【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】 作:ベイベ後藤
静寂が、耳に痛いほどだった。
三上静の背後にあるモニター群は、すべて「午前三時:バックアップ中」の表示で静止し、死後の世界のような青白い光を放っている。
「……ここが、バックドアの内側ですか」
右京は、自らのコートに付着した現実の埃を払うように、肩を叩いた。
「ええ。システムが唯一、過去と未来を『整理』するために立ち止まる瞬間。
外側から無理やり楔を打ち込んだおかげで、私たちは爆発のプロセスから一時的に切り離されたわ」
三上静は、震える手で自身の白衣を握りしめた。
「でも、長くは持たない。システムが、この『エラー』を自己修復してしまえば、また月曜日の朝が始まる」
「三上さん。……あなたは先ほど、ご自分をシステムの一部だと言いましたね。そして、このループが爆破と同期して起きていると。……しかし、単なる爆弾に時間を巻き戻す力などありません」
右京は、静止した時計の針を見つめながら、一歩彼女へ歩み寄った。
「何故、爆弾魔になろうとしている佐伯さんの『怒り』が、この広域治安維持管理システムを暴走させ、世界を書き換えるほどのエネルギーを持ち得たのですか?」
三上は、絞り出すように答えた。
「……このシステムには、未発表の機能があったの。
犯罪予測のために、対象者の『感情の波形』をシミュレーションするAIユニット。私は……その開発に、ある禁忌を用いた。量子コンピューティングの演算速度を補うために、人間の『意識の残響』を演算リソースとして組み込んだのよ」
「……まさか」
「佐伯さんが、かつて冤罪に問われたあの事件……あの時、彼はすべてを失った。
私は、彼の絶望がどれほどのものかを知るために、彼の脳波データを不当に取得し、システムの『核』に学習させた。……このシステムは、佐伯さんの怒りそのもので動いているのよ」
その時、管制室の自動ドアが、嫌な音を立てて開く。
そこには、フライトジャケットを着た亀山薫が立っていた。だが、その目は虚ろで、まるで意識がここにはないようだった。
「亀山くん……?」
右京が呼びかけるが、応答はない。
「……いいえ、杉下さん。それは亀山さんじゃない」
三上が悲鳴に近い声を上げる。
「システムが、侵入者を排除するために、保存されている『記憶』を使って作り出した迎撃プログラム……いえ、システムの『悪意』そのものよ!」
亀山の姿をした「何か」が、ゆっくりと右京に向かって手を伸ばす。
その背後には、同じように虚空から現れた「佐伯」の幻影も重なり合っていた。
現実の亀山は今、外の世界で闇に飲み込まれたまま、このキャッシュの中には辿り着けていないのだ。
「……右京……さん……逃げ……」
偽物の亀山の口から、ノイズ混じりの、しかし聞き覚えのある亀山の声が微かに漏れた。身体的記憶の強さが、システムによる偽装を内側から突き破ろうとしている。
「亀山くん、しっかりしなさい!」
右京が叫ぶと同時に、管制室のスピーカーから、割れたノイズと共にモルダーの声が響いた。
『杉下! 聞こえるか! 長居は無用だ。システムのコア――午前三時のログの最深部にある「最初のエラー」を消去しろ! 』
「最初のエラー……三上さん、それはどこに?」
「……あの、操作盤の下にある、物理メモリ! 私が、最初に彼のデータを流し込んだあの日の記録よ!」
右京は、偽の亀山を躱して操作盤へと飛び込んだ。
「どきなさい、亀山くん!」
右京の鋭い叱咤が、電子の静寂を切り裂いた。
操作盤へと躍り出る右京の行く手を阻むのは、亀山薫の姿をしたシステムの防衛プログラムだ。その動きは機械的に最適化されており、右京が次に踏み出す一歩を先読みするように立ちふさがる。
偽物の亀山の背後では、佐伯の幻影が重なり、アタッシュケースから高周波のノイズを撒き散らしていた。
「無駄よ、杉下さん! そのプログラムは、あなたが信頼する相棒の『行動パターン』を完璧に模倣してる」
三上の声にも右京に迷いはなかった。
