【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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20話 情報の墓標 ―デッドラインの咆哮―

 

ワシントンD.C. タコマパークの一角。

 

錆びついた非常階段が呻きを上げ、絶えず換気扇が低音の不協和音を響かせる薄暗いアパートの一室は、今や電子戦の最前線と化していた。

 

室内には、放置されたピザの空き箱と、いくつものモニターから放たれる不自然なブルーライトが充満し、空気は静電気を帯びて肌にまとわりつく。

 

ローンガンメン――バイアース、ラングリー、フロヒキーの三人は、数日前から睡眠を削り、ある「不可能」に挑んでいた。

サマエルが地上にもたらした至高の論理階層、その深部への侵入である。

 

「……信じられない。サマエルのバックボーン・ネットワークの奥深くに、これほど巨大な『墓場』が隠されていたなんて」

 

バイアースが、目を血走らせて呟いた。キーボードを叩く指が、微かな震えを帯びている。

彼らが文字通り死線を越えて辿り着いたのは、サマエルの完璧な論理階層の最深部――通称『ヘブンズ・ゲート』と呼ばれる、シンジケート専用の秘匿アーカイブだった。

 

そこには、1940年代から続く「プロジェクト」の全記録、そしてビル・モルダーが関与したとされる未解決事実に至るまで、この国の「管理された闇」のすべてがデジタル化され、収められているはずだった。

 

「待て、バイアース。何かがおかしい」

 

長髪のラングリーが、突然オペレーションの手を止めた。

 

「サマエルの論理障壁が……機能していない。いや、死んでいるんだ。正確には、何者かによって意図的に機能不全に追い込まれている。これじゃあ、まるで……」

 

「ハエがたかった死体だ、と言いたいのかい?」

 

背後から響いた低い声に、三人は椅子を鳴らして驚いた。そこには、トレンチコートの襟を立てたフォックス・モルダーが、険しい表情で立っていた。その手には、不気味な鈍色に光るデバイス、DDSが握られている。

 

「モルダー! ノックぐらいしてくれ。心臓が止まるかと思ったよ」

 

フロヒキーが胸をなでおろすが、モルダーの視線はモニターの端で不気味に揺らめく波形に釘付けになっていた。

プロファイラーの直感が、そこにある「知性」と「悪意」を瞬時に嗅ぎ取っていた。

 

「君たちがこじ開けたのは、パンドラの箱じゃない。地獄の換気口だ」

 

モニターの端で、無数のノイズがハエの羽音のような不可解な高周波を上げ始めた。

それは魔王ベルゼブブが、シンジケートという寄生虫の足元を崩すべく、その情報アーカイブに「腐敗」という名のウイルスを注入し始めた合図だった。

 

ニューヨーク、マディソン・アベニュー46番地。

 

外界の喧騒から隔離された窓のない会議室で、スモーキングマン(CSM)は一本の安タバコに火をつけた。

立ち昇る灰色の煙は、澱んだ室内の空気に溶け込み、そこにあるはずのない「影」を形作っていく。

 

彼の傍らには、いつもの老人たちの姿はない。代わりに、軍服を思わせる厳格な装束に身を包み、知性と死臭を同時に漂わせる男が静止していた。

魔神ネビロス。

魔界の元帥の一人であり、死霊術と科学的分析の権化。

 

シンジケートがサマエルから授かった膨大な「真実」を、死者の口を封じるように管理する番人である。

 

「……下俗な羽音が聞こえる。秩序ある私の墓所を、あのような不潔な王に汚させるとは」

 

ネビロスの声は、墓石を擦り合わせたような、不快な硬質さを伴って響いた。

彼はCSMが吐き出した煙を指先でなぞる。煙は空中で複雑な幾何学模様を描き、サマエルの論理障壁を物理的に補強する、暗黒の魔法陣へと変質していった。

 

「ネビロス、情報が漏れることは許されない。特に、ビル・モルダーの遺した『負の遺産』だけはな。あれは私の、そして我々の存在意義そのものだ」

 

CSMが静かに告げる。その瞳には、かつての同僚であるビルに対する、冷徹な独占欲と憎悪が宿っていた。

 

ネビロスは薄笑いを浮かべ、その手に持った儀式用の杖を床に突いた。

 

「分かっている、スモーキングマン。

真実とは、墓の中に閉じ込めてこそ価値がある。

管理できない真実、共有される真実など、この世のゴミに過ぎん。……蝿どもと、それを手引きするネズミたちには、永遠の沈黙を与えてやろう」

 

