【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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妄想が走り出しました


相棒Xファイル
相棒編1話 もしも相棒の杉下右京がアメリカのFBIでXファイルのモルダーと出会ったら


 

 ワシントンD.C. ペンシルベニア通り935番地。

J・エドガー・フーヴァー・ビル。

FBI本部の冷え切った廊下を、一人の男が歩いていた。

三つ揃えのスーツに、完璧に磨き上げられた革靴。

杉下右京は、手にした辞令を一度だけ確認し、目的地である「地下」へと続く階段を下りた。

 

「おやおや、随分と趣のある場所ですねぇ」

 

 右京が辿り着いたのは、華やかなフロアとは切り離された、薄暗い廊下の突き当たりだった。

扉には名札すらない。ただ、そこには独特の停滞した空気と、紙の資料が放つ古いインクの匂いが漂っていた。

右京がドアをノックしようとした瞬間、中から男の声が響いた。

 

「ノックは無用だ。どうせ、僕を精神鑑定にかけるための新しい刺客か、あるいは予算を削りに来た死神のどちらかだろう?」

 

 右京は構わずドアを開けた。部屋の中はカオスそのものだった。壁一面に貼られた未解決事件の資料、UFOの目撃写真。そして正面には、有名なポスターが掲げられている。――『I WANT TO BELIEVE』。

 

 デスクに足を投げ出し、スライドを眺めていた男――フォックス・モルダーは、右京の姿を見るなり、片方の眉を上げた。

 

「……東洋人か。スーツの仕立てからして、観光客じゃないな」

 

「失礼。日本の警視庁から研修に参りました、杉下右京と申します」

 

 右京は丁寧にお辞儀をすると、モルダーのデスクの隅、わずかに空いたスペースに視線を落とした。そこには、数日前のものと思われるコーヒーの染みと、不自然に並べられたヒマワリの種の殻があった。

 

「モルダー捜査官。あなたの『プロファイリング』によれば、僕は死神に見えるようですが……僕の目から見れば、あなたは『答えのない問い』にわざと迷い込んでいる迷子のように見えますねぇ」

 

 モルダーの動きが止まった。彼はゆっくりと椅子を回し、右京を正面から見据えた。

 

「……迷子、だと?」

 

「ええ。この部屋の資料の並べ方、そしてあなたが今見ていたスライドの順序。

あなたは真実を探しているフリをしながら、実は『真実に辿り着かないための袋小路』を愛しているのではないですか?」

 

 二人の間に火花が散ったような静寂が訪れる。その時、背後でドアが開く音がした。

 

「モルダー、新しい資料が入ったわ。……あら、お客様?」

 

 現れたのは、知的な光を瞳に宿した女性、ダナ・スカリーだった。

彼女は部屋に充満する異様な緊張感を察知し、手にしたファイルを胸に抱え直した。

 

 右京はスカリーに向き直り、柔らかく、しかしどこか冷徹な微笑を浮かべた。

 

「初めまして、スカリー捜査官。どうやら、僕の研修先は……想像以上に『細かいこと』が多そうな場所ですねぇ」

 

 こうして、日本の特命係とFBIのXファイル、決して交わるはずのなかった二つの「孤島」が、一つの事件をきっかけに繋がり始めた。

 

 

「……つまり、死体は忽然と消えたのではなく、最初から『液体』だったと?」

 

 バージニア州の深い森、立ち入り禁止の黄色いテープが張り巡らされた現場で、スカリーは眉をひそめて右京に問いかけた。

彼女の足元には、人間の形に焼け爛れた、しかし骨すら残っていない泥のような痕跡がある。

 

「ええ。スカリー捜査官、あなたの検死結果……いえ、この『残留物』の分析結果によれば、細胞が極短時間で液状化しています。これは通常の化学薬品では説明がつかない」

 

 右京は、しゃがみ込み泥の端に落ちていた「あるもの」をピンセットで拾い上げた。それは、焦げたプラスチックの破片のように見える。

 

「モルダー捜査官。あなたが先ほど仰った『プラズマ兵器による拉致』……非常に興味深い仮説ですが、もしそうなら、なぜ被害者は一番高価な『金歯』だけをここに残していったのでしょうねぇ?」

 

 木々に背を預け、空を見上げていたモルダーが顔を向けた。

 

