【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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時系列は前後しますがFBIでの研修最後の事件
あるエピソードに杉下右京が介入するIFです。


相棒編3話『海を越えてきた言霊』

 

 

サウスカロライナ州、ルーサー・ボッグス死刑囚が収監されている州立刑務所の接見室。

重苦しい空気と消毒液の匂いの中で、三人の捜査官が対峙していた。

 

 モルダーは、机の上に広げられた「誘拐された大学生カップル」の捜査資料を忌々しげに叩いた。

 

「スカリー、時間の無駄だ。ボッグスは、かつて僕が捕らえた。

彼は冷酷なサイコパスであり、人の弱みに付け込む天才だ。彼の言う『霊視』なんてものは、刑執行を遅らせるための姑息な嘘に過ぎない」

 

 スカリーは無言だった。彼女の瞳は赤く腫れている。

数日前に亡くなった父の葬儀から戻ったばかりの彼女は、ボッグスが口にした「星条旗のネクタイ」や「父の愛称」という、彼が知り得ないはずの情報に激しく動揺していた。

 

 その二人の間で、杉下右京は静かに、しかし鋭い眼差しでボッグスを見つめていた。彼はモルダーのように拒絶するでもなく、スカリーのように溺れるでもなく、ただ「観察」していた。

 

「おやおや。モルダー捜査官、そう決めつけるのは少し早いのではありませんか?」

 

 右京は、紙コップの紅茶を一瞥し、口を開いた。

 

「ボッグスさん。あなたが『見えた』と仰る大学生の居場所。……そこには『青い大きな十字架』と『白い天使の翼』があるそうですね」

 

 鉄格子の向こうで、ボッグスが奇妙に身体を震わせる。彼の瞳は焦点が合っていない。

 

「……そうだ。聞こえる……。水の中で、彼女が泣いている……。翼の下に、死が潜んでいるんだ……」

 

「杉下、やめるんだ。彼のパフォーマンスに付き合う必要はない」

 

 モルダーが苛立ちを露わにするが、右京はそれを手で制した。

 

「モルダー捜査官。彼は『見えた』と言いましたが、実は一度も『見た』とは言っていません。

ボッグスさん、もう一つだけ。あなたが先ほどから繰り返しているその指の動き……。それは何かを数えているのか、あるいは、何かを『打っている』のではありませんか?」

 

 ボッグスの動きが一瞬、止まった。彼はゆっくりと顔を上げ、右京を凝視した。その目は、獲物を狙う蛇のようでありながら、同時に底知れぬ恐怖に怯えているようにも見えた。

 

「……アンタ、誰だ? ……俺の中にいない、別の音がする……」

 

「日本の警視庁から研修で来ている杉下と申します。……ボッグスさん。あなたの言う『霊視』の正体が、もし天からの声ではなく、壁の向こうからの『信号』だとしたら……」

 

 右京の言葉が終わる前に刑務所内に鳴り響いたブザーが、三人を冷徹な現実に引き戻した。

 

 

接見室の外、無機質な廊下を歩きながら、モルダーは苛立ちを隠さずに吐き捨てた。

 

「杉下、あの男の指の動きが何であれ、彼がスカリーの父親について語った事実は変わらない。FBIの内部資料でも、彼のような凶悪犯が知り得ない個人情報だ」

 

「モルダー、彼は父が葬儀で締めていたネクタイの柄を正確に当てたのよ……」

 

 スカリーの声は震えていた。論理を重んじる彼女にとって、自身の感情が科学を追い越していく状況は耐えがたい恐怖でもあった。

右京は足を止め、廊下の高い位置にある小さな通気口を見上げた。

 

「スカリー捜査官、お辛いのは察しますが……。一つ、確認させてください。お父様がそのネクタイを選ばれたのは、いつのことですか?」

 

「……亡くなる数日前、最後に会った時よ」

 

「では、その時のお父様の様子を、誰かに話したり、あるいは日記に書いたりしたことは?」

 

「いいえ。誰にも……」

 

