【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】 作:ベイベ後藤
西日が差し込む警視庁の陸の孤島――特命係の部屋。
使い込まれた英国製のティーカップの中で、透き通った色の液体が静かに揺れている。
杉下右京は、手元のタブレット端末に映し出されたノイズ混じりの映像を、眉間に微かな皺を寄せて凝視していた。
その映像は、昨夜からSNSで爆発的に拡散されている「奥多摩上空の怪光」を捉えたものだ。
光球は不自然な鋭角を描いて夜空を切り裂き、一瞬で山向こうへと消えている。その時、机の上の電話が、聞き慣れない電子音のパターンで鳴り響いた。
右京は視線を落とし、ディスプレイに表示された「+1」から始まる長い番号を確認すると、落ち着いた手つきで受話器を取った。
「はい、特命係の杉下です。……ええ、おはようございます。あるいは、そちらはこんばんは、でしょうか。モルダー捜査官」
受話器から漏れてくるのは、どこか熱を帯びた、しかし冷静な分析を伴う男の声だ。
『杉下、僕のメールは見たかい? 送った映像は、三日前にネバダ州のリサーチセンターが捉えた未確認飛行物体の飛行ログと、加速Gの数値が完全に一致している。
君の国に出現したそれは、単なる気象現象やドローンの不法投棄じゃない。……少なくとも、地球上の物理法則に従っているとは思えないね』
「おやおや、やはりそちらでも解析不能ですか。
光の屈折による虚像というには、あまりに規則的な軌道でしてねぇ。ですがモルダー捜査官、日本の公式見解としては、おそらく近隣の自衛隊演習場による照明弾の誤射、といったところに落ち着くのでしょう」
『歓迎のサインか、あるいは隠蔽の煙幕か。……スカリーは「新型の気象観測用バルーンが強風に煽られただけよ」と吐き捨てて、不機嫌そうに検死報告書の山に戻っていったよ。だが杉下、気をつけろ。その光が消えた場所には、必ず何かが“残されて”いるはずだ』
「……残されている、ですか」
右京が思考の海に沈もうとしたその時、部屋の扉が勢いよく開いた。
「ただいま戻りましたぁ、右京さん! いやぁ、法務省時代の後輩に捕まっちゃって。あ、コーヒー淹れます? 豆、いいやつ手に入ったんですよ」
入ってきたのは、冠城亘だった。仕立ての良いスーツを少し着崩し、鼻歌混じりに自分のデスクへと向かう。
彼は右京が受話器を置くのと同時に、慣れた手つきでミルを回し始めた。
「右京さん、またアメリカの変人……あ、失礼、モルダー捜査官ですか? 日本の空にUFOなんて、大抵は政治家や役人がスキャンダルを隠すために流す、古典的なスピンコントロール(情報操作)ですよ」
「冠城くん。君は相変わらず、ロマンよりも利権に鼻が利くようですねぇ」
「そりゃあ、元法務省ですから。……おっと、そうだ。右京さん、これ見てくださいよ」
冠城はコーヒーの手を止め、自分のスマートフォンを右京の目の前に差し出した。
画面には、一通のメールが開かれている。送信者は「風間楓子」。かつて週刊フォトスの記者として特命係と奇妙な縁を持ち、現在は海外へと拠点を移しているはずの女性だった。
「風間さんから、ですか。彼女、今はアメリカにいるのでは?」
「ええ、そのはずなんですけど。今朝、僕のアドレスにこれが届いたんです。件名は無し。ただ、一枚の写真と一言だけ」
右京が画面を覗き込む。そこには、深い森の中で撮影された、目を疑うような光景が写っていた。
木々の間に、一着の背広とシャツ、タイが「直立」している。まるで、誰かがそれを着て立っているかのような立体感だ。しかし、襟元から上には頭がなく、袖口からは手が出ていない。服の「中身」が、物理的に存在しないのだ。
「……? 冠城くん、これは、どういう状況ですか」
「俺に聞かないでくださいよ。合成写真かと思ったんですけど、楓子さんのメッセージには、こう書いてありました。
『冠城さん、これは特ダネなんてレベルじゃない。日本の空に“穴”が開いているの。私の後輩が、この服を残して消えた』って」
「空に、穴……」
右京の脳裏に、先ほどのモルダーの言葉が蘇る。
『その光が消えた場所には、必ず何かが“残されて”いるはずだ』
「撮影場所は特定できますか?」
「ええ。奥多摩のさらに奥、『十狼村』という過疎地です。……ただ、変なんですよ。ネットで調べても、最近の地図からは“国家戦略特区・エネルギー開発予定地”として、真っ白に塗りつぶされてるんです」
