純粋な願いや想いを知り、放っておけないのがこの仙人である
「ならば、お主も念を覚えるか?…魔法なぞという理不尽な力に対抗するには、己の内側に眠る『生体エネルギー』……すなわち念を操る術が必要不可欠となろう。推し?のために使うという純粋な想いを持っとるおまえなら教えても良かろう…どうだ、わしがその手ほどきをしてやろうか?」
願ってもない申し出だった。魔法少女になれない男の身で、あのアリナやワルプルギスの夜に対抗する手段。それこそが「念」になる
「……お願いします! 教えてくれ!」
「よい返事だ。だが、一つだけ注意がある。ここはあくまで夢の中。魂に『流し方』を刻むことはできても、肉体に『負荷』をかけることはできぬ。念は精神と肉体のバランス。夢の中で理論と感覚を掴んでも、現実の肉体がひ弱なままであれば、その瞬間に血管が弾け飛んで終わりじゃ」
夢仙人は悠人の心臓に当たる部分に凸ピンの構えをする
「現実に戻れば、死ぬ気で肉体を鍛えよ。魂のイメージに肉体が耐えられるようになったとき、初めてお主は『纏(テン)』を纏うことができる。……まずは精神集中からじゃ。お主のオーラを、その腹の底に感じてみよ……」
-バチンッ!!
仙人の凸ピンを受けた瞬間、熱い何かが流れ込んでくる
それは暴力的なまでの生命力の奔流…
「っ……あ、熱い……!」
「耐えよ。これが『生きる』ということの重みじゃ」
それから、夢の中での永い永い修行が始まった
時間の感覚が消失した世界で、悠人は仙人から念の基礎――「燃(ねん)」の教えを、叩き込まれていく
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「――っ、はあぁっ!」
勢いよく跳ね起きると、そこは保健室だった…
時計を確認すると、10分と経っておらず、それなのに全身がじっとりと汗で濡れている…
だが、不思議と疲れはない、それどころか視界が以前よりもはっきりし、自分の呼吸一つ一つにまで意識が行き届くような、研ぎ澄まされた感覚があった
「……夢じゃなかった」
悠人は自分の掌を見つめる
まだオーラは見えない。だが、腹の底に、確かに「熱い火種」のようなものが残っているのを感じた
「……まずは肉体改造だな」
スパイダーマンのようなアクロバティックな動きと、念能力の堅牢な防御
その両方を手に入れるために
『マギアレコード』が始まるまで、あと一年
「やってやる……! まずは、毎日十キロのランニングからだ!」
悠人は保健室のベッドから飛び出し、まだ見ぬ戦いへ向けて、最初の一歩を踏み出した
尚、この後母が迎えに来てそのまま帰るのであった…