北に行くには、一級魔法使いの資格がいる、そう聞いてからも、レンファの動きは変わらなかった。
レンファの頭には、それでも辛うじて選択肢が二つ浮かんだ。
ひとつは、再び荷物作戦をやること。つまり、堂々と行けないなら、荷物として運ばれる側に回る。
もうひとつは、一級魔法使いを見つけて、そいつにくっついて北へ行くこと。正規の手段を借りて、面倒を迂回する。
しかし、思考はそこまでで止まる。体の芯に沈んでいた怠惰が、逆に重しになって手足を引っ張る。
このままではまずい。
危機感だけは、ちゃんと湧いた。湧くときは湧く。図書館で見た人間の進歩はレンファをして行動へと突き動かすだけの物があった。
「怠けさせる魔法」
だからレンファは、ありったけの怠惰をかき集めて、怠けさせる魔法を真上に撃ち上げた。
本来なら周囲に怠惰をばら撒く魔法だ。だが、その反動を利用して、レンファはこれを別の用途にも使う。そう、怠惰を全て外に吐き出してしまえば、頭の中だけ一時的に軽くなる。
心の底に溜まった「どうでもいい」が抜けて、代わりに「やるしかない」が顔を出す。
もっとも、そんなものを周囲の誰かに撃ち込めば、生物としてのあらゆる活動を瞬時に停止させ、感染源となって周囲にまき散らすだろう。だからこそ、レンファはその魔法を天に向かって撃つのだ。
ただし、これにはひとつ問題がある。
昔、一度だけ、真上に撃った魔法が空を飛んでいる何かに当たったことがあった。距離が遠くてよく見えなかったので、形も、速度も、まともに分からない。
ただ、妙に眩しくて……後光みたいなものが差していた気がする。
ともあれ、頭の中はすっきりした。怠惰を吐き出した分だけ、しばらくは多少ましになるだろう。そして、時々この魔法を使っていればしばらくは勤勉モードになることができる。
その珍しくさえた頭はレンファを行動に突き動かす。
荷物作戦は、今回は厳しい。北へ向かう便が少なすぎる。どう考えても、怪しい荷物が紛れ込む余地はないし、危険すぎて良く分からない場所で放り出される確率が高すぎる。
「じゃあ、残る手は……」
レンファは小さく息を吐いた。
ちょうど今、この街では一級魔法使いの試験が行われているらしい。
試験を受けに来た魔法使いが、この都市に集まっている。なら簡単だ。その中から探せばいい。
北に行くための資格を持つ人間。そして、北へ向かう理由を持つ人間。
できれば話が通じて、余計な詮索をしない。同行者が増えることに抵抗がなくて、面倒な正義感を振りかざさない。つまり、レンファにとって都合のいい相手。
「……都合のいい一級魔法使い、か」
口に出した瞬間、レンファは自分でも無茶を言っているのが分かった。
そんな都合のいい存在が、この世にいるのか。いたとしても、わざわざレンファの都合に合わせてくれるのか。
……まあ、いなかったら終わりだ。そのときどうするかを考えるのは後でいい。
レンファは魔法協会に近い通りを、なるべく存在感を薄くして歩いた。いつも通り、目立たず、関わらず、できれば話しかけられない距離で進む。話が分かりそうな魔法使いを目で探す。
そう思っていたのに。
「ん? あれっ?」
背後から、やけに明るい声がした。
「えーっと、レンファだっけ? どうしてこんなとこにいるんだ?」
振り返ると、そこにいたのはフリーレンと一緒に旅をしていた……名前は忘れた……戦士だった。赤い髪。大きな体。妙に人懐っこい顔。何も知らない顔で、手を振っている。
レンファは一瞬だけ固まった。
「……えっと。久しぶりです」
レンファは、できるだけ短く返した。正直いえば、いつでもこっちを屠れる人間の近くにいるのは嬉しくない。いつもと違って冴えわたったレンファの勘によれば、この戦士の一撃を受け止めるのには相応の準備が必要だった。
