【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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短編Vol.3 『凍てつく町のララバイ』前篇

 

 

その町、ウィロー・クリークは、地図から忘れられたかのように静まり返っていた。

記録的な暖冬のはずが、この町だけは不自然な霧に包まれ、気温は氷点下をさまよっている。

 

「モルダー、見て。これは異常よ」

 

 スカリーが指差したのは、公園のベンチで座ったまま眠る若い母親と、その傍らで立ち止まったままのベビーカーだった。

彼らは死んでいるわけではない。だが、その肌は雪のように白く、吐き出す息さえも白く凍りついている。

 

「まるで、世界がシャッターを切った瞬間に固定されたみたいだ」

 

 僕は彼らの頬に触れた。驚くほど冷たい。だが、微かに、本当に微かに鼓動が聞こえる。

心理学的に見れば、これは集団的な「解離性昏睡」に近い。だが、物理的な冷気が、それを現実の肉体的な冬へと変えている。

 

「スカリー、彼らは『眠らされている』んじゃない。何かの存在に怯えて、自分の意識を内側に閉じ込めてしまったんだ。

凍りつくような、圧倒的な孤独に触れて」

 

 僕は、懐のDDSを取り出した。

長らく沈黙していたデバイスが僕の体温に反応したのではない。

街の奥、古い石造りの図書館あたりから漂ってくる「懐かしい冷気」に共鳴して、液晶画面が微かに青く明滅し始めたのだ。

 

「……ホー……ホー……」

 

耳鳴りのような、しかしどこか楽しげな声が、凍りついた風に乗って僕の耳を打つ。

 

「……ジャックフロストか? 君なのか?」

 

 僕は、かつて共に戦ったあの悪戯っ子の名前を呼んだ。

DDSの深淵で冬眠していた「不条理」が今、この凍てついた街の孤独に呼ばれて、目を覚まそうとしていた。

 

 

「モルダー、DDSが……寒いの」

 

 スカリーが震えながら、液晶画面に映る青いノイズを見つめる。

物理的な気温が下がっているのではない。そのデバイスが、現実世界に冥府の冷気を引きずり込んでいるのだ。

 

 僕たちは町の中央にある古い図書館へと足を進めていた。

図書館の周囲は特に冷気が強く、周囲の木々はすべて凍りつき、まるでガラスの彫刻のようになっていた。

 

「スカリー、この冷気は『破壊』のエネルギーじゃない。……『悲しみ』のエネルギーだ」

 

 僕はプロファイラーとして、この冷気から発せられる感情を分析した。

かつてサマエルやメフィストが放った圧倒的な力とは違う。もっと繊細で、しかし巨大な、迷子になった子供のような――。

 

「ペルセフォネー……。ギリシャ神話で、冥府の王ハーデスに連れ去られた娘。

彼女は一年中、冬をもたらすわけじゃない。地上への帰還の途中で、この現代という迷路に迷い込んでしまったとしたら?」

 

 図書館の扉を開けると、そこは完全に氷の世界だった。

本棚の書籍は、すべて凍りつきページをめくることさえできない。部屋の中央、閲覧室の椅子に、ひとりの少女が座っていた。

 

彼女が少女なのか、それともその形をした冷気の結晶なのかは分からない。しかし、彼女の周囲にだけ、特に濃密な白い霧が漂っていた。

 

「……誰か、いるの?」

 

 少女が顔を上げた。その瞳は、凍りついた湖のように透明で、深かった。

彼女のその問いかけだけで、部屋の温度がさらに数度下がり、スカリーの髪が白く凍り始める。

 

「僕たちは、君を迎えに来た。……迷子になった君を。」

 

僕は手を広げ、敵意がないことを示した。だが、僕の心拍数さえもが凍りついていくような、圧倒的な「孤独」が僕を包み込んだ。

 

 

「寒い……モルダー、意識が……」

 

 スカリーの声が途切れ彼女は、その場に膝をついた。

彼女の吐息は、すでに白を通り越し結晶となって床に落ちている。

ペルセフォネーの放つ「孤独」は、生物としての生存本能を凍らせ、強制的に深い眠りへと誘う。

 

 僕もまた、視界が白く霞み始めていた。

指先の感覚はなく、思考は雪原に足を取られたように鈍くなっていく。

これが冥府に連れ去られた娘が抱く絶望か。

誰にも届かない場所で、独りきりで歩き続ける永遠の帰路。その終わりなき冬を、僕の脳が共鳴して受け入れようとしていた。

その時、懐のDDSが——かつて神々の論理を破壊したあの「不条理の塊」が、僕の胸を焼くほどの熱を放った。

 