「杉下、それは宇宙人にとって金が不要だからじゃないか? 彼らが欲しいのは我々の遺伝子情報だ」

 

「果たして、そうでしょうか」

 

 右京が立ち上がろうとしたその時、彼の携帯電話のバイブレーションが鳴り響いた。画面には『亀山薫』の文字。右京は少しだけ表情を和らげ、通話ボタンを押した。

 

「はい、杉下です。……ええ、亀山くん。今、アメリカの森の中で溶けた人間を調べているところですよ」

 

『ええっ!? 溶けたぁ!? 右京さん、やっぱりFBIってそういうエグい事件ばっかりなんですか! あ、そうそう、こっちで暇だったんで角田課長と調べてみたんですけど、例の行方不明のIT長者、5年前に日本で不動産詐欺に遭ってますよ。相手は……えーっと、アメリカにコネがある怪しいコンサルで……』

 

「……亀山くん、それは貴重な情報です。後ほど詳しく」

 

 電話を切った右京の瞳が、鋭く光った。

 

「モルダー捜査官。どうやらこの事件、宇宙の彼方から来た客よりも、ワシントンD.C.の高級住宅街に住む住人の方が、深く関わっているようです」

 

 その様子を、数メートル離れた黒塗りのセダンの中から見つめる男がいた。男は音もなく窓を開け、一本の煙草に火を付ける。煙の向こう側で、ウォルター・スキナー副長官が男――スモーキング・マンに対して低く言った。

 

「あの日本人は予定外だ。追い出すべきでは?」

 

 スモーキング・マンは、右京がピンセットで掲げている金歯を見つめ、静かに煙を吐き出した。

 

「……いや。東京のシャーロック・ホームズを地下室に閉じ込めておけるか、試してみるのも一興だ」

 

 

 FBI本部のクリーンなラボ。

顕微鏡のライトが、右京が拾い上げた「金歯」を白く照らし出していた。

スカリーはモニターに映し出されたスペクトル分析の結果を見つめ、信じがたいといった表情で首を振った。

 

「杉下警部、あなたの指摘通りです。

この金歯の表面には、極薄いパラジウムの膜がコーティングされていました。それが一種の絶縁体となり、高熱の液状化現象からこの一点だけを守った……。つまり、犯人はこの人物が『金歯を装着していること』を知っていた、あるいはこれを残すことで何らかのメッセージを送った可能性があります」

 

「なるほど。偶然ではなく、必然であったわけですねぇ」

 

 右京は感心したように頷きながら、手元のタブレットで亀山薫から送られてきた資料をめくっていた。そこには、日本で詐欺を働いたコンサル会社『パンドラ・リミテッド』のロゴマークが写っている。

 

「スカリー捜査官。このロゴ、どこかで見覚えはありませんか?」

 

 覗き込んだモルダーが、吐き捨てるように言った。

 

「……ルーシュ・コンサルティング。FBIの機密サーバーをメンテナンスしている外部団体だ。スカリー、僕らがこれまで追いかけてきた『軍の秘密実験』の資金源も、辿ればここに行き着く」

 

「ええ。そして亀山くんの情報によれば、この会社は5年前、東京で不自然なほどの土地買収を行っています。その買収資金の出所は不明。まるで、存在しない幽霊が金を動かしているようです」

 

 その時、ラボの自動ドアが勢いよく開き、スキナー副長官が険しい表情で踏み込んできた。

 

「そこまでだ。モルダー、スカリー。この件は今しがた司法省の管轄に移った。証拠品はすべて没収、捜査は打ち切りだ。……杉下警部、あなたもだ。日本大使館から帰国命令に近い要請が出ている」

 

「おやおや。まだ研修期間は残っているはずですが?」

 

 右京は眼鏡のブリッジを押し上げ、スキナーの瞳の奥にある「焦燥」をじっと見つめた。

 

「副長官。上からの圧力に屈するのは、日本の警察上層部だけで十分ですよ。……ところで、今あなたのポケットで震えているその電話。出る必要はないのですか? もしかすると、その『幽霊』からの連絡かもしれませんよ」

 

 スキナーの顔が強張る。モルダーはニヤリと笑い、スカリーは右京の度胸に目を見開いた。

 

