【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】 作:ベイベ後藤
洞窟の奥へと進むにつれ、岩肌は滑らかな金属質の壁へと変貌を遂げていた。高く細い、チェロの旋律にも似た「響き」は、もはや耳ではなく脳を直接揺さぶっている。
突き当たりの広間には、無数のモニターと、巨大な音響増幅器のような装置が据えられていた。その中心に、一人の男が背を向けて座っている。
「……父さん?」
エレーナの震える声に、男がゆっくりと振り返った。白髪混じりの、疲れ果てた男。アーサー・ホロウェイその人だった。
「エレーナ……。来るなと言ったはずだ。ここは、ロジックが通用しない場所なんだ」
アーサーは力なく笑い、傍らにある装置を指差した。
「これを聞け。この周波数は、人間の脳が持つ『限界』を解除する。軍が三角形の偽物で遊んでいる間に、私は本物の『扉』を見つけたんだ」
モルダーがその装置に歩み寄る。
「あなたは、この音で人類の意識を変革しようとしているのか? それが、君がエリア51から持ち出した『真実』なのか」
「そうだ、モルダー捜査官。これさえあれば、争いも嘘も消える……」
しかし、右京はアーサーに駆け寄ることも、装置を調べることもしなかった。彼は入り口付近に立ち、広間にある「ある一点」をじっと見つめていた。
「感動的な再会ですが……。ホロウェイさん。一つ、伺ってもよろしいですか?」
右京の静かな声が、響きを切り裂いた。
「何だね、杉下警部。君のロジックで、この素晴らしい旋律を否定しようというのか?」
「いいえ。僕が気になっているのは、旋律ではありません。……あなたの『眼鏡』です」
アーサーが怪訝そうに顔を上げた。
「眼鏡……? これがどうした」
「あなたは先ほど、娘さんの姿を見て『エレーナ』と呼びましたね。ですが、あなたが今かけているその眼鏡。レンズの厚みから推測するに、かなり強い近視用のものです。しかし、エレーナさんが三日前に撮影した、失踪直前のあなたの写真……。そのあなたは、老眼鏡をかけていましたよ」
アーサーの表情が、凍りついたように動かなくなった。
「近視と遠視。その二つは、眼球の構造上、一晩で入れ替わるようなものではありません。
……ホロウェイさん。あなたは、エレーナさんを『見て』判別したのではない。……あらかじめ彼女が来ると知っていて、声だけで『演技』を始めたのではありませんか?」
「……何を……」
「さらに言えば、あなたが今座っているその椅子。……座面には、まだ新しい『別の誰か』の座り癖が残っています。
ホロウェイさん。……あなたは、アーサー・ホロウェイさんを『演じている』別の人物ではありませんか?」
右京の告発と同時に、エレーナが悲鳴を上げて後ずさった。
アーサーだと思っていた男の背後の闇から、一筋の紫煙がゆっくりと立ち上った。
闇の中から現れたのは、安物のコートに身を包み指の間に挟んだ煙草を、ゆっくりと燻らす初老の男だった。その瞳には感情というものが欠落しており、ただ深淵のような静寂だけを湛えている。
「……キャンサーマン」
モルダーの声が憎しみで震え、ホルスターに手を伸ばそうとした。だが、男――シガレット・スモーキング・マンは、それを気にかける様子もなく、ゆっくりと右京の方へ視線を向けた。
「驚いたな。クワンティコでの噂は聞いていたが……眼鏡の度数だけで我々の用意した『俳優』を見破るとは。
杉下警部、君の論理(ロジック)は、この国の官僚たちが書く退屈な報告書より、遥かに洗練されている」
「お褒めに預かり光栄ですよ。……ですが、人を騙すのであれば、もう少し細部に気を配るべきでしたね」
右京はモルダーの腕を制し、スモーキング・マンを一歩も引かずに見つめ返した。
「さて。本物のホロウェイさんは、どこにいますか? あなたがたが、わざわざこんな大掛かりなセットまで用意して彼を隠し、娘さんに『偽の再会』を演じさせた。……そこには、彼の命よりも優先すべき『目的』があるはずです。」
スモーキング・マンは深く煙を吐き出した。
