幸いにして、街道を外れた先で小さな村を見つけることができた。
畑はある。人もいる。先ほどの集落とは違い、ちゃんと息をしている場所だった。
「……よかった。村、あったんだ」
独り言のつもりだった。だが、その声は思ったより静かな村に響いたらしい。
近くにいた老人が、ゆっくりとこちらを見る。それは当然ながら測るような視線だった。
「旅の方かい?」
問いかけは穏やかだが、声には慎重さが混じっている。
「うん。少し、通らせてもらっただけ」
そう答えると、老人は目を丸くした。
「……この道を?」
「そう」
短い返事に、老人は小さく息を吸った。
「珍しいな……」
聞けば、この村から先の街道は使われなくなって久しいらしい。数十年前、この一帯を襲った災厄で多くの村が死に絶え、それ以来、人の行き来はほとんど途絶えたという。
深くは聞かなかったけど、おそらくは魔王かその部下による蛮行だろう。酷いことをする……。
「もう、誰も通らんよ」
「ふぅん」
レンファは軽く相槌を打った。それ以上、興味を示すそぶりはない。
老人は一度、視線を外し、それから改めて問いかける。
「じゃあ、君はどこから来た?」
「旅してる」
短い答えだった。それだけで、十分だとレンファは思っている。
「……一人で?」
老人の視線が、レンファの背丈を測るように上下する。靴のすり減り具合、荷物の量、歩き方。どれも、一般的な旅人とは思えない。それも、ほとんどの人が怖がって通らないような場所からきたにしては異常に見えただろう。
「そう」
即答だった。
「はは……」
老人は、乾いた笑いを漏らす。
「そりゃ、驚くわな」
その言葉に、近くで話を聞いていた女が苦笑する。
「この辺りじゃ、子供は村の外に出さないもの」
「昔は、そうでもなかったというがな」
老人が言う。
「今は……物騒だからな」
「昔でも流石に小さい子が一人で旅なんて、普通はないよ」
女の言葉は、心配と警戒が半分ずつ混じっていた。
なるほど、とレンファは内心で頷いた。小さい子供が旅をしている。それだけで、不審より先に違和感が来るらしい。
「魔法を探してるんだ」
そう付け加えると、空気が少し変わった。
「……魔法?」
老人の眉が、わずかに動く。
「うん。古い魔法」
「ほぉ……」
老人は声を低くし、女と視線を交わす。
「魔法使いさんか」
「若いのに、大したもんだねぇ」
女の声から、警戒が一段階下がる。
「それなら、一人旅なのも……まぁ、分からんでもないか」
「魔法使いは、変わり者が多いからな」
老人が、どこか納得したように頷いた。
便利な設定だった。魔法を求める旅人。詮索されにくく、説明も要らない。
村を見回す。
子供が多い。年端もいかない子が、数人で走り回っている。笑い声が、思ったよりも賑やかだ。
「……ここで食べていこうかな」
ぽつりと呟き、レンファは懐から金貨を一枚取り出した。
「一晩泊めて欲しい。これはお礼」
統一帝国時代のものだが、保存状態はいい。毎回使っているものなので、これ一枚だけは汚れないように気を付けていたのだ。
受け取った老人は、一瞬言葉を失い、次いで慌てて首を振った。
「こ、こんな……!」
しばらく相談したあと、老人…村長らしい…は深く頭を下げた。
「それなら、今夜はうちに泊まっていってくれ」
「助かる」
こうして、レンファは村長の家に通されることになった。久しぶりに、ちゃんとした食事になりそうだった。
帽子とローブを脱いで家に上がる。角を折る魔法を使って以来、帽子を外しても問題にならない場面が増えた。それが少し嬉しくて、レンファは無意識のうちに肩の力を抜いていた。角があったころは、覆い隠すことに意識の大半を割いていたのだと、今になって気づく。
大きな鍋を囲み、根菜と肉を煮込んだ素朴なもの。だが、湯気と匂いがあるだけで、十分だった。
「グラナト領へ行くつもりだって?」
村長が、椀を手にしたまま尋ねる。
「うん。用事があって」
「なら、気をつけた方がいい」
女が、声を落とす。
「最近、この辺り……荒れてるから」
「荒れてる?」
村長は一度、鍋に視線を落としてから続けた。
「魔族だよ。アウラとかいう女の魔族が、このあたりに出るんだ」
「……アウラ」
レンファは、その名には聞き覚えがあった。
魔王の配下。それなりに力があり、性格は最悪。何度か、魔王自身の口から名前を聞いた覚えがある。
……まだ、生きてたんだ。
「街道沿いの村が、いくつか消えた。首のない騎士の軍勢に皆殺しにされたらしい」
アウラらしいやり口だ。
