【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】 作:ベイベ後藤
Xファイルの世界にメガテン的な事象が発生していきます。
1話 地下の隠者たち
ワシントンD.C.は、冬の到来を告げる冷たい雨に煙っていた。
ポトマック川から吹き上げる湿った風は、国会議事堂のドームを濡らし街の灯を滲ませている。しかし、その物理的な寒さとは無関係にFBI本部ビル地下深くの「X-ファイル」課オフィスには、別の種類の凍てつくような静寂が立ち込めていた。
「……信じられないな」
フォックス・モルダー捜査官は、暗い室内でノートPCの液晶画面を凝視していた。
画面から放たれる青白い光が、彼の彫りの深い顔に鋭い陰影を刻んでいる。
デスクの周囲には、未解決事件のファイルや出所不明の衛星写真が、積み上げられ現代の錬金術師の工房のような趣を呈していた。
「モルダー。まだその動画に執着しているの?コーヒーが冷めてしまうわよ」
背後から声をかけたのは、ダナ・スカリー捜査官だった。
彼女は、二つの紙コップを手にモルダーの背後に立っていた。
彼女の理性的で鋭い眼差しは、この地下室に溢れる膨大な非科学を常に疑い論理的な箱に収めようとする。
「動画じゃない。これは、現実に起きている侵食の記録だ」
モルダーが、画面を彼女に向けた。そこにはシリコンバレーにある世界最大規模のデータセンターの防犯カメラ映像が映し出されていた。
時刻は、深夜二時。
無人のはずのサーバーフロアで数万個のLEDインジケーターが、一斉に血のような赤に染まり異常な規則性を持って点滅を繰り返している。
「高度なハッキングによる視覚的なグリッチか。あるいは磁気嵐による回路のショートよ。説明のつかないことじゃないわ」
スカリーは努めて冷静に言ったが、モルダーは首を振った。
「その直後センターの夜勤エンジニア2人が変死した。検死結果は極度の恐怖による心不全。そして彼らが、最期に手にしていたスマートフォンの画面は、基板が焼き切れるほどの高熱を発していたにもかかわらず、この紋章だけを映し出し続けていたんだ」
モルダーが、タブレットをスワイプし、一枚の写真を提示する。
そこには、自分の尾を飲み込む蛇―ウロボロスの紋章が液晶のドットが潰れるほどの輝度で描かれていた。
その時モルダーのデスクに置かれたスマートフォンが、聞いたこともない重低音のノイズを伴う着信音を上げた。
画面には、Unknownの文字。
着信を拒否する間もなく端末は勝手に再起動を始め、未知の暗号化プロトコルを用いたアプリが、強制的にインストールされていった。
『……フォックス・モルダー。扉は開かれた。君の手に鍵を授ける』
合成された無機質な声とともにチャット画面に文字が浮かび上がる。
送信者の名はスティーブン。
ネットの深淵に潜むと言われる伝説のハッカーだ。
「いったい誰なんだ」
モルダーがフリック入力で問う。
『私は情報の海に溶けた者。
シンジケートが、極秘裏に開発したデジタル悪魔召喚プログラムが流出した。
彼らは、異界の知性をデータとしてダウンロードし、現実を書き換えようとしている。
モルダー。引き出しの奥にあるそれを出せ』
モルダーは、ハッとして鍵のかかったデスクの最下段を引き出した。
そこには数日前に謎の協力者、ディープ・スロートからいつか必要になると手渡された一冊の古びた書物が収められていた。
それは、現代のオフィスにはあまりにも不釣り合いな代物だった。
表紙は、ひび割れた黒い山羊革で覆われ中央には鈍く光る銀の金具が嵌め込まれている。
タイトルすら記されていないその魔導書からは、古い紙特有の黴臭さと肌を刺すような微かな静電気の匂いが漂っていた。
「モルダー。それは?」
「ディープ・スロートからの贈り物だ。スカリー。君の科学では測れない骨董品だよ」
モルダーは、魔導書をデスクに置きインストールされたばかりのDDSアプリを起動した。