 ワシントンの夜景を見下ろす一室で、スモーキング・マンは電話を置き、灰皿に短くなった煙草を押し付けた。

 

「……杉下右京、か。細かいことが、これほどまでに不愉快だとは思わなかったよ」

 

 

 公式には「捜査終了」を告げられた翌日。

右京は、モルダーに連れられメリーランド州の場末にある『ローン・ガンメン』の本拠地を訪れていた。

薄暗く電子機器の熱気が籠もった室内で、三人の風変わりな男たちが右京を値踏みするように見つめる。

 

「モルダー、正気か? 日本の警察官を連れてくるなんて。彼は政府の盗聴器を仕込んでいないだろうな?」

 

 長髪のラングリーが、いかにも疑り深げに眼鏡の奥の目を細めた。

 

「心配いらないよ。彼は僕らと同じ『組織』に嫌われている男だ」

 

 モルダーの紹介に、右京は恭しく会釈を返した。

 

「初めまして。皆さんのような高度な技術を持つ『真実の守護者』にお会いできて光栄です。……おやおや、そのサーバー、冷却ファンから僅かな異音がしていますねぇ。ベアリングの摩耗でしょうか?」

 

「……。一瞬でそこを見抜くとは、面白いおっさんだ」

 

 恰幅の良いフロヒキーが、呆れたように笑った。

右京は懐から、没収される直前に複写しておいた「金歯のコーティング成分」のデータシートを取り出した。

 

「ローン・ガンメンの皆さん。皆さんのハッキング能力で、この『パラジウム・コーティング』に使用された特殊な触媒の購入ルートを洗っていただけませんか? 日本の『パンドラ・リミテッド』がシンジケートと資金をやり取りする際、必ず通るはずの『中継地点』があるはずです」

 

 三人がキーボードを叩き始めたその時、モルダーの携帯電話に一通の匿名メッセージが届いた。それは、スキナー副長官からの「暗号化された座標」だった。

 

「スカリー、スキナーが動いた。表向きは僕らを謹慎に追いやりながら、裏では『ルーシュ・コンサルティング』が今夜、秘密裏に重要資料を破棄する場所を教えてくれたんだ」

 

 モルダーが興奮気味に告げる中、右京はラングリーのモニターを指差した。

 

「モルダー捜査官。スキナー副長官の座標も重要ですが、見てください。この資金洗浄のリスト……。1973年、つまりあなたの妹さんが失踪した年に、多額の使途不明金が日本の『ある研究所』へ送られています」

 

 モルダーの顔から血の気が引いた。右京の論理は海を越え、数十年の時を超えて、一つの残酷な可能性を浮き彫りにし始めていた。

 

「……日本だと? サマンサの件が、なぜ日本と繋がるんだ?」

 

「それはこれから、僕たちが突き止めるべきことの一つですよ」

 

 右京の静かな言葉が、電子音だけが響く室内に重く落ちた。

 

 

 メリーランド州、海岸沿いに佇む廃液処理場。潮風に混じる異臭と、何かが焦げる鼻を突く臭気が辺りに立ち込めていた。

スキナーが示した座標、その最深部にある焼却炉の前に、右京、モルダー、そしてスカリーの三人は潜んでいた。

 

 数人の男たちが、無機質な動作で段ボール箱を次々と炎の中へ投げ入れている。その中に、例の「ルーシュ・コンサルティング」のロゴが見えた。

 

「……あれを止める。杉下、君はここで待て」

 

 モルダーが小声で告げ、グロック22の安全装置を外した。だが、右京は動かなかった。眼鏡の奥の瞳は、炎を見つめる男たちの一人に釘付けになっていた。

 

「モルダー捜査官。待ってください……。あの男、歩調が不自然です。左右の足音が全く同じ、そして瞬きの回数が先ほどから一度もありません」

 

 右京の警告が終わるより早く、モルダーが飛び出した。

 

「FBIだ! 手を上げろ!」

 

 次の瞬間、現場の空気が凍りついた。

作業をしていた一人の男が、スローモーションのように首をこちらへ向けた。その動きは生物的な滑らかさを欠き、まるで歯車が噛み合うような正確さだった。

男が懐から取り出したのは、銃ではなかった。細長い、アイスピックのような武器。スカリーが発砲した弾丸は正確に男の胸部を撃ち抜いた。

 

