日本ウマ娘トレーニングセンター学園。トレセン学園と呼ばれるこの場所は、一言で表すなら魔境です。
一大エンターテインメントとして有名なトゥインクル・シリーズ。
ファンを魅了してやまない煌びやかな舞台の裏では、日夜熾烈な生存競争が起きています。
まず何といってもメイクデビュー及び未勝利戦。ここを抜けるのが走り続ける絶対条件ですが、抜けるだけでも狭き門。
入学したウマ娘の大多数が、この未勝利戦を抜けれずに脱落することも珍しくない。
期限も決まっており、クラシック級の6月が締め切り。それ以降出走するのであれば、階級が上のレースに進むか地方に流れるか。はたまた別の科に転科するか引退です。
脱落は嫌だ。生き残るために必死にトレーニングを積む。
けれど、結果が伴わない子も出てくる。脱落する子はどうしても生まれてしまう。
大半の子は引退を選びます。それも当然で、自分の実力を嫌というほど思い知らされるから。
自分が一番強いと思ってやってきた全国の名門校。でも自分が一番なんてことはなくて、上には上がいることを知らされる。
心を折られて、引退する子はたくさんいます。
夢破れてトレセン学園を去っていく子を見送るのも日常茶飯事。何も珍しくない。
楽しいことよりも辛いことの方が多いこの業界。とても厳しい世界だと理解しています。
それでも挑むのは、勝った先の世界が凄いから。
重賞の世界に飛び込めば、それはもう夢のような光景が広がっていることでしょう。
多くのファンから応援されて、賞賛を受けて。愛してくれるファンが大勢います。
結果を出したご褒美だ。それくらいあって然るべき。
ライバルと切磋琢磨して、トゥインクル・シリーズを盛り上げて。走り以外の仕事も舞い込んできて、仕事と兼任するような子だっている。
進学にだって有利です。結果を残した分だけ、将来の設計に彩をもたらしてくれます。
そうでなかったとしても、誰かの意志を継ぎたいから走るという子もいます。
憧れの人に追いつきたい。その一心で走る子も当然いる。
走る理由は千差万別で、どれも尊ぶべきもの。否定する権利はどこにもない。
夢破れたとしても、自分の夢を継いでくれるような子が現れる。
自分の走りに夢を見てくれて、意志を継いで走ってくれる。そんなこともあるかもしれません。
その上で私が言いたいことはただ一つ。
「寝ぼけてんじゃねぇ。レースなんて勝ってなんぼでしょうが」
これに尽きます。私は、勝つためにトゥインクル・シリーズに来た。
他人が勝ったところでどうした? 自分で勝たなければ意味がありません。
ファンに応援されたいから。将来に安泰をもたらしたいから。
憧れに追いつきたいから。誰かの憧れになりたいから。
走るのが楽しいから。ライバルに勝ちたいから。
どれも立派な理由です。尊重すべきことなのは分かります。
けれど、私が走る理由はどれでもない。最も原始的で、根源的な欲求。
勝ちたいから。誰が相手だろうと、私は勝ちたいから。だからトゥインクル・シリーズを走っている。
ファンのために走るのも大事かもしれない。
「知ったことじゃありません。私は私の勝利のために走っています。応援したければご勝手に」
勝てば将来が安泰するだろう。
「知ったことじゃありません。私が欲しいのは目先の勝利です。その先の未来なんてどうでもいい」
憧れに追いつきたい、誰かの憧れになりたい。目標になる、誇れる自分でありたい。
「知ったことじゃありません。ファンと一緒です。憧れたければ勝手にしてください。私の勝利の邪魔をするなら容赦しません」
走るのが楽しいから、ライバルに勝ちたいから。宿敵が強さをくれる。未知の力をくれる。
「知ったことじゃありません。誰と走ろうが関係ない、勝ちたい気持ちはなによりも優先されます」
私からすれば勝利こそが至上。それ以上に走る意味なんて存在しません。本当に、それだけの話です。