「あなたが亀山くんを完璧に模倣しているというのなら、僕には動きが手に取るように分かります!」
右京は、あえて左に大きく踏み出し、偽の亀山が迎撃のために右腕を伸ばした刹那、その懐へ滑り込んだ。
合気道の動きを応用した鮮やかな転身。
模倣プログラムは、右京の「論理を超えた信頼に基づく予測」に対応できず、虚空を掴む。その隙に、右京は操作盤の下、深紅に明滅する物理メモリユニットを掴み取った。
「これですね、三上さん!」
「ええ……そこに、彼がすべてを失った日の『絶望』が圧縮されている!」
右京が、メモリをスロットから引き抜こうとした瞬間、彼の脳内に凄まじい情報の奔流が流れ込んだ。それはデータではない。
佐伯という一人の男が、無実の罪で職を追われ、愛する家族から背を向けられ、冷たい取調室で「嘘」を真実に書き換えられていった時の、魂の叫びだった。
――「やっていない」という叫びが、誰にも届かない暗闇。
――信じていた組織が、自分を「生贄」として差し出した時の冷徹な計算。
あまりの苦痛に右京の膝が折れかかる。
システムの「悪意」は、この絶望を右京に共有させることで、精神を崩壊させようとしていた。
『杉下! 飲み込まれるな! それは現実ではない!』
スピーカー越しにモルダーの叫びが響く。
『それは過去の残響だ。スカリーがいつも言う、「データは事実を語るが、真実を救うわけではない」と!
君が今、向き合っているのは、プログラムされた「悲しみ」に過ぎないんだ!』
モルダーの声が、右京の意識を現実の輪郭へと繋ぎ止める。
右京は歯を食いしばり、血の滲むような思いでメモリを握り直した。
「……確かに、この男が味わった苦しみは本物です。しかし、その怒りを再利用し、他者を終わらないループに閉じ込めることは、正義ではありません。それは……単なる復讐という名の、システムの不具合だ!」
右京は渾身の力でメモリを引き抜いた。
管制室を埋め尽くしていた青白い光が激しく明滅し、偽の亀山と佐伯の幻影が、ガラスが割れるような音を立てて霧散していく。
「あ……」
三上静の体が、薄い光となって透け始めた。
「エラーが……消去されていく。世界が、動き出そうとしてる」
「三上さん、しっかりしてください!」
「ありがとう、杉下さん。でも、これでループが止まるわけじゃない。
私たちはただ……『最初の一回目』に巻き戻るだけ。
佐伯さんの怒りの根源を消しても、彼が爆弾を持ってあそこに立つという『意志』そのものを止めない限り……」
三上の姿が消える間際、右京の耳元でモルダーの最後の通信が途切れた。
『……杉下、次は現実の世界で会おう。……「HE IS WATCHING」の意味を忘れるな』
視界が強烈な闇に包まれ、右京の意識は急速に浮上していく。
――ガタン。
六度目。
右京が目を開けると、そこはいつもの特命係の部屋だった。
窓からは、春の柔らかな日差しが差し込み、紅茶の香りが立ち上っている。しかし、パソコンの画面にはモルダーからのメールはない。
ドタン。
「右京さーん! お疲れ様です!」
元気よく入ってきた亀山薫。しかし、その足取りが不意に止まった。
亀山は、自分の頭を抱え、苦しげに顔を歪める。
「……う、右京さん……。なんだか、すごく長い……嫌な夢を見ていたような気がします。俺、何度も……死んだような……」
右京は、自らの手を見つめた。
そこには、仮想空間でメモリを握りしめた時の「痛み」が、微かな赤みとして残っていた。
「……夢ではありませんよ、亀山くん。さあ、本当の『長い一日』を始めましょうか」
右京は、モルダーからのメールを待たず、立ち上がった。
「……亀山くん。美和子さんのおにぎりは、後でゆっくり味わうことにしましょう」
右京は、まだ困惑の表情を浮かべる亀山の肩に手を置き、静かだが断固とした口調で告げた。
亀山は、額の汗を拭いながら右京を見つめ返す。その瞳には、五回にわたる死の記憶が、言葉にならない「戦慄」として焼き付いていた。
「右京さん……。俺、あそこに行かなきゃいけない気がします。あのお台場の、デカい警察署。そこで……何かが爆発して……」
