【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】 作:ベイベ後藤
ポトマック川の向こう側に、ワシントンの記念塔が、冷徹な白い墓標のように夜の闇に浮かんでいる。
かつてモルダーが数々の「公的な嘘」と戦ってきたこの街は、今の彼の瞳には、巨大な電磁波の檻に見えていた。
「……信じられないわ。検問を一度も受けずに、ペンタゴンの目と鼻の先まで来られるなんて」
スカリーが、ホテルの窓から街を見下ろして呟く。モルダーが横に立つだけで、ホテルの電子錠も監視カメラも「彼らを認識しない」という数式に書き換えられていた。
「街全体が、情報を隠すための重なり合う『層』になっているんだ、スカリー。……だが、もう僕の目は誤魔化せない。
スモーキング・マンが潜む地下シェルターの、熱源と磁気供給ラインが完全に見える」
モルダーは右腕の袖を捲った。皮膚の下の金色の回路は、ワシントンの地下に張り巡らされた「シンジケートの通信網」と共鳴し、より激しく拍動している。
「ヒーホー。ここの空気、機械の焦げた匂いがするホー。砂漠より息苦しいホー……」
ジャックフロストが窓際で身を縮める。
都会の邪悪な情報の奔流は、純粋な精霊にとって毒に近いものだった。
「スカリー。電磁ケージの中の『サマエルの核』が、この街の地下にある『何か』と呼応している。……シンジケートは、核をただ兵器にするつもりじゃない。
彼らは、この国の神経系……つまり全米の情報インフラを、悪魔の力を利用して支配下に置こうとしているんだ」
「……。それが彼らの言う、人類の管理なのね」
その時、モルダーのDDSに発信元不明の暗号通信が届いた。それは、ディープ・スロートが、この街のメインフレームに仕掛けておいた「バックドア」だった。
『……モルダー。君が、このメッセージを見ているのなら、もう『向こう側』へ到達したのだろう。
……ホワイトハウスの真下、マウント・ウェザーに続く地下トンネル。そこに、『ターミナル』がある』
深夜のナショナル・モール。ホワイトハウスの芝生をかすめる冷たい風の中に、実体を持たない「ノイズ」が混じっていた。
モルダーが指先を宙に走らせると、何もない空間に青白い亀裂が走り、地下施設へと続く隠しエレベーターの制御系が強制的に上書きされる。
「……スカリー、準備はいいか。ここから先は、連邦政府の公式記録には存在しない、シンジケートの『中枢神経』だ」
「行きましょう。あなたのその『眼』が、彼らの隠蔽を暴くための唯一の武器よ」
エレベーターが地下数百メートルへと沈み込んでいく。階層が深まるにつれ、モルダーの右腕の金色の回路が、壁の向こう側を走る膨大な光ファイバー網と同期し、激しく脈動した。
「ヒーホー。ここ、さっきよりずっと機械の匂いがきついホー……。ボク、溶けちゃいそうだホー……」
ジャックフロストがモルダーの肩に必死にしがみつく。彼の冷気さえも、サーバー群が放つ熱気と、生体マグネタイトの残滓に呑み込まれようとしている。
到着した「ターミナル」は、想像を絶する光景だった。
最新鋭のスーパークラスター群が円形に配置され、その中心には「サマエル・プロトコル」で失われたはずの、巨大な「召喚儀式用の魔法陣」が物理的な回路として埋め込まれていた。
「……これは、コンピュータじゃないわ。悪魔の力を増幅し、国中のネットワークへ伝播させるための『心臓』よ」
スカリーがDDSをかざして驚愕する。
モルダーの瞳には、ターミナルから伸びる無数の「情報の触手」が見えていた。それは全米の銀行、通信局、そして各家庭のスマートデバイスにまで到達し、サマエルの「毒」を微弱な信号として送り込もうとしている。
(……そうだ、モルダー。人類を救うのは政治でも法律でもない。この絶対的な『管理』だけだ)
脳内に響くサマエルの声が、今まで以上に鮮明になる。その時、ターミナルの奥から、スモーキング・マンが姿を現した。
「……よく来たな、モルダー。
ディープ・スロートの遺産をここまで運んでくれたことに感謝する」
スモーキング・マンの口元に、勝利を確信した笑みが浮かぶ。
彼らが狙っていたのは、モルダーが持ち込んだ「サマエルの核」そのものを、この巨大なターミナルの「OS」として組み込むことだった。
スモーキング・マンが煙草に火を灯し、煙を吐き出すとターミナルの各所に配置された自動防衛システムが起動し、銃口がモルダーたちを捉えた。だが、モルダーの右腕に刻まれた回路が眩い金色に発光し、飛来する弾丸の「弾道という数式」を空中で歪め、すべてが虚空へと逸れていく。
「無駄だ、キャンサーマン。君の『規格』はもう、僕を捉えることはできない」
「……強くなったな、モルダー。だが、その力を振るうたびに、お前の人間としての『境界線』が削り取られていることに気づいているか?
