【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】 作:ベイベ後藤
正月休みになってからXファイルがAbemaで流れてるのを知りました
アラスカの極地施設は、内部からの崩壊を始めていた。
ジャックフロストが放った絶対零度の奔流と、サーバー群の熱暴走が衝突し物理空間そのものが歪み、軋む。
モルダーは、光の粒子となって消えゆくサマンサの残影へ手を伸ばしたが、指先を通り抜けたのは氷点下の虚無だけで、視神経に焼き付いたのは妹の姿をした情報体が、バイナリの塵へと分解され大気中へと霧散していく無慈悲な光景だった。
「モルダー、もう限界よ。床が持たないわ」
スカリーの叫びが爆音に混じる。
彼女はモルダーの防寒着の襟を掴み、崩落する天井から彼を無理やり引き離した。
二人が施設の外へ飛び出した瞬間、背後で巨大なレドームが断末魔のような音を立てて内側へと陥没していった。
極夜の荒野に青白い光の柱が立ち上がり、それが空を覆う雲を突き抜けて不気味なオーロラを描く。それは情報の死骸が放つ最後の電磁波の輝きだった。
モルダーは雪原に膝をつき、熱を失ったスマートフォンを握りしめた。
液晶にはジャックフロストが、深い眠りについたことを示す「HIBERNATION」の文字が冷たく表示されている。
物理的な端末は、氷点下の過酷な環境と高位の召喚プロセスの負荷に耐えかね、その回路の各所で微細な破断を起こしていた。
「……終わったわけじゃない。
奴らは彼女を情報の海に流し込んだんだ。
肉体という檻を壊し純粋な符号として世界中に。
サマンサは、まだこのネットワークのどこかで叫んでいる」
その呟きは吹雪の中に虚しく消えた。
スカリーは震える手で銃をホルスターに収め、白一色の虚無を見つめた。
科学者としての彼女の脳は、今起きている事象を「大規模な電磁障害とガス爆発による集団幻覚」と分類しようとしていたが、凍傷になりかけた指先に残るあの「冷たすぎる輝き」の感触が合理的な解釈を頑なに拒んでいた。
ワシントンへの帰還は敗北に近い沈黙に満ちていた。
FBI本部の「X-ファイル」課オフィスは、以前と変わらぬ黴臭い空気を漂わせていたが、二人のデスクにはアラスカでの事件を「気象観測施設の老朽化と冷却システムの異常による事故」と断定する最終報告書が既に置かれていた。
権力による事実の塗り替えは、アラスカの冷気よりも確実な絶望を伴って彼らの喉元を締め付けた。
証拠となるべきデータは全て「磁気嵐」を理由に消去され、モルダーが持ち帰ったスマートフォンのログも、FBIの技術局が介入する前に未知のウイルスによって上書きされていた。
スカリーは、自宅のバスルームで鏡に映る自分の顔を凝視していた。
シャワーの熱気が視界を曇らせるが、彼女の脳裏にこびりついた「あの光景」は一向に霧散しない。
彼女は医者であり、物理学を修めた人間だ。
細胞が電気信号によって分解されることはあっても、それが少女の形を保ち意志を持って語りかけてくるなどという現象は、既存の熱力学の法則を根底から否定するものだった。
(私は何を見たの。モルダーが信じるあの魔術は、私たちが解明していないだけの未知の物理法則なの。それとも……)
彼女の指先が洗面台の縁を強く掴む。
スカリーが恐れていたのは、真実が解明されないことではない。
モルダーが、その真実という名の狂気に飲み込まれ、二度とこちらの世界に戻ってこられなくなることだった。
アラスカで見せた彼の瞳は、もはや現世の理を見ていなかった。
三日後の深夜。スキナー副長官から短い連絡が入る。
指定された場所は、厳重なセキュリティで守られたFBIの施設ではなく、霧に包まれたロッククリークパークの奥深くにある静かな展望台だった。
「ここは監視の目がない場所だ。
少なくともスモーキングマンの息がかかった連中からはな」
スキナーは疲弊した顔で二人を待っていた。
彼の眼鏡の奥の瞳には、組織の暗部に触れた者特有の隠しきれない疲労が滲んでいた。
彼の背後には、ワシントンの官僚が乗るにはあまりに高貴で、しかし闇に溶け込むほど目立たない黒塗りのベントレーが停車していた。
後部座席の窓が重厚な音を立てて下がり、中から洗練された英国訛りの声が響いた。
「モルダー君。君の父親ならもう少し上手く立ち回っただろうよ。
ビルは常に撤退路を確保してから深淵を覗き込んだものだ」
ウェル・マニキュアード・マン(WMM)は、車内灯を点けてモルダーが車内に入るよう手招きし、隣に座った彼に一本の古びたラベルの剥げかかったカセットテープを差し出した。
「それは何だ」
「君の父、ビル・モルダーが私に託した保険だ。
彼は自分が死ぬことを知っていた。そしていつか君がデジタルという名の鏡の中へ足を踏み入れることも。……モルダー君。君が見ているDDSというプログラムは、昨日今日で作られたものではない。
それは君の父の代から続く契約の産物なのだ」
WMMの瞳には、冷酷な組織人としてのそれとは異なる微かな哀切が宿っていた。
彼はモルダーの顔に、かつての旧友の面影を重ねているようだった。
「スモーキングマンは、君を妹という名の餌で釣って飼い慣らそうとしている。
彼にとって君の執念は、計画を促進させるための良質な触媒に過ぎない。……だが私の望みは違う。
ビルと私が、かつてこの国の地下深く黎明期のネットワークの中で何を『聞き取ってしまった』のか。それを知る権利が君にはある。
君の父親が、なぜサマンサを差し出さねばならなかったのか。その真の理由が、この磁気テープの中に埋もれている」
WMMは静かに窓を閉めた。雨のワシントン。
街灯の光を反射する黒いアスファルトの上で、ベントレーは音もなく闇へと消えていった。
車に残されたスカリーは、戻ってきたモルダーの横顔を痛ましいものを見るような目で見つめた。
彼の手には、呪いのように重い磁気テープが握られている。
「モルダー。そのテープを聞けば、あなたはもう後戻りできなくなる。それは分かっているわね」
スカリーの声は微かに震えていた。
彼女は、助手席に座る彼の冷え切った手を自分の手で包み込んだ。それは彼を現実の世界に繋ぎ止めるための、彼女なりのアプローチだった。
「スカリー。僕はアラスカで彼女の声を聴いた。
あれがデータに過ぎないというのなら、僕たちの魂だってただの電気信号だ。……僕は確かめなきゃならない。父が何を捨て、何を隠したのかを」
モルダーの瞳は、雨に煙るワシントンの夜景を見据えていた。そこにはもはや迷いも恐怖もなかった。あるのは光すら飲み込むブラックホールのような底知れぬ探究心だけだった。
とりあえず一区切り