「真っ白、ですか」
右京はゆっくりと椅子から立ち上がり、窓の外の青空を見上げた。そこには、数千万人もの人々が信じて疑わない「日常」が広がっている。
「 ……エネルギー開発特区で、記者が中身のない服だけを残して消えた、と」
右京の瞳に静かな、しかし鋭い好奇心の炎が灯る。
「冠城くん。コーヒーは、帰ってきてからゆっくり頂くことにしましょうか」
「せっかくの豆が泣いちゃいますけど……。ま、右京さんがそう言うなら、真相を拝みに行きますか」
冠城は、わざとらしく肩をすくめ、車のキーを指先で回した。
東京都の最西端、地図の空白地帯へと続く国道411号線。
2人の乗ったスカイラインセダンは、青梅を過ぎたあたりから不自然なほどの静寂に包まれていた。
ガードレールの外側に広がる多摩川の渓谷美とは裏腹に、路上には数キロおきに「特殊工事中・関係者以外立入禁止」の立て看板が並び、その背後には民間警備会社のものとは思えない、鋭い眼光の男たちが点在している。
「……右京さん。さっきから一台もすれ違わないんですけど。
工事車両の一台くらいは、いてもいいはずですよね特区なんだから」
ハンドルを握る冠城が、ミラーを気にしながら独り言のように言った。
「ええ。それに、この先の検問所の数も異常ですねぇ。まるで、物理的な境界線だけでなく情報の境界線をも敷いているかのようです。」
右京は窓の外、鬱蒼と茂る杉林を見つめていた。その瞳には、すでにこの「特区」という言葉の裏に隠された欺瞞が映っているようだった。
やがて、視界が開けた先に「十狼村」の入り口が現れる。しかし、そこにあるのは、のどかな田舎の風景ではない。
村全体を囲むように、高さ三メートルを超える高電圧フェンスが張り巡らされ、その中央には、およそエネルギー施設とは思えない「巨大なパラボラアンテナ群」が、異様な威圧感をもって空を仰いでいた。
「おやおや? ……あれが次世代エネルギーの開発施設ですか。僕には、宇宙からの信号を拾うための巨大な耳に見えますがねぇ」
右京は車を降りるなり、双眼鏡を取り出してアンテナを観察し始めた。銀色の放物面は、太陽の光を鈍く反射し、時折「ギュイィ……」という低い駆動音を立てて角度を変えている。その動きは、雲の向こう側にある「何か」を追跡しているかのようだった。
「右京さん。ここからは別行動で行きましょう。
俺、ちょっと『法務省の威光』を借りて、あのゲートの中を視察と称して覗いてきますよ」
冠城が、内ポケットの身分証を確認しながら悪戯っぽく微笑んだ。
「おやおや。不法侵入で捕まらない程度にしてくださいね」
「大丈夫ですよ。俺の顔、まだ霞ヶ関じゃ『厄介なエリート』として通ってますから」
冠城は軽やかな足取りで、重武装の警備員が立つ正門へと向かっていった。一方、右京はフェンスの外側にわずかに残された、かつての集落の跡地へと足を向けた。
そこには、朽ち果てたバス停のベンチに、一人の老人が呆然と座り込んでいた。手には、空になった湯呑みを握りしめている。
「……こんにちは。少々お話を伺ってもよろしいですか?」
右京の穏やかな、しかし拒絶を許さない声に、老人はゆっくりと視線を上げた。
「……あんたも、スカイメンの仲間か?」
「スカイメン、ですか。それは、どなたのことでしょう?」
「空から降りてきた男たちだよ。数年前、あいつらが来てから村は死んだ。
土地を譲れ、家を壊せ、黙っていろ。……あいつら夜な夜な、あの大きなアンテナを使って、空に『何か』を投げ込んでるんだ」
「投げ込んでいる……。それは、光のようなものですか?」
右京の問いに、老人は震える手で空を指差した。
「目には見えん。だが、音がするんだ。
骨の髄まで響くような、不快な……音だ。
あいつらが何かを投げ込むたびに、空に『穴』が開く。」
右京の表情が険しくなる。風間楓子の言葉が、単なる比喩ではない可能性が強まった。
「その『穴』が開いた時、何かが起きましたか?」
「……記者の坊やが消えた。服だけ置いて、中身だけ、ひょいと空に吸い込まれていった。まるで、最初からそこには誰もいなかったみたいにな」
同じ頃。冠城はゲートの内側、管制棟と思われる建物に足を踏み入れていた。
「いやぁ、ご苦労様です。本省の調査で立ち寄らせてもらいましてね。……おっと、そこは機密ですか?」