「スカリー、下がれ!」

 

 モルダーの叫びが響く中、右京は信じがたい光景を目撃した。

撃たれた男の傷口から流れたのは、赤い血ではなく、緑色に発光する粘液だった。粘液が地面に触れると、アスファルトがシュウシュウと音を立てて溶け始める。森で見た「液状化した死体」と同じ光景だった。

男は倒れるどころか、人間では不可能な角度で膝を曲げ、弾丸のような速度でモルダーへ肉薄した。その顔は、炎に照らされてもなお、一切の感情を宿していない。

 

「おやおや……。これは科学的な説明以前に、生命の定義を書き換える必要がありますねぇ」

 

 右京は恐怖に竦むのではなく、極限の知的好奇心と、それ以上に強い「拒絶感」を露わにした。彼が手にしたのは、現場の隅に置かれていた消火用の砂バケツだった。

 

「モルダー捜査官、伏せなさい!」

 

 右京が放り投げた砂が、男の青白い傷口に浴びせられる。一瞬、化学反応のような激しい閃光が走り、男の動きが止まった。その隙に、モルダーが男の背後からタックルを見舞う。

 

 激しい衝突音と共に男が壁に叩きつけられた瞬間、男の体は急激に膨張し、次の刹那、音もなく「崩壊」した。残ったのは、強烈なオゾンの臭いと、地面にこびりついた青いシミだけだった。

 

 静寂が戻った廃液処理場で、スカリーは荒い息をつきながら、自身の医学的常識が崩れ去る音を聞いていた。一方、右京は崩壊した「何か」が最後に守ろうとした、焼け残った一枚の紙を拾い上げていた。そこには、日本語の混じったリストが記されている。

 

「モルダー捜査官。……この『標的リスト』の一番上に、あなたの妹さんの名前、そしてその隣に『第73号・東京検体』という文字がありますねぇ」

 

 炎の照り返しの中で、右京の声だけが、冷徹なまでの輪郭を持って響いていた。

 

 

 メリーランド州からワシントンD.C.へ戻る車内は、重苦しい沈黙に支配されていた。ハンドルを握るモルダーの横顔には、かつてないほどの焦燥が滲んでいる。

 

「第73号……東京検体……。サマンサが日本へ送られたというのか? なぜだ、なぜそんな必要がある」

 

「モルダー捜査官、落ち着きなさい」

 

 後部座席で右京が静かに制した。その手には、先ほど現場から回収したリストの断片がある。

 

「おそらく、当時の日本には彼らにとって好都合な『何か』があったのでしょう。組織の隠蔽、あるいは実験。……おやおや、モルダー捜査官。ルームミラーを見ていただけますか? 先ほどから後ろを走る黒い車、車間距離を一定に保ちすぎているようですよ」

 

 モルダーがミラーを睨む。同時に、スカリーが握る携帯電話に一本のノイズ混じりの着信が入った。スキナー副長官からだった。

 

『……スカリー、聞け。私の端末が監視されている。君たちのIDは先ほど無効化された。容疑は「国家機密の漏洩および公務執行妨害」だ。FBIの捜査官が君たちを追っている。戻るな、逃げろ』

 

 通話が切れると同時に、スカリーは血の気が引くのを感じた。

 

「……もう、FBIの中にすら安全な場所はない」

 

「例のシンジケートが動くのがこれほど早いとは。僕としたことが、少々読みが甘かったようです」

 

 右京はそう言いながら、自身の携帯電話を操作した。国際電話のコール音が鳴り、数秒後に聞き慣れた威勢の良い声がスピーカーから響く。

 

『はい! 警視庁特命係、亀山です! 右京さん、またですか? さっき言われた1973年の事件、角田課長とヒィヒィ言いながら調べてますよ!』

 

「亀山くん、今すぐ警視庁のデータベースから、当時『厚生省』の傘下にあった製薬研究所と、FBIのルーシュ・コンサルティングとの接触記録を探して下さい。……ええ、それから。今の僕のGPS情報を追跡して、ワシントン郊外で最も『権力』が及びにくい場所……つまり、治外法権のエリアを特定して報告してください。いいですね?」

 

『ち、治外法権!? 分かりました! すぐやります!』

 

