【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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名前が「フォックス」モルダーということで狐との出会い。


短編Vol.7 黄金色の邂逅

 

 

 バージニア州の深夜、完璧に手入れされた芝生が広がる閑静な住宅街。その一角にある公園の茂みで、フォックス・モルダー特別捜査官は泥にまみれていた。

懐中電灯の細い光が、掘り返された花壇の跡をなぞる。

 

「……スカリー、見てくれ。この土の跳ね方、そして周囲に残された微かな銀色の毛。これは通常の獣の仕業じゃない。もっと……霊的な、意志を持った『重み』を感じないか?」

 

 モルダーは、興奮を抑えきれない様子で語りかけたが、背後で腕を組むダナ・スカリー特別捜査官の反応は、冬の夜風よりも冷ややかだった。

 

「モルダー、それは単なる野犬か、せいぜい迷い込んだコヨーテが餌を探していただけよ。

近所の犬が数匹、夜中に吠え立てられただけでFBIが動くなんて、上が知ったら今度こそ私たちの予算はゼロになるわ。

……いい加減、認めなさい。これはXファイルの事件じゃなくてただの近隣トラブルよ」

 

 スカリーは呆れたように溜息をつき、冷えた指先をポケットにねじ込んだ。

 

「帰りましょう。明日の朝一番で、この『凶悪な怪物』の正体が、ただの野良犬だったという報告書を書かなきゃいけないんだから」

 

 彼女が車へと戻っていく足音を聞きながらモルダーは、なおも暗い茂みの奥を見つめていた。直感――説明のつかない、だが彼を幾度も真実へと導いてきたあの感覚が、何かの存在を告げている。

その時だった。カサリ、と落ち葉が鳴る。

懐中電灯の光が反射した先に、ふっくらとした大きな尾が揺れた。黄金色の毛並み、そして闇の中でいたずらっぽく、どこか慈しむように光る二つの瞳。

 

「……狐か?」

 

 モルダーが吸い寄せられるように一歩踏み出すと、その影は軽やかにフェンスを飛び越え、霧の向こう側へと消えていった。

 

 翌日も、そしてその翌日も、モルダーは、その狐を目にした。

朝、ダイナーでコーヒーを啜りながら窓の外を見れば、向かいのビルの植え込みから耳が覗いている。

昼、FBIの資料室で古い地図を広げている時、ふと視線を感じて振り返れば、窓枠の影に黄金色の背中が見える。しかし、結末はいつも通りだった。

 

 スカリーの推測通り、事件は近所の子供たちが「怪物の足」を模した自作の靴を履いて暴れていたという、あまりにも拍子抜けな、いたずらとして解決した。

 

 モルダーのアパート。

ドアの鍵を開け、真っ暗な部屋に足を踏み入れたモルダーは、ネクタイを緩めてソファに沈み込んだ。

テレビを点けても、映るのは退屈な番組や砂嵐のようなノイズだけだ。

壁に貼られた「I WANT TO BELIEVE」のポスターが、街灯の光に照らされて寂しげに浮かび上がっている。

 

「……エイリアンも、UMAも、異界の神もいない。

今日は、ただの退屈な現実の日だったな」

 

 モルダーは独り言を呟き、テーブルに置いてあったひまわりの種の袋に手を伸ばした。

その時、開け放していた窓のカーテンが大きく揺れ、ふわりと何かが部屋に飛び込んできた。

 

「なんだ!? ……また君か」

 

 それは何度も見かけた、あの狐だった。何故か今は逃げようとはしない。

狐は、モルダーの膝元までトコトコと歩み寄ると、首を傾げて彼を見上げた。

 

 モルダーが手を伸ばそうとした瞬間、狐は、くるりと一回転し、柔らかな光に包まれた。

 

「……そんなに、がっかりしないでください。モルダーさん」

 

 光が収まったあとに立っていたのは、狐ではなかった。

ニットのカーディガンに、どこか古風な衣装を合わせたような不思議な出で立ちの、うら若き女性。

頭の上にはピンと立った三角の耳があり、腰の後ろでは、大きな尻尾がゆっくりと揺れている。

 

「喋って変身した……スカリーに見せてやりたいが彼女は今頃、自宅で平和に過ごしているだろうな」

 

 モルダーは驚きよりも、どこか深い安堵を感じていた。

彼女――狐の化身は、恥ずかしそうに耳をピクピクさせながら言った。

「私はリサ。……ずっと見ていたんです。

あなたが一生懸命、私たちの世界の気配を探しているのを。……誰にも信じてもらえなくても、独りぼっちで、冷たい闇の中に手を伸ばして。

あなたのファーストネームが『フォックス』だなんて、なんだか放っておけなくて」

 

 リサは、まるで長年の友人のように、モルダーの隣のソファにちょこんと腰を下ろした。

部屋の空気が、彼女が来た瞬間から太陽の下で干した布団のような、懐かしくて温かい匂いに変わっている。

 

「……僕を、放っておけなかったというのか? ただのしがない、FBI捜査官を。」

 