その『核』を、このシステムに接続すれば世界から紛争も飢餓も、そして『隠蔽』さえも消え去る。お前が夢見た、光に満ちた真実の世界だ」
スモーキング・マンの言葉は、サマエルの誘惑と共鳴し、モルダーの脳内を掻き乱す。
電磁ケージの中の「サマエルの核」が、眼前の巨大な魔法陣回路と引き合い、モルダーの腕を引きちぎらんばかりに脈動していた。
「スカリー……DDSを貸してくれ。
『ヘルメス・コード』の最終シーケンスを入力する」
「モルダー、待って! そのシーケンスを実行すれば、あなた自身の意識がこの全米ネットワークに逆流してしまうわ。戻ってこれなくなるかもしれない!」
スカリーの制止を振り切り、モルダーは金色の回路が浮き出た右手をターミナルのメインコンソールへと叩きつけた。
「ヒーホー! モルダーの体が、キラキラした光に吸い込まれていくホー! 消えちゃうホー!」
ジャックフロストが叫ぶ。
モルダーの意識は肉体を離れ、光ファイバーの奔流を通り全米の「神経系」へと拡大していく。
サマエルの全知と、ヘルメス・コードによる調和。
モルダーは、スモーキング・マンが望む「管理」ではなく、すべての人間に「真実を視るためのフィルター」を分け与えるという、途方もない逆ハッキングを開始した。
ターミナル内の高性能PCクラスターが過負荷で次々と火を噴き、スモーキング・マンの背後にある魔法陣の回路が、モルダーが流し込む「人間としての意志」という名のノイズによって、物理的に崩壊し始めた。
地響きとともに、マウント・ウェザーの地下深くで「支配の魔法陣」が光の粒子となって霧散していった。
過負荷で爆発するメインフレームの火花が、モルダーの全身を包む。
彼の意識は、全米のネットワークを駆け巡り、数億の端末に「真実を視るための調律」を刻み込んでいた。
「……モルダーッ!」
スカリーの叫び声が、情報の濁流に呑み込まれそうになるモルダーを、かろうじて現世へと繋ぎ止める。
崩落する天井。火の海と化したターミナルの中心で、モルダーの右腕の金の輝きが最後の一閃を放ち、すべての回路が焼き切れた。
数日後。バージニア州の長閑な野原。
地平線からは、柔らかい朝日が差し込み、荒廃した地下施設での出来事が嘘のように世界は静まり返っていた。
「……気がついたのね、モルダー」
スカリーが、草の上に座り込むモルダーに歩み寄る。
「スカリー。……世界が、変わったのが見えるか?」
モルダーが顔を上げる。彼の目は、かつての人間らしい色を取り戻していた。
「ニュースでは、全米規模の不可解な通信障害としか報じられていないわ。……でも、人々の間で何かが起きている。
今まで見過ごしてきた『不自然な嘘』に、多くの人が気づき始めているの」
モルダーがヘルメス・コードでばら撒いた「毒の中和剤」。それは、人々が権力の隠蔽や神話の欺瞞を、自分自身の感覚で違和感として捉えるための「種子」だった。
「ヒーホー……。お腹すいたホー。もう蛇の匂いはしないホー?」
ジャックフロストが、朝露に濡れた草の上で退屈そうに転がっている。彼の存在こそが、この世界に「非日常」が溶け込み、調和した証だった。
モルダーは、ポケットから一枚の古い写真を破り捨て、風に預けた。
スモーキング・マンの行方は知れない。だが、彼らが築き上げた「情報の檻」は、もう二度と機能することはないだろう。
「真実は、もう『そこ』にあるだけじゃない。……僕たちの中に、溶け込んだんだ」
モルダーはスカリーの手を取り、ゆっくりと歩き出した。
ワシントンD.C.から遠く離れた、地図に載っていない気象観測所。
地下深くの冷え切った一室で、一台の旧式な端末が、電源が入っていないはずにもかかわらず、緑色の燐光を放って脈動していた。
モニターには、モルダーが解き放った「ヘルメス・コード」の残滓が、滝のようなバイナリデータとなって流れ続けている。
『……調律は、完了した』
スピーカーから漏れたのは、ノイズ混じりの声だった。
そこには誰もいない。だが、椅子には誰かが座っていたかのような微かな窪みが残り、卓上には使い古された「DDS」の真空管が、琥珀色に優しく明滅していた。
「……モルダー。君が視る世界は、私たちが夢見たものか。それとも……」
世界は変貌を遂げた。
真実を巡るゲームの盤面は、より広大な、目に見えない領域へと移行したに過ぎない。
最初は5話くらいでまとまるはずだったのですが変わりすぎたし長くなってしまいました。
なんとか終われてホッと一息