【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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[番外編]もしも相棒が神戸 尊だったら…

 

 

特命係の部屋は、午後の柔らかな日差しに包まれている。

神戸尊は、自身のデスクでタブレット端末を叩きながら不満げに眉を寄せた。

 

「杉下さん、いい加減に認めたらどうですか。このデータ、警察庁のデータベースから不自然に削除されてる。……誰かが意図的に隠蔽したとしか思えませんね」

 

 右京は、いつものように高い位置から紅茶を注ぎ、豊かな香りを楽しんでいた。

 

「おやおや。かつてその組織にいた君がそう言うのなら、よほどの事態なのでしょうねぇ、神戸くん」

 

「嫌味ですか。……僕はあくまで、非合理的な隠蔽が嫌いなだけですよ」

 

 神戸がため息をつき、炭酸水を一口飲んだその時だった。

右京のデスクトップパソコンが、聞き慣れない電子音を立てた。

 

「……? 杉下さん、メールですよ。暗号化されていますが……送信元は、海外」

 

 右京がマウスを操作し、メールを開く。

画面に現れたのは、かつてアメリカで共闘した、あの男の名だった。

 

「フォックス・モルダー捜査官ですか」

 

メールの内容は簡潔だった。

 

『友よ、日本ではどうだい?

僕たちが追っていた“青い血”のサンプルが、日本の物流ルートへ流出した疑いがある。

発信源は、東北の山中にある古い製薬会社の廃工場だ。……これ以上は、メールでは危険すぎる。信じられる者と共に動け』

 

「モルダー? ……あのFBIの、変人捜査官ですか?」

 

 神戸は訝しげに画面を覗き込む。

右京からアメリカでの一件を「非現実的なお伽話」として聞かされていた彼は、いまだにその実在を疑っていた。

 

「ええ。彼がわざわざ忠告してくるということは、事態は一刻を争うということでしょう」

 

右京の瞳に、鋭い知性の光が宿る。

 

「青い血……。製薬会社の廃工場。

……神戸くん、君の情報網で、東北の阿武隈高地に位置する施設を調べてもらえますか?」

 

「……。まさか、本当に行くつもりじゃありませんよね? オカルトめいたメール一本で」

 

 神戸は嫌そうな顔を隠さなかったが、右京の「確信」に満ちた表情を見て、観念したようにキーボードを叩き始めた。

 

「……ありましたよ。二十年前に閉鎖された『帝都バイオ化学・福島分室』。

……あれ、変ですね。閉鎖されているはずなのに、周辺の電力消費量が跳ね上がっている……」

 

右京は椅子から立ち上がり、コートを手に取った。

 

「おやおや。廃工場で電気が使われているとは、実に興味深いですねぇ」

 

「……。嫌な予感しかしないんですけど」

 

 神戸は、そう言いながらも無意識のうちに愛車GT-Rの鍵を手に取っていた。

それが、後に日本の警察機構を揺るがし、神戸尊にとっての「常識」という壁を粉々に砕く、凄惨な事件の始まりだった。

 

 

 二人を乗せたGT-Rが、霧に包まれた阿武隈高地の山道を鋭く駆け抜けていた。

ヘッドライトが照らし出すのは、生い茂る木々と「立ち入り禁止」の朽ち果てた看板だけだ。

 

「……信じられませんね。こんな山奥に、電力を大量消費している施設があるなんて。不法占拠か、あるいは……」

 

ハンドルを握る神戸の横顔には、隠しきれない緊張が走っていた。

 

「あるいは、組織的な『隠れ蓑』か。……どちらにせよ、穏やかではありませんねぇ」

 

 助手席の右京は、地図とモルダーのメールを照らし合わせながら、静かに窓の外を見つめていた。

やがて、霧の向こうに巨大なコンクリートの塊が姿を現した。『帝都バイオ化学・福島分室』。かつて日本の高度経済成長を支えた製薬会社の成れの果てだ。

 

 車を降りた二人の鼻をついたのは、薬品の刺激臭と――鉄錆のような、むせるような異臭だった。

 

