旧理科準備室。本来であれば授業が始まっている時間に、ウマ娘の楽し気な笑い声が響く。
アグネスタキオン。この場所を根城にしているウマ娘の1人であり、とある研究をしている学園の生徒でもある。
彼女は今、興奮を抑えきれずにいた。
(今にしても、なんて強烈なファーストコンタクトだろうね。忘れることができない出会いだ)
理由は昼休みに起きたとある邂逅。
1人のウマ娘との出会いが、彼女の好奇心を刺激した。
ダーティフィクサー。こちらも学園の生徒であり、アグネスタキオンに対して自分をモルモットにしてくれ、と売り込みに来たウマ娘。
(私の噂を知ってなお、彼女は私のところへと来た。強固な意志……いや、あれは狂っている、といった方がいいね)
「勝利に飢えた獣、といったところか。なんにせよ、モルモット志願は大歓迎だ!」
ケラケラ笑いながら、PCのキーボードを叩く。
画面に表示されているのは……ダーティフィクサーに向けたトレーニングメニュー。
さらには、彼女の数値を測るためのメニューが書かれていた。
手元には怪しい試験薬。おそらくダーティフィクサーに飲ませるであろう物を片手に、アグネスタキオンは興奮を抑えきれない。
「さてさて、彼女は私に何をもたらしてくれるのか。なんとなく気が合いそうだし、楽しみだよ」
ダーティフィクサーに興味を惹かれるアグネスタキオン。
早く放課後にならないかと、耳と尻尾を機嫌良さそうに揺らしながらデータをまとめていた。
◇
待ちに待った放課後。運動場にてアグネスタキオンとダーティフィクサーは再び出会う。
「では、データを集めましょう。まずは何から始めますか?」
「無難にハロンごとのタイムから測らせてもらおう。君の現在地点を確認するために、ね」
「分かりました。それと、こちら頼まれていたものです。私が普段やっているトレーニングメニュー」
「助かるよ。これでより詳細なデータが分かる」
周りのウマ娘は敬遠している。その理由はやはり、アグネスタキオンがいるからだろう。
2人に聞こえないよう、声を抑えて会話をするウマ娘達。
懐疑的な視線もあるが、それ以上に感じるのは好奇心だ。
「ねぇ、アレってアグネスタキオンだよね? あんまり姿を見ないのに」
「本当。なんか、天才って噂だけどさ……実際どうなんだろう?」
「てか隣にいるのってダーティフィクサーさんじゃない? あの」
「あぁ、オープンレースで死ぬほど悔しがってる? あんまり想像がつかないペア」
悪い意味で有名なアグネスタキオンだが、才能に関しては周りも認めるところ。
彼女が何を目的に運動場へ来たのか、気になっているウマ娘は多い。
さらには、連れ添うようにダーティフィクサーがいる。
ダーティフィクサーもある意味有名になりつつあるウマ娘。
彼女達に交流があったのか、何故2人でいるのか。気になって仕方ないウマ娘達だった。
もっとも、ダーティフィクサー達はなにも気にしていない。
周りから向けられる好奇の視線は欠片も気にしておらず、当初の目的を果たそうとしている。
「さて、ハロンタイムを測り終わったら、次は筋力測定にしようか。今日一日でできるだけ」
「全て終わらせます。その方が、一日でも早く勝ちに繋げることができますから」
「……くっくっく、君はそういう奴だね。安心したまえ、今日一日で終わるように組んである。もっとも、かなりのハードスケジュールになるが、構わないだろう?」
「当然です」
粛々と、己のやるべきことをこなす2人。
やっていることもただの測定でしかなく、物珍しいトレーニングをやっているわけではない。
「なんか、普通だね」
「特別なこと何もやってないし、気にするだけ無駄か」
「それより、トレーニングしようよ。私次のレースが近くてさ~」
1人、また1人と。興味を失ったかのように踵を返す。
気づけば周りの好奇の視線はなくなり、いつもの練習場の風景が戻っていた。
ダーティフィクサーの数値を計測しているアグネスタキオン。
真剣な眼差しで結果をノートPCに記録しており、数値を打ち込んでいく。
「次は走り幅跳びをしようか。良い結果を期待しているよ」
「何故走り幅跳びを?」
「どんなデータも無駄にはならないからだよ。さぁさぁ、検証開始だ!」