 電話を切った右京は、困惑するモルダーとスカリーに向かって、いつものように冷静な、しかしどこか楽しげですらある微笑を浮かべた。

 

「モルダー捜査官、スカリー捜査官。どうやらここからは、FBIのルールではなく、僕のルールで動いていただくことになりそうです。……モルダー捜査官、次の交差点を左です。そのまま加速してください」

 

 直後、背後の車が赤色灯を回し、猛烈な速度で追い上げてきた。ワシントンの闇が、三人の逃亡者を飲み込もうとしていた。

 

 

 ワシントン・ダレス国際空港の隅、一般の旅客機からは決して見えない無標識の貨物専用エリア。そこには、一台の小型輸送機がエンジンを微かに震わせて待機していた。

 

「スキナー副長官も、粋な真似をしますねぇ」

 

 右京は、タラップの上から霧に煙る滑走路を見つめていた。三人をここまで導いたのは、亀山薫が特定した日本の外交ルートと、スキナーが「公務外」として用意した軍用機だった。

 

「杉下、本当にいいのか? 君の国へ僕たちを連れて行くことで、君自身のキャリアも完全に断たれることになる」

 

 モルダーが、タラップを登りながら険しい表情で問いかけた。

 

「おやおや。今更、僕に失うキャリアなどあるとお思いですか? 僕は元々、日本では『人材の墓場』と呼ばれる場所に住んでいるのですよ」

 

 右京は小さく笑い、先に機内へ入った。

機内には、スカリーが広げたラップトップの明かりだけが灯っていた。彼女は、日本から届いたばかりの機密データを解析していた。

 

「杉下警部、亀山さんから届いた『厚生省・製薬研究所』の資料ですが……驚くべきことが分かりました。

1973年、そこではアメリカのルーシュ社から提供された『未知のウイルス』の培養が行われていた。そして、その被験体として登録されていた幼女のコードネームが――」

 

「『サマンサ』ですね」

 

 右京が言葉を引き継いだ。機内が静寂に包まれる。

その時、空港のゲートを突き破って数台の黒いセダンが猛スピードでこちらへ向かってくるのが見えた。シンジケートの「掃除屋」たちだ。

 

「モルダー、急いで! 奴らが来たわ!」

 

 スカリーが叫ぶ。モルダーはハッチを閉め、操縦席に合図を送った。

加速する機体の中で、右京は自身の携帯電話を再び取り出した。

 

「亀山くん、聞こえますか。……ええ、間もなく離陸します。到着予定時刻に合わせて、特命係の部屋を暖めておいてください。それから……甲斐さんにはアメリカから『極めて重要な客人』を連れて帰ると伝えてくれますか?」

 

『了解です、右京さん! こっちも準備万端ですよ! 捜査一課の伊丹たちがうるさいですけど、何とか撒いておきます!』

 

 爆音と共に、輸送機は重力に抗って空へと舞い上がった。窓の外では、追っ手の黒い車たちが豆粒のように小さくなっていく。

ワシントンの地下室から、東京の「陸の孤島」へ。

サマンサという名の、失われた真実を求めて。

 

 雲を抜けた高度一万メートル。右京は、モルダーから渡された紙コップのコーヒーを一口飲み、静かに言った。

 

「さて……。次は僕のフィールドで『細かいこと』を洗い直しましょうか」

 

 

 深夜の警視庁、「陸の孤島」特命係の部屋には、場違いな英語とコーヒーの香りが満ちていた。

 

「うわあ……本当にFBIだ。本物なんですね」

 

 亀山薫は、目の前のモルダーとスカリーを交互に眺め、落ち着かない様子で後頭部を掻いた。

 

「亀山くん、感心している暇はありませんよ。例の件はどうなりました?」

 

右京の催促に、薫は慌ててデスクの上の分厚いファイルを広げた。

 

「はい! 1973年当時の『厚生科学研究所』表向きはワクチンの開発拠点でしたが、実際には政府直轄の極秘プロジェクト……コードネーム『白百合』の実験場だったようです。当時、そこで雑用係をしていた男を世田谷の養護施設で見つけました。ただ……」

 

薫の表情が曇った。

 

「……俺が接触した直後、彼の身辺に『公安』が張り付いたみたいなんです。それも、通常の監視じゃありません。完全に消しに来ている……そんな殺気を感じました」

 

