【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】 作:ベイベ後藤
あらすじ:
休暇を利用しアメリカを訪れた杉下右京は、モルダーと共に「10年周期で消えるヒッチハイカー」の伝説が残るオハイオ州を訪れる。
オハイオ州北東部、見渡す限りのトウモロコシ畑を貫く州道。
夕闇と深い霧が混じり合い、視界を数メートル先まで奪っている。
車の助手席で、杉下右京は窓外の単調な風景を眺めていた。
「驚いたよ、杉下。君が本当に、僕の『休暇』の誘いに乗ってくれるとは」
ハンドルを握るモルダーが、少しだけ口角を上げた。
「おやおや、心外ですねぇ。僕はただ、あなたが仰っていた『アメリカの真の姿』というものに興味があっただけですよ。……もっとも、それがこれほど霧深い場所だとは思いませんでしたが」
右京は、そう言いながら手元の紅茶を一口啜った。
二人は、ある不可解な事件を追っていた。
この場所では、10年ごとに決まって若い女性のヒッチハイカーが忽然と姿を消すという。
目撃証言によれば、彼女たちは霧の中から現れ車に乗り込んだ直後、密室の車内から煙のように消え去るというのだ。
「スカリーは『集団ヒステリーか、巧妙な拉致事件』だと断定して、検死局の仕事に戻ってしまった。だが杉下、君なら分かるだろう? 現場に残されたのは、ただ一つ。シートを濡らす『冷たい海水』だけだ。ここは海から300キロも離れているというのに」
「海水……。それは確かに興味深いですねぇ」
その時、ヘッドライトの光が霧の中に、白いワンピースを着た一人の女性の影を捉えた。
モルダーが急ブレーキを踏む。タイヤが砂利を噛む音が響く。
「……出たな」
モルダーが息を呑んだ。女性は力なく右手を上げ、こちらをじっと見つめている。その肌は死人のように青白く、服の裾からは水滴が滴っていた。
モルダーが窓を開けようとした瞬間、右京が鋭い声で制した。
「待ちなさい、モルダー捜査官。……まだドアを開けてはいけません」
「どうした? 彼女を助けるのが先だ」
「見てください、彼女の足元を。……霧の中に立っているはずなのに、彼女の影だけが『逆方向』へ伸びています。この場所には、街灯も、僕たちの車のライト以外の光源もないはずですが?」
右京の指摘に、モルダーが目を見開く。
次の瞬間、女性の姿がノイズのように歪み、甲高い金属音と共に霧の中へ霧散した。車内には、強烈な潮の香りと、凍りつくような冷気が残された。
「……プロファイリングを訂正しましょう、モルダー捜査官」
右京は、女性が立っていた場所の地面を注視しながら冷徹な眼差しで言った。
「これは幽霊などという情緒的なものではありません。もっと物理的で、計画的な……『保存された記憶』の漏洩です」
翌朝、町の外れにある「ダイナー・ブルーミスト」
コーヒーの香りが漂う店内で、合流したスカリーは困惑を隠せない様子で小型の分析端末を右京とモルダーに突きつけた。
「昨夜、車内に残された水滴を分析したわ。モルダー、あなたの言う通りそれは海水だった。でも、ただの海水じゃない。塩分濃度と微細なプランクトンの死骸から見て、それは数千年前の地層に閉じ込められていた古海水よ。……杉下警部、あなたの国では地面から古い海が噴き出すなんて話、聞いたことがありますか?」
「おやおや。化石海水ですか。それは実に興味深いですねぇ」
右京は、運ばれてきたばかりのパンケーキには目もくれず、ダイナーの窓から見える巨大な銀色のドームを凝視していた。それは町の主要産業である『ノース・オハイオ深層地下貯蔵施設』の換気塔だった。
「スカリー、古海水の出どころはわかった。だが、なぜそれが『10年前のヒッチハイカー』の姿を形作るんだ?」
モルダーの問いに、右京が手元のメモ帳を広げた。
「モルダー捜査官。僕は今朝、この町の歴史を調べてみました。10年周期の失踪事件、その発生日は常に、あの貯蔵施設の『大規模な圧力放出作業』の日と重なっています。……そして、もう一つ、細かいことが気になりましてねぇ」
右京は店内に座る老人たちを指し示した。
「皆さん、同じメーカーの補聴器を付けておいでですが、奇妙なことに先ほどから誰一人として店内のBGMのリズムに乗っている方がいません。まるで、僕たちには聞こえない『別の音』を聞いているかのように」
