【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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短編Vol.5 『春の訪問者』

 

 

ウィロー・クリークの事件から一ヶ月。

ワシントンD.C.には、例年よりも鮮やかな春が訪れている。だが、僕の周囲では春の訪れ方が少しばかり「過剰」だった。

 

「モルダー、いい加減にして。これで三日目よ」

 

 スカリーが呆れ顔で、僕のデスクの上に置かれた大きな籠を指差した。そこには、この時期には手に入らないはずの、太陽の光を凝縮したような大粒の葡萄と、滴るほど瑞々しいザクロ、そして見たこともないほど美しい大輪の向日葵が詰め込まれていた。

 

「僕が注文したんじゃないよ、スカリー。……宛先もない。ただ、毎朝ここにあるんだ」

 

「FBIのセキュリティをすり抜けて、誰がこんなものを? X線検査の結果は『完全な有機物』。毒物も爆発物も検出されなかった。でも、この果実の糖度は……自然界の数値を逸脱しているわ」

 

スカリーは解析データを手に、プロフェッショナルな懸念を隠さない。だが、僕は知っていた。この果実から漂う、どこか懐かしい「土と雨の香り」を。それは、あの凍てついた町で感じた、ペルセフォネーの冷気の奥に隠されていた、本来の「生命の息吹」と同じものだった。

 

「誰かが、僕たちにお礼をしたがっているみたいだ。……それも、かなり熱烈にね。」

 

僕は葡萄を一粒つまみ、口に運ぼうとした。

 

「モルダー、待って! まだ安全性が——」

 

スカリーの制止より早く、その甘みが舌の上で弾けた。瞬間、僕の脳内に、どこまでも広がる黄金の麦畑と、穏やかな初夏の風のイメージが流れ込んできた。それはプロファイリングするまでもなく、強烈な「感謝」の念そのものだった。

 

「……スカリー。毒じゃない。これは……『祝福』だよ」

 

その時、僕のポケットの中で、休眠中のはずのDDSが微かに震え、青い光を一瞬だけ放った。

 

 

 その日の午後は、異様に霧が深かった。

ワシントンの中枢、J・エドガー・フーヴァー・ビルの中でも、僕たちのいる地下オフィスは、いつも以上に隔絶された場所のように感じられる。

不意に、廊下から柔らかな衣擦れの音が響いた。いつも耳にする革靴の足音とは違う、草木が風に揺れるような、重なり合う音。

 

「モルダー、誰か来るわ」

 

 スカリーが顔を上げた。

ドアが静かに開くと、そこに立っていたのは、場違いなほど優雅な二人の女性だった。

 

 一人は、深い緑のシルクワンピースを纏い、髪に黄金の麦の穂を編み込んだ威厳ある貴婦人。その瞳には、万物を慈しむような暖かさと、同時に大地の怒りをも孕んだ鋭い光が宿っている。

そしてその隣には、あの日、図書館の閲覧室で凍りついていたあの少女――ペルセフォネーが立っていた。

今は、もう白く凍りついてはいない。春の陽だまりのような薄桃色のドレスを着て、少し照れくさそうに微笑んでいる。

 

「……君は」

 

「ご挨拶が遅れました。モルダー捜査官、スカリー捜査官。娘を――私の大切な魂を迎えに来てくださったこと、心より感謝いたします。」

 

 婦人が一歩踏み出した瞬間、窓のないはずの地下オフィスに、どこからともなく陽光が差し込み、殺風景なファイルキャビネットの隙間から小さな青い花が一斉に芽吹いた。

 

「デメテル……。豊穣の女神その人、というわけか」

 

 僕は呆然と立ち尽くした。スカリーは手元の資料を落としそうになりながらも、必死に目の前の「物理的な矛盾」を科学的に解釈しようと、彼女のドレスの繊維を凝視している。

 

「母様。この人たちが、私を見つけてくれたの。……ジャックフロストと一緒に。」

 

