【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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間話 秤の上の人間

 

ニューヨークを脱出した黒いセダンは、ハドソン川沿いのハイウェイを北へと走っていた。

フロントガラスを叩く雨脚が強まり、ワイパーが規則正しいリズムで視界を拭っていく。

車窓を流れる街灯の光が、ハンドルを握るモルダーの横顔を淡く照らしては闇に沈めていた。

 

助手席のスカリーは、膝の上に置いたノートPCの画面を見つめていたが、やがて重い溜息と共にそれを閉じた。

 

「結局、ギデオン・トラストのデータは、FBIのメインサーバーにアップロードされる前に『論理的な欠損』として処理されたわ。あのビルで起きた黄金化現象も、公式には化学物質による一時的な集団精神疾患で片付けられる。……いつも通り、組織の『消しゴム』が機能したみたいね」

 

スカリーは眼鏡を外し、疲れた瞳を指先で押さえた。

 

「マモン……強欲の王か。モルダー、私たちが今回目にしたのは単なるデジタル・バグじゃない。

この国全体が、あるいは現代文明そのものが共有している『欲望』という名の巨大なエネルギーが実体を持ってしまった姿よ。

科学的に説明しようとすればするほど、その背後にある『意志』の巨大さに突き当たるわ。彼らは私たちの社会構造そのものに寄生している」

 

モルダーは視線を前方から外さずに答えた。

 

「ああ。そして最悪なのは、マモンですらその巨大なシステムの一つの歯車に過ぎなかったということだ。

彼の上に立つルキフグス、そして横から介入してきたメフィスト。魔界のパワーバランスは、ウォール街の力関係よりも複雑で、強固な政治の上に成り立っている。……あそこにいたのは、神話の中の悪魔じゃない。極めて合理的な『プラットフォーマー』たちだ」

 

モルダーの声は、勝利の余韻など微塵も感じさせない、冷徹な響きを帯びていた。

 

「スカリー、かつて悪魔は個人の魂を狙う存在だった。

だが今の彼らは違う。彼らは巨大なインフラの運営者だ。人間が自発的に差し出す強欲や、デジタル化された執着を、組織的に、効率的に回収している」

 

「……生体マグネタイトの収奪ね」

 

スカリーは、あのビルの社員たちの、無機質な黄金に変わっていった指先を思い出して震えた。

 

「科学的に言えば、私たちはエネルギーの貯蔵庫として利用されているに過ぎない。でも、モルダー……もしそうなら、人間には何が残されているの?

私たちは、高位の存在たちがチェス盤の上で駒を動かし、利権を奪い合うのをただ見守るしかない資源だというの?」

 

モルダーは、そこで一時停止するように路肩に車を寄せた。

雨音だけが車内を支配し、エンジンのアイドリング音が小さく響く。

 

「メフィストは『等価交換』と言った。彼は僕たちに恩を売ることで、将来的な『選択』の権利を買い取ったんだ。

……スカリー、僕が彼をあの名で呼んだのは、単なる直感じゃない。プロファイリング的な確信だ。

彼の振る舞いには、マモンが持っていたような低俗な飢えがなかった。代わりにあったのは僕たちの不合理を評価し、価値を見定めようとする冷徹な投資家の視線。あれこそが、古来より人間を誘惑し続けてきた、知の魔王の本質そのものなんだ」

 

モルダーはポケットから、あの銀色の数式が刻まれた端末を取り出した。

 

「マモンは人間を支配しようとした。だがメフィストは、人間に『選ばせよう』としている。どちらがより邪悪かは分からない。だが、人間がこの悪魔たちのパワーゲームの中で生き残る唯一の道は、彼らが提示する『答え』を鵜呑みにしないことだ」

 

「……あなたが、サマンサのデータを拒絶したように?」

 

スカリーが静かに問うと、モルダーは苦笑を浮かべ、視線を落とした。

 

「……正直に言えば、指先が黄金に変わり始めたとき、僕はあのまま『真実』の中に溶けてしまいたいと思った。

あそこには、僕が何年も探し求めていたすべてがあった。でも、君の手の体温が……それが、デジタルな数字よりもずっと重かった。その不合理な重みこそが僕をこちら側に引き留めたんだ」

 

モルダーは再び前を向き、ギアを入れた。

 

「僕たちは、彼らが作る秤(はかり)の上に乗せられている。でも、その秤をひっくり返す重み――『不合理な愛情』や『譲れない矜持』といった、彼らのアルゴリズムでは計算不能な重みだけは、まだ僕たちの手の中にある。

彼らはそれを『誤差』と呼ぶかもしれないが、僕はそれを『人間』と呼びたい。……そして、メフィストはその誤差が何を引き起こすかを見ようとしている。僕たちは、その期待を裏切ってやる必要がある」

 

「計算不能な誤差……。科学者としては、その言葉に微かな希望を感じるわ」

 

スカリーは微かに微笑み、シートに深く身体を預けた。

 

雨上がりのハイウェイを、セダンが加速していく。

バックミラーには、黄金の呪縛から解き放たれ、本来の冷たく青い光を取り戻したマンハッタンの灯りが遠ざかっていった。

 

次の目的地がどこであれ、彼らは知っている。

どれほど巨大なシステムが立ち塞がろうとも、その足元にある小さな、しかし確かな人間の「熱」だけは、決して数字に置き換えることはできないのだと。

 

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