【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】 作:ベイベ後藤
熱い。杉下右京の手にあるアタッシュケースが、まるで心臓のように脈打ち、灼熱を放っている。
亀山が佐伯を抱え上げ、防爆壁の影へと猛然と走り出す。その背中を見送りながら、右京は視線を外さなかった。空中に静止し、無機質なレンズで自分を「観測」し続けるドローン。そして、その向こう側にいる、日本の警察機構を歪ませた「主」を。
「……逃げませんよ。ここで僕が目を逸らせば、時間は再び奪われる」
右京は、不快な高周波音を撒き散らすケースを、あえてドローンのレンズの真下へと突き出した。
「聞こえていますね? あなたが、このシステムを使って成そうとしているのは、秩序の維持ではない。停滞という名の、支配だ!」
スマートフォンのスピーカーから、モルダーの叫びが電子の壁を突き破って響く。
『杉下! 今だ! そのドローンの制御信号を逆探知した。
奴は今、警視庁本部の地下、旧式サーバーの回線を中継している。……だが、強制シャットダウンは間に合わない! 爆発を止められるのは、その場の物理的な「接続」を絶つことだけだ!』
「接続を絶つ……。」
右京は、ケースの側面にある継ぎ目に、自らのペンを躊躇なく差し込んだ。
内部の基板が火花を散らし、指先に鋭い痛みが走る。
ドローンが不気味に高度を下げた。レンズの中に、赤い警告ランプが点滅する。それは「排除」の合図だ。
「右京さーーーん!!」
壁の向こうから亀山の怒号が響く。と同時に、右京の頭上を「何か」が猛スピードで通過した。
佐伯を安全な場所に下ろした亀山が、反射的に拾い上げた工事用の重い鉄筋を、野球の投球のように投げつけたのだ。
鉄筋は、空中のドローンを真正面から貫いた。
バチバチと青白い放電を撒き散らしながら、ドローンが地面に叩きつけられる。
「観測」が途切れた。システムの瞳が潰れた瞬間、アタッシュケースの脈動が一瞬だけ弱まる。
右京は、その隙を逃さなかった。
「モルダー捜査官! システムのオーバーライドを!」
『受け取った! ……全パケット、臨界突破!』
モルダーがワシントンから放った情報の「飽和攻撃」が、ドローンの墜落によって生じた一瞬の防壁の綻びに、濁流のように流れ込む。
臨海副都心署の全システムが、真っ白なノイズと共に沈黙した。
アタッシュケースから放たれていた熱が、嘘のように引いていく。
静寂。
白い光も、爆風も、時間の巻き戻りも起きなかった。ただ、春の潮風が砕けたドローンの残骸を撫で、遠くでカモメの鳴き声が聞こえるだけの、現実の月曜日がそこにあった。
「……止まった……のか?」
壁の影から這い出してきた亀山が、信じられないものを見るように自分の手を見つめる。
「俺……生きてる……。右京さん、生きてますよ、俺たち!」
「ええ。……ようやく、時計の針が動き出したようですねぇ」
右京は、煤で汚れたペンを拾い上げ、胸ポケットに収めた。だが、その表情に安堵はない。
墜落したドローンのレンズは、割れてなお、右京を映し出していた。
右京のスマートフォンに、一通のメールが届く。それは、これまでのループで届いていたどのメールよりも短く、そして重いものだった。
FROM: Unknown
SUBJECT: Goodbye
杉下右京。君という「不確定要素」を過小評価していたようだ。しかし、システムは既に日本中に根を張っている。
小野田官房長が遺した「種」は、もう芽吹いているのだよ。
「……やはり、生きていた頃のあの人ではない」
右京は、メールを削除せずに画面を見つめ続けた。
「あの人が遺した遺産を……歪んだ形で引き継ごうとしている者がいる」
佐伯は、その場にへたり込み、声を上げて泣き始めた。それは冤罪を晴らした喜びではなく、利用され続けた者の惨めさと、ようやく終わった絶望の交じり合った慟哭だった。
その時、右京の背後から足音が近づいてくる。
車から降りてきた男。
特命係を、そして杉下右京を「排除すべきバグ」として見つめ続けてきた、冷徹な影。
