勝利のエゴイズム   作:カニ漁船

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幕間 追いかけっこ

 ナリタブライアンの走りの原点は、姉であるビワハヤヒデを追いかけていたことにある。

 

「いつかぜったいに、ねーちゃんを追いこすからな!」

「はは、なら追いつかれないように、わたしもがんばらないとな」

 

 目標である姉は強く、ナリタブライアンにとっての憧れだった。

 前を走る姉の壁は高い。差を詰めればその分だけ離される。

 走って追いかけて、追いついたと思えば離されて。幼少期の頃からずっと、追いかけっこのように走り続けてきた。

 

「またねーちゃんに勝てなかった」

「当ぜんだ。わたしはお前の姉だぞ? まだまだ、負けるわけにはいかないさ」

「……いつかぜったい、追いこしてやる」

 

 楽しかった。追いついたと思えば離されて、離されたらその分だけ追いついて。

 それもあるが、姉と走る時間はナリタブライアンにとって何物にも代えがたいものだった。

 

 社交的な性格ではない故に、同世代の子と話すのに気後れする。幼い彼女は臆病で、話しかけることすらままならなかった。

 友達も少ない、同世代で競い合う子もいない。大人数で走ることに慣れていない。

 

 それでもいいと思っていた。何故なら、ナリタブライアンには姉がいたから。

 姉と走れればそれでよかった。目標を追いかけるだけで、それだけでよかった。ナリタブライアンの走りの世界は、ビワハヤヒデとの中だけで完結していた。

 

 

 しかし、そうはいかない日がやってくる。

 

「ねーちゃん、だいじょうぶ?」

「大丈夫だブライアン。すぐに治すから、治ったらまたいっしょに走ろう」

 

 ビワハヤヒデがケガをした。走れなくなるほどの重篤なものではないが、しばらくの間は安静にしておかなければいけないケガを。

 

 ナリタブライアンは悲嘆にくれる。姉と走る時間が楽しかったのに、その時間が無くなってしまったと。姉のケガを悲しむのと同時に、これからどう走ればいいのかと考えていた。

 

 そんな時である。ビワハヤヒデからある提案をされた。

 

「ほかの子といっしょに走っておいで、ブライアン。わたし以外にも、走る子はたくさんいるさ」

 

 自分以外の誰かと走ること。走れない自分に変わって、一緒に走ってくれる子を探すことを提案する。

 ビワハヤヒデの言葉を聞いて、ナリタブライアンは躊躇した。理由は1つ、他人と関わるのが怖いから。

 服の裾をぎゅっと掴み、不安な表情でビワハヤヒデの顔色を窺う。

 

「だ、だいじょうぶかなっ」

 

 不安そうにするナリタブライアン。彼女を安心させるために、ビワハヤヒデは笑った。

 

「大丈夫だ。お前はわたしの、妹なんだからな」

「ねーちゃんの、いもうと」

「そうだ。だから、何も気にせず楽しんで来いブライアン。わたしも、すぐにもどってくる」

 

 不安だったナリタブライアン。だが、姉の言葉で不安は吹き飛んだ。

 大好きな姉の言葉。姉が大丈夫というならきっと大丈夫、信じられる。

 そう、姉の言葉は正しいから大丈夫だ。

 

 ナリタブライアンは笑った。きっと、楽しく走ることができると。

 

 

 現実は、甘くはなかった。

 

「アンタなんかと走っても楽しくない! どっかいって!」

「ブライアンちゃん強すぎるよ……っ」

「勝てっこないのに、なんで走らなきゃいけないわけ? むりむり」

 

 ナリタブライアンは強すぎた。強すぎるが故に、彼女は孤独だった。

 同世代でも突出した実力の持ち主。ビワハヤヒデと同じスクールに通っていたものの、同じ歳の子とはまるで勝負にならなかった。

 

 ただ、楽しくなかったわけではない。走れるだけでよかったし、なにより勝負すること自体が楽しいからだ。

 自分がそうしたように、背中を追いかければいい。追いつけるように努力すればいい。

 きっと同じ気持ちを抱えてくれる。姉が大丈夫と言ったのだから、みんなも同じように追いかけっこをしてくれる。

 根拠もなくそう信じていた。

 

「次はもっと、速く走れる。だからいっしょに」

「アンタは楽しくてもこっちは楽しくないの。別の子をあたって」

「え? で、でも」

「こっちは楽しくないって言ってんの! どっかいってよ!」

 

 その結果が、ナリタブライアンを更なる孤独へと追いやった。

 