その言葉に、モルダーが反応した。

 

「『白百合』……。時間が経った今でも、その場所から何かが漏れ出すのを恐れているわけか」

 

その時、静かだった特命係のドアが開き、角田課長が顔を出した。

 

「よぉ、杉下、暇……じゃなさそうだな」

 

角田は部屋に漂う殺気と、見慣れない外国人の姿に瞬時に状況を察し、声を低めた。

 

「下、大変なことになってるぞ。公安の連中が『重要参考人の保護』を名目に、この部屋に向かってる。」

 

「おやおや。夜這いのような真似をされるとは」

 

右京は落ち着き払って紅茶を一口啜ったが、その瞳は冷たく冴え渡っていた。

 

「残念ながら、東京の夜もワシントンと同じくらい騒がしくなりそうです。……亀山くん、君の車を正面玄関ではなく、地下の霊安室通用口に回して下さい。あそこなら、僕の『古い知人』が少しだけ目を瞑ってくれるはずです」

 

 右京は、デスクの引き出しから古い地図を取り出した。それは、現在の地図からは消された武蔵野の森奥深くを指していた。

 

「公安がここへ辿り着く前に、僕たちは『幽霊』に会いに行かなければなりません。……さぁ、行きましょうか」

 

 一行が部屋を飛び出した数分後。

特命係の扉を蹴破るようにして、黒いスーツの男たちがなだれ込んだ。しかし、そこには空になったティーカップと、まだ温かいコーヒーの残り香だけが虚しく漂っていた。

 

 

 武蔵野の深い森の奥、月明かりすら届かない場所に、その廃墟は眠っていた。

「厚生科学研究所」跡地。

鉄格子の嵌まった窓と、ひび割れたコンクリートの壁が、かつてここで行われた非人道的な営みを無言で告げている。

 

「……ここだ。ここなんだな、杉下」

 

 モルダーの声は、夜の静寂の中で微かに震えていた。懐中電灯の光が、埃の舞う廊下を照らし出す。その最奥、薫が手配した老雑用係の男が、古びた守衛室の椅子に深く沈み込んでいた。

 

「あんたら、本当に来たのか……。あの子の話を、聞きに……」

 

 男の掠れた声が響く。彼は、長い間秘匿されてきた「白百合プロジェクト」の生き証人だった。

 

「1973年。アメリカから、一人の少女が運び込まれた。名前はサマンサ。……あの子は、ここの地下室で『宇宙のウイルス』を植え付けられたんだ。

日本が選ばれたのは遠く離れた地でありながらアメリカ側の言い分が通りやすく、戸籍を自由に操作できる『影の役人』がいたからだ。あの子は、最初からこの世に存在しない人間にされたのさ……」

 

モルダーが男の肩を掴んだ。

 

「妹はどこへ行った!? 彼女はまだ生きているのか!」

 

 男が泣きそうな顔で首を振った時、背後から静かな、しかし有無を言わせぬ声が響いた。

 

「モルダー捜査官。……その問いの答えは、彼が持っているものではありません」

 

 右京が、懐中電灯で床の一角を照らした。そこには、不自然に色が違うタイルの継ぎ目があった。

 

「老紳士。あなたが隠し続けてきたのは、恐怖ではなく、自責の念ですね?

あなたは、実験に耐えかねて息絶えた少女を、独断で外の世界へ逃がそうとした。だが、それは叶わなかった……」

 

 右京は、しゃがみ込みタイルの一部を外した。そこにあったのは、小さな錆びついた金属製のオルゴールだった。

 

「……モルダー捜査官。これを。」

 

 モルダーが震える手でそれを受け取り、蓋を開ける。

途切れ途切れに流れ出したのは、かつて二人が幼い頃に口ずさんだ子守唄のメロディだった。

 

「サマンサ……」

 

 モルダーの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。それは、ずっと追い続けてきた宇宙人による「拉致」という幻想が、あまりにも人間臭く、残酷な「実験の犠牲」という真実に上書きされた瞬間だった。

その時、廃墟を囲むように数十本もの赤いレーザーサイトの光が差し込んだ。

 

「そこまでだ。全員、動くな」

 

拡声器を通した、公安の冷徹な声が響く。建物は完全に包囲されていた。

 

