自堕落な魔族は平和に生きたい   作:ヤキブタアゴニスト

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第六話 沈黙の天秤

断頭台のアウラ、魔王軍でも有数の実力を持つ大魔族であり、魔王無き今も人類からは七崩賢の一角として恐れられる存在だ。服従させる魔法によって数多くの英雄を従わせ、不死の軍団として用いている。

 

そして、まさに今、その不死の軍団によってグラナトの街を攻め落とそうとした時だった。

 

「どういうこと?!」

 

支配していたはずの騎士たちが、目に見えぬ順序で次々と行動不能に陥っていた。剣を落とし、号令に反応せず、立ったまま意識だけを失う者。あるいは眠りに沈むように崩れ落ち、そのまま二度と立ち上がらない者もいた。

 

それは、かつて魔王軍がまだ統一された組織として機能していた時代。その内部で起きた、忌まわしい事象と寸分違わぬ再現だった。

 

その原因とされる魔族の名は「堕落」。本名を知る者は魔王ただ一人だと言われていた。

顔を見た者はいない。姿を語れる者もいない。魔力の探知すら許さない。その魔族はどこかに引きこもり、他者と直接相対することを避け続けていた。

 

魔王軍との連絡手段は、例外なく書簡のみ。差出人の名はなく、封蝋もない。だが、文面の内容と、魔王がそれを疑いもせず受け入れていた事実から、両者が旧知の間柄であることだけは、誰の目にも明らかだった。

 

分かっていたことは、二つだけだ。

 

ひとつは、その魔族が魔王となるのと同時、あるいはそれ以前からの知己であること。

 

もうひとつは、その魔法が、生物・魔力・意志、あらゆるものを「堕落」させるということ。

 

それゆえ、名はそのまま性質を指す呼称となった。

 

「堕落」

 

それ以上でも、それ以下でもない。

 

皮肉なことに、その能力が広く知れ渡ったのは、堕落が魔王軍から追放される契機となった事件によってだった。

堕落の主張によれば、魔王軍を名乗る一党に襲撃され、やむを得ず何らかの魔法を行使した……

 

ただ、それだけの話だったという。

しかし、その影響は、想定をはるかに超えていた。

魔力を媒介として、症状は感染症のように広がった。

 

直接攻撃を受けた者だけでなく、接触した者、さらにはその場に居合わせただけの者にまで、緩やかに、しかし確実に浸透していった。

 

最終的に、魔王軍戦力の相当数が廃人同然となった。思考不能、行動不能、存在はしているが機能しない……そういう状態だ。

 

その中に含まれていたのが、アウラの不死の軍団だった。

 

死なないはずの兵が、壊れた人形のように積み上がっていく光景は、魔族たちに強烈な印象を刻みつけた。

 

ある者は、それを「現象」と呼んだ。魔力の相互干渉が引き起こす、未解明の災害だと。

ある者は、それを「呪い」と断じた。意思を持ち、意図的に堕落を広げる悪意そのものだと。

 

だが、結論は共通していた。

 

魔族の魔力を媒体に、感染を拡大させる存在が、各地に永続的に存在しうる。それは、人類など比較にならない脅威である、という判断だった。

 

かくして、掃討作戦が行われた。人類ではなく、魔族やその配下自身が標的となる、異例の粛清だった。

 

元凶となった堕落は追放されることになるが、追放されたこと自体は、堕落にとって、さほど問題ではなかったのだろう。

 

もとより、魔王軍とのやりとりは研究用の素材の提供と、最低限の成果だけ。組織への忠誠も、勝利への関心もなかった。

 

だが、アウラの周囲で、再び起きている現象。それは、かつての魔法が、何者かの手によって復活させられたことを意味していた。

 

魔族を憎み、なおかつ、その魔法を扱える存在がいる……。

 

アウラは即座に侵食された傀儡を切り離し、危機を回避する。そして、魔族にとっての悪夢と向き合う覚悟を、静かに固めつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地下牢に侵入してきた魔族は、その場で始末された。その結果だけを見れば、問題は解決している。

 

だが、運が悪かった。

 

牢の入口にいた衛兵が、すでに殺されていた。魔族の死体は消える。魔法の痕跡も、やがて薄れる。残るのは、血と、倒れた人間の身体だけだった。

 

状況は単純だ。地下牢にいた二人が、疑われる。

レンファも衛兵殺しで揉めるのは勘弁だった。

 