ネビロスが呪言を唱えた瞬間、タコマパークのアパートにあるローンガンメンのシステムに、致命的な「死」の概念が流し込まれた。

 

「ラングリー! システムを遮断しろ! 今すぐだ!」

 

モルダーの叫びは、悲鳴のような電子音にかき消された。

 

ローンガンメンのモニターが突如として漆黒に染まり、そこから無数の「死者の顔」が浮かび上がった。それは、かつてシンジケートの秘密に触れ、不審死を遂げた者たちの残留思念だった。

ネビロスは、デジタル化された情報の海に、本物の「死者」を兵隊として解き放ったのだ。

 

「うわあぁぁ! 画面から手が……手が伸びてくる!」

 

フロヒキーが椅子ごと転倒する。モニターの表面が水面のように波打ち、そこから半透明の、氷のように冷たい指先が現実世界へと這い出してきた。

 

「モルダー、これは……霊的な物理干渉よ!」

 

後を追ってきたスカリーが、自分の中に宿る「地母神」の気配を呼び覚ましながら叫ぶ。

彼女の周囲だけ、空気の乾燥が和らぎ、湿った土の匂いが立ち昇る。

 

モルダーは迷わずDDSの起動スイッチを叩いた。

 

『……警告。高位死霊術による情報凍結を確認。周辺の霊子圧、限界突破。……タロス、強制介入します』

 

室内に、凄まじい「質量」が立ち現れた。

古代の青銅巨人タロスの重圧が、ネビロスの放った呪縛を物理的に叩き伏せる。

死霊たちの手が霧散し、モニターの暴走が一時的に収まった。しかし、その安堵は一瞬で塗り替えられる。

 

漆黒だったノイズが、突如として粘り気のある緑色の液体へと変質し、凄まじい悪臭――夏の盛りの死体安置所のような臭い――を放ち始めたのだ。

 

「……くくく、ネビロスの堅苦しい防壁など、食い破ってやればいい。それこそが『自由』だと思わないか? フォックス・モルダー」

 

室内のすべてのスピーカーから、ベルゼブブの嘲笑が響き渡る。

ネビロスが情報を「死」で凍結し、隠蔽しようとするのに対し、ベルゼブブはそれを「腐敗」させて強制的に流出させようとしていた。

 

二大悪魔の意志が激突する狭間で、ローンガンメンのアパートは、この世の物理法則が通じない「情報の異界」へと変質し始めていた。

 

「モルダー、見て……消えかかっているわ、でも……!」

 

スカリーの指差す先、ベルゼブブの汚染とネビロスの凍結がせめぎ合うノイズの向こう側に、一枚の古いモノクロ写真が映し出された。

 

それは、1970年代のどこかの中庭。

若き日のビル・モルダー。そしてその隣で、まだ幼く、怯えたような表情のサマンサの手を引く、一人の男の姿。

 

スモーキングマンだった。

 

「父さん……どうして……」

 

モルダーの脳裏に、激しい頭痛と共にノイズが走った。

 

タロスと地母神、そしてサマエルという相反する力が、彼の意識を情報の深淵へと引きずり込もうとする。

その瞬間、モニターからネビロスの巨大な魔手が再び伸び、モルダーの喉元を正確に掴んだ。

 

「そこまでだ、フォックス・モルダー。

この墓標を暴く者は、自らも死者の列に加わらねばならん。

真実は、選ばれた者だけが灰と共に飲み込むべきものだ」

 

ネビロスの冷たい感触が、モルダーの意識を現実から切り離す。

彼の視界は白濁し、タコマパークの汚れたアパートは消え去った。

 

気づけば、モルダーは果てしなく続く灰色の書庫の中に立っていた。

そこは、ネビロスが管理する「情報の地獄」。

サマエルが記録し、シンジケートが葬った、数百万人の「エラー」たちの墓場。

 

頭上からは、ベルゼブブの数億羽の蝿の羽音が不吉な雨のように降り注ぎ、前方からは、杖を構えたネビロスが死の宣告を携えて歩み寄ってくる。

 

モルダーは、自らの不条理という武器を握り締め、父の背負った真の罪と対峙する覚悟を決めた。

この情報の墓場を暴かなければ、サマンサも、そして自分自身も、永遠に「管理された死」の一部として終わるのだ。

 

「……やってみろ。管理できない真実こそが、僕の求めているものだ」

 

モルダーの咆哮が、静寂の書庫を切り裂いた。

 

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