【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】 作:ベイベ後藤
太陽は容赦なくその牙を大地に向けていた。
アリゾナ州、グランドキャニオン。
数億年の歳月が削り出した、その巨大な裂け目は剥き出しになった地球の血管のように赤く、そして深い。
観光客の喧騒が遠のくにつれ、世界を支配するのは熱風が岩肌を撫でる乾いた音だけになった。
サウスリムの展望台では、数人の熱心な写真家が、刻一刻と表情を変える峡谷の影を追っていた。
彼らにとって、この場所は永遠に変わらない静止した美の象徴だった。だが、その静寂は前触れもなく破られた。
――ズ、ズズズ……。
大地の底から、不気味な地鳴りが這い上がってきた。
カメラの三脚が微かに震え、谷底を渡る風の音が、まるで巨大な笛が鳴るような高周波へと変化する。
写真家の一人が不審げに顔を上げた瞬間、峡谷の遥か彼方、地図にない区域の岩壁が陽炎とは異なる空間の揺らぎに包まれた。
ゴォォォォォォォォン!
爆発音ではない。それは地球そのものが悲鳴を上げたかのような、重厚で圧倒的な質量を持った「音の壁」だった。
展望台にいた人々は、一斉にその方向を凝視する。
垂直にそびえ立っていた深紅の岩壁が一瞬にして霧散し、そこから白銀の閃光と琥珀色の巨大なエネルギーの塊が、砂埃とともに天に向かって噴出したのだ。
「……何だ、あれは! 火山か!?」
誰かが叫んだが、その声は続く衝撃波にかき消された。
青空の一角が噴出したエネルギーによって不自然に歪み、そこから巨大な翼を持った「影」が雷鳴とともに飛び出したように見えたのは、ほんの一瞬のことだった。
パークレンジャーの無線機が、緊急事態を告げるノイズで埋め尽くされる。
グランドキャニオンという悠久の時の流れが、人間の業と目覚めた神話の力によって今、決定的に打ち砕かれようとしていた。
視界が白一色に染まり、鼓膜を劈く轟音が意識を遠のかせる。
塔の爆発は地下空洞の物理的な構造を内側から食い破り、数億年の時をかけて積み上げられた地層を、巨大な噴火口のごとく天へと突き上げた。
モルダーが次に感じたのは、暴力的なまでの「上昇感」だった。
目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
サンダーバードの巨大な爪の中に守られながら、彼らは崩落する岩石の濁流を真っ逆さまに……いや、地上に向かって垂直に駆け上がっていたのだ。
「スカリー! 生きているか!」
「……ええ。なんとか。でも、重力加速度が異常よ。肺が押し潰されそう……」
スカリーはサンダーバードの爪の隙間から、背後で飲み込まれていく地下空洞を見下ろした。
爆発のエネルギーを背に受け、サンダーバードは自らを「生きたロケット」と化して、垂直の断崖を突破しようとしていた。
その時、爪の隙間から見えたのは、崩落した岩肌の向こう側に広がる「地上の断片」だった。
遥か上方のサウスリム展望台。そこでは、アリゾナの乾いた風に吹かれる観光客たちが、豆粒のような大きさで、驚愕に凍りついている。彼らから見れば、今まさに自分たちが立つ足元から、巨大な琥珀色の雷光と砂塵の柱が、空を裂いて噴き出しているように見えているはずだ。
「ヒーホー! お空が近いホー! でも、岩がいっぱい降ってくるホー!」
ジャックフロストが叫ぶ。爆発の衝撃波によって、かつて「プロジェクト・テンペスト」が調査した古い地層が次々と剥がれ落ち、巨大な岩塊が彼らの進路を塞ごうとしていた。
「フロスト、僕たちの『盾』になってくれ! 前方の崩落を凍らせて、衝突を防ぐんだ!」
「分かったホー! 黄金の林檎の力、全開だホー!」
フロストが小さな手を前方に突き出すと、サンダーバードの周囲に、電光を反射して青白く輝く「氷の衝角」が形成された。