「はい。……だって、このお部屋、とっても寂しい匂いがするから。……私が、少しだけお話し相手になってあげてもいいですか?」

 

 モルダーは、暗い部屋の中でリサの柔らかな耳が揺れるのを見つめた。

陰謀に満ちた、裏切りと冷酷な現実が支配するこの世界で、彼は常に「真実」を追い求めてきた。だが、目の前に現れたこの不思議な訪問者は、真実よりも先に、彼が必要としていた「温もり」を届けてくれた。

 

「……ああ。歓迎するよ、リサ。ちょうど、一人で飲むには、少し味気ないと思っていたところだ」

 

 窓の外では冷たい夜風が吹いていたが、モルダーのアパートの一室だけは、まるで小さな焚き火を囲んでいるような、穏やかな光に満たされていた。

孤独なフォックスと、黄金色の狐。

二人の、静かで少し不思議な会話が、始まる。

 

 

 ワシントンの夜は更け、アパートの窓の外では、冷たい雨がアスファルトを叩いていた。

モルダーの独身貴族然とした薄暗いキッチンには、およそ似つかわしくない香りが立ち込めている。

鶏肉の匂いと、セロリや玉ねぎが煮込まれる甘い香り。それは、この部屋に何年も欠落していた「家庭」の匂いだった。

 

「モルダーさん、あんまりジロジロ見ないでください。……なんだか変身が解けちゃいそうで」

 

 リサは、何故かエプロンを巻き、鼻先に汗を浮かべながら大きな鍋をかき混ぜていた。

彼女の耳は熱気のせいか、あるいは緊張のせいか、時折ピクピクと忙しなく動いている。

 

「……すまない。だが、FBIの捜査官をこれまでやってきて、自宅のキッチンで狐がチキンスープを作っている光景に出くわすのは、宇宙人に誘拐される確率よりも低いと思ってね」

 

 モルダーは食卓に肘をつき、ひまわりの種を口に運ぶのも忘れて彼女を見つめていた。

リサは「もう、すぐ茶化すんだから」と小さく笑い、透き通ったスープを皿に注いで彼の前に置いた。

 

「はい、召し上がれ。……アメリカの人は、元気がなくなるとこれを飲むって聞いたから」

 

 スプーンですくい上げ、口に運ぶ。

温かい液体が喉を通り、胃に落ちる。ただのスープだ。だが、それは驚くほど優しく、乾ききっていたモルダーの心に染み渡った。

 

「……美味しいな。リサ、君は料理の才能もあるらしい」

 

「……よかった。モルダーさん、さっきよりずっと良い顔をしてます。

お部屋の隅にあるポスター……『信じたい』って書いてあるやつ。あれを見ている時のあなたは、少しだけ、泣きそうな顔をしていたから」

 

 リサは自分の分の皿を抱え、モルダーの向かい側に座った。尻尾が椅子の背もたれから揺れている。

 

「……リサ。君は、僕が何を追いかけているか知っているのか?」

 

「……詳しくは分かりません。でも、あなたが失くしてしまった『大切な何か』に心を痛めていることは分かります。……ずっと独りで、真っ暗な森の中を歩き続けているみたいに」

 

 モルダーは、スープを飲む手を止め、窓の外の闇に視線を向けた。

普段、彼は自分の過去を語ることはない。だが、リサの持つ不思議な温かさは、彼の頑固な沈黙をそっと解きほぐしていく。

 

「……妹がいたんだ。サマンサという名前だ。

彼女は、僕の目の前で連れ去られた。……超常的なものによってね。

僕は、サマンサが背負った宿命……結末を受け止めたが忘れることは決して無い。」

 

 モルダーの声は静かだったが、そこには癒えることのない深い悲しみが張り付いていた。

リサは、スープを見つめたまま、ポツリと言った。

 

「……モルダーさん。幸せって、何でしょうね」

 

「幸せ? 少なくとも、アメリカの陰謀渦巻く世界では、絶滅危惧種の一つだよ」

 

「……私はね、モルダーさん。幸せっていうのは、誰かが自分の名前を呼んでくれることだと思うんです。

……あなたが妹さんの名前を忘れないように、誰かを想っている間は、その人はどこかで生きている。……そして、今、私がこうしてあなたの隣で『モルダーさん』って呼んでいること。それだけで、この部屋の寂しい匂いは、少しだけ消える気がするんです」

 

 リサは顔を上げ、眩しいほどの笑顔を向けた。その瞳には、嘘も偽りも、隠された意図も存在しない。ただ、目の前にいる孤独な男の心を温めたいという、純粋な意志だけがあった。

 

「……名前を呼ぶ、か。確かに、君に名前を呼ばれると自分という存在を思い出せる気がするよ」

 

 モルダーは、最後の一口までスープを飲み干した。冷え切っていた指先には、いつの間にか体温が戻っていた。

 

「……リサ。明日も、ここにいてくれるか? 贅沢な望みかもしれないが、一晩で終わる幻覚にしては、このスープは出来が良すぎる」

 

「もちろんですよ。あなたが、私を呼んでくれるなら。……あ、でも、油揚げも買ってきておいてくださいね? チキンスープもいいけど、私の好物なんです。」

 