右京は小さく頷いた。

 

「なるほど。

ボッグスさんは、確かにあなたの『記憶』に触れたように見えますね。ですが、モルダー捜査官。先ほどの彼の指の動き……あれはタッピング・コード(Tap Code)でした。刑務所の壁越しに囚人同士が会話に使う、通信手段です」

 

「囚人同士の会話? それが誘拐事件とどう関係するんだ」

 

「ボッグスさんの独房の隣には、かつて通信会社でエンジニアをしていた詐欺犯が収監されています。

僕は今朝、この刑務所の収容名簿を確認しました。……もし、その詐欺犯が『外部』と連絡を取る手段を持っていて、それをボッグスさんに提供していたとしたら?」

 

「外部との連絡……。スカリーのプライバシーを盗み見る手段が、刑務所の外にあると言うのか?」

 

モルダーが身を乗り出す。

 

「おやおや。モルダー捜査官。今や情報はクラウドの中に漂う時代ですよ。

スカリー捜査官、あなたは葬儀の打ち合わせのために、お父様の遺品をスマートフォンで撮影し、バックアップを取りませんでしたか?」

 

スカリーの顔から血の気が引いた。

 

「……撮ったわ。葬儀屋に見せるために、父の生前の服装を数枚」

 

「ボッグスさんの隣人は、ハッキングの常習犯でもありました。彼がボッグスさんに情報を流し、ボッグスさんがそれを『霊視』として演じる。その見返りに、ボッグスさんは外の誘拐犯に、警察の捜査状況を『タッピング』で教えている……。これが僕の立てた仮説です」

 

「そんな……。じゃあ、彼は私の悲しみを、捜査を撹乱するための道具にしたっていうの!?」

 

スカリーの悲痛な叫びが廊下に響く。

 

「モルダー捜査官。今すぐそのハッカーの身辺と、外部への不審な通信記録を調べてください。

……ボッグスさんは、霊能力者などではありません。彼は、刑務所という閉鎖空間に蜘蛛の巣を張り巡らせた、希代の『情報屋』ですよ」

 

右京の瞳には、超常現象へのロマンも、ボッグスへの恐怖もなかった。ただ、パズルの最後のピースをはめようとする、純粋な探究心だけが宿っていた。

 

 右京の指摘を受け、モルダーは刑務所長を動かし、ボッグスの隣房にいたハッカー、ヴィクターの独房を強制捜索させた。

果たして、古いラジオの内部から刑務所のWi-Fiを密かにバイパスする改造チップが発見された。

スカリーのクラウドデータへのアクセス痕跡も、そこには克明に残されていた。

 

「……あなたの勝ちね、杉下警部」

 

 スカリーは、押収されたチップを見つめ、力なく笑った。父との再会を夢見た希望は、卑劣な犯罪の証拠へと姿を変えた。

 

「勝敗などではありませんよ。……ただ、ボッグスさんがこの『情報』を使って、外の誘拐犯に何を指示していたのか。それが問題です」

 

 三人は再び接見室へ戻ったが鉄格子の向こうで、ボッグスは不気味なほど静かに座っている。

 

「ハッキングの件はバレたようだな……。だが、どうかな? 刑事さん。

アンタの『論理』は、今この瞬間に彼女が味わっている恐怖を止められるか?」

 

 ボッグスが歪んだ笑みを浮かべた瞬間、接見室の電灯が激しく明滅し、気温が急激に下がった。モルダーが腰の銃に手をかける。

 

「誘拐された大学生の居場所を言え!」

 

「言ったはずだ……『翼の下』だと。……聞こえるか? モルダー。妹の叫び声が。……そしてアンタだ、スギシタ。アンタの頭の中に流れている、あの『絶望の旋律』が……」

 

 ボッグスの口から漏れ出たのは、右京がかつて特命係で、あるいはロンドンの下宿先で一人静かに聴いていた、チェロの無伴奏組曲の旋律だった。それは、ハッキングでは決して辿り着けない、右京の記憶の深淵にあるはずのものだ。

