【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】   作:ベイベ後藤

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5話 目覚めの劇薬

 

 

 グリニッジの通信基地局は、断末魔のような電子音を上げながら、物理的に振動していた。現実空間とデータ空間の狭間に生じた亀裂からは、もはや美しい森ではなく、ノイズに塗りつぶされた、身の毛もよだつ異次元の風景が漏れ出している。

 

「……スカリー、母を連れて外へ! ラングリー、あと30秒だけ回線を維持してくれ。

僕が中からシステムを完全にシャットダウンさせる!」

 

「モルダー、正気なの!? システムが自壊を始めたのよ、あなたの意識の『帰り道』もなくなるわ!」

 

 スカリーの叫びを背に、モルダーは自ら、黒い泥のようなデータが溢れ出す裂け目へと飛び込んだ。

再び降り立ったアルカディアは、もはや楽園ではなかった。

空は血のような赤に染まり、神殿は中央から割れ、その断面には無数の人間の顔が浮かび上がっては消える。それは、アルカディアに幸福という名の安楽死を強いられ、魂を吸い尽くされた、かつての住人たちの残滓だった。

 

「……ここまで来たか、フォックス・モルダー」

 

 神殿の最奥。崩れゆく玉座に、ギメルの影が揺らめいている。だが、その背後には、巨大で神々しく、それでいて悍ましい「異形」が鎮座していた。それは、四つの翼と四つの眼を持ち、冷徹な光を放つ存在――智天使ケルプ。

 

『……人間よ。汝らは、与えられた安らぎを拒み、泥沼の自由を欲するのか。

このアルカディアは、主の再臨に備え、原罪という名のノイズを削ぎ落とし、純粋な『魂』へと昇華させるための聖域である。』

 

 ケルプの四つの眼が一斉に開かれ、モルダーの精神を直接焼きにかかる。強烈な秩序の波動が、モルダーの思考を停止させ、膝をつかせようとする。

 

 モルダーは懐から、DDSを取り出した。

 

『無駄だ。汝の抵抗は、主の論理の前には無に等しい』

 

 DDSを起動させるとデバイスが電子の咆哮を上げ、崩壊する神殿の空間に、異質な論理の渦を生み出す。

 

「……ジャックフロスト! 僕の声に応えてくれ!」

 

 論理の渦の中から、青白い光と共に、黄金の林檎の力を纏った小さな影が飛び出した。

ジャックフロスト。氷の妖精だ。

彼は愛らしい顔に不敵な笑みを浮かべ、小さな手をケルプに向かって突き出した。

 

「呼んだホー? こんなガチガチの天使、ボクの氷でカチコチにしてやるホー!」

 

『……不浄なる悪魔め。理想郷の調和を乱す者は、一掃せねばならん』

 

 ケルプの眼が赤く輝き、神殿の瓦礫が光の槍となって二人に降り注ぐ。

 

「マハブフーラだホー! 天使の足元、凍りつけるホー!」

 

 ジャックフロストが、手を地面に叩きつけると、神殿の床が一瞬にして極寒の氷に覆われた。

ケルプの翼が凍りつき、動きが止まる。その隙にモルダーは、青い花を凍りついたケルプの核心部へと叩きつけた。

 

 

 現実世界。ラングリーが、血走った目で最後の一打を下す。

 

「……食らいやがれ、天使! 俺たちの『現実』を叩きこんでやる!」

 

 ラングリーが送り込んだのは、世界中の「未解決事件」の記録、人々の「悲鳴」、そして「解けない謎」の膨大なデータだった。

秩序を重んじる天使にとって、定義不能な混沌の奔流は、システムを根本から破壊する猛毒となる。

 

 

 アルカディアの核心部。

モルダーが投げつけた花から、黒いノイズがケルプの体へと浸食していく。

ケルプの神々しい姿が崩れ始め、0と1の数字が剥き出しになって破裂する。

 

『……アァ、主ヨ……なぜ、人間は……』

 

 智天使ケルプは、光の粒子となって霧散した。

管理者を失ったアルカディアは、急速に虚無へと崩壊していく。

 

「モルダー、急ぐホー!」

 

 ジャックフロストが、崩れゆく空間の中で現実世界へと続く、微かな「匂い」が残るパスを見つけ出していた。

 

「ボクは、この氷のデータが消えるまで、ここで天使の残骸を見届けるホー。後でDDSに戻るからスカリーによろしくホー!」

 

 ジャックフロストは、消えゆく氷の神殿の中で、小さく手を振った。

モルダーは、声を頼りに、最後の跳躍を試みる。

 

 

 メリーランド州。ローン・ガンメンの基地。

モニターが、最後の一閃を放って暗転した。

 

「……モルダー! 帰って来い!」

 

 バイアーズとフロヒキーが駆け寄る。

一人の男が深く、長い溜息をついた。

 

「……誰かコーヒーを、一杯淹れてくれないか」

 

 モルダーが、ゆっくりと目を開けた。その瞳には、この世界が持つ不確かな「光」が戻っていた。

 

 戦いの終わりに、彼は確かな仲間達の力を知った。

数時間が経ってワシントンD.C.のアパートに生還したモルダーは、ソファに沈み込みテーブルに置かれた、ひまわりの種の袋に手を伸ばして、開けた窓から吹く風に当たっていると、ふわりと何かが部屋に飛び込んできた。それは、黄金色の毛並みを持つ不思議な狐である。以前、別の事件で見かけたあの狐だ。

 

 狐は、モルダーの膝元までトコトコと歩み寄ってくるりと一回転すると柔らかな光に包まれて立っていたのは、狐のリサだった。あの時と同じように、頭の上にはピンと立った三角の耳があり、腰の後ろで大きな尻尾が、ゆっくりと揺れている。