「杉下さん、あそこ……」

 

 神戸がライトで照らした先、工場の通用口に「それ」は転がっていた。

作業員風の男の遺体。だが、異常なのはその色だった。

露出した皮膚は死後硬直を通り越し、不気味なほど白く変色している。そして、喉元から流れた液体の色は、月光を反射して不自然なほどの鮮やかな青を呈していた。

 

「おやおや……。モルダー捜査官の警告通り、というわけですか」

 

右京は手袋をはめ、遺体に近づく。

 

「な、なんですか、この色は……。

薬品を浴びたんですか? それとも、新種の着色料か何か……」

 

 神戸は科学的な説明を必死に探そうとするが、遺体の指先が「ピクリ」と動いた瞬間、言葉を失った。

死んでいるはずの男が、虚ろな瞳を開く。その眼球は、白眼までが深い青色に染まっていた。

 

「神戸くん、下がってください!」

 

 右京の鋭い声と同時に、遺体だった「モノ」が、人間とは思えない速度で神戸に向かって飛びかかってきた。

 

「うわっ……!」

 

 反射的に腕を交差させ、神戸は飛びかかってきた「モノ」を突き飛ばした。

常人なら吹き飛ぶはずの衝撃だが、男の遺体だったものは、獣のような着地を見せると、即座に次の一歩を踏み出してくる。

 

「何なんだよ、こいつは……! 杉下さん、下がって!」

 

 神戸は右京を背に庇いながら、鋭い回し蹴りを男の側頭部に叩き込んだ。手応えは十分。しかし、首の骨が鳴るような音がしたにもかかわらず、男は痛みを感じる様子もなく、青い液を口から撒き散らしながら再び立ち上がる。

 

「神戸くん、深追いは禁物です! 奥へ!」

 

 右京の指示に従い、二人は工場の重い防錆扉を突き破るようにして内部へ転がり込んだ。

背後で扉を閉め、閂を下ろした瞬間、外側から激しい打撃音が響く。金属が歪むほどの筋力だ。

 

「……はぁ、はぁ。杉下さん、今の……見ましたよね? 首があんな方向に曲がって、生きてるはずがない」

 

 神戸は、荒い息をつきながら懐中電灯で周囲を照らした。そこは、埃にまみれた巨大な実験室だった。

壁一面に並ぶ培養槽。その多くは割れているが、いくつかの水槽の中には、あの男と同じ「青い液体」が満たされ、何かが浮いている。

 

「おやおや……。これは製薬会社の設備というよりは、まるで……」

 

 右京は、床に散乱していた一枚の湿った資料を拾い上げた。そこには、二十年前の日付と共に、目を疑うようなプロジェクト名が記されていた。

『Purity Control― 日本人被験体における適合試験』

 

「……? 杉下さん、これ、どういう意味ですか。

帝都バイオは新薬を開発してたんじゃ……」

 

 神戸が資料を覗き込む。その横で、右京は端末のモニターが生きていることに気づき、キーを叩いた。

 

「どうやら、彼らが扱っていたのは『薬』ではなかったようですねぇ。

モルダー捜査官が追っていた“青い血”……エイリアンのウイルスを、日本の特定の遺伝子配列を持つ人間に定着させる。……ここは、そのための変異体を作る『工場』だったのですよ」

 

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、工場のスピーカーから不快なノイズが響き渡った。

 

『……招かれざる客が来たようだな。』

 

 合成されたような不気味な声が、実験室に反響すると同時に、工場のすべての出口のシャッターが、重々しい音を立ててロックされた。

 

「……! 杉下さん、閉じ込められました」

 

 神戸は、経験からくる直感で悟った。これは単なる事故ではない。自分たちは、誘い込まれたのだ。

 

 

「……誰だ。スピーカーの向こうでふざけているのは!」

 

神戸が鋭く天井を見上げるが、返ってくるのは電子的な笑い声だけだった。

 