 あまりにも強すぎるナリタブライアンに、他の子が抱いたのは畏怖。

 才能への絶望、戦っても仕方ないという諦観。走る前から勝負を諦める、あるまじきものだった。

 仕方ないのかもしれない。まだまだ幼いウマ娘にとって、負けるというのは精神的にクる。

 勝ちたい気持ちが強いのもそうだし、なにより楽しくない。楽しくないのに、一緒に走っても仕方ない。

 

 だからこそ、誰も彼もがナリタブライアンから遠ざかった。強すぎる彼女と一緒に走ったら、才能の差を思い知らされるから。そうなるくらいなら、一緒に走らない方がまだマシだからだ。

 

「は~ぁ、ほんと最悪。なんであんな速い子がウチにくるのかねぇ」

「ブライアンのこと? それマジある。他のとこ行ってほしいって感じ」

「やる気下がるよね~」

 

 心を折られるくらいなら競わない。立ち向かわないで、戦いの土俵に上がらないことを選択する。

 その気持ちが、その心が。

 

(どうして、どうしてだ? 何故、何故お前らは……っ)

「本気出したって敵うはずないんだからさ。本気出すだけ無駄無駄」

「そーそー。ナリタブライアン様には敵いっこありませ~んってね」

(何故競わないっ!? 何故、追いかけようとしない! それが、当たり前じゃないのか!?)

 

 ナリタブライアンの心に、深い瑕を作った。

 姉の言葉を信じて走ってきた。きっと大丈夫だと、他の子と一緒に走ってきた。

 追いかけてくれるから。姉としたような追いかけっこになると、信じていたから。

 

 そうはならなかった。誰も自分と競うことはなくなった。

 走る前から諦めて、遠巻きに自分を眺めるだけになった。

 

 心底理解できない。届かないのなら追いかけて、何度負けても追い続けて。打ちのめされてもただ走ってきた。

 それが当たり前だった。才能なんて関係ない、次走ったらもっと良くなる。知らない自分を見つけられる。

 信じてきたからこそ、ナリタブライアンは許せなかった。走る前から諦める、彼女らの存在は。

 

「姉貴」

「どうしたんだ、ブライアン? また」

「走ってくれ。今までと、同じように」

「……どうしてだ? 友達は」

「あんなやつらと走っても無駄だ。私には姉貴しかいない」

 

 故に、ナリタブライアンは見切りをつけた。

 どうせ自分と競ってくれる相手なんていない。いもしない相手に期待するだけ無駄だ。

 なら、姉と走った方が有意義だ。姉は自分の壁として立ちはだかってくれる、一緒に走ってくれる、競ってくれる。

 

(そうだ。姉貴はずっと私の目標になると言ってくれた。姉貴を超えることが、私の目標なんだ)

 

 依存。競ってくれる相手がいなくなったからこそ、ナリタブライアンはビワハヤヒデという対戦相手に依存した。

 必然とも言えるだろう。競う相手を望むのに、競ってくれるのは姉しかいないのだから。

 

 ビワハヤヒデが良かれと思って言ったことは、悪い方向に向かってしまった。

 ナリタブライアンの孤独をさらに深めることになる、最悪の方向に。

 

 

 

 

 

 

 トレセン学園に入学してからも、ナリタブライアンは変わらなかった。

 否、さらに酷くなったとも言える。

 

「レースは貴方の得意な距離に合わせましょう。この条件が飲めないなら、走らないわ」

「……別に構わん。アンタが本気を出せる距離ならなんでもな」

 

 飢えは酷くなる一方だった。満足のできる勝負をしたい、競い合う相手を欲する、レースへの渇望。ナリタブライアンを突き動かすもの。

 満たされない。同世代の相手と戦っても満たされないのならば、上の相手に挑むしかない。

 時には重賞級のウマ娘に挑むこともあった。己の飢えを満たすために、トレセン学園でならば、満足のいく勝負ができると淡い期待を抱いて。

 

 その期待は、すでになくなっていた。

 

(どうか私に追いつかれるな。私に、アンタを追いかけさせろ!)

(闘志を見せろ。アンタの内に秘めている闘志を、血が疼くような、沸き上がるような激しい闘争心を!)

 

 縋り、挑む。そして相手に闘志がないことを悟ると──意味がないとして走るのを止めた。

 

 レース後。ほとんどのウマ娘は決まって同じことを言う。

 

「怪物……」

 

 ナリタブライアンに恐怖する目。競ってはいけなかったと、諦めるような言葉を吐く。

 

「……やはり、期待するだけ無駄だったな」

 

 その言葉を聞いて、ナリタブライアンもまた諦めた。誰も、競ってくれる相手はいないのだと。

 一時は退学を考えるほどだった。どうせ競う相手がいないなら戦っても意味はないと、実家に帰ることも考えていた。

 

 

