【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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短編Vol.2 『レム・パレード』

 

 

ワシントンD.C.の冬の夜は、すべてを灰色に塗り潰していく。

FBI本部、地下の資料室。

僕はライトボックスの青白い光に照らされながら、3人の被害者のMRI画像と格闘していた。

 

「スカリー、これを見てくれ。通常の脳死事案とは決定的に違う点がある」

 

僕は画像の一部を指し示した。

 

「側坐核――脳の報酬系の中枢だ。ここが物理的に焼き切れている。通常、薬物中毒や過度の興奮でも、ここまで極端な神経細胞の壊死は起こらない。まるで、脳という回路に、本来の許容量を数万ボルト上回る『多幸感』という名の高電圧が叩き込まれたようだ」

 

スカリーは腕を組み、冷徹な科学者の視線で画像を追った。

 

「生理学的に言えば、神経伝達物質の在庫が数分間で空になった状態ね。でも、外部からの薬物投与なしに、これほどまでの自家中毒が起こるなんて……心理学的にはどう説明するの、モルダー?」

 

「『物語への埋没』だよ、スカリー。

僕が注目したのは、彼らが死の直前に書き残したメモや日記だ。

一人は失恋した女子大生。一人は破産した投資家。一人は不治の病を宣告された老人。

彼らの心理的共通項は『絶望的状況からの反転』を渇望していたことだ。そこへ、救世主が現れた。通称『ドリーム・デザイナー』。

彼は夢の中で、その絶望を完璧な幸福へと書き換えるサービスを始めた。

プロファイリング上、これは典型的なメサイア・コンプレックスを利用したビジネスだ」

 

僕はさらに、古い革装の文献をデスクに広げた。

それはFBIの資料ではなく、僕が個人的に追っている「不条理」の記録――悪魔に関する記述だ。

 

「アスモデウス。古くは欲望と情愛を司る王とされる。だが、心理学のフィルターを通せば、彼は『制御不能なリビドー』の擬人化だ。

人間が抱く『もっと欲しい』という無限の欠乏感に寄生する。

被害者たちの脳波データには、夢の最中に奇妙な周期の低周波が混じっていた。これは脳が自然に生成するリズムじゃない。

アスモデウスという悪魔の『周波数』が、彼らの深層心理と共鳴し、報酬系を暴走させたんだ」

 

「でも、なぜ今になって被害が出始めたの?」

 

「デザイナー……エリオット・ヴォーンの精神構造に原因がある。

僕の分析では、彼は共感性に欠ける一方で、他人を操作したいという強烈な自己愛性欲求を持っている。彼は悪魔の力を手に入れたが、それを顧客を救うためではなく、自分の全能感を確認するために使っている。

悪魔は、その主人の『傲慢さ』に比例して出力を上げる。エリオットが自分を神だと思い込めば思い込むほど、流し込まれるエネルギーは増大し、結果として顧客の脳は、その熱量に耐えきれず焼尽(バーンアウト)した……。

これは事故じゃない。エリオットの肥大化した自我が引き起こした、精神的な過失致死だ」

 

僕はライトボックスのスイッチを切った。

暗闇の中、僕の脳裏には目に見えない巨大な触手が、エリオットという男を通じて街中の「夢」を侵食していく光景が浮かんでいた。

 

「彼は悪魔を飼い慣らしているつもりだろうが、実際には悪魔という重機を、目隠しをして運転しているに過ぎない。

スカリー、僕が行く。プロファイラーとして彼の防衛本能を解体し、その重機の鍵を奪い取るために」

 

 

エリオット・ヴォーンのスタジオは、寂れた倉庫街にあった。

分厚い遮音材で覆われた扉を開けると、そこにはアナログのレコーディング機材と、最新のデジタル音響解析ソフトが混在する、奇妙な空間が広がっていた。

 

「FBIだ。エリオット・ヴォーンはいるか?」

 

僕はスカリーを伴って部屋に入った。機材の陰から、神経質そうな表情をした男が顔を出す。彼がエリオットだ。

彼の手には、古いマイクのケーブルが握られていた。それはまるで、彼が自分の意識を悪魔の領域に繋ぎ止めるための、ただ一つの命綱のように見えた。

 