「ふざけている? 心外だな。私は、この国の『上』の人間たちとも、かつては志を同じくしていた者だよ。」

 

「……上だと?」

 

 神戸の表情が凍りついた。スピーカーの声が語るニュアンスは、彼が触れたことのある、いくつかの「公にされない人脈」を想起させた。

 

「おやおや。組織の深淵にいた君なら、気づいても良さそうなものですがねぇ」

 

 右京は懐中電灯をモニターに向けた。そこには、二十年前に焼失したはずの『帝都バイオ』の極秘プロジェクトの続きが映し出されていた。

 

「この計画……日本人の特定の遺伝子、つまり『D系』の配列にのみ、エイリアンのウイルスを定着させる実験。もし成功すれば、特定の民族だけを『不老化』あるいは『兵器化』できる……。

彼らは、アメリカよりも先に完全な適合体を作ろうとしていたわけですか」

 

「杉下さん、冗談じゃない! そんなSF映画みたいな話……」

 

 神戸が反論しようとしたその時、実験室の奥から「シュウウゥ……」という、高圧の蒸気が漏れるような音が響いた。

暗闇の中、一つ、また一つと、青い燐光が灯る。それは培養槽の中で覚醒した、新たな「モノ」たちの瞳だった。

 

「……っ、冗談じゃないのは、あいつらの方みたいですね」

 

 神戸は懐中電灯を構え直した。一体ではない。暗闇に浮かぶ青い目は、十や二十ではきかなかった。

 

「神戸くん。一旦、ここは退きましょう。

幸い、君の愛車に積んである『機材』があれば、この電磁遮蔽された建物からでも救援を呼べるはずです」

 

「GT-Rですか? ……確かに、あいつには僕が特注した広域通信ブースターを積んでますけど……外に出られなきゃ意味がない!」

 

その時、頭上のスピーカーから再び声が響いた。

 

「脱出の鍵は、工場の中心部、地下のメインサーバー室にある。

そこまで辿り着ければ、シャッターを開けてやろう。……ただし、私の『子供たち』の空腹を満たすことができれば、だがね」

 

 ガリッ、とコンクリートを掻きむしる音が周囲から聞こえ始める。

神戸は苦々しく吐き捨てた。

 

「……全く、どこでも僕を酷使するのだけは共通してるみたいだ」

 

「おやおや。頼りにしていますよ、神戸くん」

 

 右京の冷静な言葉を合図に、二人は闇の中を走り出した。背後からは、人間とは思えない重い足音が、津波のように押し寄せていた。

 

 

「こっちです、杉下さん!」

 

 神戸は懐中電灯を片手に、右京を導きながら、複雑に入り組んだ配管の間を疾走していた。

彼の判断という光が、この暗黒の迷宮で唯一の道標となっていた。

背後からは、コンクリートを削る爪の音と、粘着質な足音が絶え間なく追いすがってくる。

 

「……っ、しつこいな!」

 

 狭い分岐路で、横のダクトから飛び出してきた変異体に対し、神戸は走りながら鋭い掌打を放った。

悶絶する「モノ」の喉元を、引き剥がすように突き飛ばしたその瞬間――。

ブシュッ、という嫌な音と共に、温かい液体が神戸の頬と右手に飛散した。

 

「……! 神戸くん!」

 

「大丈夫です、かすり傷……」

 

 言いかけた神戸の言葉が止まった。

ライトの光に照らされた自分の右手が、鮮やかな青色に染まっている。それは返り血ではない。

液体の触れた箇所から、皮膚の下の血管が浮き上がり、毒々しい青い脈動を始めていたのだ。

 

「な、なんだこれ……。熱い……いや、冷たいのか……?」

 

 神戸は足を止めた。視界の端が、じわじわと青い煤に覆われていく。

耳の奥では、キーンという高周波の不快なノイズ――右京がかつて語った「不協和音」が鳴り響き始めていた。

 

「神戸くん、しっかりしなさい!」

 

 右京が彼の肩を掴む。神戸の瞳の中、黒目の周囲がじわじわとサファイアのような青に侵食されているのを、右京は見逃さなかった。

 

