測定をした次の日。
日課の朝練を終えて、私は教室で授業の準備をしていました。
そんな時、教室に1人の客人がやってくる。
「失礼。ダーティフィクサー君はいるかな?」
「フィクサーさん? フィクサーさんなら、廊下側の一番後ろにいるよ。ほら、あそこ」
「ありがとう。さて……やぁやぁフィクサー君! 君に良~いものを持ってきたよ!」
私を見るなり、嬉しそうに寄ってくるアグネスタキオンさん。
なにか言われるのか。今日の実験のことか。
とにかく、身構える。何を言われてもいいように。
気分良さそうなアグネスタキオンさんは、1枚の紙を渡してきました。
びっしりと、腕立て伏せやシャトルランという文字が書かれている。
すぐに察することができました。これは、トレーニングについて書かれていると。
「新しいトレーニングメニューだ。まずはこの内容でやってみようじゃないか」
書かれている内容は、私がやっていたメニューとは全然別物。
ハイ分かりました、と頷くわけにはいきません。どうして変更する必要があるのか。
特段困ってはいませんでした。レースの順位も上がっていましたし、悪い内容ではなかったはずです。
「何故メニューの変更を? 理由を教えてください」
「理由はシンプルだ。前のメニューは君に合っていない、それだけの話さ」
合って、いない? まさか、私は最先端のトレーニングすら合わない凡才だとは。
「あのメニュー、とにかく聞きかじったものを実践しているだけだろう? しかも、数をこなせばいいと思っている」
「違うのですか? 効果もあると聞いていますし、問題はないと思っていましたが」
「問題ありだ。少なくとも、あのメニューは君には合っていない」
溜息を吐くアグネスタキオンさん。
「最先端だとしても、個人によって合う合わないがある。これは分かるだろう?」
「? 最先端なら誰でも合うように作られているのでは?」
「純粋だねぇ君は……アレは大衆向けに作られているものだ。効果がないとは言わないが、無駄が多すぎる」
アグネスタキオンさんは丁寧に説明してくれました。以前のメニューについて。
曰く、最先端だからといって、誰でも合うわけではないということ。
データをはじき出した結果、私には合わないのが分かったこと。
私にはもっと適したメニューがあること。
また、これは実験も兼ねているということ。
「例えばそうだね……マラソンランナーに100m走の練習をさせて、効果が出ると思うかい?」
「……いえ。全くの無駄とは言いませんが、微々たるものではないかと」
「そういうことだ。極端な例として挙げたが、最先端が君にとって最良のメニューとは限らない、ということだ。まだマシなメニューを私の方で用意した」
アグネスタキオンさんが懐から取り出したのは、数枚の紙。
そのどれもが、私のトレーニングメニューの改善案。
1枚1枚別の内容であり、右上には実施するであろう日にちが書かれている。
「数パターンのメニューを考えてきた。2週間ローテで回していき、一番伸びしろがありそうなトレーニングを採用する」
「分かりました。まずは、最初に渡してきた」
「パターンAだね。今日から2週間はパターンAを実践していくよ」
「はい。それと、薬の方は?」
「そっちも忘れずに飲んでもらおう。後、レースに関しては逐一報告するように」
周りのことをそっちのけで、今後のことについて相談し合います。
私のトレーニングのことを中心に、次走から何まで。
「次は黄菊賞です。京都の芝2000mの」
「この前アイビーステークスを走ったばかりだろう、君。とはいえ、中距離は好ましいね。君の適性的に、一番合っているはずだ」
「適、性?」
「これも個人的な推測だが、君の最適性は芝の中距離から長距離だ。それ以外は少し厳しいものがあるよ。データ的にも」
私が考えてこなかったことも、アグネスタキオンさんは親身になって教えてくれます。
このレースを走った方がいい、こっちの方が適性的に合っている。
また、新しい視野を広げてくれます。私だけでは見えてこなかった視点を、教えてくれる。
(これで、より強くなれる)
「え~っと、アグネスタキオンさ~ん? もうそろそろ授業が始まるので、自分のクラスに戻ってくださいね~?」