データを測っている最中に、ある程度のことは分かっていた。
眼差しは変えず、真っ直ぐにダーティフィクサーを射抜いている。
(成程、ね)
「フィクサー君。君はどこかのクラブに所属していたことはあったかな?」
計測中にも関わらず、ダーティフィクサーへと声をかけた。
声はしっかりと届いている。怪訝な表情を浮かべているが、答えは返ってきた。
「どこかのクラブに所属したことはありません」
「ほうほう。指導者もいなかった、と?」
「そういうことになります。そもそも、私の生まれは九州の田舎なので。入るクラブがなかった、というのが適しています」
「それはまた、随分と遠いところから来てるね」
その後も、休憩の傍らでアグネスタキオンは様々なことを聞いた。
「メニューは誰が組んでいるんだい?」
「私です。いろいろ調べて、最先端のメニューを取り入れています」
「自分で組んでいるのかい? トレーナーは?」
「私のトレーナーは名義貸しですので。お互いに不干渉を貫いています」
「あぁ、それでここにもいないってことか。それは好都合かもしれないね」
先ほど提出してもらったトレーニングメニューのこと。
トレーナーのこと。普段のトレーニング時間のこと。
全てを事細かに記録していく。忘れないようにするために。
ある程度聞き終わり、また計測に集中する時間。
アグネスタキオンはデータを取りつつも、別のことを考えていた。
ダーティフィクサーのこと。とりわけトレーナーのことだ。
(名義貸し、か)
なぜこの場にいないのか? どうしてトレーナーではなく自分を頼ってきたのか。
名義貸しという言葉が、アグネスタキオンを納得させた。
名義貸しトレーナーは、レースを走ることだけを目標にしたウマ娘が頼るトレーナーである。
トゥインクル・シリーズで走るには、トレーナーと契約することが絶対条件。ここに例外はない。
ただ、トレーナーの数は限られている。大人数を見ることは出来ない。
学園は生徒であるウマ娘の方が圧倒的に多い。中央に所属しているトレーナーだけでは、面倒を見切れないというのが現状だ。
そうなると、才能のあるウマ娘が優先的に契約される。
中央は完全な弱肉強食の世界。非難することなどできないだろう。
才能のないウマ娘はトレーナーと契約することができない。そういう子は大抵、走ることなく学園を去るか別の科に転科するかのどちらかだ。
そんなウマ娘の最後の拠りどころが、名義貸しトレーナーである。
(どうしてもレースを走りたいウマ娘のために、名前だけ貸すトレーナーの総称。彼女もその類だったか)
あまり健全ではないと非難の声を上げられ、一部では問題視されている。
トレーナーとウマ娘の繋がりは大事とされており、絆がウマ娘の力を引き出す、なんて都市伝説もあるくらいだ。
絆の欠片も感じられない名義貸しトレーナーなど、周りからしたら良い気分はしないだろう。
だが、彼らがいることで退学者を引き留められるのも事実だ。
少しでも長く学園に滞在することができる。幸せかどうかはともかくとして、実際に中央に残っているウマ娘はいる。
彼女らが一定数いる以上、なにも言うことは出来ない。
暗黙の了解。それが名義貸しトレーナーの実情だ。
(もっとも、私には特に関係のない話か。人とウマ娘の間にある絆がもたらす力には興味があるがね)
適当に思考を打ち切って、ダーティフィクサーの時間にあてた。
これまでの計測でアグネスタキオンが下す評価は、普通。
(いざ数値を測ってみたが、成程。普通としか言いようがないね)
びっくりするくらい普通だ。
少なくとも、メイクデビューを勝ったウマ娘の平均はある。悪くない数値であることは間違いない。
スピードとパワーは僅かに劣るが、補うようにスタミナと根性の値が平均より上。
ある程度の適性も予測することができた。
(得意とするのは中距離から長距離。この時期だと、勝てないのも仕方ないか)
豊富なスタミナを活かすことができる場所が、ダーティフィクサーの最適性。
マイルで掲示板入りしていることに驚くが、適性としては合っていないのがアグネスタキオンの判断だ。
なのにどうして出走したのか?
