【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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17話 ―灰の神話―

 

ニューヨーク、マディソン・アベニュー46番地。

そのビルは周囲の喧騒を拒絶するようにそびえ立ち、最上階の窓はすべて厚いコンクリートで塞がれている。

室内に漂うのは、数十年分の謀略が積み重なった停滞した空気と、高級な葉巻、そして壁際に佇む男――スモーキングマン(CSM)が絶え間なく吐き出すタバコの煙が混じり合った独特の腐臭だった。

 

マホガニーの円卓を囲むのは、かつて「マモン」という略奪の神をウォール街に解き放ち、その暴利を貪った老人たちだ。

彼らにとって神話とは信仰の対象ではなく、世界を管理するための「高度なアルゴリズム」に過ぎなかった。

 

「フォックス・モルダーが『タロス』を起動させた。……スティーブンが遺した、あの物理的質量という名の楔をだ」

 

円卓の主座に近い位置で、ウェル・マニキュアード・マン(WMM)が、クリスタルグラスの中の琥珀色の液体を静かに揺らした。

彼の指先は完璧に手入れされており、この汚れきった部屋にあって文明的な品位を保っている。

 

「彼はビル・モルダーの遺志を正確に辿っている。……いや、ビル以上に不条理に対して誠実だと言うべきか。

我々がサマエルの知恵に屈し、種の存続を選んだあの日から、この展開は予測できたはずだ」

 

円卓には、これまでの事件の背後で糸を引いていた不穏な顔ぶれが並んでいた。

 

ウォール街での出来事を「経済の自浄作用」と称したシニア・エージェントが、不快げに口を開いた。

 

「WMM、君は悠長すぎる。あの男はDDSという汚染コードを持ち歩き、サマエルが構築した完璧な論理回路に泥を塗っているんだ。

ナチェズでのサマエルとの邂逅……あれすらも、モルダーは『敗北』としてではなく『契約』の糧にしようとしている」

 

さらに、スティーブンの離反を「セキュリティの欠陥」として追及していた、国家安全保障局(NSA)に太いパイプを持つグレイ・ヘアード・マンが机を叩いた。

 

「サマエル・プロトコルは、この国のインフラそのものだ。モルダーが『地母神』などという土着の神格をシステムに干渉させれば、財務省のメインフレームが物理的に崩壊しかねん。今すぐ、あの不合理な精霊共々、彼を排除すべきだ」

 

老人たちの間で、物理的排除を求める声が波紋のように広がる。だが、WMMは動じなかった。

彼はかつてビル・モルダーと共にサマエル・プロトコルの草案を見つめた男だ。

 

「排除? 諸君、少しは知恵を使いたまえ。

彼を殺せば、彼の中に宿る不条理な力は行き場を失い、この現実世界を直接侵食し始めるだろう。

サマエルが望んでいるのは、モルダーを『定義』し、システムの一部として組み込むことだ。

彼が足掻けば足掻くほど、サマエルの知恵は磨かれ、より完璧な支配へと近づく。

彼は死んではならない。……少なくとも、今は」

 

WMMの言葉には、モルダーに対する奇妙な敬意が混じっていた。それは、自分たちが生き残るために捨て去った「尊厳」を、未だに握りしめて走る男への知的好奇心に似た慈悲であった。

 

影の中から、掠れたノイズのような笑い声が漏れた。

スモーキングマン(CSM)は、指先に挟んだタバコを灰皿に押し付け、二本目の火を灯した。

彼は評議会のリーダーではない。だが、誰よりも深く「真実という病」に冒されていた。

 

「ビル・モルダーは弱かった。彼は愛という非合理な感情を捨てきれず、自ら築いたシステムに傷をつけた。その傷跡が、今のフォックス・モルダーだ」

 

CSMがゆっくりと円卓へ歩み寄る。その歩みには、この部屋の主たちを睥睨するような威圧感があった。

その傍らには薄い存在感の「記録係」としてディープスロートが控えていたが、彼は石像のように動かず、ただその場の空気を記録し続けていた。

 

「モルダーは、我々が捨てたはずの『痛み』そのものだ。

サマエルという神はすべてを数式で解決しようとするが、この世界にはどうしても数式に収まらない余りが出る。……それが人間の祈りであり、執着だ。

モルダーはその『余り』を背負い、地獄へ向かおうとしている。

私はそれを見届けたい。彼が真実の深淵に辿り着き、自らこの扉を叩く瞬間をな」

 

CSMの瞳には、冷徹な観察者の光と、言いようのない孤独が宿っていた。

彼はモルダーに、自分と同じ「世界の墓守」になってほしいと願っていた。いや、それ以上に、モルダーが自分の想像もつかないような「不条理な奇跡」を起こし、この冷え切ったシステムを内側から焼き尽くしてくれることを、狂信的な熱量で期待していたのだ。血の繋がりなどという安易な絆ではない。真実という呪いを共有する者同士の、共依存的な執着。

 

「フォックス・モルダーを、そのままにしておけ。

奴は『本物』だ。

彼を失えば、この世界は死んだデータの集積所に成り下がる。……WMM、君の言う通りだ。モルダーにはまだ、果たすべき役割がある」

 

評議会の老人たちは、CSMの常軌を逸した執着に気圧され、沈黙した。

WMMだけが、琥珀色の液体を飲み干し、皮肉めいた微笑を浮かべていた。

 

会議が散会し、老人たちが部屋を去っていく中、ディープスロートは最後の一人が扉を閉めるまで動かなかった。彼はCSMが机の上に放置した、ある廃村の調査報告書を視界に収める。

 

CSMは彼の方を振り返ることもなく、窓のない壁を見つめていた。

 

「……記録したか」

 

「ああ。すべてを」

 

ディープスロートの声は平坦だったが、その指先はわずかに震えていた。

 

「モルダーをどこまで追い詰めるつもりだ」

 

「お前こそ、いつまで『友人』の振りを続けるつもりだ、ディープスロート。……お前がモルダーに何を流そうと構わん。だが、最後にはこちら側にやってくる。それだけは忘れるな」

 

CSMは冷たく言い放ち、部屋を後にした。

残されたディープスロートは、不可視の加護を纏いながら暗闇の中で深く息を吐いた。

彼はビル・モルダーとの約束を、そして幼いフォックス・モルダーがサマンサと遊んでいたあの庭の陽光を思い出していた。

 

「……すまない、ビル。私はまだ、君の息子を地獄へ向かわせることしかできない」

 

同じ頃、FBIの地下オフィスで、モルダーは鈍い頭痛に襲われていた。

タロスを宿してからというもの、時折、自分の意識が巨大なノイズの海に接続される感覚があった。

 

「モルダー、大丈夫?」

 

スカリーが心配そうに覗き込む。

 

「ああ……。ただ、誰かが僕を呼んでいるような気がするんだ。

サマエルでも、スティーブンでもない。もっとずっと、冷たくて、懐かしい気配が」

 

モルダーは窓の外を見つめた。

サマエルの知恵によって完璧に制御されたワシントンの街明かり。

その秩序の裏側で、シンジケートの老人たちが編み上げる灰色の蜘蛛の巣が、確実に彼を捕らえようとしていた。

だが、モルダーの指先にはタロスの硬い冷たさと、地母神の湿った温もりが確かに残っていた。

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