スマートフォンのカメラを魔導書のページに向けると驚くべき光景が液晶の中に展開された。
肉眼で見ればページには退色したラテン語と複雑な魔法陣が描かれているだけだ。しかしスマホの画面上では、紙面のリキッドな文字が蠢きデジタルのコードへと変換され立体的な回路図として再構成されていく。
「……これは召喚の儀式じゃない。プログラムのソースコードだ」
モルダーは息を呑んだ。古代の賢者たちが血と肉を用いて行っていた魔術は現代において情報工学という新しい言語を得たに過ぎない。
魔導書に記された幾何学的なパターンは、現代の暗号化アルゴリズムと完全に一致していた。
[DDS App: NEW PROTOCOL ANALYZED - "Lesser Key of Solomon" Data Integrated]
スマホから放たれた微かな高周波が、魔導書のページをひとりでにめくらせる。
文字が光の粒となってスマートフォンの中へと吸い込まれ、画面には一つのARカメラインターフェースが立ち上がった。
『モルダー。スマホをかざせ。レンズ越しにのみ真実は姿を見せる』
スティーブンのメッセージが点滅する。
翌日。モルダーとスカリーは、エンジニアが亡くなったデータセンターの現場へと足を踏み入れた。
最新のセキュリティシステムに守られているはずのフロアは、皮肉にもそのシステム自体が怪異の巣と化していた。
「磁場が異常だわ」
スカリーが手にした理化学機器が不気味なノイズを発する。
「電力が逆流している。まるで、このフロア全体が巨大な肺のように何かを吸い込んでいるみたい」
「……来るぞスカリー」
モルダーは、DDSアプリを起動しスマホを構えた。
肉眼では静まり返ったサーバーラックの森が見えるだけだ。しかしスマートフォンのレンズを通した液晶画面の中では、空気がドロドロとした黒いノイズとして渦巻き不気味な人型のシルエットを形成していた。
[WARNING: LEVEL-E NOISE DETECTED]
「スマホを見てくれスカリー。ここにいる」
「私には何も見えないわモルダー。ただの視覚的なバグよ」
その時スマホの中のノイズの塊が、凄まじい咆哮を上げた。
スピーカーから漏れ出すのは、死者の怨念をデジタル変換したような、おぞましい声。
直後物理的な衝撃波が二人を襲い背後のサーバーラックが爆発した。
「きゃああっ」
スカリーが吹き飛ばされる。モルダーは、必死にDDSの操作パネルをスワイプした。
「スティーブン。どうすればいいこのままじゃ殺される」
『魔導書の三十二ページ。逆転の術式を射出しろ。そのノイズの波形を反転させるんだ』
モルダーは、画面上の実行ボタンを力一杯タップした。
スマホのLEDライトが、青白く強烈に発光した。
目に見えない光の干渉波が、空間を突き抜けノイズの塊を消去していく。
液晶画面の中の怪異が、苦悶の表情を浮かべ霧散していく様子をモルダーは凝視した。
数時間後。夜明け前のハイウェイを走る車の中で、スカリーは沈黙を守っていた。
「認めたくないけれど、あのスマホの画面の中にいた何かが物理的な力を持っていたわ。私の理解を超えている」
彼女は震える手でハンドルを握り締めた。
「これは序章に過ぎないよスカリー。
スティーブンは言っていた。扉は開かれたと。
これからネットワークが、世界を覆い尽くすほど僕たちの日常は、この見えない隣人たちに侵食されていくことになる」
モルダーは、スマートフォンの画面をオフにした。
しかし真っ暗になった液晶の中に、一瞬だけ赤い文字が浮かび消えた。
『……サマンサはネットワークの深淵で君を待っている』
同じ頃ワシントンのどこか。
ディープ・スロートは、暗い水族館の水槽の前で泳ぎ続けるサメを見つめていた。
「始まったか。モルダー。君が手にしたのは救済か、あるいは滅びの導火線か」
ワシントンの夜は明けていく。
しかしその朝日は、もはやかつての平穏な世界を照らすものではなかった。
0と1の格子状に張り巡らされた新しい時代のハルマゲドンが幕を開けたのだ。
妄想MAX