「ええ。その結末を書き換えるために、僕たちはここにいます」
右京は、デスクの上のパソコンを一瞥した。一回目から五回目まで、必ず届いていたモルダーからのメールが、今回はまだ届いていない。
(バックドアでメモリを引き抜いた影響か、あるいは、ようやく『本物の時間』に辿り着いた証か……)
右京は思考を巡らせながら、亀山と共に特命係を後にした。
愛車を走らせる車内、右京は一度も空を見なかった。
一回目から四回目まで、彼らの足を止めた「不自然な事故」や「渋滞」は、今回は一切発生しなかった。道路は驚くほどスムーズで、春の陽光が穏やかにフロントガラスを照らしている。しかし、その静寂こそが、右京には嵐の前の静けさのように感じられた。
「右京さん、さっき夢の中でモルダー捜査官の声が聞こえた気がしたんです。『次は現実で会おう』って」
「彼なら、今この瞬間も、海の向こうで『観測』を続けているはずですよ」
臨海副都心署へ到着。一回目と同じ、潮風の香りと、完成したばかりの庁舎の輝き。
正面玄関前には、やはりあの男が立っていた。佐伯である。
しかし、これまでのループと決定的に違う点があった。佐伯の表情に、あの「虚無」がないのだ。
彼はアタッシュケースを握り締め、全身を小刻みに震わせて周囲を怯えたような目で見渡している。
「佐伯さん!」
右京の声に、佐伯が飛び上がるように振り返る。
「どうして、私の名前を……いや、それより、逃げてください! 誰かが……誰かが私を見ているんだ。このケースを開けろと、頭の中で声がするんだ!」
右京の背筋に冷たいものが走った。
佐伯の自発的な怒りではない。誰かが彼の冤罪という心の傷に付け込み、外部から「爆破」を強要している。
「落ち着きなさい、佐伯さん。ケースを置いて。あなたの怒りは、システムに利用されていたに過ぎない」
「違う! 違うんだ! 私はただ、謝ってほしかっただけだ……なのに、このケースが、止まらないんだ!」
その時、右京のスマートフォンが震えた。
通知はない。しかし、画面には強制的に一つの画像が映し出された。それは、今この場所を真上から捉えた衛星写真――いや、もっと高解像度の「視点」からの映像だった。
映像の隅には、赤い文字で『WATCHING』
「亀山くん、佐伯さんを保護して建物から離しなさい!」
「えっ!? 右京さんは?」
「僕は、この『視線』の主を特定します!」
右京は、佐伯の手からケースを奪い取ろうとしたが、ケースから漏れ出す高周波音は、これまでのループを遥かに凌ぐ出力で鳴り響いていた。
署の二階、管制室の窓際。そこには三上静の姿はない。代わりに、一台の不自然な形状のドローンが、音もなく空中に静止していた。そのレンズが、右京の瞳を冷酷に射抜く。
「……なるほど。これが『四人目』の正体ですか」
右京は、自らのスマートフォンをドローンにかざした。
「モルダー捜査官! バックドアのログに残っていた『最初のエラー』の送信元は、三上さんではありませんでしたね?」
スマートフォンのスピーカーから、ついにモルダーの声が響く。だが、それはノイズ塗れで、切迫していた。
『杉下、逃げろ! 三上静は、ただの「観測者」に仕立て上げられていたんだ。……真の観測者は、日本の警察内部にいる。広域治安維持システムを、自らの「眼」として使おうとしている!』
「時間が……止まらない……!」
佐伯が絶叫した瞬間、足元で震動が始まった。
これまでの「地震」ではない。地下にあるシステムの冷却装置が、臨界を超えて暴走を始めた音だった。
右京は、ドローンの向こう側にいる「誰か」を見据えた。
空で、ドローンが嘲笑うように旋回する。爆発のカウントダウンは、あと十秒。
右京の手に、かつてない熱が伝わる。
神戸期の相棒でシステムの完成を急いでしまい事件に繋がるっていう話しがありましたが、ああいう感じを念頭に置いてます。
振りとかではないので神戸尊は今回の話に登場しませんが、彼は特命係を離れた後も警察組織にいるのでキャラクターとして使いやすいですよね。
亀山復活後のシーズンで出てきた時はテンション上がりました。あのスリーショットよかった!