【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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14話 蛇の末裔

 

ワシントンD.C. J・エドガー・フーヴァー・ビル。

深夜のX-ファイル課を照らすのは、無機質なブルーライトの群れだった。

ダナ・スカリーは「ウォール街の狂騒」の余波を追っていたが、その指先はキーボードの上で不自然に止まった。

 

「モルダー、これを見て。市場が…呼吸を止めているわ」

 

スカリーが指し示したモニターには、かつてのマモンがもたらした暴力的な乱高下とは真逆の、不気味なほど平坦な曲線が描かれていた。

ノイズが一切ない。まるで何千万もの投資家の欲望が、単一の冷徹な意志によって統制されているかのような鏡面の如き静寂だった。

 

「異常なのは市場だけじゃない。ミシシッピ州ナチェズ周辺で、集団的な『天才化』が報告されている。

農夫や老人が突如としてクオンツ顔負けのアルゴリズムを構築し、オンライン市場を席巻しているんだ。

だが、彼らは一様に深刻な抑うつを訴えている。…『知恵を得た代わりに、神の気配が消えた』とね」

 

フォックス・モルダーは、ミシシッピの古い地図を広げた。その中心には先住民が築いた巨大な台状の遺構「エメラルド・マウンド」が記されていた。

 

「マモンが『数』を奪う略奪者だったのに対し、今度は『論理』を書き換える支配者だ。

スカリー、僕たちは知らぬ間に、神話の深層へと足を踏み入れているのかもしれない」

 

翌朝、二人はウォルター・スキナー副長官の執務室に呼び出された。

スキナーのデスクには、財務省やNSA(国家安全保障局)から届いた極秘ファイルが積み上がっていた。

 

「モルダー、スカリー。ニューヨークの件は『集団幻覚』で処理したが、事態は沈静化するどころか、より不可視な形で変質している」

 

スキナーは眼鏡を外し、疲労の滲む瞳で二人を射抜いた。

 

「財務省によれば、現在の経済システムはかつてないほど安定している。

だが、同時に全米の教会から『信徒の喪失』という報告が相次いでいるんだ。

人々は神に祈ることをやめ、手元のデバイスが示す『完璧な予測』に従って生きることを選んでいる。……これはサイバーテロなのか、それとも君たちが追う『不条理』の仕業なのか」

 

「これは文明の加速です、副長官。知恵という名の毒が、社会のインフラを伝って人々の魂を蝕んでいる」

 

モルダーの言葉に、スキナーはしばし沈黙した。

 

「……行け。ただし、これは公式な捜査ではない。君たちが何を見つけようと、FBIはそれを関知しないだろう。……神の助けがあることを祈りたいが、今のこの国にその言葉が届く場所が残っているかどうか」

 

ミシシッピ州、ナチェズ。湿った空気がまとわりつくエメラルド・マウンド。

 

古代先住民が太陽神を祀ったその聖域に辿り着いた二人は、異様な光景に息を呑んだ。

丘の上には、地元住民たちが円を描いて無言で座り込んでいた。彼らの手には最新のデバイスが握られ、その瞳にはかつての素朴な輝きはなく、冷徹な計算機のような銀色の光が宿っている。

 

「ヒーホー……。モルダー、ここ、すごく『静か』だホー。マモンの時と違って深い沼に沈められていくみたいだホー!」

 

ジャックフロストがモルダーのポケットの陰で震える。

デジタル精霊である彼にとって、この場所に満ちる「知恵の密度」は、自身の存在を分解されかねないほどの圧力だった。

 

丘の頂の中心。石の祭壇に腰掛け、虚空を見つめる男がいた。

真紅のライダースジャケットを纏ったその男の背後には、陽炎のように揺らめく巨大な「角のある蛇」の影が揺らめいていた。

 

モルダーは慎重に歩み寄った。敵意はない。

そこにあるのは、圧倒的な「格の差」ゆえの、恐ろしいほどの余裕だった。

 

「フォックス・モルダー。お前たちは私が人間に与えた『リンゴ』を、いまだに果実だと思っているのか?」

 

サマエルの声は泥の中から響く地鳴りのように重く、二人の脳幹を直接震わせた。

 

「私が与えた知恵…それは『数字』だ。現象を定義し、予測し、神の奇跡をただの確率へと置き換える力。

人間が数字という知恵を深めるたびに、世界は解明という名の孤独へと突き落とされる。

……お前たちが真実をデータ化し、論理で世界を語ろうとする行為そのものが、私への供物(エネルギー)なのだよ」

 

サマエルは指先一つ動かさない。

彼がここに鎮座しているだけで世界中の証券取引所が動くたびに、人間の欲望と知恵が「流動性(リクイディティ)」となって、彼の神性を高め続ける。

ウォール街はすでに彼の「脳」として機能し、全米のネットワークは彼の「神経」として張り巡らされていた。

 

「サマエル、君はウォール街を自分の臓器にしているのか」

 

「逆だよ、モルダー。ウォール街が私という神話を選択したのだ。

人間は神に見捨てられることを恐れているが、実は自分たちで神を追い出した。

知恵という名の毒を飲み、自らエデンの門を閉ざしたのだ。

私はただ、その結末を眺めている傍観者に過ぎない」

 

サマエルは、震えるスカリーに向かって慈愛に似た穏やかな眼差しを向けた。

 

「お前たちが不合理な抵抗を試みるのも、私の計算式の一部だ。

……行け。お前たちが追い求めるその『真実』の先に、何もないことを教えてやるのは私の慈悲だ」

 

サマエルが手を振ると、現実の色が剥がれ落ちた。

気づけば、二人はマウンドの麓、自分たちのセダンの前に立っていた。

 

丘の上にはもう男の姿も蛇の影もない。

ただ、神を失った絶望的な眼差しでキーを叩き続ける住民たちの、乾いた打鍵音だけが夜風に乗って響いていた。

 

帰り道のセダンの中、スカリーは一度も口を開かなかった。

 

彼女の持つ科学的論理性、医学的知性……それらすべてが、サマエルという存在に「肯定」され、取り込まれてしまったことへの恐怖が彼女の魂を凍らせていた。

 

「……モルダー、私、怖い。サマエルは、私たちが正しいと信じている『知恵』そのものの神格化よ。科学を信じることは、彼を信じることになってしまう……」

 

モルダーは、ハンドルの感触を確かめるように強く握り締めた。

サマエルとの対面は「神話的敗北」だった。

サマエルは動かない。だが、彼が動かないことこそが、世界がすでに彼の支配下にあることの証明だった。

 

「彼は動かない。ウォール街という心臓が鼓動を続ける限り、サマエルという頭脳は、世界を毒し続ける。……今の僕たちには、彼の知恵に対抗できる『武器』がないんだ」

 

バックミラーに映るミシシッピの闇。

そのマウンドから立ち昇る見えない蛇の影は、今や全米の光ファイバー網を伝い、ニューヨークへと収束していた。

 

アメリカという国の根底にある信仰を、知恵という名の「リンゴ」で内側から腐食させていくサマエルのプロトコル。

それを打ち破るには、論理を超えた「不合理な力」が必要だった。




ここで一区切り。次からは第3章
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