 

「おやおや。……僕の趣味をご存知のようで」

 

右京は眉一つ動かさず、ボッグスを正面から見据えた。

 

「ですが、音楽の趣味を当てることと、事件の解決は別物です。

モルダー捜査官。ボッグスさんが言った『翼の下』。……これは霊視などではありません。彼がタッピングで指示を出した、具体的な『犯行現場』の隠語です」

 

「どういうことだ?」

 

「ボッグスさんは、かつて造船所の溶接工でしたね。サウスカロライナの海岸線には、廃船となった旧式の救助艇が並ぶ墓場があります。その船の船底……つまり、水面下に突き出た『水中翼』の格納スペースです。満潮になれば、そこは完全に水没する」

 

「……あいつ、今度は物理的な密室に彼女を閉じ込めたのか!」

 

モルダーが身を翻し、電話へと走る。

ボッグスの笑みが消え、激しい痙攣が始まった。

 

「……消えろ……俺の中から消えろ! なぜアンタには、俺の『声』が届かないんだ!」

 

「ボッグスさん。あなたは人の心の隙間に『声』を投げ込むことで、自分を怪物に見せてきた。ですが、『事実』という名の欠片は、どうすることもできないんですよ。」

 

右京は、狂乱するボッグスに背を向け、静かに接見室を後にした。

 

 

 サウスカロライナの海岸、廃船が並ぶ「救助艇の墓場」

満潮の波が船体を叩く中、モルダーとスカリーは右京の指摘した旧式の水中翼船へと飛び込んだ。

船底のハッチをこじ開けると、冷たい海水が流れ込む狭い空間に、鎖で繋がれた大学生の姿があった。

 

「スカリー、急げ! 潮が上がってくる!」

 

 モルダーが鎖を切断しようと格闘する一方で、スカリーは被害者の意識を確認する。そのすぐ傍らには、ボッグスがタッピングで指示した通り、彼がかつて溶接したであろう「翼」の補強材が、鋭い牙のように突き出していた。

 

 同時刻。刑務所の独房。

杉下右京は、死刑執行を数時間後に控えたボッグスと、一対一で向かい合っていた。

 

「……助かったようですよ。今、モルダー捜査官たちの手で光の下へ連れ戻されました」

 

 右京の報告に、ボッグスは答えなかった。ただ、ガチガチと歯を鳴らし、死の恐怖に震えている。

接見室で見せた怪物のような余裕は、どこにもなかった。

 

「……アンタには、本当に何も聞こえないのか?」

 

ボッグスが掠れた声で問う。

 

「俺の周りに漂う、死者の叫びが。……アンタがさっき無視した、あのチェロの音……。あれは俺が盗んだんじゃない。アンタの背後に立つ『誰か』が弾いていたんだ……」

 

「おやおや。まだその芝居を続けますか」

 

右京は懐から一枚のプリントアウトを取り出した。

 

「あなたが口にした僕の愛聴曲。……確かに、ハッキングされたクラウドには入っていませんでした。ですが、僕が立ち寄ったこの街のレコード店。そこの防犯カメラに、僕を尾行するあなたの『共犯者』の姿が映っていましたよ」

 

ボッグスの瞳が大きく見開かれた。

 

「ハッカーのヴィクターは、外部の犯行グループと繋がっていた。彼らは僕という捜査官を揺さぶり、捜査を混乱させるために、僕が店で購入したレコードの銘柄をあなたに伝えた。……違いますか?」

 

「……」

 

「あなたが霊視だと言い張ったものは、すべて緻密に構成された『情報』のパッチワークに過ぎない。

……ボッグスさん。あなたは、死を恐れるあまりに『自分には特別な力がある』と思い込みたかった……。あるいは、そう周囲に思わせることで、自分の空虚な人生に意味を与えたかったのではないですか?」

 

ボッグスは、泣き出しそうな顔で笑った。

 

「……論理、論理か。……だがな、スギシタ。

スカリーの父親が言った『愛称』だけは……あれだけは、誰も知らなかったはずだ。ヴィクターも、俺も、犯行グループも……」

 