 それでも、ナリタブライアンがまだ学園に残っているのは、少しの期待があるからだろう。

 いや、そうでなくても、追いかけるべき目標がいるからかもしれない。

 

《ビワハヤヒデだビワハヤヒデだ! 菊花賞を制したのはビワハヤヒデ! レコードタイムでの決着、5バ身差の衝撃!》

「やっぱり、姉貴は凄いな。そうでなくては困る……!」

 

 自分の飢えを満たしてくれる相手は姉しかいない。その姉がトゥインクル・シリーズを走っているのだから、自分も走る。

 同世代の相手に興味なんてものはない。決まって同じことを言う彼女らに、期待することはすでに止めた。

 

「私の勝負の土俵は、その先にある。クラシックなぞ通過点に過ぎん」

「いや~、相変わらず傲慢な物言いだねぇ。そういうの好きよ」

「頬を触るな」

 

 一緒に走るクラシックはハナから興味がない。目指すはその先──ビワハヤヒデとの決戦。姉妹喧嘩こそが、ナリタブライアンの見据える目標。

 

 ナリタブライアンのトレーナーである阿武隈も止めなかった。何故なら、同世代で敵う相手はいないと思っているから。

 

「ま~今んとこ敵になる子もいなさそうだしね。今は、ね」

「含みのある言い方だな。なにが言いたい?」

「ちょちょ、あんま真に受けて怖い顔しないでよ~。トレーナーとしてはさ、やっぱ保険かけときたいわけ。ほら、こっから並ぶ子が」

「いるはずがない。そんな奴はな」

 

 他チームのウマ娘の情報は揃えてある、万が一が起こらないように、抜けがないように綿密に調べてある。

 その上で判断したのは、やはりクラシックに敵はいないこと。ナリタブライアンの敵になりうる相手はいないと、阿武隈トレーナーは判断した。

 

 それでも、阿武隈トレーナーは細心の注意を払う。万が一を起こさせないように、だ。

 

(あの子が道を踏み外さないようにしないと、ね)

 

 教え、導くために。ナリタブライアンの未来が明るいものとなるために力を尽くす。それがトレーナーの役割だから。

 

 

 いつものようにトレーニングをしよう。そう思い準備をする、阿武隈トレーナー率いるチーム・ハダル。

 そんな彼女らの目に映ったのは。

 

「まぶしっ!? 眩しいから何とかしなさいよフィー! てか、変な薬飲むのやめろって言ったわよね!?」

「薬の副作用だから仕方ないでしょう。このままやりますよ」

「いや、こんな状態でやれっこないでしょ。アタシらどう走ればいいのよ?」

「さてさて、今日も実験と行こうじゃないかフィクサー君!」

 

 無駄に発光している1人のウマ娘と、それを取り巻くへんてこなウマ娘達だった。

 1人だけ見覚えがあるが、それ以外はない。

 あまりにも頓珍漢な光景に、ハダルのメンバーは一瞬フリーズする。

 

「えっと、なにあれ?」

「分かるわけないでしょ。まぁ、アグネスタキオンがなんかしたのだけ分かるけど」

 

 疑問を口にするメジロパーマー。答えるナリタタイシンもまた理解が追い付いていない。

 

 困惑しつつも、阿武隈は聞こえてきた名前に聞き覚えがないか、脳みそをフル回転させる。

 

(フィクサー……ってぇと、ダーティフィクサー? 確か、次のレースでブライアンと当たる……)

 

 結果、共同通信杯のメンバーだと思い出した。ナリタブライアンと走る相手だと。

 

 まぁ、それよりも。

 

「ぷっ、あはは! なんで、なんで身体が光ってんの!? ウケる~!」

「いや笑い事じゃないと思うんだけど」

「つっても、つってもさタイシンちゃん! アレ笑うなって無理があるでしょ! 何してんのあの子ら! ほんとおもしろ~!」

 

 目の前の光景がおかしくて仕方がない。どうして身体が発光しているのか、周りのウマ娘が鬱陶しそうにしているとか、当事者がまったく気にしてないことが面白くて仕方がない。思わず大笑いする。

 

(ま~でも、敵にはならなそうかな? たくさんレースに出てるけど、それだけって感じだし)

 

 笑いながらも考えるべきことは考えている阿武隈。これはやはり、トレーナーという職業柄だろう。

 面白いことをしているが、敵になることはない。そう判断する。

 

 それは、ナリタブライアンも同じだった。

 

「くだらん。いくぞ、トレーニングだ」

「はいは~い……ぷくく、いや笑ったわ。ホントおもしろい……っ!」

「笑ってないで、さっさとトレーニングの準備をしろ」

 

 敵ではないと判断する。少なくともこの段階で、ナリタブライアン陣営は──微塵もダーティフィクサーを警戒していなかった。

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