【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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13話 黄金の偶像(後編)

 

時間は、粘度の高い蜜の中に閉じ込められたように引き延ばされていた。

襲いかかろうとしていた黄金の像たちが、指先から青白い火花を散らしたまま空中で静止した彫像へと立ち戻る。

狂騒のディーリング・フロアを支配していたデジタルな重低音が消え耳が痛くなるほどの静寂が辺りを支配した。

宙に舞う黄金の粉塵さえもが、その場で固定されている。

それは物理法則の停止というよりは、この空間の「時間」そのものを誰かが独占し強制的に上書きしてしまったかのような、傲慢なまでの絶対領域だった。

 

「……誰だ」

モルダーは、DDS介入デバイスを構えたまま背後に立つ男を鋭く射抜いた。

 

そこにいたのは阿鼻叫喚のオフィスにはおよそ似つかわしくない、仕立ての良いスリーピース・スーツを纏った紳士だった。

男は優雅な手つきで銀の懐中時計を確認し、ゆっくりとパイプを燻らせている。

その煙が描く紫煙の輪だけが、この停止した世界で唯一「時間」を刻むように漂っていた。

 

「モルダー、気をつけて。彼の周囲だけ磁場も電気信号も完全に『無』の状態よ」

 

スカリーが銃を構えたまま、戦慄を押し殺して警告する。彼女の観測機器はすべてが0を指し、論理的な死を宣告していた。

 

「お初にお目にかかる、フォックス・モルダー捜査官。そして、ダナ・スカリー捜査官」

 

男はパイプを口から離し、微かに微笑んだ。

その瞳は、深淵を覗き込むような底知れぬ知性と、すべてを冷徹に見透かすガラスのような無機質さを同居させていた。

 

「マモンが失礼をした。彼はどうも、上階―宰相ルキフグスからのノルマに追われていてね。少々、焦りが透けて見える。

真実を餌に無理心中を迫るなど、悪魔としてもいささか品性に欠ける振る舞いだ。美しくない」

 

「ルキフグス…?あなたは何者だ」

モルダーが問う。

 

男は、自らを怪物だと名乗ることも神だと誇ることもなかった。

ただ、一人の熟練したオブザーバーとして、そこに当然のように佇んでいた。

 

「私はただの、知の等価交換を好む者だよ。……モルダー捜査官、君は今、マモンの用意した『答え』を拒絶した。

それは非常に興味深い選択だ。ルシファー公に関わる魔界の宰相ルキフグスですら、この巨大なシステムの効率性には一目を置いているというのにね。

君は、自分の指が黄金に変わる瞬間の恍惚よりも、隣にいる女性の体温を選んだわけだ」

 

男は、黄金化した社員の一人に歩み寄り、その頬を親指でなぞった。指が触れた瞬間、金属化した皮膚が微かに音を立てて共鳴する。

 

「生体マグネタイト…。人間の魂に含まれるこの磁性体は、我々の経済を回すための最も純度の高いガソリンだ。

だが、勘違いしないでほしい。我々にとって、人間は敵ではない。そこの彼らだっていい思いもしたはずさ」

 

「なんだと? よく言う。君たちは彼らからすべてを奪い、物言わぬ置物に変えているじゃないか」

モルダーの言葉に、男は楽しげに目を細めた。

 

「そうとも。だが、高位の存在ほど無差別な破壊などという非効率なことはしない。

人間がいなくなれば、我々の動力源も尽きる。

牧場主が家畜を全滅させないのと同じ論理だ。…だが、マモンは今回、その禁忌(タブー)を侵しかけた。

果実を収穫するだけでなく、果樹園そのものを黄金に変えて焼き払おうとしたのだ。

これは経営判断として、あまりに稚拙だ。市場の持続可能性を完全に無視している」

 

男はフロアを見渡し、溜息をつくようにパイプの煙を吐き出した。

 

「そこでだ、捜査官。私は君たちのような『不合理な選択』をする人間に、投資をしてみたくなった。君たちのその強い意志は、時に我々の退屈な管理システムに、予期せぬ変革をもたらすからね」

 

男は指先をパチンと鳴らした。すると、モルダーの手にしていた介入デバイスの画面に、複雑な暗号を解くための「銀色の数式」が流れ込んできた。

 