冠城は、慌てて自分を制止しようとする職員を鮮やかにかわしながら、メインモニターの端に映し出された数値を確認した。
そこには、現在の「重力指数」という、通常のエネルギー施設ではお目にかかれない項目が表示されていた。そして、モニターの最下部には、英文でこう記されていた。
『PROJECT: BEACON ― STATUS: TRANSMITTING』
「……ビーコン、ね。何を送信しようとしてるんだか」
冠城がスマートフォンのカメラを向けようとしたその時、背後から冷徹な声が響いた。
「冠城亘さん。法務省の肩書きも、ここでは通用しませんよ」
振り返ると、そこには漆黒のスーツを纏い、感情を一切排除した眼差しを持つ男たちが立っていた。
彼らの胸元には、どの国の機関とも判別できない、奇妙なバッジが光っていた。
「……。歓迎の挨拶にしては、少々物騒じゃありませんか?」
冠城は両手を挙げながら、皮肉な笑みを浮かべた。だが、その背中には、かつてない冷たい汗が伝っていた。
村の境界線で、右京は老人の横に落ちていた「一片の布」を拾い上げた。それは、消えた記者のものと思われる、鋭利な刃物で切り裂いたような断面を持つ、ネクタイの端だった。
「……冠城くん。どうやら我々は、触れてはならない『神々の会話』を盗み聞きしてしまったようですよ」
空から「ギュイィ……」という、巨大なパラボラアンテナの駆動音が、再び不気味に響き渡っていた。
「法務省の肩書きが通用しない場所なんて、この国にあるんですか?」
冠城亘は、背後に立つ黒スーツの男たちを振り返り、余裕を崩さない笑みを浮かべた。しかし、向けられた銃口の冷たい質感と、一切の感情を排した男たちの眼差しは、ここが日本の法治国家の枠外にある「聖域」であることを雄弁に物語っていた。
男たちは、問いかけには答えずに冠城の腕を強引に掴むと、管制棟の奥にある貨物用エレベーターへと押し込んだ。
下降を示すインジケーターの数字が、地下三階、四階と刻まれていく。
「……随分と深く掘りましたねぇ。次世代エネルギーの開発には、モグラ並みの根気が必要だってことですか?」
皮肉を投げかける冠城だったが、重厚な金属扉が開いた先に広がっていた光景には、一瞬言葉を失った。そこは、無機質なコンクリートと最新鋭の光ファイバーが交錯する、広大な地下回廊だった。
ハニカム構造の隔壁が並び、白衣を着た技術者たちが、まるで行進するように無言で持ち場へと移動している。
冠城が連行されたのは、強化ガラスで仕切られた一室だった。内部には簡素なベッドと机、そして一台のモニターがあるのみ。
「ここでおとなしくしていてもらおう。君の『上』とは現在、調整中だ」
男たちは、そう言い残すと電磁ロックの重い音と共に姿を消した。
「調整中、ね。……俺を売るか、それとも共犯者にするか、迷ってるってわけだ」
冠城は、ふぅと溜息をつきベッドに腰を下ろした。だが、その瞳は鋭く部屋を見渡している。
彼は、密かに法務省時代のツテで入手した超小型の広帯域レシーバーを起動させた。
(……右京さん、聞こえてますか。地下五階相当。
ここには国家予算のどこにも載っていない、巨大な『頭脳』がありますよ。……それと、消えた記者の、ものらしき機材袋も。
彼、やっぱりここから『出された』んじゃなさそうだ)
一方、地上。杉下右京は老人の言葉を反芻しながら、さらに深く村を囲む森の奥へと足を踏み入れていた。
そこには、かつてこの村が「十狼」の名で呼ばれる前の、古い信仰の跡があった。
苔むした石碑が円を描くように配置されている。その中心点は、皮肉なことに、最新鋭のパラボラアンテナ群と一致していた。
「おやおや。古の信仰と最新の科学が、同じ座標を指し示しているとは」
右京は懐中電灯を向け、石碑の根元に堆積した腐葉土を慎重にかき分けた。そこには、老人が言っていた「青い火花」によって焼かれたような、結晶化した土壌が広がっている。
右京は、先ほど拾ったネクタイの端と、その結晶化した土を並べて観察した。
「……切断面の滑らかさ、そして周囲の植物に一切の燃焼痕がない。……これは火災でも爆発でもない。……物質の位相同期、あるいは……」
右京の脳裏に、一つの仮説が浮かび上がる。