ただ、別に敵対的でもない。グラナトの街でも、共に魔族と戦った仲間のように扱ってくれていた。行き先と目的を問われたので
「魔法の研究。帝都に行こうかなって思って」
とレンファが答えると
「帝都? へえ、すげえじゃん。……でも、帝都ってここから北の方だろ?」
と尋ねてくる。やはり、彼も北に行きたいのかもしれない。
「そう、一級魔法使いの資格がないと、通れないって」
シュタルクは難しそうに眉を寄せた。
「あー、そうだな。北部高原に入るには許可がいるって話だったな」
「だから、一級魔法使いを探してた。同行させてもらえたら、楽かなって」
シュタルクは数秒考えたあと、ぱっと顔を明るくした。
「それならさ、ちょうどいいじゃん!フリーレンとフェルンが、今その試験受けてるぞ!」
レンファは足を止めた。
フリーレンとは多少の身の上話をした間柄だが、あんまりつかみどころが無かった。敵意を向けてくるわけではないが、心を許す感じでもない。
この戦士、シュタルクという名前だった、は好意的だけど、二人が断るかもしれない。そう思って、レンファは自分の魔法がどう使えるかを話すことにした。
レンファの同行はあとから思い返してみても、不思議なくらいあっさり決まった。試験を終えた二人に同行の話を振ったら、ほとんど間を置かずに「いいよ」と返ってきたのだ。
説明された理由も簡単だった。レンファが多少の毒や呪いに対処できることが、道中の保険になるらしい。
フリーレンは相変わらず掴みどころがなくて、許すとも拒むとも言いにくい顔をしていたけれど、結局は止めなかった。フェルンは淡々と条件を飲んで、決定事項みたいに話を進めた。
こうして、レンファは北へ向かう足を確保した。思っていたよりも、ずっと簡単に。
北へ向かう道中は、元のレンファのままでは苦行に満ちていただろう。
毎日、夜中。皆が眠り、火が落ち、馬車の軋む音だけが残る時間に、レンファは一人で空を見上げる。そして、怠けさせる魔法を真上に撃つ。
怠惰を、外に吐き出す。自分の中に溜まりきった「どうでもいい」を、無理やり外へ押し出す。
……必死になって、食らいつくために。
魔法が抜けた直後のレンファは、本人ですら自分だと認めたくない状態になっている。勤勉モードに入ったレンファは、周りから見れば明らかに変質していた。
目が違う。動きが違う。判断が速い。面倒を嫌うどころか、面倒を片っ端から潰しに行く。
積極的に魔物を打ち払い、面倒の種を先に摘む。毒も呪いも、鈍い不調も、まとわりつく異常は見つけ次第、強制的に停止させる。自分だけではない。フリーレンたちの分までまとめて対処する。荷物を積んだ馬車を走らせる。
とめて対処する。荷物を積んだ馬車を走らせる。
封魔鉱の洞窟に落ちたときもそうだった。普通なら途方に暮れるところで、レンファは妙に前向きだった。壁の構造を見て、空気の流れを読んで、脱出経路を探る。
さらに「どうせだし」と言いながら、フェルンに話しかけ、魔族を殺す魔法まで教わった。多少は身についていたが、その時点で既にレンファは逆に勤勉に押しつぶされていたのかもしれない。
怠惰の化身たるレンファが、いくら勤勉になったからといって、根本が変わるわけではない。怠惰を天に打ち出した程度で、どうにかなる量ではないのだ。
勤勉モードは、借り物だった。期限付きの、無理矢理な補助輪だった。それを外せば、当然、全部が戻ってくる。
むしろ、戻ってくるだけでは済まない。押し出した分、反動が溜まっていく。消したはずの怠惰が、もっと重く、もっと粘ついて、底の方に沈殿していく。
いくつもの街を越えた。いくつもの戦闘を越えた。帝国の国境が近づくころ、レンファの身体は動いていたが、精神はすでに軋んでいた。
糸が、切れかかっている。いや、切れていないのが不思議なくらいだ。
お読みいただきありがとうございます。
お気に入り登録、感想、高評価よろしくお願いいたします