「……杉下さん、僕の……僕の脳が、何か変な信号を……。こんなことは、ありえない……。こんなの、ただのウイルスなわけが……」

 

 神戸は膝をつき、激しい眩暈に襲われた。

彼の誇る「合理的な思考」が、自分自身の身体が「異物」へと書き換えられていく恐怖によって、音を立てて崩れていく。

 

「落ち着くのです、神戸くん。

君の遺伝子が抵抗している証拠ですよ。……モルダー捜査官も、かつて同じような危機に瀕したことがありました」

 

右京は周囲を警戒しながら、神戸の腕を自分の肩に回した。

 

「幸い、地下のサーバー室には、このウイルスの活動を抑制する化学物質があるはずです。……君を、化け物になどさせませんよ」

 

「……。嫌ですよ、あんな……青い顔の、変質者になるなんて……」

 

 神戸は意識が遠のきそうになるのを、自慢のプライドと右京への毒づきで繋ぎ止めた。

二人は、青い燐光を放ち始めた神戸の右手を道標にする皮肉な状況で、最下層のサーバー室へと続く最後の階段を下りていった。

 

 

 重厚な防護扉をこじ開け、二人は最下層のメインサーバー室へと滑り込んだ。そこは地上の廃墟とは対照的に、冷徹なまでの静寂と、無数のサーバーラックが放つ規則的な電子音に支配された空間だった。

 

「……着きましたよ、杉下さん。」

 

 神戸は壁に背を預け、ずるずると崩れ落ちた。右手の血管は今や不気味な青い光を放ち、その侵蝕は首筋まで這い上がっている。

 

「よく辿り着いたね、二人とも。」

 

 部屋の中央に巨大なホログラムが浮かび上がった。白衣を着た、実体のない老人が二人を見下ろしている。

 

「君の細胞は、驚くべき速度で『Purity』を受け入れている。……君は選ばれたんだ。

不完全な法に縛られるだけの人間から、真実を司る新人類へとな」

 

「……ふざけるな」

 

 神戸は青く染まった視界を必死に振り払い、ホログラムを睨みつけた。

右京は、その時すでに中央コンソールのキーボードに指を走らせていた。

 

「なにを無駄なことを。そのサーバーは独立している。外からの干渉は不可能だ」

 

「いいえ。僕はモルダー捜査官から、ある『鍵』を預かっていましてね。……かつて君たちの志を砕いた、アメリカの反逆者たちが残した暗号です」

 

 右京の指が、一定の速度でキーを叩いている。

画面上には複雑なDNA配列と、それに対する「中和プロトコル」の数式が展開されていく。

モルダーがメールに忍ばせていたのは、流出した「青い血」への対抗策となるデジタル・ワクチンだった。

 

「杉下さん……。頭の中で、誰かが、喋ってる……。何か……冷たい意志が……」

 

 神戸の瞳は今や、その大部分がサファイアのような光に支配されていた。

彼は自分の意志を保つため、爪が食い込むほど拳を握りしめている。

 

「神戸くん、僕の目を見なさい!」

 

 右京が叫んだ。それは、普段の冷静な彼からは想像もつかないほど激しく、魂を揺さぶる声だった。

 

「君は神戸尊だ。正義感の強い僕の相棒だ。……得体の知れない『意志』などに、その椅子を譲る必要はありません!」

 

右京の指が最後の一打を叩きつけた。

 

「……中和剤の生成を開始しました。神戸くん、耐えるのですよ!」

 

 サーバー室の奥で、自動化された薬品生成機が激しい駆動音を立て始めた。だが、それを阻止せんと、部屋の隅にあるメンテナンスハッチが開き、地上で二人が遭遇した「青い血のモノ」たちが、一斉に室内に雪崩れ込んできた。

 

「グルルッ……!」

 

 ハッチから這い出した変異体たちが、青い眼光を爛々と輝かせながら右京へと迫る。

右京は生成機の前に立ち塞がり、手近にあった消火器を手に取った。

 