彼は森を抜け、高台から村の全景を見下ろした。巨大なアンテナ群。それを取り囲むように配置された高電圧フェンス。そして、地下へと続く送電ケーブルの唸り。それらすべてが、一つの巨大な「回路」として右京の頭の中で繋がっていく。
「……クリーンエネルギーの開発など、単なるカモフラージュに過ぎない。
この村そのものが、一つの巨大な『転送装置』として機能しているというのですか」
アンテナは空を監視しているのではない。地下で増幅された莫大なエネルギーを、特定の座標へと収束させ、空間に「穴」を開けるための「指向性アンテナ」なのだ。
「投げ込んでいる、というのは……エネルギーそのものではなく、この場所にある『質量』を、向こう側へと送っているということでしょうか」
だとすれば、中身のない服を残して消えた記者は、中身だけが「どこか」へ転送されたことになる。その時、右京の耳元で小型レシーバーが激しいノイズを吐き出した。地下の冠城からの断片的な通信だ。
『……杉下さん。……地下の……モニターに……信じられない数値が……。……PROJECT: BEACON。これ、……呼び水だ。何かを……招き入れようとしてる。あ、誰か来――』
通信が途絶える。右京は表情を険しくし、眼下の巨大な施設を睨みつけた。
「……冠城くん。君が『厄介なエリート』として扱われている間に、僕は『厄介な探求者』として、その穴の正体を暴かせてもらいましょう」
上空では、厚い雲が渦を巻き始めていた。それは気象現象によるものではない。
村全体が巨大な磁場と化し、天を穿とうとするエネルギーの胎動が、奥多摩の静寂を塗り替えていく。
右京は、自身の端末からワシントンD.C.へ向けて、最後の一報を送った。
「モルダー捜査官。……どうやら、扉は内側から開けられようとしていますよ」
「……はいぃ? 重力が、マイナスを示しているというのですか」
右京は、旧日本軍の防空壕跡から地下施設へと繋がる狭い換気ダクトを這いながら、小型レシーバー越しに冠城の声を聞いていた。
地下の軟禁室。
冠城は、部屋の隅にある監視カメラの死角を利用し、唯一の外部接触点である食事搬送用のスロットを、預かっていた「ネクタイピン」を工具代わりにしてこじ開けていた。
「右京さん、ハッキングなんて真似はできませんがね……この部屋の計器が狂ってることくらいは、肌身で分かります。
……俺のネクタイが天井に向かって浮き上がりましたよ」
「冠城くん、そこを動かないでください。今、近くまで来ています」
ダクトの格子を蹴破り、右京が音もなく着地した。埃を払いながら立ち上がるその姿は、相変わらず冷静沈着そのものだ。
「助かりましたよ、右京さん。サンタクロースにしては、少々煙突の通り道が狭かったようですが」
「軽口を叩いている暇はありません。
アンテナが最大出力に達します。このままだと、この村ごと『向こう側』へ引きずり込まれますよ」
二人は、重力が不安定になり始めた回廊を走った。床に置かれた機材が浮き上がり、壁のボルトが次々と弾け飛ぶ。その途上、彼らは見てしまった。
中央制御室の奥、巨大な「光の筒」が虚空を貫いている場所を。そこには、衣服を失い、肉体そのものが「青い燐光」へと変換されつつある、人間の残骸――失踪した記者の成れの果てがあった。だが、それはもはや人間とは呼べないものだった。
彼の皮膚は透明化し、血管には血液ではなく「光の粒子」が流れている。
彼は「転送」されたのではない。この世界と向こう側を繋ぎ止めるための、生きた「座標」として固定されていたのだ。
「……彼が、消えた記者ですか」
冠城が息を呑む。彼が伸ばした手は、記者の「身体」をすり抜けた。そこには質量が存在しない。ただ「そこに彼がいた」という情報だけが、強引にこの次元に引き留められている。
「救出することさえ叶わないとは、あまりに悪趣味な実験ですねぇ」
右京の瞳に静かな、しかし激しい憤りが宿る。
施設全体が、獣のような低い咆哮を上げ始めた。地上にあるアンテナ群が、雲の向こう側にある「何か」と完全に同調し、目に見えないエネルギーの奔流を空へと吐き出している。
上空の雲が巨大な「目」のように開き、そこから目も眩むような青い光がゆっくりと降りてきた。それは、この村を丸ごと飲み込もうとする「異次元の口」だった。
「冠城くん、物理的に破壊します! 制御盤の主幹ブレーカーを落とすのです。システムを内側から沈黙させれば、ワームホールは自壊するはずです!」