世界で一番強いことを証明したい、そういうわけではありません。
勝ちたいだけです。その果てで世界一と呼ぶのであればお好きにどうぞ。その程度でしかない。
ひたすらに勝つことに執着している。それが私、ダーティフィクサーというウマ娘の欲。
勝利こそが、私がトレセン学園で走る理由です。
◇
目覚ましの音が鳴る。日が昇って薄っすらと白くなり始める時間に目が覚める。
「……朝練の時間ですか」
隣のベッドで寝ている同室の子を起こさないようにし、ジャージに着替えて朝練の準備を済ませる。
扉をそっと開け、あまり大きな音を立てないように外へ。
「走ってきます」
「今日はちゃんと始業前には帰ってくるんだよスズカ」
「うっ。は、はい」
「フィクサーも、行ってらっしゃい。君も気を付けてね」
「ありがとうございます。気を付けて行ってきます、フジキセキ寮長」
栗東寮の長であるフジキセキ寮長に見送られて、私は外へと出る。
軽い準備運動の後、1時間ほど走りこみます。
走っている時間は嫌いではありません。人も少ない時間、なんとなく特別な気分に浸れます。
(なんとかメイクデビューは勝ち抜けましたね。次はコスモス賞……8月のオープンレースです)
走っている最中、考えるのは次のレース。
気を引き締めなければいけません。次のレースもしっかり勝たなければ。
けれど、身体は意志に反する。
走り込みなのに、無意識にスキップを刻んでしまいそうなほど、私は浮かれています。
頬が緩む。自然と笑顔になる。河川敷にいる人達は、私を見て怪訝な顔つきをしていました。
ただ、嬉しくなるのも仕方ありません。オープンレースに出走できるのですから。
メイクデビュー。私は勝ち抜けることができました。狭き門である未勝利戦を、私は早々に勝ちぬけた。
嬉しくないはずがない。これでひとまず安泰、中央に残ることができます。
(中央でも勝つことが目標。そのためには中央に残り続けることが条件ですからね)
地方で走る、なんて手段もありますが、中央に残れるだけでもやはり嬉しい。
少なくない人数を見てきました。中央で結果を残せず、涙ながらに去っていく子達を。
そして、彼女達を見送る寮長と親しかった友人と思われるウマ娘の姿を。
(勝たなければ意味がありません。綺麗な言葉を並べても、中央は弱肉強食ですから)
明日は我が身。そうならないためにも、努力を怠らないようにしなければ。
「走り込みの後は筋トレ。筋トレが終わったら、始業の準備をしなければ。1日たりとも休む暇はありませんね」
今後の予定をブツブツと呟きながら走る。河川敷の人からの微笑まし気な視線を受けながら。
朝練が終わった後は身支度を済ませて学園へ。
校門前で挨拶しているたづなさんに一礼しながら、自分の教室へと向かいます。
教室にはまばらな生徒。入室に気づいた友達の1人、ブリッジコンプさんがこちらに手を振っています。
「おはようフィー。朝からトレーニングお疲れさま」
「はい、おはようございます、ブリッジコンプさん。日課なので、慣れたものですよ」
「毎日継続するのは凄いよ。私には無理だ~」
机に寝そべり、堕落を貪る姿のブリッジコンプさん。
そんな彼女を、他のメンバーが揶揄う。
「アハハ、ブリには厳しそうだよね~。ただでさえ朝弱いし」
「なにおう! 私だって起きようと思えば……起きれるよ!」
「なら、即答するところから始めましょう。いつデビューしてもいいように、準備するのは大事ですよ」
和やかな雰囲気で談笑する私達。殺伐とした世界でも、普段は学生らしい会話もします。
とはいっても、私は流行にとんと疎いもので。基本的には聞くことに徹しています。
ただ、自分のことについて話題に挙げられたら話は別です。
「そうだフィクサー。メイクデビュー勝ったんでしょ? おめでとう!」
「えぇ。ありがとうございます。無事に、中央に残ることができました」
「いやいや、もっと考えることあるっしょ? 私強いぞー、とかそれほどでも~、とか」