「おっと、もうそんな時間か。じゃあ続きは昼休みにでもしようじゃあないか。旧理科準備室で待っているよ」
「はい。また、いろいろと教えてください」
「構わないとも」
先生に邪魔されましたが、続きは昼休み。
ご飯を適当に買ってきて、彼女のいる場所で食べるとしましょう。
その方が無駄がありませんし、一分一秒でも時間が惜しい。
(このメニューも、早速実践しなければ)
新しくスタートを切った気分で、私はその日の授業を聞き流していました。
「ダーティフィクサーさ~ん? ちゃんと授業を聞いていますか~? 聞いているなら、この問題も」
「××です。問題ありますか?」
「……正解です。でも! 授業はちゃんと聞いてください!」
先生には怒られましたが。
ちなみに、お昼休みのこと。
「アグネスタキオンさん。なんですか? そのゲル状のナニカは?」
「これかい? その日一日に必要な食材を入れてミキサーにしたものだ。これで一日の栄養が取れる」
「せめて固形の物を食べた方がいいですよ。歯が弱くなりますから」
アグネスタキオンさんはとんでもないものを食べていました。
一応、忠告だけはしましたけど。聞き入れられるかは別ですね、アレは。
◇
放課後。早速メニューを実践します。
と、その前に。
「トレーニングの前に、この薬を飲んでもらおうか」
ある薬を渡されました。なんだか、マグマみたいにボコボコ鳴っています。
本当に飲めますかね? これ。
「ヒッ!? ち、ちょっとタキオンさん! フィーに変なもの飲ませようとしてんじゃないでしょうね!?」
「失敬な。ちゃんと飲めるし、変なものは混ぜ込んでいないよ。ささ、グイっといきたまえ」
「フィクサーちゃん! こんな薬飲まなくても」
「いただきます」
飲めるらしいので、メスシリンダーに入った試験薬を飲み干す。
(……苦いですね)
飲めなくはないですが、恐ろしく苦い。ゴーヤを生で食わされているかのような苦みが私を襲う。
飲み干して、一度深呼吸をする。
体に異常は見られませんがっ、おや?
「うわぁっ!? ふぃ、フィーの髪がなんか伸びてるぅぅぅ!?」
「今回の副作用は毛髪の増量といったところか。他に何か気になる点はないかい?」
「視界が狭まって見えにくいです。誰かハサミをください」
「もっと気にするところあるよね!? 言わんこっちゃないよぉ……!」
薬を飲んだら私の髪が伸びました。それはもう呪いの市松人形のように。
前髪さえどうにかすれば、走るのに支障はない。
このまま続行しましょう。実験と、トレーニングのために。
「前髪を切ったら、トレーニングをしましょう。走るのに支障はありません」
「さぁて、どんな効果をもたらしてくれるのか、検証しようじゃあないか!」
「誰かー、この2人を止めてー!」
ブリッジコンプさん達は止めようとしていますが、関係ありません。
これもまた、強くなるための道なのですから。
邪魔な髪を切って、いざ実践。
アグネスタキオンさん曰く、私に飲ませた試験薬はプロテインのようなものらしいです。
「プロテインなのに、どうして髪の毛が増量したんですか?」
「体の組織が活性化した結果、頭髪に影響を及ぼしたんだろう。害はないから問題あるまい」
「あるでしょ! フィーもなにか言いなよ!」
「走るのに問題ないから別に構いません」
よく分かりませんが、これといった影響もないので続行。メニューをこなします。
トレーニングの内容自体は、特段変わったものではない。
普通の一般的なメニュー。しいて変わったところをあげているとすれば。
「スプリンター向けの、メニューですっ、ね。何故っ、スプリントの、メニューっ、をっ!」
「それがパターンAのメニューだからだ」
相変わらず、ノートPC片手に計測しているアグネスタキオンさん。
忙しなく指を動かして、私の様子を逐一観察しています。
「パターンAは短距離用のメニュー。とりわけスピード中心のメニューというわけさ」
「と、いうっ、ことっは! 他も、ま……たっ、別っ、だと?」
「そうとも。パターンBはマイル、パターンCは中距離といったように、いくつかパターン分けしてある」