その時、店内のテレビから緊急放送が流れた。
『霧の発生により、ルートを一時閉鎖します。住民は速やかに屋内へ――』
「始まったわ……」
スカリーが呟く。
「モルダー捜査官。昨夜の影の矛盾、古海水、そして不自然な補聴器。これらはバラバラの怪異ではありません。……あの施設は、地層深くの水を汲み上げる際、意図せず『この土地の記憶』を音波として再生してしまっているのではないですか?」
右京の仮説を遮るように、ダイナーの窓の外に深い霧が押し寄せてきた。霧の中から、再びあの白いワンピースの女性が現れる。しかし今度は一人ではない。
数人の「半透明の影」たちが、必死の形相で換気塔の方を指差し、音のない叫びを上げていた。
「助けを求めているんじゃないわ……」
スカリーが端末の波形を見て息を呑む。
「この影たちは、特定の周波数で共鳴している物質の塊よ!」
「おやおや。どうやら、この町の人々が補聴器で隠しているのは、難聴ではなく、地下から漏れ出す『死者の悲鳴』のようですねぇ」
右京の言葉が終わるか終わらないかのうちに、店内の老人たちが一斉に立ち上がり、感情のない目で三人を取り囲んだ。
包囲した老人たちは、一言も発しない。ただ、補聴器から漏れる微かなノイズだけが湿った空気の中で不協和音を奏でていた。
「モルダー、彼らの様子がおかしいわ。瞳孔が散大している。まるである種のトランス状態よ」
スカリーが警戒しながら後ずさりする。
「おやおや。どうやら彼らは、自分の意思で動いているわけではなさそうですねぇ」
右京は、老人たちが一様に同じ方向……換気塔の方へ首を傾けていることに気づいた。
「彼らの補聴器は、外部の音を遮断するだけでなく、特定の低周波を受け取る『受信機』として機能しているようです。」
「杉下。……伏せろ!」
モルダーが店内の消火器を床に叩きつけた。噴出した白い煙が視界を遮る。その隙を突き、三人は裏口から霧の中へと飛び出した。
辿り着いたのは、町外れの古い家屋……かつての地質調査所だった。
カビ臭い資料の山をかき分け、右京は一冊の古い日誌を見つけ出した。
「モルダー捜査官。これを見てください。10年前の事故記録です。……『突発的な高圧噴出により、第4ピットが崩落。作業員2名と、近隣を走行中の車両1台が消失』。しかし、公式記録では『ガス爆発による損壊』と書き換えられています」
「消失……。あの古海水と一緒に、彼女たちは地底の裂け目に引きずり込まれたんだ」
モルダーが忌々しげに吐き捨てた。
「そして、この町の有力者たちは、その事実を認める代わりに『補聴器』を配った。……地下から漏れ出す、地層が軋む音。あるいは、犠牲者の叫びとも取れるあの共鳴音を、住民が『怪異』として認識しないように、ノイズキャンセリングで耳を塞いだんですねぇ」
「でも、なぜ10年経った今、彼女たちが現れるの?」
スカリーの問いに、右京は日誌の最後に挟まれていた施設のメンテナンス計画表を指差した。
「10年に一度、施設の底に溜まった古海水を一気に排出する工程があります。その際、地下の圧力バランスが崩れ、地層に刻まれた『過去の振動』が地表へと押し上げられる。……つまり、昨夜僕たちが目撃した彼女は、10年前のあの瞬間に彼女が味わった絶望の『再生』だったのです」
その時、家屋の薄暗い天井が激しく振動し始めた。
地響きと共に、換気塔の方角から巨大な「咆哮」のような音が響き渡る。
「おやおや……。どうやら施設側は、僕たちという『ノイズ』を消去するために、さらに出力を上げるつもりのようですねぇ」
窓の外を見ると、霧が海水のように重く立ち込め、その中に無数の青白く光る「影」たちが、怒りに震えながらこちらへと這い寄ってきていた。
地響きに導かれるように辿り着いた『ノース・オハイオ深層地下貯蔵施設』の深部。
そこには、数千年前の「海」を湛えた巨大な地下貯蔵湖が広がっていた。
水面は鏡のように静まり返っているが、空間全体が耳鳴りのような高周波に支配されている。
「いたわ。モルダー、あそこよ」
スカリーが指差した先、中央制御室のガラス越しに、一人の男が狂ったようにレバーを操作していた。
「すぐに音波出力を停止しろ! 町の住民たちが死んでしまう!」
モルダーが叫ぶが、男は血走った目で三人を振り返った。
「黙れ! 10年前の事故は、この地層が持つ『エネルギー』が引き起こしたものだ!