ペルセフォネーの声に合わせて、僕のポケットのDDSが明滅を始めていた。

 

 

「……さて、お礼と言ってはなんですが。少しばかりお時間を頂けますかしら?」

 

 デメテルが優雅に手を振ると、僕の散らかったデスクの上に、見たこともないほど繊細な磁器のティーセットが現れた。

ポットからは、まるで何千もの花々を凝縮したような芳香が立ち上っている。

 

「母様、ここの人たちは『コーヒー』という黒いお水を飲むのよ。でも、このお花のお茶もきっと気に入るわ」

 

 ペルセフォネーが楽しげに椅子に座り、僕とスカリーを手招きした。

スカリーは、突然現れたティーセットの組成を確認しようと、あからさまに眉間に皺を寄せているが、その鼻腔をくすぐる香りに、わずかに肩の力が抜けていくのがわかった。

 

「……スカリー、これはプロファイリングの一環だと思って、一口飲んでみてくれ。幻覚剤じゃないことは保証するよ」

 

「……分析もなしに口にするのは私の主義に反するけれど、この状況のほうがよっぽど私の主義に反しているわね」

 

 観念したようにスカリーが席に着く。

デメテルが注いだ琥珀色の液体を一口含むと、僕の全身を心地よい「春のまどろみ」が駆け抜けた。それは、どんな高級なカフェインよりも深く、心拍を穏やかに整える魔法のようだった。

 

「冥府の王との契約により、あの子は一年の半分を地下で過ごさねばなりません。ですが、あの子が独りで迷っていたとき、あなた方が見せてくれた『人の温もり』……それが、あの子の凍てついた心を溶かし、私との再会を可能にしてくれたのです」

 

 デメテルの言葉には、母としての深い愛情が溢れていた。

ふと見ると、ペルセフォネーは僕のDDSを興味深そうに眺めている。

 

「……モルダー、ジャックフロストは、まだ眠っているの?」

 

 彼女がデバイスに触れようとした瞬間、バッテリー切れで真っ暗だったはずの画面が、まるで朝日のような黄金色の光を放ち始めた。

 

「何……? バッテリーは切れていたはずなのに」

 

 スカリーがカップを置き、光り輝くDDSを凝視した。

デバイスは熱を帯びるのではなく、まるで春の太陽をそのまま吸い込んだかのように柔らかく発光している。

ペルセフォネーの指先から流れ込んだのは、冥府の冷気を溶かすためのエネルギーではなく、生命を等しく育む女神の慈愛――「豊穣」の欠片だった。

 

《Error: Logic System Overwritten... Divine Patch Applied.》

 

 画面に躍るドットの文字さえもが、心なしか丸みを帯びて見える。そして、スピーカーから溢れ出したのは、あの忘れもしない、無邪気で騒々しい声だった。

 

「ヒーホー! なんだか身体がポカポカするホー! モルダー、春が来たのかホ!?」

 

 光の中から、ジャックフロストが元気よく飛び出した。だが、その姿は少しだけ変わっていた。

いつもの青い三角帽子には、ペルセフォネーのドレスとお揃いの、小さな「麦の穂」の飾りが付いている。

 

「ジャックフロスト……! 随分と早起きじゃないか」

 

「お嬢ちゃんが呼んでくれた気がしたんだホー! それに、隣にいるのは……うわっ! すっごく強そうだホー!レベル高いホー!」

 

 ジャックフロストはデメテルを見上げ、驚いて尻もちをついた。

デメテルは、自分の娘を救ったこの小さな「不条理の精霊」を、慈しむような眼差しで見つめ、優しく微笑んだ。

 

「元気な子ね。ジャックフロスト……あなたが娘を『遊び』で繋ぎ止めてくれなければ、彼女の心は今も冥府の孤独に閉じ込められていたでしょう。……私からも、あなたに贈り物を」

 

 デメテルが指を鳴らすと、ジャックフロストの手元に、黄金色に輝く小さな「林檎」が現れた。

 

