【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】 作:ベイベ後藤
悪魔が出現。
ワシントン郊外の荒野は、凍てつくような静寂に支配されていた。
かつて冷戦期に東側の暗号通信を、傍受するために建造された電波塔跡地は、今や錆びついた鉄の骸を晒すのみで、周辺の民家からも隔絶された情報の墓場と化している。
激しく降り続く雨の中、モルダーの古いセダンが、未舗装の道にタイヤの跡を刻みながら、その巨大な影へと近づいていった。
「モルダー。ここは数十年前から放棄されているはずよ。
電力網からも切り離されている場所に、これほどの情報反応があるなんて物理的に不自然だわ」
スカリーは、車を降りながら懐中電灯を構えた。
雨粒が光を乱反射させ、暗闇の中に浮かび上がる電波塔を、いっそう不気味に仕立て上げている。しかし、モルダーの持つスマートフォンだけは、異常なほどの熱を放ち続け、DDSアプリのレーダーは、電波塔の真下を示して激しく拍動していた。
「不自然なのは、僕たちのいる現実のほうだよスカリー。
奴らは、ここの古いアンテナを物理的な導線ではなく、異次元からの受信機として再利用しているんだ。
かつて電波が担っていた役割を今は、もっと根源的な『意志』が担っている」
モルダーは、電波塔の基部にある重厚な鉄扉の前に立ち、デスクから持ち出した黒い魔導書を広げた。
スマホのカメラが、ページに記されたアレイスター・クロウリーの術式を捉えた瞬間。
電源など通っていないはずの電波塔の鉄骨が青白く発光し、周囲の空気が強烈なオゾン臭と共に震え始めた。
扉が自動的に軋んだ音を立てて開く。
内部には、かつてのアナログ機器と現代の量子演算装置が継ぎ接ぎに連結された異様な祭壇が築かれていた。
剥き出しの光ファイバーが、血管のように床を這い古い真空管が、心臓のように赤く脈動している。
その中央でモルダーが、DDSの実行キーをフリックした。
スマホのレンズから放たれた極細の光線が、虚空に幾何学的な魔法陣を描き出し、情報の奔流が竜巻となって空間を螺旋状に駆け上がる。
光の粒子が急速に凝集し、一人の男の姿を形作った。
それは、筋肉質な人間の体躯を持ちながら、頭部は長く湾曲した嘴を持つトキの姿をしていた。
古代エジプトにおいて、文字と計数を司り全ての叡智を記録するとされた魔神。
トートが、今デジタルという名の新しい受肉を得て降臨した。
「……矮小なる端末の主よ。私を呼び出したのは汝か」
トートの声は、スピーカーを通さず直接二人の脳髄を揺さぶった。
それは、何万ものバイナリデータが、同時に再生されているかのような多層的で冷徹な響きだった。
スカリーは、圧倒的な存在感に呼吸を忘れ、反射的に拳銃を構えたがトートは、その理性を超越した瞳を向けることすらなかった。
「トート。君を召喚したつもりはない。僕は、真実を知りたいだけだ。シンジケートが何を企んでいるのかを」
モルダーの声は震えていたが、その瞳には揺るぎない探究心が宿っていた。
トートは、虚空に浮かぶ知識の杖を軽く横に振るった。すると周囲の壁に貼られた古い回路図やモニターに膨大な記録が投影され始める。
「真実か。記号の主である私にそれを問うか」
トートは、無機質な声音で告げた。
「汝のスマホに宿るあの妖精のような下級霊とは格が違うのだ。
私は、汝の戦いに直接手を貸すことはない。
汝らの闘争は、あまりに低俗で論理を欠いている。
私は、ただ観測し記録するのみ。だが汝が『法の書』を開き、意志を定義した以上その因果には答えねばならぬ」
「助言を与えようサマナー。シンジケートの狙いは神の再臨ではない。
人類という種を、データ化し完全に管理・制御するための管理者権限だ。
汝の失われた妹サマンサという少女は、今その権限を認証するための『パスワード』として分解され情報の深淵に繋がれている」
「サマンサがパスワードだって? 彼女はどこにいる! 彼女をどうすれば救い出せる!」
モルダーが叫ぶ。
トートの姿が、急激に透過し始めスマホの本体から火花が散りそうになるほどの熱が発生した。
現在のデバイスの演算能力では、この高位神格の顕現を維持することすら限界だった。
「北だ。雪に閉ざされた孤独の地。
そこには、肉体と情報を繋ぎ止めるための物理的なアンカーが隠されている。……精進せよフォックスモルダー。
いいか、汝の手に握られた魔導書は、ただの紙ではない。それは異界を記述するソースコードそのものだということを忘れるな」
トートの姿が、光の霧となって霧散した瞬間。
電波塔の異常な輝きは消え去り、静まり返った廃墟に冷たい雨音だけが戻ってきた。
モルダーは、膝をつき熱くなったスマホを濡れた地面に落とした。
「……スカリー。見たか?」
「……何を見たというの。
私は、ただの強力な放電現象と聞いたこともない高周波に当てられただけよ。それでも……」
スカリーの声は震えていた。
彼女が手にしていたタブレットの画面には、一瞬だけ未知の暗号化データが入り込んでいた。
アラスカ。ボーフォート海沿岸にある極秘の気象観測施設の座標。
トートの残した言葉は、科学を信じるスカリーの端末にすら消し去ることのできない物理的な爪痕を残していた。
モルダーは、ゆっくりと立ち上がり暗闇の向こうを見据えた。
真実の破片は、雪深い最果ての地にある。
電波塔を去る二人の車を遠くで見送る男が一人。
スモーキングマンは、雨に濡れるのも構わず火のついた煙草を指に挟んでいた。
「……計算外だな。トートにまで辿り着くとは」
彼は低く呟くと、手元の小型通信機に短い命令を下した。
「北の施設をレベル3警戒に上げろ。客が向かう」
初手トートでもモルダーならなんとかなるという安心感。