「目的か。……君は、この洞窟を満たしている『音』をどう思う? 脳の限界を解除する旋律……。アーサーは本気でそれを信じていた。だが、我々が求めているのは、そんな博愛主義的な結果ではない」
「……この音は、指向性エネルギー兵器の基幹技術(プロトタイプ)ですね」
右京の言葉に、スモーキング・マンの眉が微かに動いた。
「三角形の偽装機で人々の目を空へ向けさせ、その裏で、この地下から『特定の周波数』を照射して、対象となる地域の人間を無力化、あるいはマインドコントロールする。
……アーサーさんは、その平和利用を夢見て研究していたが、あなたがたが、それを軍事転用しようとしたためにチップを持って逃げ出した……。違いますか?」
「……。」
「そして、あなたがたには、まだチップの暗号が解けていない。だからこそ、娘さんを使い彼を愛する者だけが知る『キーワード』を彼(俳優)の口から引き出そうとした……。ですが、それは失敗に終わりました」
右京は、装置の横に落ちていた「一枚のチェロの弦」を拾い上げた。
「あなたがたのロジックの死角。……それは、アーサー・ホロウェイという男が、科学者である前に、一人の『音楽家』であったことを軽視した点にありますよ」
スモーキング・マンが不敵に笑い、手に持っていた煙草を床に捨て、靴で踏み消した。
「……面白い。では、君ならどうする? 杉下右京。この場所は、すでに我々が制圧している」
「おやおや。制圧、ですか。……では、この洞窟の外で待機している、FBIのスキナー副長官のチームも、あなたの支配下にあるというのですか?」
スモーキング・マンの表情から、初めて余裕が消えた。
洞窟の外から、ヘリコプターのローター音が地響きのように伝わってきた。スモーキング・マンの眉が、不快そうに歪む。
「……スキナーか。彼は、いつもタイミングが悪い」
「いいえ。僕に言わせれば、最高に完璧なタイミングですよ」
右京は、先ほど拾い上げたチェロの弦を、指先でピンと弾いた。
「モルダー捜査官。今です!」
モルダーは、右京の合図と同時に、エレーナの肩を抱き寄せ広間の隅にある巨大な音響増幅器の陰へと飛び込んだ。直後、右京が持っていた「小石」が、装置の基盤にある特定の端子へ正確に放り込まれた。
――キィィィィィィィン!!
鼓膜を突き刺すような超高周波が、洞窟内に炸裂する。
スモーキング・マンと「俳優」の男は、激しい耳鳴りに悶絶し、膝をつく。
右京は、あらかじめ耳を塞ぎ冷徹に、その光景を見つめていた。
「スキナー副長官には、クワンティコを出る前に『特定の周波数を検知したら突入せよ』と伝えておきました。……今、この装置から放たれたノイズが、彼らの受信機のビーコンとなっているはずです」
洞窟の天井から岩屑が降り注ぎ、装置が激しい火花を散らす。過負荷による自爆シーケンスだ。
「杉下! 崩れるぞ!」
モルダーの叫びと共に、広間の壁が崩落し始めた。
スモーキング・マンは、立ち上がる煙の中で、苦痛に顔を歪めながらも右京を睨みつけた。
「……杉下右京。……君は……自分が何を……止めたか……分かっているのか……」
「ええ。あなたがたが作り上げた『偽りの神話』の終焉ですよ。……行きましょう!」
三人は、崩れ落ちる岩の間を縫うようにして、唯一「風」が流れ込んでくる細い隙間へと滑り込んだ。そこは右京が音の反響から計算した、最短の脱出ルートだった。
背後で、かつての「実験場」が轟音と共に埋まっていく。
外に出ると、そこにはネバダの冷たい夜風と、数機のアパッチ・ヘリコプター、そして重装備の特殊部隊を率いたウォルター・スキナーが待っていた。
「モルダー! 無事か!」
スキナーが駆け寄る。その顔には、隠しきれない怒りと安堵が混じっていた。
「スキナー副長官……危ないところでした」
モルダーが泥だらけの顔で笑う。一方、右京は埃を払いながら、脱出の際に握りしめていた「チェロの弦」を、そっとエレーナに手渡した。
「エレーナさん。ホロウェイさんは、まだ生きています。……この弦を見てください」
エレーナが弦を月光に透かすと、そこには微細な「傷」が、モールス信号のような規則性を持って刻まれていた。
「これは、お父様が遺した『真実の座標』です。……彼は、あなたがこれを見つけると信じていたようですねぇ」