「了解! 右京さん、これ、始末書じゃ済まない大惨事になりますよ!」
冠城は、重力に抗って床を這い、制御盤の頑強なレバーに手をかけた。背後からは、異変を察知した武装した男たちが迫っていた。だが、彼らの身体もまた、歪み始めた空間によって床へと縫い付けられていく。
「……モルダー捜査官。扉を、叩き壊させてもらいますよ!」
右京の叫びと共に、冠城が全身の体重をかけて巨大なレバーを引き下げた。その瞬間、地下施設を埋め尽くしていた青い光が、断末魔のような高音を立てて弾けた。
轟音。そして、視界のすべてを焼き尽くすような白い閃光。
主幹ブレーカーが落とされた瞬間、地下施設を支えていた異次元の重力バランスが物理的に崩壊した。
上空の巨大な「目」は、断末魔のような青い放電を撒き散らしながら、急速にその口を閉じていく。吸い込まれかけていた大気が一気に押し戻され、爆風となって十狼村の杉林をなぎ倒した。
「……右京さん……生きてますか!」
瓦礫の山となった中央制御室。冠城亘は、埃まみれのスーツを叩きながら、倒れていた右京の肩を支え上げた。
「……ええ。なんとか。……おやおや、冠城くん。君のネクタイ、ちゃんと重力に従っているようですよ」
右京は乱れたタイを指差し、微かに微笑んだ。だが、その視線の先――先ほどまで「記者の成れの果て」が、この世の座標として浮遊していた光の筒は、もはや影も形もなく、ただの焦げ付いた床板に戻っていた。
数時間後。夜明け前の十狼村に現れたのは、地元の青梅署でも、警視庁の機動隊でもなかった。
所属不明の黒い防護服に身を包んだ集団が、またたく間に村一帯を封鎖した。
彼らは負傷した村人や特命係の二人を「保護」という名目で隔離し、瓦礫の山となった施設から、あらゆるデバイスと残骸を組織的に回収していった。
「……手際がいいですねぇ。まるで、最初からこうなることが決まっていたかのような動きだ」
検問所の近くで、冠城が苦々しく呟いた。
彼の法務省時代のIDさえ、現場を仕切る指揮官には一蹴された。
「『国家安全保障上の最高機密』。便利な言葉ですね、右京さん。これ一つで、人間が消えた事実も、空に穴が開いた事実も、全部ゴミ箱行きだ」
「いいえ。……少なくとも、僕たちの記憶には残っていますよ」
冠城は黙ってスカイラインセダンのアクセルを踏み込んだ。
バックミラーに映る十狼村の入り口は、巨大な照明車に照らされ、異様な活気に溢れていた。そこにはもう、二度と「ただの村」には戻れない傷跡が刻まれている。
数日後の特命係。
杉下右京は、淹れたての紅茶を一口すすり、モルダーからの最後のレポートを開いた。
FROM: FOX MULDER
SUBJECT: The "scars" of Japan's sky
杉下、今回の君たちの行動は、ワシントンでも一部の『友人』たちの間で波紋を呼んでいる。
君たちが閉じたのは、単なるワームホールではない。
この世界と向こう側を繋ぐ、脆い境界線の『傷跡』だ。
消失したという人物は、おそらく向こう側の生命体にとって、こちら側を観測するための『生きたレンズ』にされたのだろう。
レンズが壊れた今、向こう側の視線は遮断されたが……扉が開いたという事実は消えない。
真実は依然として闇の中だが、君の相棒がレバーを引いたその勇気が、日本の『日常』を延命させた。……スカリーも、君たちの強運には呆れていたよ。
「……延命、ですか。モルダー捜査官も、相変わらず不気味な言い回しですね」
冠城が、今度は丁寧に淹れられたコーヒーを右京のデスクに置いた。
「おやおや。豆の香りが生きていますねぇ」
「そりゃあ、命懸けで帰ってきた後のコーヒーですから。
……あ、右京さん。楓子さんから追加の連絡。……彼女、しばらくアメリカにいるそうです。
モルダー捜査官に会いに行く、なんて冗談言ってましたけど。」
「……フフ。それは、僕たちにとっても、彼にとっても、新しい『厄介事』の始まりかもしれませんね」
右京は窓の外、広がる東京の空を見上げた。
青空はどこまでも澄み渡っている。だが、その「穴」が開いていた座標を、彼はもう二度と、ただの空として見ることはできないだろう。
「……さて。始末書の下書きを始めましょうか、冠城くん」
「えぇー……。それこそ、異次元に転送しちゃいたいですよ」
特命係に、いつもの軽口と紅茶の香りが戻ってきた。