「FBI? 何の用です……僕の仕事は正当な……」

 

「正当なデザイナーが、顧客の脳を焼き尽くすのか?」

 

僕は彼の顔を真っ直ぐに見つめ、一歩近づいた。プロファイラーとしての僕の眼は、彼の瞳の奥にある防衛機制を見抜こうとしている。

エリオットは怯えたように目を逸らし、しかしすぐに、自分の機材を見つめて不敵に微笑んだ。

 

「彼らは……『幸福』を手に入れたんだ。僕がそれを与えた。彼らが弱かっただけだ」

 

「違うな」

 

僕は冷ややかに彼の自己愛を否定した。

 

「君は彼らの夢を操作したんじゃない。君というフィルターを通して、顧客の脳に『無限の欲望』という名の生データを直接入力したんだ。処理能力を超えれば、システムはクラッシュする。

君はそれを分かっていて、自分の力を誇示するために顧客を犠牲にし続けている」

 

エリオットの顔色が青ざめる。

僕は彼が自分の背景にある悪魔の力をコントロールできていないことを確信した。

彼はアスモデウスの代理人ではない。ただの、力の味を覚えてしまった孤独な人間だ。

 

「さあ、この部屋の主スイッチを切れ。これ以上、君の脆弱な自我で、その『怪物』を飼い慣らすことはできない」

 

僕は彼を追い詰めた。しかし、エリオットが手を伸ばしたのはスイッチではなく、解析ソフトのフェーダーだった。

 

「……彼らは僕を必要としているんだ! 僕の夢の中に、みんな来てくれたんだ!」

 

彼がレバーを最大まで押し上げると、スタジオ中に耳を劈くような高周波のノイズが轟いた。僕の視界が歪み始める。これは彼の現実操作ではない。

僕の脳の報酬系に直接干渉し、強制的に幸福な幻覚を見せようとする、悪魔の力だ。

 

高周波のノイズが、僕の脳内の神経回路を直接揺さぶる。

意識が急速に遠のき、視界がピンク色の色彩に染まっていく。

側坐核が、尋常ではないレベルでドーパミンを放出させられている感覚だ。

僕の防衛機制は「これは幻覚だ」と訴えているが、脳が「これは真実の幸福だ」と叫んでいる。

 

「モルダー! しっかりして!」

 

スカリーの声が、遥か彼方から聞こえる。

彼女はノイズの正体が外部のスピーカーから出ていると理解し、音響設備へ駆け寄ろうとしているはずだ。しかし、僕にはそれがまるでスローモーションのように見えた。

 

「素晴らしい……。エリオット、君の『物語』は、確かに心地いい」

 

僕は、自分の口から出た言葉に戦慄した。エリオットが作り出した「万能感」の夢に浸りかけていたのだ。

僕がかつてFBIで追い求めた、どんな真実よりも、この夢は魅力的だった。

……このまま、すべてを忘れて、この幸福の中で消えてしまいたい。

だが、僕はプロファイラーだ。

自分の脳内で起きている「リビドーの暴走」を、第三者の視点で分析する。

 

「……違う。これは僕の望みじゃない。これは、君の飢えだ、アスモデウス!」

 

僕は残された意識をかき集め、機材のフェーダーに手を伸ばしたエリオットの姿に焦点を合わせる。

彼の瞳は、もはや人間のそれではなく、無限の食欲に飢えた、底なしの暗黒だった。

僕はエリオットに「話しかける」のではなく、「彼の精神構造をプロファイリングする」ことで、この夢を構成する論理を分解しようとした。

 

「君は、誰かに認められたかっただけだ。だが、この力は君のような脆弱な人間を認めない。ただ食い尽くすだけだ!」

 

僕が言葉を投げかけるたびに、夢の風景がノイズとなって剥がれ落ちていく。エリオットは恐怖に顔を歪めた。

彼は、自分が悪魔の「操作者」ではなく、悪魔が自身の能力を街中に流し込むための「生体パーツ」に過ぎないと気づき始めたのだ。

 

