自堕落な魔族は平和に生きたい   作:ヤキブタアゴニスト

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第十二話 終わり迎えた証

天脈竜。

 

その竜は天空高くを飛び、魔力探知すら届かない場所にいる。雲より上、鳥より上、ほとんど空そのものになって漂う存在だ。

 

その背中には、地上とはまるで違う植生が広がっているとされている。外界から隔絶された生態系は、竜の背中という島の上で独自に進化し、多様な生物を含んでいる。

 

天脈竜は死以外で地上に降りることがない。何百年も、何千年も。膨大な生命力と、膨大な魔力を抱えたまま飛び続ける。

 

そんな生活は、地上から打ち込まれたたった一発の魔法で打ち砕かれた。

 

怠けさせる魔法。

 

それは光でも雷でもない。炸裂音も、派手な軌跡もない。ただ、届く。届いてしまう。

 

ここ最近のレンファは、毎日上に向かって魔法を撃つ練習をしていると言ってもよい。だからこそ、この距離の天脈竜をレンファの魔法は容易く貫いた。

 

強大な魔力と圧倒的な体躯を持ちながら、天脈竜の意思は強固ではない。それは支配者の意思ではなく、漂うものの意思だった。空と同じで、流れに任せて生きる意思だ。

 

怠惰は、そういうものに滲み込むのが早い。

魔法は竜の鱗を砕かない。血を流させないし、痛みも与えない。

 

代わりに、体の隅々に堕落を染み込ませる。

飛ぶ理由が、消える。踏ん張る必要が、消える。抗う価値が、消える。あっという間に体の隅々まで堕落させられた天脈竜は、即座に落下を始める。

 

翼が動かないわけではない。動かそうという意志が、もう湧かない。風を掴む努力が、ただ面倒になる。

巨大な影が、空の上で傾いた。最初はゆっくりだ。落下というより、眠りに沈むみたいな速度。

 

次に、重力が勝つ。空気が鳴き、雲が裂ける。背中の植生が、風圧で一斉に倒れる。小さな生き物たちが舞い上がり、逃げ場のない空で散っていく。

 

蒼空から地上まで、世界が逆向きに流れる。

 

巨大な生命が、文字通り、天空から墜ちる瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天脈竜が落下を開始する直前。怠けさせる魔法が天に向かって幾筋も放たれた、その瞬間。

 

黄金郷の近くにあって、ただ一人。異変の開始を、その身で理解していた存在がいた。

ソリテール。

 

嘗て魔王に仕えていたとも言われるが、人間の記録には残っていない。無名の大魔族。

その無名さは、ただ運が良かったという意味ではない。会った人間を全て抹殺してきた……それだけのことだ。

 

ソリテールは黄金郷の縁で、静かに結界を調べていた。多数の結界術が編み込まれた複雑な結界。それを解除して黄金郷を解き放とうとしたのだ。

 

 

だけど、それを中断せざるを得ない。

人間や感情についての研究を続けてきた魔族にとって、目の前で起こった現象は、理解にすら届かなかった。

空に向かって魔力が飛んだ。ただし、それは強大な魔力の奔流ではない。規模だけで言えば、比較的小さく、永く生きてきた魔族の感覚からすれば、拍子抜けするほどの量だ。

なのに。

 

そこには、膨大な意志の力が詰め込まれていた。膨大すぎて、狂気に近い。

それも、誰かを励ます意志ではない。守る意志でも、殺す意志でもない。

何かを堕落させるための意志。堕落させることを、目的そのものにしてしまったような、強烈すぎる意志。

 

その異常さに気づけたのは、ソリテールが魔力の放出を極めていたからだ。

膨大な魔力を扱う者は、魔力を見落とす。だが放出を極めた者は、魔力に込められたものを見落とさない。

 

ソリテールは、息を止めた。

 

……そんなはずがない

 

感じ取れたそれを、直ぐには信じられなかった。

 

それは……嘗て魔族に大乱をもたらした忌むべき魔法。かの堕落が使ったと言われる魔法に酷似していた。

 