《Error: Logic System Freezing... Manual Overdrive Initiated.》

 

 液晶画面に、懐かしいドット絵のシルエットが躍る。

それは、僕がかつてDDSの中に「記録」した、雪と氷を愛するいたずらな精霊の姿だった。

 

「……フロスト!」

 

 僕は震える手でDDSを突き出した。

瞬間、青白い光が図書館の閲覧室を埋め尽くし、ペルセフォネーの重苦しい冷気を真っ向から弾き飛ばした。

 

「ヒーホー! 随分と長いお休みだったホ、モルダー! 外は、すっかり冷え込んでるホー!」

 

 霧の中から飛び出したのは小さな、しかし生命力に満ちた影。

青い三角帽子を揺らし、雪の結晶が象られたマントを翻して、ジャックフロストがそこに立っていた。

 

 彼が手を一振りすると、スカリーを覆っていた氷がキラキラとした粉雪に変わり、彼女の頬に赤みが戻る。

 

「ジャックフロスト……再会を喜んでいる暇はなさそうだ。あの子を……あの子の孤独を止めてくれ」

 

 僕はペルセフォネーを指差した。

ジャックフロストは、凍りついた湖のような瞳を持つ彼女を見つめ、首を傾げた。

 

「なんだ、この子は『冬』を間違えて使ってるんだホー。

冬は悲しむための時間じゃなくて春を待つために、みんなで丸まって暖まるための時間なんだホー!」

 

 ジャックフロストはペルセフォネーに向かって、いたずらっぽく雪玉を投げた。

それは彼女に届く前に消えたが、その雪玉が弾けた場所には、冥府の冷気とは違う、どこか「遊び心」を感じさせる輝く霜が降りた。

 

 ペルセフォネーは驚いたように、自分の足元を見つめた。

彼女の絶対的な孤独の中に、初めて「他者」の気配が混じり込んだ瞬間だった。

 

 

図書館の閲覧室は、静謐な冥府の氷と、ジャックフロストが撒き散らす賑やかな雪の結晶が激しくぶつかり合う、超常的な領界と化していた。

 

「あ……」

 

 ペルセフォネーが微かに唇を動かした。彼女の視線は、ジャックフロストが投げた雪玉が弾けた場所——キラキラと七色に輝く霜——に釘付けになっている。

 

彼女の孤独という名の「静止した論理」が、ジャックフロストの持ち込んだ「動的な遊び」によって揺さぶられていた。

 

「モルダー、見て。彼女の周囲の霧が、薄くなっているわ」

 

意識を取り戻したスカリーが、温度計を手に立ち上がる。

 

「物理的な気温はまだ低い。でも、さっきまでの『刺すような冷たさ』が消えて……まるで、雪が降る直前の静けさに変わっている」

 

「心理的な『解凍』が始まったんだ、スカリー」

 

 僕はプロファイラーとして、ペルセフォネーの瞳を見つめた。

彼女は今、戸惑っている。

冥府という完璧な孤独の中で、不意に投げ込まれた「他者の熱」をどう処理していいか分からないんだ。

だが、その変化を拒むものが現れた。

 

 ペルセフォネーの影が、床の氷を侵食するように黒く広がり、そこから巨大な「氷のトゲ」が幾本も突き出した。それは彼女の意志ではない。

彼女を守るために冥府が自動的に展開した防衛機制——『ハーデスの影』だ。

氷のトゲは、獲物を狙う蛇のように、ジャックフロストに向かって高速で伸びる。

 

「危ないぞ、フロスト!」

 

「ヒーホー! そんなの当たらないホ!」

 

 ジャックは空中でくるりと一回転し、トゲを軽やかに回避した。

彼は逃げ回るだけではない。氷のトゲの表面を滑り、まるで氷上のジェットコースターを楽しんでいるかのように笑い声を上げる。

 

 「お嬢ちゃん、そんなにツンツンしてちゃダメだホー! こっちに来て一緒に滑るホ!」

 

 ジャックフロストが手を振ると、図書館の床に波打つような「氷の滑り台」が出現した。

それは死を招く氷ではなく、滑れば滑るほど楽しくなるような、不思議な弾力を持った氷の道。

 

「……遊び?」

 

 ペルセフォネーが、おずおずと手を伸ばした。

彼女の指先が、ジャックの作った氷に触れた瞬間、彼女の背後にそびえ立っていた不気味なトゲが、一斉に美しい「氷の花」へと姿を変え、パッと開いた。

 

「そうだ、その調子だホー! 冬は楽しまなきゃ損だホー!」

 

ジャックフロストは、彼女の周りを踊るように飛び回り、彼女を「孤独の玉座」から引きずり出そうとしていた。

 

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