 リサが悪戯っぽく耳を揺らし、モルダーは久しぶりに心からの声を上げて笑った。

外の雨は、まだ止まない。だが、アパートの一室に満ちた温かな湯気と穏やかな笑い声が、モルダーにとっての「真実」よりも、小さな幸せの形を描いていた。

 

 狐の女性と、孤独な捜査官。

二人の夜は、チキンスープのようにゆっくりと、そして温かく更けていった。

 

 

 翌日、ワシントンの空は昨夜の雨が嘘のように晴れ渡っていた。

モルダーがコーヒーの香りを楽しんでいると、キッチンからはトントントンと小気味よい包丁の音が響いている。

ソファから身を起こすと、そこには昨日と同じ、黄金色の耳を揺らしながら朝食の準備をするリサの姿があった。

 

「おはようございます、モルダーさん。……昨夜は、よく眠れましたか?」

 

 リサが振り返り、眩しい朝日を背に受けて微笑む。モルダーが何か答えようとしたその時、アパートのドアが激しくノックされた。

 

「モルダー! 開けなさい、遅刻よ。昨日の報告書はどうなったの?」

 

 聞き慣れた、今は説明に困る声――ダナ・スカリー捜査官だ。モルダーは飛び上がって向かう。

 

「スカリー!? 待て、今開ける! リサ、隠れるんだ! バスルームへ!」

 

「えっ、ええっ? は、はいっ!」

 

 リサが尻尾を振り乱してバスルームへ滑り込んだのと同時に、モルダーはドアのチェーンを外した。そこには、パリッとしたスーツに身を包み、不機嫌さを隠そうともしないスカリーが立っていた。

 

「……おはよう、スカリー。朝から情熱的なノックをありがとう」

 

「挨拶はいいわ。電話にも出ないし、昨日の『巨大コヨーテ』の件、スキナー副長官が……。あら? いい匂いがするわね。……モルダー、あなた料理を始めたの?」

 

 スカリーの鋭い視線が、食卓に残された二名分の食器と、キッチンに置かれた調理器具を射抜く。

 

「ああ、その……生活を改善しようと思ってね。……科学的にも、温かいスープは、脳の活性化に良いと君も以前言っていたじゃないか」

 

「ええ、言ったわ。でも、あなたの部屋に『油揚げ』がある説明にはなっていないわね。モルダー、何か隠しているでしょう?」

 

 スカリーが部屋へ踏み込もうとしたその時、バスルームのドアが小さく開き、好奇心に勝てなかったリサが、ひょっこりと顔を出してしまった。黄金色の耳が、スカリーの視界に鮮やかに入り込む。

 

「……モルダー。あそこに立っているのは、最新のホログラム? それとも、私が睡眠不足で見ている幻覚かしら?」

 

 スカリーは呆然と立ち尽くし、リサを見つめた。リサは観念したように、おずおずと出てきて、挨拶をする。

 

「……初めまして。私は狐のリサといいます。……怪しいものじゃありません、たぶん」

 

 そこからの30分間は、モルダーにとってどのX-ファイル事件よりも過酷な尋問の時間となった。

スカリーはリサの耳を至近距離で観察し、その毛並みや体温、そして尻尾の構造を科学的に分析しようと試みた。

 

「……信じられない。DNAを調べないことには断言できないけれど、彼女は生物学的な分類を無視しているわ。……モルダー、これは新種の未確認生物の一種なの?」

 

「いや、スカリー。彼女は……リサだ。僕の名前を呼んでくれる、新しい友人の仲魔だよ」

 

 モルダーはリサの隣に立ち、穏やかな、だが強い意志を持ってそう言った。

スカリーは驚いたようにモルダーの顔を見つめた。そこには、いつも陰謀を追っている時の険しい表情ではなく、どこか満たされた、穏やかな光が宿っていたからだ。

 

「……真実を追い求めるのもいいけれど、スカリー。たまには、説明のつかない温もりをそのまま受け入れてもいいんじゃないかな。……彼女が作るチキンスープは、僕の心を救ってくれたんだ」

 

 スカリーは、しばらく沈黙していたが、やがて小さく溜息をつき、肩の力を抜いた。

 

「……分かったわ。あなたの『新しい友人』について、報告書に書かないでおいてあげる。

ジャックフロストも喜ぶんじゃないかしら。」

 

 スカリーは少しだけ口角を上げると、仕事の資料をテーブルに置いた。

リサは、パッと顔を輝かせ、スカリーの手を取った。

 

「はい! スカリーさんの分も、今すぐ温め直しますね!」

 

 スカリーが仕事へと向かい、再び二人きりになった部屋で、モルダーは窓の外を見上げた。

 

「……リサ。これからも、僕を名前で呼んでくれるかい?」

 

「もちろんです、モルダーさん。……あなたが私の名前を呼んでくれる限り、どこへだってついていきますよ」

 

 狐の悪魔と、FBI捜査官。

ワシントンの片隅で、新しい「真実」が静かに、そして温かく息づき始めていた。

 

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