【女神転生 】「モルダー、あなた憑かれてるのよ」【相棒】 作:ベイベ後藤
妄想が長くなったので2つに分割。
1973年11月28日。午前4時12分。
フォートミードの地下施設から立ち上る薄い煙は冬の冷たい霧に紛れて消えた。
電算室の中には焦げたシリコンの異臭と主を失った衣服の残骸だけが不気味な静寂の中に横たわっていた。
「死傷者はゼロ。公式には高電圧ケーブルのショートによる小規模な火災だ」
若き日のスモーキングマン(スペンダー)は、煤で汚れたコンソールの前に立ち手帳に淡々とペンを走らせていた。
彼の背後では防護服を纏った清掃班がトマス神父たちが残した「肉体の抜け殻」―空っぽの靴や司祭服を産業廃棄物として黒いビニール袋に詰め込んでいる。
「トマス神父たちはどう説明する」
ディープ・スロートが震える声で尋ねた。
彼の視線は、つい先ほどまで人間が立っていた場所に残された一足の黒い革靴に釘付けになっていた。
「彼らは最初から存在しなかった。ヴァチカンの過激派グループが海外へ密出国したという記録を今、担当部署に捏造させている」
スペンダーは火のついた煙草を深く吸い込み冷徹な瞳をディープ・スロートに向けた。
「我々が守るべきは『世界』であって、『個人の命』ではない。ルシファーがもたらしたあの絶対的な混沌を我々は管理下に置くことに成功した。その対価は既に支払われたのだ」
「対価だと…? ビルの娘を、サマンサをシステムの生贄にしたことを言っているのか!」
ディープ・スロートの怒号は冷たいコンクリートの壁に虚しく跳ね返った。
スペンダーは答えず、ただ床に落ちていた一枚のパンチカードを拾い上げた。
そこにはビル・モルダーが震える手で書き込んだ「SAMANTHA」というプロトコル名が無機質な穴の羅列として刻まれていた。
ワシントンD.C. モルダー家の居間。
ビル・モルダーはソファに座り込んだまま一晩中動かずにいた。
彼の目の前には、まだ食べかけのポップコーンの袋と主のいなくなったサマンサのベッドへと続く廊下が底知れぬ深淵のように広がっていた。
「ビル。警察への通報は済ませた。誘拐だ」
スペンダーが玄関から音もなく入ってきた。
彼はビルの隣に座り、まるで慈悲深い友人のような手つきでその肩に手を置いた。だが、その指先は死神のように冷たかった。
「……彼女は冷たいと言っていた」
ビルが枯れ果てた声で呟いた。
「回路の中が暗くて寒いと。スペンダー、僕は彼女を殺した。いや、殺すよりも酷いことをしたんだ。
彼女の魂を永遠に終わらない計算のループの中に閉じ込めてしまった」
「違う、ビル。君は彼女を『永遠』にしたんだ」
スペンダーの囁きは、甘い毒のようにビルの耳に流れ込んだ。
「君の娘は我々がこれから築く完璧な世界の最初の基礎(アルゴリズム)になった。
彼女の犠牲なくして人類はルシファーという名のバグから逃れることはできない。君は英雄だ」
ビルは顔を覆い子供のように号泣した。
その隣でスペンダーは窓の外を見つめていた。そこには、まだ何も知らない幼いフォックス・モルダーが妹の帰りを待って庭の茂みを覗き込んでいる姿があった。
スペンダーの瞳に、かすかな憐憫の情が宿る。
(フォックス。君は父が遺したこの血塗られた回路を、いつかその手でデバッグすることになる。それまで私は君を見守ろう)
数日後。シンジケートの追手から逃れ地下へと潜伏したスティーブンは、ボストンの安アパートの一室で『DDS』のソースコードの最終調整を行っていた。
「…スペンダー、あんたの思い通りにはさせない」
彼はサマンサの意識波形が完全に消去されないようコードの最深部に「魂の残響(ゴースト)」としての暗号を埋め込んだ。そして、シンジケートの「管理」を無効化するためのバックドア―人間が悪魔と直接対話し、その力を借りるためのインターフェースを作り上げた。
「これは僕の罪滅ぼしだ。いつか、あの少年が真実に辿り着くための…」
スティーブンは作成したディスクを厳重に封印しディープ・スロートの手引きによって極秘のルートで搬送させた。
一方、ディープ・スロートはビルの許可を得て、ある一本のカセットテープを録音していた。
それは正気を失いつつあるビルが唯一、未来の息子に遺すことができた「血の謝罪」だった。
現代。雨のワシントン。
FBIのXファイル課。古いカセットデッキが静かにテープを回し続けている。
『……フォックス。このテープを君が聴いているということは私はもうこの世にはいないだろう』
テープの中のビル・モルダーの声はノイズにまみれ、時折途切れる。
『あの日、私はサマンサを救うチャンスを捨てた。
スペンダーという男の言葉に屈し、真理という名の誘惑に負けた。……サマンサはネットワークの中にいる。
彼女は、シンジケートが作り上げた情報の檻の中で今も君を探しているんだ』
スカリーは、モルダーの肩にそっと手を置いた。彼女の目からも、一筋の涙が溢れていた。
『フォックス。スティーブンという男を信じろ。そして君のスマートフォンにあるあのプログラム…DDSを恐れるな。
それは、私たちが犯した罪を君が正すための唯一の武器だ。サマンサを……彼女を、情報の氷の中から救い出してくれ……』
プツン、という音と共にテープの回転が止まった。
部屋には、ただ雨の音とスマートフォンの液晶が放つ淡い光だけが残された。
モルダーは、ゆっくりとスマートフォンを手に取った。
画面にはスリープから復帰したジャックフロストが、どこか切なげな表情でこちらを見上げていた。
「……行こう、スカリー。こんなことは僕が、いや、僕たちが終わらせるんだ」
モルダーの瞳には、かつてのビルが持っていた迷いはない。あるのは父の呪いを断ち切り妹を救い出すという、一筋の決然たる光だった。
その夜、ワシントンのどこか。
スモーキングマンはデスクの上で灰皿に煙草を押し付け暗いモニターに映るモルダーの現在位置を眺めていた。
「時期尚早だと思っていたが……どうやらデバッグの時間は早まったようだな」