雷を纏う翼と、すべてを凍てつかせる氷の盾。二つの相反する力が融合し、彼らは「アリゾナの赤い迷宮」の深淵から、一筋の光――コバルトブルーの空を目指して、垂直の壁を突き進む。
上昇の勢いは永遠には続かなかった。
地上まであと数百フィートという地点で、サンダーバードの巨大な体が不自然に震え、琥珀色の輝きが激しく明滅した。
塔の爆発によって引き起こされた地磁気の激震が、この「空の主」のナビゲーションを狂わせたのだ。
「モルダー、サンダーバードの電位バランスが崩れているわ! 地層の磁気異常が強すぎて、浮力が安定しないのよ!」
スカリーが叫ぶ。直後、サンダーバードは苦悶の鳴き声を上げ、垂直の絶壁に鋭い爪を立てて強引に停止した。
剥き出しの岩肌から火花が散り、一行は崖の途中で、宙吊りの状態に追い込まれる。
「ヒーホー……! 目が回るホー! 磁石が……磁石がヘンだホー!」
ジャックフロストが目を回してモルダーの肩にしがみつく。
モルダーはDDSの画面を凝視した。
地磁気計の針は、もはや回転を止め特定の方向、彼らが張り付いている岩壁の「内側」を執拗に指し示していた。
「……スカリー、見てくれ。この壁の向こうだ。異常な熱源と電磁波が感知されてる」
モルダーがライトで照らした岩肌の一部。それは周囲の堆積岩を精巧に模した「カモフラージュ塗装された鋼鉄のハッチ」だった。
プロジェクト・テンペストが、万が一の事態に備えて中腹に建設した予備の観測基地、あるいは「緊急避難所」だ。
「ここへ逃げ込むしかない。サンダーバードが地磁気の嵐をやり過ごすための、時間稼ぎが必要だ」
モルダーはDDSをハッチの電子ロックにかざした。かつて地下で手に入れた「鍵」の周波数が、古い回路と共鳴し、重厚な金属音が鳴り響く。だが、ハッチが開いた瞬間、中から溢れ出してきたのは、長い間閉じ込められていた「腐敗した匂い」と、不気味に発光するモニターの群れだった。
ハッチの向こう側に広がっていたのは、アリゾナの熱気とは切り離された、凍りついたような静寂だった。
壁面に並ぶ旧式のオシロスコープや真空管式のモニターは、外部の地磁気嵐に呼応するように、不規則な走査線を走らせている。
「モルダー、ここ……空気が動いていないわ。しばらく誰も立ち入っていないはずよ。……なのに、なぜ電力が生きているの?」
スカリーが壁の塵を払いながら、微かに唸りを上げる配電盤を指差した。
モルダーはライトの光を部屋の奥へと向けると、そこには映画館のような映写機と無数のフィルム缶が山積みにされたデスクがあった。
「彼らは記録していたんだ、スカリー。
サンダーバードを『再現』する過程で起きた、すべての過ちを」
モルダーが一本のフィルムを映写機にセットすると、カタカタという乾いた音とともに、壁面のスクリーンにノイズ混じりの映像が浮かび上がった。
1958年。白衣を着た男たちが、まだ若かった頃の「金属の塔」の周りで歓喜に沸いている。だが、映像が進むにつれ彼らの表情は恐怖に変わっていった。
地磁気の調律に失敗し、基地内の人間たちが次々と「透明化」あるいは「岩壁と同化」していく様子が、生々しく記録されていたのだ。
「……フィラデルフィア計画と同じよ。強磁場による分子構造の破壊。
彼らは神の力を制御しようとして、自分たちが存在するための『現実の壁』を壊してしまったんだわ」
スカリーが戦慄の声を上げたその時、背後のハッチが猛烈な勢いで閉まった。
ガキン! と重厚なロック音が響く。
「ヒーホー……! モルダー、あそこのモニターに変な顔が映ってるホー!」
ジャックフロストが震える手で指差した先。
すべてのモニターの走査線が収束し、そこには昔の軍服を着た、目鼻のない「影」のような男が映し出されていた。それは、かつての実験の犠牲者であり、この基地の防衛システムと一体化した亡霊のプログラムだった。
「侵入者アリ……。プロジェクト・テンペスト、機密保持プロトコル、再起動……」
スピーカーから漏れ出るのは、数十年分の磁気ノイズに歪んだ、死者の声だった。