「討伐隊も出たらしいが……このままではここもな」
「私たちもグラナト領に行った方がいいって言ってるんだけどね。あそこなら結界があるからね。街の中にいれば、少なくとも魔族は入れない。せめて子供だけでも……」
そうして沈黙が訪れる。レンファは、椀を置いた。
もとから求めてはいなかったけど必要な情報は揃っていた。
「……そろそろ、いいかな」
そう呟いて、レンファは杖を片手に立ち上がった。
「なっ、何を――?」
村長が問いかけた、その瞬間だった。レンファは一切迷うことなく、使い慣れた魔法を発動する。
”
杖にはめ込まれた宝石が、ほんの一瞬だけ淡く輝いた。
次の瞬間、村長の表情が崩れる。
驚きも、恐怖も、疑問も、全てが意味を失い、代わりに強烈な怠惰と無気力が心の奥底まで流れ込んだ。魔法とはイメージと意志だ。そして、何かを面倒に思うという気持ちにおいて、レンファ以上に熟成されたものはいない。強烈な堕落への意志の力へ対抗するためには、強烈な目的意識か魔法に対する抵抗力が必要だった。
「……あ……?」
声は、途中で途切れた。 身体から力が抜け、その場に崩れ落ちる。魔法に対する抵抗力を持たない村人に、抗う術はなかった。
「なっ、なにを……!」
「ちょっと!」
家族が慌てて駆け寄り、村長の肩を揺さぶる。だが、それは完全な悪手だった。
触れた瞬間、助けようとした者たちの表情も、同じように緩む。次々と、連鎖するように。
これこそが、レンファの得意とする魔法のいいところだ。
一人にかければ、その者の生命力から強引に魔力を引き出し、周囲に同一の魔法を再構成・伝播させる。助けようとする行為そのものが、感染経路になる。
一人で多数を止められる。効率のいい、実にレンファらしい魔法だった。とある魔物の魔法から着想を得たもので、レンファの目指す究極の魔法の中間産物ではあるものの、その先が進まないのも偏に使い勝手の良さに満足してしまっているからだった。
床に座り込んだ大人たちは、もう何も考えていない。目は虚ろで、呼吸だけが続いている。
「あー……えーっとね」
レンファは、困ったように頭をかいた。
「ちょっと、こっちに来てみて」
そう言って、端で縮こまっている女の子に手招きする。レンファにとって、自分より小さい存在は扱いやすい。その上柔らかく、そして食べやすかった。
「あと、刃物も。包丁とかでいいから」
普段なら、警戒されて当然の言葉だ。だが、考えることを放棄した大人たちは、それを不審には思わなかった。
誰も止めない。誰も疑わない。
視線は合っているのに、焦点が合っていない。そこにあるのは「判断しない」という状態だけだ。
もっとも、この魔法も万能ではない。何度も感染が重なれば、効果は薄れていく。だが今は違う。術者との距離が近い。
レンファの魔力が、直接届く位置にある。そのために生じる強力な精神支配は、恐怖すら意識に上らせない。
声を上げる理由も、抵抗する意味も、考えつく前に、思考そのものが静止する。念入りに再度の掛け直しによって、女の子の精神は肉体を切り裂く悲鳴すら上げられないほどになっていた。
「ふぅ……」
久しぶりの食事に、腹の内側が静かに満たされていくのを感じていた。
魔族は概して、生のままを好む傾向がある。だがレンファは違った。
火を使う。調理する。味を整える。
そうした文明的な手順を、レンファは気に入っている。
例えば隊商を襲うときも、夕餉の時間を狙うことが多かった。準備された鍋や火を、そのまま使えるからだ。効率がいいし、後片付けも楽になる。
「……ごちそうさま」
そう呟いて、レンファは立ち上がる。
床に座り込んだままの村長一家は、抵抗できない。声も上げられない。ただ、涙だけが流れている。
それに対して、レンファは一応、礼を言った。
「ありがとう」
どこかで聞いた形式的なものだ。どこで学んだのか、それはレンファの習慣になっていた。
次に、家の中へと視線を巡らせる。
「……さて」
レンファは杖を軽く振り、雑に火を移した。壁際、梁、干してあった布。
燃えやすい場所は、もう把握している。
こういう始末を忘れると、あとが面倒になる。痕跡が残る。噂が広がる。対処が増える。
さらに、この魔法の感染性を考えると、とんでもないことになりかねなかった……
それを避けるための手順は、もうとっくに習慣になっていた。
火が広がり始めるのを確認してから、レンファは外へ出る。
夜風が、ひどく冷たい。
背後で、木の弾ける音がした。だが、振り返ることはしなかった。