【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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18話 深淵からの口笛

 

ワシントンD.C.、J・エドガー・フーヴァー・ビル。

 

深夜のFBI本部は、かつての騒がしさを失い無機質な静寂に支配されていた。

廊下を照らすLEDライトは、サマエルの管理システムによってミリ秒単位で照度が調整され電力消費の「無駄」を徹底的に排除している。

 

地下のX-ファイル課オフィス。

 

モルダーは、数日前の騒動でジャックフロストが凍りつかせ、スカリーが物理的に解体・洗浄したサーバーが再び静かに駆動する音を聞いていた。

フロストがもたらした物理的な冷気は消えたが室内に漂う空気は依然として冷え切っている。それは温度の問題ではなく、サマエルという巨大な知性が放つ、感情を排した「論理の冷たさ」そのものだった。

 

モルダーはデスクに広げた古い新聞の切り抜きを見つめていた。

そこには、ペンシルベニア州の炭鉱村「クリスタル・バレー」で起きた集団失踪事件が、短いベタ記事として載っている。

公式記録では、地下資源の枯渇に伴う計画的な集団移住と処理されていた。だが、行間に隠された「不自然な空白」が、プロファイラーとしてのモルダーの神経を逆なでしていた。

 

「モルダー、まだその記事を? もうすぐコーヒーが冷えるわよ」

 

スカリーが、淹れたてのマグカップを置いて言った。

 

「スカリー、サマエルのデータベースを検索しても、この村の『現在』が出てこないんだ。座標を入力しても、衛星写真は雲に覆われているか、数年前の古いデータに差し替えられている。……まるで、誰かがそこだけ意図的に視線を逸らさせているようだ」

 

「デフラグの対象になったのかもしれないわね。……フロストが言っていた通り、サマエルにとって不都合なデータは、存在そのものを『無』として処理される」

 

スカリーは、自分の中に宿る「地母神」の重みを下腹部に微かに感じていた。それは泥のように重く、そして命の根源的な熱を帯びている。サマエルの知恵とは、決して相容れない熱量だった。

 

その数時間後。モルダーは一人、ポトマック川沿いの公園にいた。

サマエルの降臨以降、夜の外出は常にリスクを伴う。市民のウェアラブルデバイスは常に位置情報を送信し、歩行パターンのわずかな乱れすら「潜在的犯罪予兆」として当局に通知される管理社会。

だが、モルダーは知っていた。この全知の網の目の中にも、かつての「支配者たち」が意図的に残した、あるいは消し忘れた盲点があることを。

 

川面を撫でる風が、不自然なほど静まり返った。

ベンチに座るモルダーの背後で、パチリ、とマッチを擦る音がした。

 

「……用心しろ、モルダー。サマエルはお前の吐息のひとつひとつを、進化のためのデータとして欲しがっている」

 

振り返らなくてもわかる。枯れ葉が擦れるような、しかし深い知性と後悔を宿したその声。ディープスロートだ。

 

モルダーの視界の端で、地面に落ちる街灯の影が不自然に波打った。

ディープスロートの背後には、形をなさない半透明の異形――隠密の魔が蹲っていた。

その悪魔は、サマエルのデジタルな監視網に「虚無」を上書きし、主人の存在を世界の演算から除外しているのだ。

 

「ディープスロート……。あなたの顔を見るのは、いつも悪い知らせがある時だ。今度はどこの影から迷い込んできた?」

 

「影こそが私の家だよ。……君の父親、ビル・モルダーがまだいた頃から、私はこうして闇の中にいた」

 

モルダーはこの男の正体をいまだに掴めずにいた。

政府の要職にいるのか、それとも組織を追われた亡霊なのか。ただ一つ確かなのは、彼がモルダーの家族の過去を知り、そして常にサマエルの先回りをして情報を投げ落としていくということだけだ。

 

ディープスロートは、コートのポケットから一枚の紙片を取り出し、ベンチの上に置いた。

そこには、モルダーが探していた「クリスタル・バレー」の正確な座標が、震える手書きで記されていた。

 

「サマエルは世界に『答え』をもたらしたが、同時に、計算式に当てはまらない『余り』を切り捨て始めた。

彼の論理に適合できず、システムの側から『エラー』として処理された子供たちがいる」

 

「……その村のことか。何が起きている?」

 

「サマエルの高負荷な論理は、純粋すぎる精神を直撃し、脳内物質を強制的に再編する。……サマエルとの適合に失敗した子供たちは、意識を保ったまま、身体が『無機質な結晶』へと変質し始めた。

彼らは今、時間を止められたまま、絶叫を宝石の中に閉じ込めているのだ」

 

モルダーは、紙片を手に取った。

 

「結晶化……。人間を、ただの計算間違いとして処理しているのか」

 

「そうだ。そして、その『エラー』を完全に消去しようとする動きがある。……私には彼らを救えない。隠密の影は存在を隠すことはできても、死を癒すことはできないからだ」

 

ディープスロートの瞳には、かつて友人の娘サマンサを救えなかった時と同じ、深い無力感が滲んでいた。モルダーはその表情に、父ビルの面影を重ねる。

 

「行け、モルダー。地母神の慈悲が必要だ。

泥の温もりこそが、知恵の圧力で硬化した魂を解かす唯一の解毒剤となるだろう」

 

遠くで、黒いセダンのヘッドライトが公園の入り口を照らした。定期巡回の監視班だ。

隠密の影が低く唸り、主人の存在をさらに深い闇へと引きずり込んでいく。

口笛の余韻だけを残し、老人は影の中に消えた。

 

「モルダー!」

 

スカリーが駆け寄ってきた。彼女の手に持ったスマートフォンは、画面が砂嵐のように乱れている。

 

「また彼ね。私のGPSが、この5分間だけ『存在しない空白』を指していたわ。……彼、一体どんな『隠密』を連れているの?」

 

「『影を飼っている』と言っていたよ。サマエルという光が強すぎて、彼のような古参の亡霊は、悪魔に魂を切り売りしてでも影の中に潜むしかないんだろう。……スカリー、彼はサマエルが『エラー』として捨てた子供たちの居場所を教えてくれた」

 

モルダーはスカリーに座標を見せた。

 

「ペンシルベニアだ。サマエルが切り捨てた場所に、僕らの探すべき真実がある」

 

「……子供たちが結晶化しているなんて、科学的には細胞内の水分が急激にミネラル分と置換されるような現象かしら。でも、もしそれがサマエルの『論理』による副作用だとしたら……」

 

「論理が物理を凌駕しているんだ。……そして、それを逆転させられるのは、君の中にいる『不条理な神』だけかもしれない」

 

二人は車に乗り込み、ワシントンの秩序を後にした。

バックミラーに映る街の光は、あまりにも完璧で、冷たかった。

 

サマエルの地図から消された廃村へ向かう道中、モルダーはDDSの画面を確認した。そこには、ディープスリープから目覚めたタロスが、無機質なアラートを発していた。

 

『……未定義の物理現象を検知。座標:クリスタル・バレー。……警告。その場所の現実は、既にサマエルの演算によって“凍結”されています』

 

「凍結か……。フロストに教えてやりたいよ。本物のフリーズがどんなものかをな」

 

モルダーの呟きは、加速するエンジンの音にかき消された。

 

闇の奥で、何者かが蜘蛛の巣を揺らしている。

ディープスロートが放った小さな綻びが、モルダーという不条理な力を、世界の核心へと導こうとしていた。

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