我々はそれを制御しようとしているだけだ。あの影が現れるのは、計算上の誤差に過ぎない!」
「誤差……。犠牲になった人々の人生を、随分と軽い言葉で片付けるのですねぇ」
右京の静かな声が、高周波のノイズを突き抜けて響いた。右京は男の手元ではなく、壁一面に並んだ圧力計の「針の揺れ」を凝視していた。
「おやおや。あなたが今、行っているのはエネルギーの制御などではありません。
古海水の共鳴を利用して、過去の記録を『上書き』しようとしているだけではありませんか? 事故の証拠を、さらなる強大な音波で粉砕するために」
その時、地下湖の水面が爆発したように盛り上がった。霧が質量を持ち、数人の「白い影」となって実体化する。彼女たちは苦悶に顔を歪め、こちらに向かって冷たい指先を伸ばしてきた。
「モルダー、撃っても無駄よ! 彼女たちは『音』そのものなんだから!」
スカリーの悲鳴と同時に、影の一人がモルダーの首を絞め上げる。その手は、氷のような海水でできていた。
「これ以上の出力は施設そのものを自壊させます。あなたが隠そうとしている10年前の真実が、瓦礫と共にこの町を飲み込むことになりますよ!」
「うるさい! 真実は沈んでいればいいんだ!」
男がスイッチに手をかけた瞬間、右京は自身のスマートフォンを施設のメインマイクに接続した。
「モルダー捜査官、スカリー捜査官! 耳を塞ぎなさい!」
右京が再生したのは、先ほどの家屋で録音した「ダイナーで流れていたBGM」の逆位相データだった。
「音には、音をぶつけるまでです!」
凄まじい衝撃波が地下空間を駆け抜けた。
実体化していた影たちが一瞬にして霧散し、男は操作盤と共に吹き飛ばされた。
制御室のガラスが粉々に砕け散り、静寂が戻る。しかし、右京の顔に安堵の色はなかった。
「……終わったわけではありません。モルダー捜査官、見てください。あそこを」
霧が晴れた地下湖の底から、10年間閉じ込められていた「本当の真実」が、静かに浮かび上がってこようとしていた。
静寂が戻った地下貯蔵湖の水面から不気味な泡と共にゆっくりと姿を現したのは、押し潰され錆びついた一台のセダンだった。それは10年間、高圧の古海水の中に「保存」され、闇に沈んでいた物理的な証拠だった。
「保存されていたのは、音波の記憶だけではなかったようですねぇ」
右京は、割れたガラスの隙間に引っかかっていた泥にまみれた茶色のバッグを拾い上げた。中から出てきたのは、一通の宛名のない手紙だった。
「……モルダー、見て。彼女はヒッチハイクをしていたんじゃないわ」
スカリーが手紙を読み、声を震わせた。そこには、10年前に町を離れ都会で病床にある母親へ向けた、娘の切実な想いが綴られていた。
「彼女は、ただ『帰りたかった』だけなんだ。この手紙を届けるために」
モルダーが車の残骸を見つめる。彼女たちが車に乗り込み、そして消えていったのは拉致された恐怖の再現ではなく、あの日、家へ帰ろうとして地底に飲み込まれた瞬間の強い未練のループだったのだ。
「あなたが『誤差』と呼んだ現象の正体は、彼女たちの『帰りたかった』という強い意志が古海水の振動に乗って放たれた、魂の遺言ですよ」
右京は、拘束された男を冷徹に見据えた。
「あなたが耳を塞いでも、地層そのものが真実を叫んでいた。……残念ながら、あなたが守ろうとした隠蔽の城は、あなた自身の手で壊されました」
数日後。オハイオの空は、ここ数週間の霧が嘘のように晴れ渡っていた。
道路の傍らには地元の遺族によって小さな石碑が建てられ三人は、そこを離れる準備をしていた。
「結局、幽霊の正体は『共鳴現象』だった、ということでいいのかしら? 杉下警部」
スカリーの問いに、右京は小さく首を振った。
「科学的な説明は、つくのでしょう。しかし、最後に僕たちの耳に届いた、あの静寂は説明のつかない『何か』が、安らいだ証拠だと僕は思いたいですねぇ」
「……全くだ」
モルダーが車のエンジンをかける。
「杉下、次はもっとマシな休暇を提案するよ。例えば、UFOの目撃情報が絶えないネバダの砂漠とかね」
「おやおや。砂漠は紅茶の淹れ方に苦労しそうですね。……ですが、悪くありません」
車が走り出すと、バックミラーに映る石碑の影が午後の光を浴びて長く伸びていた。もう、そこに影の矛盾はない。
「ところでモルダー捜査官。この町のコーヒー、やはり最後まで僕の口には合いませんでした」
「ハハッ、次は君の自慢の紅茶を御馳走になるよ」
アメリカの広大な風景の中へ、一台の車が消えていく。
真実はそこにあり、そして論理は、そのすぐ隣にあるのだ。
【完】