「杉下さん……危ない!」

 

 床に伏したままの神戸が掠れた声で叫ぶ。

彼の視界は、もはや青い幾何学模様に埋め尽くされ脳内には冷たい命令が直接響いていた。

 

「……黙れ」

 

 神戸は歯を食いしばり、自分の脳を支配しようとする「意志」を力ずくで押し返した。

 

「得体の知れない命令なんて……聞くわけないだろ!」

 

 その瞬間、神戸の感覚が爆発的に拡張された。壁の向こうの足音、変異体たちの筋肉の収縮、そして工場全体の電子信号までが手に取るようにわかる。

 

「杉下さん、左です! 3秒後、ダクトからもう一体来ます!」

 

 右京は迷わず左へ回避し、背後から飛び出してきた個体に向けて消火剤を噴射した。視界を奪われた変異体がよろめく。

 

「次は正面……。その制御盤の、赤いケーブルを抜いて!」

 

 神戸は苦悶の表情を浮かべながらも、脳内に流れ込む工場のシステム情報を右京に伝えた。右京が指示通りにケーブルを力任せに引き抜くと、サーバー室の床から激しい火花が飛び散り、迫りくる変異体たちを電流の壁が阻んだ。

 

「お見事です、神戸くん。ですが……無理はいけません!」

 

 右京の視線の先、神戸の右手の青い光は、もはや発光体のように眩しく輝いていた。異能を使えば使うほど、ウイルスの侵食速度が上がっているのだ。

 

「……構いませんよ。僕が、化け物になるのが先か……あの薬が、できるのが先か……賭けましょうよ」

 

 神戸の鼻から、一筋の青い血が滴り落ちる。

ホログラムの老人が忌々しげに叫んだ。

 

「愚かな! その力は同胞を守るために与えられたものだ。人間という旧い殻を守るために使うなど、進化への冒涜だ!」

 

「進化なんて……柄じゃないんだよ……。僕は……人間でいたいんだ!」

 

 神戸の絶叫と共に、生成機が「ピーッ」という甲高い電子音を鳴らした。

 

「……完成しました!」

 

 右京が、透き通った緑色の液体が満ちたシリンダーを掴み取る。だが、電流の壁を突破した最後の一体が、右京の背後から鋭い爪を振り上げた。

 

「杉下さん!!」

 

 神戸の叫びと同時に、変異体の鋭い爪が右京の背後から振り下ろされた。右京は生成機を守るために回避が遅れる。その瞬間、床を蹴ったのは神戸だった。

青い燐光を放つその肉体は、限界を超えた反射速度で右京と変異体の間に割り込む。

 

「……させ、ない!」

 

 鈍い音と共に、変異体の爪が神戸の肩を深く切り裂いた。だが神戸は怯まない。変異した右腕の異常な怪力で、襲いかかった個体の首を掴み、そのまま壁のコンクリートへ叩きつけた。

 

「神戸くん!」

 

「いいから……早く! 薬を!」

 

 右京は迷わず、手に持っていた緑色の中和剤シリンダーを、神戸の首筋の静脈へ突き立てた。

 

「耐えるのです、神戸くん!」

 

 注入された液体が体内を駆け巡ると同時に、神戸の喉から獣のような咆哮が漏れた。

 

「があああああああっ!!」

 

 青い血と緑の薬が激しく衝突し、彼の体内は火を吹くような熱さと、凍りつくような寒さに同時に襲われる。視界を覆っていた青い幾何学模様が、ガラスが砕けるように音を立てて崩壊していく。

 

「馬鹿な……! 中和剤だと? せっかくの進化を自らドブに捨てるというのか!」 

 

 ホログラムの老人が逆上して叫ぶ。だが、その姿は次第にノイズで乱れ始めた。

 

「おやおや。あなたが言う進化など、実態のない、ただの幻だということですよ。」

 

 右京は、ぐったりと倒れ込んだ神戸を力強く支えた。神戸の右手の血管から、毒々しい青い光が消えていく。瞳のサファイア色も、元の知性溢れる黒へと戻りつつあった。

 