「……うそ」

 

声が漏れた。驚く暇も、疑う暇もない。

次の瞬間。黄金郷のほぼ真上に停止していた天脈竜が自由落下を始めた。

 

巨大な影が、世界を押し潰すように傾き、落ちてくる。

 

 

結界を調べていたソリテールが、それに立ち向かわず距離を取ったのは正解だった。力で受け止められる質量ではない。魔法で逸らせる単純さでもない。そして何より、唐突過ぎて今は原因が見えていない。

 

「誰が……こんな」

 

いや、とソリテールはとどまった。この魔法は技術ではなく使用者の意志が全てだ。そうである以上、それを使用したのはかの堕落本人以外ありえない。

言いかけて、ソリテールは口を噤んだ。

否。

 

「誰が」など、考えるまでもない。

 

この魔法は技術ではない。理論でも、式でも、型でもない。使用者の意志が、すべてを決める。

 

そうである以上……それを使えるのは、かの堕落本人以外、ありえない。

 

逃げながら、ソリテールは考える。黄金の街並みが背後で沈黙し、空から落ちてくるものが世界の音を奪っていく。

 

なぜ、こんな場所で。なぜ、今なのか。

黄金郷に関わっていた?

あるいは、魔王からの指示?

それとも、結界の防御システム、侵入者を排除する機構が働いた?

 

考える。 考える。 考える。

 

けれど、その全てが、次の瞬間に塗りつぶされた。

悪魔がやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソリテールと対照的に黄金郷のマハトは立ち向かった。

それは黄金郷の支配者としてではなく、守護者としてだったのかもしれない。自分の領域に向かって落ちてくる災厄に、反射的に対応しただけだ。

 

 

 

天から降ってくる巨大な質量など、ただの破壊でしかない。

だから彼は、迎え撃った。

だが。

 

それは、悪手だった。

 

レンファもうっかり忘れていたことだが、怠けさせる魔法には感染力がある。

魔法によって乗っ取られた生物は、周囲にそれを巻き散らかす。怠惰という性質が、周囲へと伝播することになる。

 

そして何より天脈竜は膨大だった。膨大な生命力。膨大な魔力。その巨体そのものが、巨大な魔力炉みたいなものだ。

 

怠惰に侵された天脈竜は、抗うことをやめた。飛ぶことも、踏ん張ることも、意味を見失った。そしてその膨大な魔力の使い道が、ひとつに固定される。

 

周囲へ、レンファの持っていた怠惰をばら撒くこと。

天脈竜の全リソースが、堕落の拡散へと向けられた。

 

効果は落下とともに急速に大きくなる。高度が下がるほど密度が増し、距離が縮むほど濃度が上がる。

 

感染が、拡散が、加速する。

 

黄金郷を覆っていた結界が、まず歪んだ。次に、軋んだ。最後には機能を停止する。

 

魔法という構造は、意志が支える。だが怠惰は、その意志を腐らせる。魔法を維持するための踏ん張りを、根元から奪う。

 

結界は崩壊した。黄金の停止は揺らぎ、固定された魔法は浸食されて解除されていく。街を覆う永遠が、砂みたいに崩れていく。

 

それでもマハトは止めようとした。

止められると思った。止めるべきだと判断した。

北部高原全体を黄金に変換できるほどの力を持つマハトにとって、それは決しておかしな判断ではない。

 

けれど、その判断そのものが、怠惰に噛み砕かれる。

 

マハトの眼前に、天脈竜が迫る。巨体が空を塞ぐ。そのときには、もう遅かった。

 

動けない。

 

腕も、魔力も、意志も。立ち向かうために必要な一切が、根こそぎ奪われていた。怒りも焦りもあるのに、体がついてこない。踏み出そうとしても、理由が立ち上がらない。

 

面倒だという感覚だけが、全身を支配する。

そして黄金郷の主の目の前に、怠惰に堕ちた天脈竜が、落ちてきた。

 





あと、ちょっとで終わる……かな
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