距離ごとに分ける必要性について聞くと、なんでもないように答えてくれました。
「私が導き出した適性も、あくまで私が抱いた感想に過ぎない。パターンAからDまでのメニューをこなして、君の適性をさらに細かく分類する」
メニューの1つを終えて、少し休憩を挟む。
次のメニューを確認しながら、アグネスタキオンさんと照らし合わせます。
「……ふぅ。成程、これは適性をより細かく割り出すため、と」
「そう。後は逃げや先行といった、脚質適性も割り出さないといけないね」
脚質、ですか。個人的には、あまり気にしたことがない要素です。
というのも、どこで走っても変わらないといいますか。気にしたことがないのが本音。
どこで走ろうが有利・不利は生まれる。その日の展開によって左右されます。
なら、どこでも走れるようにしておいた方がいいのではないか? 私はそう考えています。
「どこでも勝負できる方が、私は勝てると思うのですが」
「そう簡単にいかないのがレースだ。事実、君はオープンレースで負け続きだろう?」
「……ッ」
「タキオンさん、それ言わないであげて! お、落ち着いてフィー! 大丈夫、大丈夫だから!」
いえ、アグネスタキオンさんの言っている通りです。
私のは理想論でしかありません。それができるのであれば、貫けばいい話。
でも、私はできない。できていないからこそ、私は負け続けている。
本当に、本当に。
「腹立たしい……っ、虫唾が走るッ」
「ヒィィィ!? ふぃ、フィクサーちゃんの顔が修羅みたいになってるぅ!」
「静まりたまえ静まりたまえ~! てか、タキオンさんのせいなんだから宥めてよぉ!」
「知らないよ。私は事実を言ったまでだ」
「言っていいことと悪いことの区別ぐらいつけなさいよアンタ!」
とにかく強くならなければ。土台をしっかりと作らなければ。
そのために協力してもらっている。知恵を貸してもらっています。
アグネスタキオンさんは、私に知らない視点をくれる。私が気づかないことを教えてくれます。
(勝つために最も必要なのは、知恵をつけること。才能のない私は、がむしゃらに走ってるだけじゃ勝てないから)
モルモットでも構わない。私に勝利をもたらしてくれるのであれば。
だとしても。
「クソクソクソッ、ぶっ殺す……っ!」
「殺気が駄々漏れだね。その意気で頑張りたまえ~」
「自分は見てるだけだからってあの野郎! 一緒にトレーニングする私らの身にもなりなさいよ!」
腹が立たないわけではないです。えぇ。
◇
それから、アグネスタキオンさんの用意したメニューをこなす日々が続きます。
「足が下がってきているよ。一定の高さをキープしたまえ」
「は、はい……ぃ……!」
「キツくてもやり遂げる。それが進化に必要な要素だ」
モルモットとして、彼女の実験にも付き合います。
「今日は夢が現実に与える影響について調べたい! というわけで、お昼休みは昼寝としゃれこもうじゃないか」
「分かりました。どれほどの影響があるのか、私も気になります」
「話が早くて助かるよ。ではカフェ、我々を起こすんじゃないよ」
「……邪魔」
多種多様な実験を。どんな実験にも付き合う。
無論、すぐに効果が出るわけではありません。
《黄菊賞を制したのは11番のオクシデントフォー、オクシデントフォーが1位で入線しました。2着には》
即座にレースに勝てるわけではない。実を結ぶわけじゃない。
(抑えろ、抑えろ私。それでも、手ごたえは感じてきているじゃないですか)
「惜しかったなダーティフィクサー! 次は頑張っ」
「あ゙ぁ゙!?」
「ヒッ!」
「相変わらず狂犬みたいなウマ娘だな……レース外は普通なのに」
それでも、一歩ずつ。着実に進んでいることを実感しています。
勝ちへの道を進んでいることが、感覚的に分かる。
「もっとぶつかってきてください、ジャラジャラさん。これでは本番を想定したトレーニングになりません」
「で、でも、フィクサーちゃんがケガしちゃうかもっ」
「知るか。やれ」
「ヒンっ」
「やらないと、逆にフィクサーに殺られるわよ、ジャラジャラ。大人しくやろ?」
ブリッジコンプさん達の協力も経て、しっかりと強くなっている。
(勝つ……勝つッ!)
望んだ勝利のために、私はただ走る。