「モルダー。……真実は、残酷なものね」

 

 スカリーが彼の肩に手を置く。

モルダーはオルゴールを強く握り締め、虚空を見つめたまま立ち上がった。その顔には、絶望ではなく、ある種の「覚悟」が宿っていた。

 

「……いや、スカリー。これこそが、僕たちが求めていたものだ。形のない光(UFO)を追う日々は終わった。これからは、血の通った『悪意』を相手にする番だ」

 

「おやおや」

 

 右京は、迫りくる公安の足音を聞きながら、ゆっくりと立ち上がり、眼鏡を直した。

 

「……どうやら僕たちの捜査も、ここからが本当の『正念場』のようですねぇ」

 

 

「……全員、銃を下ろしなさい」

 

 静寂を切り裂いたのは拡声器の怒号ではなく、ハイヒールの乾いた足音と、冷徹な女性の声だった。

廃墟の入り口から現れたのは、内閣情報官・社美彌子。彼女の背後には、公安の精鋭たちを制止するように、警察庁次長・甲斐峯秋が泰然自若とした面持ちで立っていた。

 

「社さん……。それに甲斐さんまで」

 

薫が呆気に取られる中、右京は平然と眼鏡を直した。

 

「おやおや。わざわざこんな辺境まで、お迎えに預かるとは」

 

「杉下さん、冗談を言っている場合ではありませんよ」

 

 社はモルダーとスカリーを一瞥し、手元にあるタブレットを右京に向けた。

 

「アメリカの『ローン・ガンメン』と名乗るグループが、FBIの機密サーバーから抽出したデータを世界中に拡散し始めました。内容は、1970年代の日米共同実験……。これ以上の強硬策は、日本政府にとって火に油を注ぐだけです」

 

「……つまり、我々は『お咎めなし』ということでよろしいですね?」

 

 右京の問いに、甲斐峯秋が重々しく口を開いた。

 

「君たちがここで見たものは、公式には『存在しなかった』ことになる。モルダー捜査官、スカリー捜査官。君たちの帰国便は用意させた。……ただし、そのオルゴールは持ち出しを禁ずる」

 

モルダーが拳を握りしめたその時、右京が割って入った。

 

「彼はすでに『真実』という名の目録を胸に刻みました。……物は単なる依代に過ぎません。ねぇ、モルダー捜査官?」

 

 モルダーは右京の意図を汲み取り、ゆっくりとオルゴールを地面に置いた。

 

「……ああ。音色が聞こえなくても、僕にはもう、サマンサの声が聞こえている」

 

 数時間後。成田空港の滑走路。

朝焼けの中で、モルダーは右京と固く握手を交わした。

 

「杉下、君の言う『細かいこと』が僕の人生で最大の欠落を埋めてくれた。……いつか、UFO以外の何かが日本に現れたら、また呼んでくれ」

 

「ええ。その時は亀山くんが、宇宙人用の特製コーヒーを用意して待っていますよ」

 

 スカリーもまた、右京と社美彌子に敬意を込めた眼差しを送り、機内へと消えていった。

 

 ワシントンD.C.、重厚な石造りの一室。

窓の外に広がる曇り空を見つめながら、スモーキング・マンは一本の煙草を灰皿に押し付けた。

机の上には、日本の公安から送られてきた「破損したオルゴール」が置かれている。

 

「……杉下右京か」

 

男は、煙と共に深い溜息を吐き出した。

 

「真実を隠すことは容易いが、それを『正義』という名の顕微鏡で覗き続ける男を止めることは難しい。……日本という小さな島国に、これほどまで不快な、そして美しい論理の化身がいたとはな」

 

男は新しい煙草に火を付け、窓の外を横切る黒塗りのセダンを見送った。

 

「真実はそこにある……。だが、それを手にする資格があるのは、地獄の底まで『細かいこと』を追い続ける狂信者だけだ」

 

 一方、警視庁の特命係。

 

「右京さーん! 結局、宇宙人はいなかったんですか!?」

 

「おやおや、亀山くん。真実というものは、いつも僕たちのすぐ隣で紅茶の湯気のように揺らめいているものですよ」

 

そして角田課長が「暇か?」と入ってくる日常。

右京は、いつものように高い位置からティーカップに紅茶を注いだ。

 

【完】

 

 

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