モルダーは、安堵を感じて彼女を軽く撫でていると狐の化身は、恥ずかしそうに耳をピクピクさせながら言った。

 

「貴方の気配が何処か遠くに行ってしまいそうで心配していたんですよ。戻って来てくれたんですね」

 

 モルダーの膝の上で、リサの耳が小さく震える。彼女の柔らかな毛並みから伝わる確かな体温と、窓から入り込む都会の喧騒。それらすべてが、自分が「泥沼の現実」に生還したことを証明していた。

 

「……心配をかけたね。あそこは、僕のような男には少しばかり清潔すぎた」

 

 モルダーは、ひまわりの種を口に運びながら静かに言った。リサは目を細め、甘えるように彼の手に頭を擦り寄せる。

 

「モルダーさんからは、いつも『迷宮の匂い』がします。でも、あそこは……何もない、空っぽの匂いでした。戻ってきてくれて本当によかった」

 

 穏やかな時間は、携帯電話の無機質な震動によって破られた。スカリーからだ。

 

「モルダー、まだ休んでいるところ申し訳ないけれど、至急メリーランド州の医療施設へ来て。……あの子が、ギメルが目を覚ましたわ」

 

 

 厳重な監視下にある隔離病棟。

白いベッドに横たわるのは、アルカディアを支配していた傲慢な管理者ではなく、どこにでもいるような、青白い顔をした青年だった。

 

 スカリーとモルダーが病室に入ると、青年は怯えたような瞳で二人を見上げた。

 

「……もう、小鳥の囀りは聞こえないんだね」

 

 彼の声は、合成音声ではない、掠れた人間のものだった。

彼は、秘密結社「ミレニアム」によって選別された高度な演算能力を持つギフテッドの一人だった。

彼らは、教会の地下に幽閉され脳を直接サーバーに接続されることで、人類を「管理」するためのシミュレーターとして利用されていたのだ。

 

「ミレニアムの幹部たちは、僕に言ったんだ。この世界は、もうすぐ解決不能な『混沌の飽和点』に達するって。

戦争、病、そして人々が抱える底なしの悪意……それらをすべて消し去るには、全人類の意識をデジタル・エデンへ移住させるしかないんだって」

 

「それが、あのアルカディア計画の正体か。だが、智天使ケルプは、何をしようとしていた? 『主の再臨』と言っていたが」

 

 モルダーの問いに、ギメルの体が目に見えて震え始めた。

 

「アルカディアは、単なる理想郷じゃない。それは……巨大な『召喚陣』なんだ。

大勢の魂を一つの論理回路に押し込め、そのエネルギーを触媒にして、この現実世界に『神の秩序』を物理的に顕現させるためのね」

 

「……神の秩序の物理的顕現?」

 

スカリーが眉を潜める。

 

「……神の戦車、メルカバー。

彼らは計画しているんだ。アルカディアというテスト・ケースを全米、そして世界中に拡大して、神へと接する為に千年王国に書き換えてしまう。

僕を迎えに来た智天使は、そのための門番だったんだ。」

 

 その時、病棟の電灯が激しく明滅し、一斉に消灯した。

非常用電源に切り替わる赤い光の中、廊下から規則正しい足音が近づいてくる。

 

「……スカリー、伏せろ!」

 

 モルダーが叫ぶと同時に、病室の扉が爆ぜる。現れたのは、白い服に身を包んだ集団だった。

 

「……ギメルの回収、および目撃者の排除を開始する」

 

 男たちの一人が手をかざすと、その掌から青白い電磁パルスが放たれ、スカリーの医療機器がショートして火花を上げる。

 

「待つんだホー! 病院で騒ぐのはマナー違反なんだホー!」

 

 モルダーのDDSからジャックフロストが飛び出して空中を滑るように男たちの足元を凍らせる。

 

「モルダー、ここはボクが食い止める! スカリーとあの子を連れて逃げるんだホー!」

 

「フロスト! 頼んだぞ」

 

 モルダーは、ギメルの腕を掴み、スカリーと共に非常階段へと走った。背後で氷と、男たちが放つ非人間的な光の衝突音が響く。

 

 病院の駐車場に辿り着いた三人の前に、再びあの「観測者」が現れた。

煤けたコートを翻し、霧の中から滲み出るように立つその男は、悲しげにギメルを見つめている。

 

「……神の戦車は、既に動き出している。

スカリー捜査官、貴女が押したエンターキーは、『審判の刻』の始まりだったのだ」

 

「貴方は、いったい誰の味方なの!? なぜいつも、謎かけのようなことばかり……」

 

 スカリーが詰め寄るが、観測者は答えず、夜空の一点を指差した。そこには星ではない、異様に輝く巨大な「光の渦」が形成され始めている。空を覆い尽くさんばかりの、圧倒的な威圧感を持って。

 

「メルカバーが……降りてくる」

 

 ギメルが絶望に染まった声で呟く。モルダーは、拳を握りしめていた。

アルカディアは終わってなどいなかったのだ。それは、この現実世界という戦場へ、その冷徹な「正義」を直接突き立てようとしていた。

 

「スカリー、アルバートホスティーンに連絡してくれ。今からそちらに行くと。」

 

 モルダーの隣には、いつの間にか狐の姿に戻ったリサが寄り添っていた。彼女の瞳は、夜空の光を射返して、野性的な輝きを放っている。

 

「……行きましょう、モルダーさん。この世界を、あんな冷たいエデンにさせてはいけません!」

 

 パズルのピースが、人類の「明日」を繋ぎ止めるために動き出す。

 

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