【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】 作:ベイベ後藤
メリーランド州、ローン・ガンメンの本拠地。
サーバーの熱気が引き、静寂が戻った室内で、スカリーはモルダーの手にある一輪の花を凝視していた。それは、この世のものとは思えないほど鮮やかな青色をした花だった。
「モルダー、その花を……どこから持ってきたの?」
スカリーの声には、明らかな困惑と警戒が混じっていた。
モルダーは自分の掌を見つめ、指先に残る、電子の海でサマンサの細い手を握っていた時の感触を思い出そうとした。
「……気づいた時には、握っていたんだ。ギメルが言っていたよ。この扉の先にあるのは『喪失の再演』だと。だが、これだけは消えずに残った」
スカリーは、ピンセットでその花を受け取り、ラングリーが起動させた電子顕微鏡のステージに乗せた。
映し出されたのは、植物の細胞組織ではない。それは、幾何学的なパターンを繰り返しながら自己増殖を試みている。
「……これは植物じゃない。高度なプログラムを内蔵したデバイスよ。
モルダー、あなたが現実へ戻る際、アルカディアのシステムの一部を無意識に引き連れてきた可能性があるわ」
「『種』が蒔かれた、ということか。理想郷の再建のために」
モルダーが皮肉を口にしたその時、基地のモニターが乱れ、ノイズ混じりの映像が映し出された。そこには、モルダーの母、ティナ・モルダーの姿があった。
「フォックス……聞こえる? 私は、ようやく真実を見つけたのよ」
モニターの中の母は、かつてないほど穏やかで、恍惚とした表情を浮かべていた。
彼女の背後には、あのアルカディアと同じ白亜の回廊が、現実に侵食するように建ち上がっている。
「……母さん!? これはライブ映像か?」
「送信元を追跡するぞ。この信号……グリニッジにある休止中の通信基地局から発信されている。」
モニターの中のティナ・モルダーが、慈しむように腕を広げる。その腕の中には、小さな少女――サマンサの姿があった。
「ギメル様が教えてくれたの。サマンサは死んだのではなく、より高次の世界へ昇華したのだと。
フォックス、あなたもこちらへ来なさい。ミレニアムの予言は正しいわ。私たちは、肉体という名の罪から解放されるのよ」
「……母さんが何らかの洗脳を受けている。いや、あるいは彼女自身がアルカディアの次の『ゲート』として利用されているんだ!」
生還したばかりの体は鉛のように重かったが、モルダーの瞳には執念の火が灯っていた。サマンサの結末を受け入れたはずの彼にとって、再び「家族」を餌に理想郷へと誘うギメルの手法は、何よりも許しがたい冒涜だった。
「待って!モルダー。一人で行かせるわけにはいかないわ」
スカリーは、十字架のペンダントを握りしめた。
彼女は、先ほどの教会で出会った「観測者」の言葉を思い出していた。
『偽りのエデンを壊した罪、その責任を負う覚悟はありますか?』
爆発した教会の地下で救い出した、あの「ギメル」と呼ばれた少年の行方もまだ分かっていない。
「このナノマシンの花の周波数を特定してくれ。母さんが発信している信号と同期しているはずだ。スカリー、行こう」
雨の上がった夜のハイウェイを、車が疾走する。
助手席のスカリーは、手元に残された青い花のデータを見つめていた。それは次第に、聖書の「黙示録」に記された、ある紋章に似た形へと再構成され始めていた。
グリニッジの暗い森の奥、休止中のはずの通信基地局は、異様な青白い燐光に包まれていた。
巨大なパラボラアンテナは天を仰ぎ、まるで虚空から「神の言葉」を受信しているかのように微かに震えている。
モルダーとスカリーが現場に到着したとき、周囲の木々はナノマシンによって結晶化し、アルカディアの白亜の回廊が現実の風景を浸食するように幻影として立ち上がっていた。
「……スカリー、見てくれ。現実が、ビットの羅列に書き換えられている」
「信じられない。ナノマシンが空気中の水分を媒介にして、物理的な構造を再構成しているのね。……これはもはや科学ではないわ、モルダー。ある種の『錬金術』よ」
二人は基地局の制御室へと突き進んだ。そこには、無数のケーブルに繋がれ、恍惚とした表情で虚空を見つめるティナ・モルダーの姿があった。
彼女の周囲には、アルカディアで見たあの少女――サマンサのホログラムが、まるで守護天使のように寄り添っている。
「……母さん! 離れるんだ、それは偽物だ!」
モルダーの声に応えるように、サマンサのホログラムがノイズと共に歪んだ。
『……エラー。不純物の接近を感知。聖母の守護を強化せよ』
無機質なギメルの声がスピーカーから鳴り響き、室内を走るナノマシンの粒子が牙を剥くようにモルダーたちに襲いかかる。
同じ頃、メリーランド州のローン・ガンメンの本拠地。
「クソッ、なんて書き込み速度だ! 指が追いつかない!」
ラングリーが、三台のモニターと複数のキーボードを同時に操り、凄まじい速度でコードを打ち込んでいた。
彼の前には、グリニッジから転送されてくる「青い花」の解析データが奔流となって流れている。
「ラングリー、どうした? 突破口は見えないのか?」
バイアーズが背後から問いかける。
「いいか、バイアーズ。このシステムは自己修復を繰り返してる。普通にハックしたんじゃ、一秒後には新しい暗号に書き換えられる。……だが、どんな完璧な千年王国にも『バグ』はある。……そう、ギメルの『未熟さ』という名のバグがな!」
ラングリーの瞳が、丸いレンズの奥で野性的に輝いた。
彼はアルカディアの論理構造の中に、管理プログラムとしてのギメルが切り捨てきれなかった「人間としての良心」に起因する脆弱性を発見したのだ。
「いいぜ、天才少年。お前の作った『天国』を、現実という名の最悪なスパムで埋め尽くしてやる。……いくぞ、スカリー!
俺が今からシステムの基幹部に『現実世界のノイズ』を流し込む。一瞬だけ通信が不安定になるはずだ。その隙にモルダーの母親をシステムから切り離せ!」
ラングリーが放った電脳の矢が、基地局のメインサーバーを直撃した。
眩しい閃光と共に、白亜の回廊の幻影が激しく明滅し、サマンサのホログラムが悲鳴のような電子音を上げて崩壊し始める。
「今よ、モルダー!」
スカリーがナノマシンの防壁をかいくぐり、ティナ・モルダーの腕に接続されたバイオ・リンクを解除しようとしたその時。
崩れゆくサマンサのノイズの中から、ギメルの絶望的な咆哮が響いた。
『なぜ邪魔をする!? 私は、母を失った者、子を失った者に、永遠の再会を与えようとしているだけだ! ……この不完全な世界を滅ぼしてでも!』
基地局の床が大きく裂け、その割れ目から、アルカディアの美しい森が「バグ」による黒い泥のようなデータとなって溢れ出した。
現実は、崩壊する理想郷の道連れになろうとしていた。
スカリーは十字架を握りしめ、ティナ・モルダーの手を掴んだ。
「……モルダー、決断して! システムを完全に破壊すれば、お母様の記憶も無事では済まないかもしれないわ」
モルダーは、消えゆくサマンサの幻影と、意識を失った母を見つめた。
彼の選択が、この偽りのエデンに最後の一撃を与える。