 

 夢の風景が崩壊し、デジタルノイズの嵐の中で、エリオットの姿が歪んだ。

彼は自分を「ドリーム・デザイナー」だと信じていたが、その実、アスモデウスという強大な欲望の触手に囚われた、無力な人形に過ぎなかった。

スタジオ全体が、エリオットの肥大化した恐怖と悪魔の飢えによって、物理的に歪み始めている。

 

「スカリー……ケーブルを、引き抜け……!」

 

僕は必死に声を絞り出した。

スカリーは、ノイズの震源地である巨大な解析サーバーの主電源ケーブルに飛びついた。しかし、悪魔はスカリーの行動をも夢の中に組み込み、彼女を「システムを壊そうとするウイルス」として排除しようとした。

スカリーの動きが止まる。

 

「……僕は、ただ、みんなに幸せな夢を……」

 

エリオットが泣き叫ぶ。彼の精神は限界に達していた。

僕の眼には、彼の側坐核が、僕の脳のMRI画像と同じように物理的に崩壊し、暗黒の液体となって流れ出しているのが見えた。彼自身が、脳死者になろうとしている。

 

「違う、エリオット。君は自分を認めさせたかった。だが、これは対話じゃない。侵略だ!」

 

僕は、プロファイラーとして彼の心理的防衛を限界まで突き崩した。彼が自分の行為の「真の目的」を理解した瞬間、アスモデウスの論理障壁に亀裂が走る。

現実世界のスタジオで、スカリーがメインサーバーの主電源を力任せに引き抜いた。

 

ブゥォォォォンという不快な電子音と共に、轟音が消えた。

僕の視界からピンク色の幻覚が消え、冷たいコンクリートの床と、静まり返った機材たちが現れた。

エリオットは、フェーダーにしがみついたまま、糸の切れた操り人形のように床に崩れ落ちた。

 

 

 静寂が戻ったスタジオで、僕は荒い息を吐きながら床に座り込んでいた。

エリオット・ヴォーンは、自分の機材の残骸の中で虚ろな目をして虚空を見つめている。

彼の精神は、アスモデウスという巨大な欲望の波に呑み込まれ、修復不可能なほどに引き裂かれていた。

 

「モルダー、大丈夫?」

 

スカリーが心配そうに僕の手を取った。彼女もまた、夢の論理に巻き込まれかけた余韻に顔を青ざめている。

 

「……ああ。だが、彼はもう元には戻らないだろう」

 

僕はエリオットを見つめた。彼は今、物理的な脳死は免れた。だが、彼は自分を全能の神だと信じていた、あの甘美な夢の残骸の中で永遠に自己愛の檻に閉じ込められている。それは、肉体的な死よりも残酷な、精神的な死だった。

 

「アスモデウスは去った。だが、欲望という悪魔は、あいつの中に根を下ろしてしまったんだ」

 

僕は立ち上がり、スタジオに散らばった機材の残骸を眺めた。

人々は現実の苦痛から逃れるため、手軽な幸福を求める。

デザイナーは、その欲望を増幅させ悪魔はそれを燃料にして人間の脳を食い荒らす。これは、エリオットという一人の狂人の仕業ではない。この街に住む、誰もが抱える「欠乏感」が引き起こした集団的な事故だ。

 

「……モルダー、この技術の残滓は?」

 

「FBIの技術班が回収して、適切に処理するだろう。……表向きはな」

 

僕はDDSの代わりに、ポケットの中で冷たい鍵に触れた。

真実は、常に公的な記録の裏側に隠されている。

 

「スカリー。プロファイラーとして、僕は人間の欲望の底深さに、改めて戦慄している。

あんなにも簡単に、人は自分を焼き尽くす快楽に身をゆだねてしまうのか」

 

「だからこそ、私たちがいるのよ、モルダー。不条理な現実に溺れそうになる人を、科学と理性の力で引き戻すために」

 

スカリーは、そう言って僕を出口へと促した。

 

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