「お見事でしたよ、杉下警部。……ですが、これはまだ、プロローグに過ぎません」
「……驚きましたね。現場にこれほど早く駆けつけるとは。よほど、この結果を待ちわびていたとお見受けします」
右京は、振り返ることなく背後の足音へと語りかけた。
車から降り立ち、静寂を切り裂いて近づいてきたのは、顔の判然としないエリート官僚と警視庁副総監の衣笠藤治だった。
「杉下警部。君の『予測不能な行動』には、いつも手を焼いている」
衣笠は、墜落したドローンの残骸を汚物でも見るような目で見下ろした。
「君が今しがた破壊したのは、次世代システムの『眼』であり、国家の安全保障そのものだ。器物損壊、及び公務執行妨害……本来なら、即座に身柄を拘束すべき大罪だ」
「安全保障、ですか。一人の国民を絶望に追い込み、その怒りを燃料にして時間を巻き戻すことが、あなたの言う安全ですか?」
右京の鋭い指摘に、衣笠は眉ひとつ動かさず、無機質な微笑を浮かべた。
「……? 杉下警部、疲れているようだね。ここにあるのは、狂ったテロリストの暴走と、それを阻止した君たちの『独断専行』だけだ。」
衣笠の言葉は、この事件を「なかったこと」にするための、整備された隠蔽の意志を孕んでいた。
三上静の存在も、ループの記憶も、すべてはシステムの「一時的な不具合」として処理され、闇に葬られようとしている。
「佐伯さんをどうするつもりだ!」
亀山が、特殊部隊に両脇を抱えられた佐伯を庇うように一歩前に出る。
「彼は利用されただけだ! 悪いのは機械と、それを操ってた連中だろうが!」
「亀山くん。……無駄ですよ」
右京が静かに亀山を制した。
「彼らは、最初から知っていたはずです。このシステムが、佐伯さんのような『過去に傷を持つ人間』を苗床にして、予測精度を高めるための実証実験を行っていたことを」
衣笠は、右京の瞳を覗き込むように顔を寄せた。
「生前の小野田官房長はね、こう仰っていた。『警察を真に機能させるには、個人の正義などという不確定要素を排除した、巨大な自動機械が必要だ』と。彼が遺した『種』とは、感情に左右されない、絶対的な管理秩序だ。君たちは、その進化を止めたつもりだろうが……それは間違いだ」
その時、右京のスマートフォンが再び震えた。
通知はない。だが、スピーカーからは、ワシントンD.C.からの切迫した声が響き渡った。
『杉下! まだ終わっていない!』
モルダーの声だ。
『ドローンの信号が途切れる直前、日本の各地にある七つの警察施設で、同様の「高周波ノイズ」が観測された。……臨海副都心署は、巨大な回路の一部に過ぎなかったんだ。
奴らはシステムを使って、日本列島そのものの磁場に干渉しようとしている。……これは、巨大な儀式だ』
「七つ……。北斗七星の配置ですか?」
『いや、スカリーが今、地質データを照合しているが、それらの地点はすべて「中央構造線」に沿っている。……奴らはシステムを使って、日本列島そのものを「巨大な記録媒体」に変えようとしている!』
衣笠の表情から、余裕の笑みが消えた。彼は右京のスマートフォンを凝視し、冷酷に命じた。
「……通信を切れ。杉下、君たちは今日付けで謹慎処分だ。……これ以上、現実をかき回さないでもらいたい」
関係車両が、佐伯とドローンの残骸を回収し、嵐のように去っていく。
後に残されたのは、激しい憤りに拳を握りしめる亀山、そして、空を見上げる右京だけだった。
「右京さん……どうすりゃいいんですか。俺たち、本当に夢でも見てたんですかね」
「いいえ。……亀山くん、その拳に残る震えこそが、現実の証拠です」
右京は、空の彼方に目を向けた。そこには、モルダーが警告した「視線」が、まだ自分たちを監視し続けている予感があった。
「……モルダー捜査官。聞こえますか」
『ああ、聞こえてる。スカリーが準備を整えた。次は、君たちがこちらに来る番だ、杉下。……アメリカには、日本の警察が手を回せない「真実」が眠っている』
「ええ。お言葉に甘えることにしましょうか。……亀山くん、パスポートの期限は大丈夫ですか?」
「えっ!?謹慎だって言われたばかりですよ」
「だからこそ、今の僕たちは『自由』なのです」