「ヒーホー! 何だこれ、すごいホー! マモンのプロテクトが、まるでバターみたいに溶けていくホー!」

 

フロストが驚愕の声を上げる。

 

「これはヒントだ。マモンを出し抜き、このフロアの熱量を大地へ逃がすためのバックドア。……もちろん、等価交換だ。

代償は、いずれ君たちが自らの魂を秤にかけるような『重要な選択』を迫られたとき、私の言葉を最後まで聞くという約束。今はそれでいい」

 

男が霧のように姿を消した瞬間、世界の色が戻った。

 

「……モルダー!」

スカリーの声と共に、黄金の群衆が再び動き出す。しかし、モルダーは迷わず、男から与えられた銀色の数式をメインコンソールへと叩き込んだ。

 

「全システム、強制清算(クローズ)だ!」

瞬間、ビル全体が激しい振動に襲われた。

黄金の粉塵が逆流し、社員たちの皮膚を覆っていた金属の膜が剥がれ落ちる。強欲の過電流が回路を逆流し、巨大なサーバーラックが沈黙していく。

 

「グアァァァッ!」

モニターの中の黄金の雄牛――マモンの化身が、苦悶の咆哮を上げた。

 

「何をした……! 誰が、私の『絶対価値』に泥を塗った……!」

 

その時、フロアの空間そのものが、深淵のような「黒い帳(とばり)」に飲み込まれた。

 

「――そこまでだ、マモン」

 

闇の奥から響いたのは、感情を排した重厚な声だった。

 

「ルキフグスの名において告げる。

貴公の独断による資源の物理化は、管理規定を著しく侵害した。不必要な資産の損失は、組織への反逆と同義である」

 

かつての傲慢さは霧散し、黄金の魔王は見るも無残に狼狽えていた。雄牛の姿は急速に萎み、惨めな家畜のような姿へと成り果てる。

 

「釈明は後で聞こう。……以後は監視役の許可なくして数字を動かすことは許されぬ。分を弁えよ、守銭奴」

 

冷徹な断罪と共に、闇がマモンを飲み込み、一切の魔知的な圧迫感が消え去った。

マモンは消滅したのではない。より冷徹な組織論の中に、首輪を繋がれたのだ。

 

数時間後。

ギデオン・トラスト社にはFBIの突入部隊が入り、公式な記録には「化学物質による集団幻覚」と記載されることになった。

 

モルダーは、ビルの屋上で夜の街を見下ろしていた。手元のデバイスには、マモンが提示したデータの残滓と、あの「スーツの男」が書き加えた、より残酷な補足が記録されていた。

 

「モルダー。あの男…誰だったのかしら。あんな存在、今までのどのX-ファイルにも、DDSのデータベースにも無かったわ。

彼はマモンを『焦っている』と言い、私たちを『資源』と呼んだ」 

 

隣に立ったスカリーが、夜風に髪をなびかせて尋ねる。その瞳には、かつてない未知への戸惑いが浮かんでいた。

 

「……名乗りはしなかった。だが、あの『フェアであることへの病的な執着』と、僕たちの不合理を愉しむような視線……。古い書物の中に、心当たりがある。メフィストフェレス。

地獄の住人でありながら、最も人間という種に魅了され、同時に誰よりも人間を嘲笑う、稀代の交渉人(ネゴシエーター)だ」

 

モルダーは、マンハッタンの光の中に、一瞬だけあの男の吸うパイプの香りが混じったような気がした。

 

「彼は僕たちに恩を売った。いや、『投資』したんだ。いつか、高い利子を付けて回収に来るつもりだろう。

マモンやルキフグスといった、システムを維持しようとする連中とは違う。

彼は、僕たちがそのシステムをどう壊すかを見たがっている。……スカリー、僕たちはとんでもない連中のゲームに、ワイルドカードとして放り込まれたらしい」

 

セダンが夜のニューヨークを走り出す。

一時の勝利と引き換えに、彼らはより深く、逃れられない「運命の契約」の中に足を踏み入れてしまった。

 

摩天楼の灯りは、もはや黄金の輝きではなく、管理された資源たちが放つ、静かな、しかし消費されるのを待つだけの微光のように見えた。

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