「最近はマイルレースに出走しているようだが、中距離のレースまで待たないのかい?」
「やりたいことがあるので、とにかくレースに出なければならないんです。相手が嫌がるデバフ戦術は、実践で磨かなければなりませんから」
「勝てるレースに出走する、なんて選択肢もあると思うが?」
「私程度の才能で、勝てるレースなんてあるはずもありません」
「そんなことはないと思うがね」
ダーティフィクサー曰く、相手の選択肢を狭める戦術を磨くため。
そのために適性的に合わないマイルのレースに出走している。そう判断した。
(とはいっても、確かに厳しいものがある。強ち間違いではない、か)
データを照らし合わせ、今後のプランを立てる。
ノートPCを見つめるアグネスタキオンの表情は、妖しい笑みを浮かべていた。
欲しいデータを取り終わり、解散する運びとなった2人。
すでに他のウマ娘達は運動場から立ち去っており、残っているのは2人だけである。
「い~いデータが取れたよ! このデータを基に、今後の実験のプランを作る。明日までには作るよ」
「ありがとうございます。では、明日もよろしくお願いします」
「勿論だとも。私のモルモットとしての働き、期待しているよ?」
「えぇ。そちらこそ、私が強くなるために、ひいては勝利のために。お願いします」
夜も遅い時間。門限ギリギリであるにもかかわらず、2人は悠長に話している。
寮に戻る最中も、お互いに親交を深めるために話しており、走ったりはしていなかった。
幸いにも門限の時間までには帰れたが、寮長であるフジキセキからは少しだけお小言を貰った2人である。
寮に戻ったアグネスタキオンは、早速データをまとめようとする
「タキオンしゃん、さすがにお風呂は入った方がよろしいかと~……」
「おっと、そういえばそうだったね」
前に。寮のお風呂場へと向かい、いつでも寝れるように準備を整えた。
上がった後はデータをまとめる。そして、まずはなにから着手すべきかを考えた。
(まずはトレーニングメニューの見直しからだね。確かにアレは最先端ではあるが、彼女に適しているとは思えない。もっと良いトレーニング法がある)
考えて、練習内容から変えることに決めた。
よく調べた上で組んだことが分かるメニューだが、無駄が多い。
周りが推奨しているからこれでいいだろう、と考えたのが丸わかりのメニュー内容。
専門家ではないアグネスタキオンだが、ダーティフィクサーには合っていないと判断した。
(最先端のトレーニングが合っているとは限らない。それに、とにかく数をこなせばいいというわけではない)
最適なメニューを組めるわけではないが、今よりかはマシなものを組める。
見直しから着手し、その後は明日使う予定の試験薬のデータをまとめた。
消灯時間ギリギリまで見直していたアグネスタキオン。同室のアグネスデジタルが肩を叩く。
「あ、あの~。そろそろ消灯時間なので、お布団に入った方がいいですよ?」
「もうそんな時間か。1日が30時間になってくれないかねぇ」
「お、鬼でも宿そうとしてます?」
1つ伸びをして、ノートPCを畳む。
ずっと机で作業をしていた影響か、気持ちいいくらいに骨の音が鳴っていた。
タキオンの様子を一部始終見ていたデジタルは、言うまいか悩んでいたが。
「あ、あの、タキオンさん。随分と熱心に練習メニューを組んでましたけど、デビューするんですか?」
尋ねる。基本的に推しであるウマ娘のことにはNoタッチを貫くデジタルだが、好奇心の方が勝った。
もしかしたら、アグネスタキオンがデビューを考えているのかもしれない。そう思って。
アグネスタキオンは首を横に振る。
「いや、これはモルモット君のメニューでね。つい最近、志願してくれた子がいるんだ。その子の物だよ」
「あ、そうなんですね。それにしてもタキオンさんのモルモットに志願するなんて、なんてうらやま、いえ、凄い子ですね」
とんでもないことを言いかけるが、気にした様子を見せない。
クックック、と笑うアグネスタキオンに対し、アグネスデジタルは続ける。
「どんな子なんですか? タキオンさんがそんなに面白そうにする子って」
「ん~? そうだねぇ」
唇に手を当てる。
思い出していた。今日の計測のことを。
少しでも手を抜こうものなら指摘するつもりだった。
データは正確でなければ意味がない。手を抜いたデータなど必要がない。
その心配はいらなかった。一度たりとも手を抜いていなかったから。
(何より)
感じたのは圧。何が何でも成し遂げるという、強固な意志。
モルモットに志願した時と何ら変わらない、真っ直ぐな瞳を思い出す。
邪魔をするなら容赦はしない。誰であろうとねじ伏せる。
いや、そんな生易しいものではない。
アグネスタキオンの生存本能が警鐘を鳴らすほどに、気圧された。
当時の状況を思い出して、アグネスタキオンは笑い。
「勝利に狂ったバケモノ、さ」
呟いた。