「もうちょっと喜んでもいいと思うけど」
話題はメイクデビューのこと。私の勝利をみんなが祝ってくれます。
嬉しいことは嬉しいですが、まだまだ課題は山積み。
「今回のメイクデビューは運の要素が大きかったですから。私以外、ほぼ出遅れていましたし」
「運も実力のうち、って言うじゃん? それだよそれ」
「私は運ではなく、実力で勝利をもぎ取りたいので」
「とは言いつつも、嬉しそうに耳をピコピコさせるフィクサーちゃんなのであった」
「体は正直よのう~」
他愛もないこの時間も嫌いではありません。それはそれとして、からかってきた友達にはチョップをお見舞いします。
「いたた……本当のこと言われたからって怒らないでよもう」
「知りません。それよりも、もうすぐ先生が来ますよ。席に座った方がいいです」
「はいは~い。それじゃあまた休み時間にね~」
始業の挨拶に授業を受けて。朝の授業が終わればご飯を食べて。
昼の授業の後はトレーニング。次のレースに向けて、万全の態勢を整えます。
トレーニングは基本的に、ブリッジコンプ達と一緒です。付き合ってくれる彼女達には感謝ですね。
「フィクサーってさ、本当に真面目だよね~」
「真面目も何も、一生懸命トレーニングするのは当然でしょう」
「いやいや、それでも1日ぐらいは休みそうなもんじゃん? それもないから、フィクサーは本当に凄いな~って」
「確かに、フィクサーちゃんが休んでるところ見たことないかも」
「やっぱこういうところで差がつくのかねぇ。あたしには無理だわ~」
「勝ちたいのだから努力するのは当然です。ブリッジコンプさん達も、中央に残りたければ努力をしましょう」
別に同じチームに所属しているわけではありません。ただ、居心地が良いからみんなで一緒にトレーニングをしている関係。
本当なら、もっと真剣になれと思うかもしれない。本気じゃないと思われるかもしれません。
ですが、この交友は得ようと思って得られるものではない。とても貴重なものです。
なにより、私だけデビューしているのに、みんな変わらずに接してくれている。
なんとありがたいことでしょうか。
(この関係に、感謝しなければいけませんね)
言葉にはしません。絶対に調子に乗るので。
「よし、今のうちにフィクサー大明神にあやかっておこう。ありがたやありがたや~」
「なんですか大明神って。あやかったところで何もありませんよ」
「なにとぞ、なにとぞご利益をお願いします~!」
中々楽しい日々を過ごしています。
トレーニングが終われば寮に戻ります。寮長に挨拶をして、自分の部屋へと戻る。
同室の子と適当に話しつつ、次のレースに向けてコンディションを整える時間。
(次のオープンレースは、私と一緒の子達。メイクデビューを勝ってきた、私と同じ土俵に立っている子です)
体が震えます。恐れではなく、武者震いの震え。
ワクワクしている。このレースも勝って、次も勝って、私は勝ち続ける。
(難しくても、私ならできます。努力を重ねればきっと)
お風呂も入って消灯の時間。電気を消して、明日に備える。
明日起きたら、またいつものように朝のトレーニング。ルーティーンを崩さない、当たり前のことをこなす。
そうすれば勝てる。奇をてらう必要なんてない。
地道に努力を重ねれば、結果はおのずと着いてくる。
(明日も頑張りましょう)
そう、信じていますから。
◇
ルーティーンを崩さずに、いつもの当たり前を崩さなかった私。
自信はありました。大丈夫だと信じていました。
その自信は。
《コスモス賞を制したのは11番のヴィオラリズム、ヴィオラリズムが見事勝ちました! 鮮やかに抜け出してレースを制しました! 2着は》
初めてのオープンレースで、着外に大敗したことであっけなく崩れ去った。
ダーティフィクサー
身長:156cm
体重:変わらない
B/W/H:84/58/79
髪色:黒鹿毛