「ええ、その一点だけは、確かに物理的な説明がつきません」

 

右京は立ち上がり、コートの襟を正した。

 

「ですが、それはあなたの力ではない。……スカリー捜査官が、お父様を思うあまりに、あなたの口を借りて『聞きたい言葉』を聞いた。……心理学でいうところの投影に過ぎませんよ」

 

「……冷たい男だ」

 

「事実とは、常に冷徹なものです」

 

右京が独房を去ろうとしたその時、廊下のスピーカーから執行の準備を告げる無機質なアナウンスが流れた。

 

 死刑執行の時間が訪れた。

青白いガスが満ちる処刑室を、スカリーはガラス越しに見つめようとしていた。しかし、その肩をモルダーの手が強く制した。

 

「見るな、スカリー。彼に、君の心を与える必要はない」

 

 スカリーは微かに頷き、視線を落とした。

隣に立つ右京は、表情を変えず、ただ正確に刻まれる時計の秒針を見つめていた。やがて、医師によって執行の完了が告げられた。

ルーサー・ボッグスという怪物は、一人の怯えた罪人として、この世を去った。

 

 刑務所の重い門を出ると、サウスカロライナの夜風が三人の頬をなでた。

 

「杉下警部。あなたの言う通り、すべては彼の仕掛けた欺瞞だったのかもしれません」

 

スカリーが、どこか吹っ切れたような、それでいて寂しげな表情で言った。

 

「私が父の愛称を聞いたのも、きっと……私がそれを望んでいたからなのね」

 

「……スカリー捜査官。人が何を見、何を信じるかは、その人の自由です。たとえそれが科学的、論理的に否定されたとしても、あなたの中に残った温もりまでを否定する必要はありませんよ」

 

 右京の言葉に、スカリーは小さく微笑み、先に車へと向かった。残されたモルダーが、右京に歩み寄る。

 

「……杉下。君はボッグスに『防犯カメラに共犯者が映っていた』と言ったね。あれは本当か?」

 

右京は足を止め、月を見上げた。

 

「ええ、映っていましたよ。……ですが、彼が口にしたチェロの曲名までは、あの距離の防犯カメラでは特定できませんでした。

彼に突きつけたのは、あくまで僕の推測に基づいた『説得』です」

 

「……やっぱりな。君も、なかなかの演出家だよ」

 

モルダーが苦笑いする。

 

「だが、一つだけ聞かせてくれ。ボッグスが最後に言った言葉……君の背後に『誰か』が立ってチェロを弾いていた、という話。君には本当に、何も聞こえなかったのか?」

 

「おやおや。モルダー捜査官。僕が『何も聞こえなかった』と言えば、あなたは納得するのですか?」

 

「いや、君のことだ。何か『細かいこと』に気づいているんだろう?」

 

「……ボッグスさんが曲を口にした時、確かに風の音とは違う、かすかな震動を感じました。ですが、それは刑務所の古い換気扇が奏でる不協和音だったのか、あるいは……。

いずれにせよ、証明できないことは事実ではありません」

 

右京はそれ以上は語らず、ゆっくりと歩き出した。

 

 数日後。研修を終えた右京は、成田へ向かう機内にいた。

手元の文庫本を閉じ、ふと窓の外を見る。

雲海を越えて届く朝日の光の中に一瞬、見知らぬ老紳士がチェロを抱えて微笑んでいるような幻影を見た気がした。

右京は小さく首を傾げると、配られた機内コーヒーのカップを置き、独り言ちた。

 

「……やはり、紅茶でなければ落ち着きませんねぇ」

 

 真実は海を越え、論理の向こう側へと消えていく。

それでも、彼の耳の奥には、あの日ボッグスが口にした切なくも美しい旋律がいつまでも響き続けていた。

 

【完】

 




シーズン1の13話が好きです。
UFOや宇宙人の話しみたいな派手さがなくても良い回があったからXファイルって人気になったんだろうなって思う。
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