「……杉下、さん……」

 

神戸の声は、かすれているが、間違いなく人間のそれだった。

 

 右京が微笑んだその時、サーバー室全体が大きく揺れた。メインサーバーが火を吹き、連鎖的に工場の自爆シークエンスが起動したのだ。

 

「脱出しますよ、神戸くん!」

 

 右京は意識を失った神戸を、その細い身体からは想像もできない力で抱え上げた。背後では、唯一の「神」になろうとした老人のホログラムが、電子の塵となって消えていく。

 

「……モルダー捜査官。あなたの『鍵』、確かに使わせてもらいましたよ」

 

 燃え盛る工場の奥から二人の足音が、崩落の轟音に負けじと響き始めた。

 

 爆発の連鎖が工場の深部を揺らしている。

右京は、意識を失ったままの神戸を肩に担ぎ、崩落する天井の破片を避けながら、一階の搬出口へと辿り着いた。

 

 二人は、浮き上がった隙間に滑り込み、外へと脱出した。直後に背後で工場が轟音と共に崩落する。だが、瓦礫の中から生き残った変異体たちが這い出してきた。青い眼光が闇を埋め尽くしていく。

 

「……神戸くん、運転できますか?」

 

「愚問ですね。……僕を、誰だと思ってるんですか」

 

 神戸は不敵な笑みを浮かべ、運転席に滑り込んだ。エンジンが咆哮を上げ、タイヤがアスファルトを噛む。加速するGT-Rの背後で、工場が真っ赤な火柱を上げて爆発した。

 

 数時間後。福島県警のパトカーが到着する頃には、そこには巨大な火災跡があるだけだった。

 

「証拠はすべて、あの炎の中に消えましたね」

 

神戸はハンドルを握る右手の、わずかに残った青い痣を見つめた。

 

「いいえ。僕たちが生きている。それが何よりの証拠ですよ」

 

 右京は静かに、闇に沈む山並みを見つめていた。その手には、工場から持ち出したUSBメモリが握られている。

 

 

 数日後の特命係。

神戸は、いつものように炭酸水を口にし自身の体調を確認するように指を動かしていた。幸い、中和剤は完璧に機能し彼の血液から「青い成分」は検出されなかった。

 

「杉下さん、警察庁の上層部、必死ですよ。

帝都バイオの件を単なる失火事故として片付けようとね」

 

「『上』にとっては、それ以外の真実は不都合なのでしょう。……ですが、僕たちは知っています」

 

右京は淹れたての紅茶を一口すすり、モルダーからのメールを開いた。

 

 君たちの報告を読ませてもらったよ。

今回の犯人――その科学者の心理プロファイルは、僕が過去に追ってきた「神を演じようとする者たち」と酷似している。

彼らは自らの劣等感を、異星のテクノロジーという『万能の力』で埋めようとした。だが、本当に恐れていたのは進化の停滞ではなく、自分自身が「ただの人間」であることを認めざるを得ない孤独だったのだろう。

 

画面をスクロールし、モルダーは神戸尊という男についても触れていた。

 

 特筆すべきは、君の相棒、神戸尊だ。

彼は合理性を持ち合わせながら、自らのアイデンティティを脅かすほどの侵食を、個人の『プライド』という極めて人間的な感情で跳ね返した。

多くの被験者が集合意識に飲み込まれる中、彼が自我を保てたのは、彼の中に「信じるべき現実」が確立されていたからだ。

 

「……モルダー捜査官、買い被りすぎですよ」

 

 神戸は呆れたように笑ったが、その表情はどこか晴れやかだった。

 

「おやおや。僕も同感ですよ、神戸くん。君のその『美学』に、今回は助けられましたからね」

 

 右京は窓の外、広がる東京の空を見上げた。

真実は依然として闇の中かもしれない。だが、この狭い部屋で交わされる紅茶の香りと、相棒の小言だけは、何よりも確かな「現実」だった。

 

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