 ジャックフロストが手にした黄金の林檎は、まるで太陽を凝縮したような光を放っていた。それは地下オフィスのカビ臭い空気を一変させ、甘く、命の洗濯をするような香りで部屋を満たしていく。

 

「ヒーホー! 美味しそうだホー! 食べていいのかホ?」

 

「ええ、お食べなさい。それは、あなたがこの世界で自由に遊び回るための『種』になるでしょう」

 

 フロストが林檎を一口かじると、彼のドットの輪郭がさらに鮮明になり、半透明だった身体が確かな質量を持ち始めた。それを見ていたスカリーが、ついに手にしていたスプーンを落とした。

 

「……信じられない。モルダー、彼の密度が……いえ、この部屋の質量保存の法則が完全に無視されているわ。

無からこれだけのエネルギーが生成されるなんて、熱力学第二法則に対する冒涜よ」

 

「スカリー、科学の法則を語る前に、あの林檎の成分を考えてみてくれ。あれは、おそらくヘスペリデスの園で育つ不老不死の果実に近い。科学じゃなく、神話の法則に従っているんだ」

 

 デメテルはスカリーの混乱を遮るように、優雅に立ち上がった。

 

「スカリー捜査官。あなたの『知りたい』と願う心もまた、知恵という実りを求める尊い活動です。いつか、あなたの理性が、この世界の真実に追いつく日を、私は楽しみにしていますよ」

 

 女神の言葉に、スカリーは反論しようとして口を開き、やがて何かを諦めたように溜息をついた。

 

「……もういいわ。後でこのティーカップに残った液体の成分分析だけは、させてちょうだい。それがせめてもの妥協点よ」

 

 デメテルは微笑み、ペルセフォネーの肩を抱いた。

別れが近づいていることを、部屋の空気が優しく告げていた。

 

「それでは、モルダー捜査官。そしてスカリー捜査官。再び季節が巡る時まで、健やかにお過ごしなさい」

 

 デメテルが優雅に会釈し、ペルセフォネーが小さく手を振った。瞬間、地下オフィスを満たしていた黄金の陽光が、ふわりと弾けるように収束した。

目を開けた時、そこにはいつもの窓のない、少し埃っぽい地下オフィスが広がっていたのだが、何かが決定的に違っていた。

 

「……消えたわ」

 

 スカリーが呟く。ティーセットも、贅沢な果物の籠も、キャビネットの隙間に咲いていた青い花も、跡形もなく消え去っている。ただ一つ、彼女が死守した「ティーカップ一杯の琥珀色の液体」を除いて。

 

「ヒーホー! モルダー、見て見て! オイラ、消えてないホー!」

 

 デスクの上で、ジャックフロストが元気に飛び跳ねていた。DDSの画面の中ではない。

彼は実体としてそこに立ち、小さな手を振って、散らかった僕の書類の上にキラキラとした「溶けない雪」を降らせている。

 

「ああ、フロスト。これからはバッテリーの心配も、冬眠の心配もしなくて良さそうだ」

 

 僕はDDSを手に取り、画面を確認した。そこにはバッテリー残量の代わりに、小さな麦の穂のアイコンが、永遠の豊穣を象徴するように輝いていた。

 

「モルダー。……このティーカップ、本当に分析しても無駄じゃないでしょうね?」

 

 スカリーが、宝物でも扱うかのように慎重にカップを持ち上げる。

僕は、彼女が明日「分析結果:未知の高分子多糖類、および検出不能な生命エネルギー」という報告書に頭を抱える姿を想像して、少しだけ笑った。

 

「科学的な答えが出るのが先か、次の冬が来るのが先か。賭けてみるかい、スカリー?」

 

 僕は窓のない壁に目を向けた。そこには、あの日と同じようにフロストが描いた小さな雪だるまの模様が、春の陽光の中でも消えることなく輝いていた。

冬の孤独は去り、物語は新しい命の季節へと続いていく。

 

 

(短編:春の訪問者 完)

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