「……分かれた方がいい」

 

短い確認のあと、二人は別々に動いた。街の外へ出る。それだけを目的に、最短の経路を選ぶ。

 

レンファは、路地を抜けて街を離れた。ローブと帽子は、夜の闇に溶け込む色だった。

 

街の外縁をなぞるように移動した。大通りは避け、明かりの少ない裏道を選ぶ。人の気配が薄れるにつれて、足音だけがはっきりと残る。

 

城壁を越えると、空気が変わった。街の中にこもっていた熱と匂いが途切れ、夜の冷たさが肌に触れる。遠くで犬が吠え、草の擦れる音が混じる。

 

結界の外だ。

 

街の明かりは、背後で低く揺れている。振り返らずに進む。疑われる理由を増やす必要はなかった。

 

 

 

しばらく進むと、視界が開けた。

低い丘と、崩れかけた石積み。街道から外れた、半端な空き地だった。そこで、足が止まる。

 

活動しすぎたレンファの心は、すでに悲鳴を上げていた。身体はまだ動くはずだったが、歩くことすら面倒に感じて横たわる。

 

……次に意識が戻ったとき、空の色は変わっていた。

 

どこで倒れたのかも、どんな姿勢だったのかも思い出せない。冷えた空気と、わずかな土の匂いだけが現実感を伴って戻ってくる。

数時間か、あるいは数日。正確なことは分からない。ただ、短い休息とは言えないだけの時間が、確かに流れていた。

 

眠っていたのか、気を失っていたのか。その境目すら曖昧なまま、うとうとと浅い眠りを繰り返していたらしい。

 

やがて、遠くの気配と騒がしさに引き戻されるようにして、レンファは重いまぶたを開ける。

 

 

 

星明かりの下、複数の影が浮かんでいた。

 

フリーレン。地下牢で一緒だったエルフがいた。

 

 

それに向かい合って立つのは一人の魔族だった。角を持つ女だ。空気の密度が、明らかに違う。距離を保ったまま、恐らくは言葉が交わされている。

 

 

 

 

 

 

 

「どういうことかは分からないけど」

 

アウラが、薄く笑った。

 

「やってくれたわね。不死の軍勢にあの魔法を使ったのは、貴方かしら。フリーレン」

 

フリーレンは、即座に否定しない。ただ、杖を構えたまま、視線を外さない。

 

「どういうこと?」

 

問い返す声は、低く、短い。

 

「ふざけないで。あんなものを、どうやって復活させたのかは分からない。私たちですら、あの魔法のことは知らない。あれは“堕落”が使ったといわれる魔法。」

 

 

一瞬、間が空く。

 

「でもそんな大魔法を使ったあとなら……今のあなたの魔力は、私には及ばない」

 

 

 

 

 

 

 

「うえ… めんどくさい…」

 

少し離れた場所で、レンファは、位置を微調整する。足場を確かめ、距離を測る。なにより、あのエルフ、フリーレンが殺されれば、次にこっちまで来ることは明確だった。

何をやっているか分からないが、魔族とフリーレンが話している間ならば狙いもつけやすい。

 

 

 

 

 

木陰に隠れて様子をうかがうレンファに気づかずにアウラは肩をすくめる。

 

「しらを切るつもり?そう、でもあなたを服従させてしまえば、関係ないわ」

 

首のない騎士たちが、わずかに動く。

 

「その魔力じゃ、私には勝てない」

 

アウラが、手を上げた。

 

空気が、歪む。術式が展開される。

 

服従させる魔法。

 

意志を縛り、判断を奪い、命令を上書きする。直接的で、魔族らしい魔法だ。

 

「私は五百年以上生きた大魔族よ。私の勝ちだわ」

 

アウラは、わずかに顎を上げる。

 

そして、両者の魔力が天秤に載る。

その瞬間、側面から、何かが入り込む。

 

 

 

 

 

「街から出た場所でまた魔族って……運が悪いなぁ」

 

 

怠けさせる魔法。音もない。光もない。

 

防御に回されていた力が、わずかに薄くなった隙を突くように、レンファの魔法が飛来した。

 

 

アウラが気づいたときには、遅い。

 

それは破壊ではなかった。直接的に打ち砕くものでもない。

 

意志に、触れる。判断の根元を、撫でるように、押し倒す。アウラの動きが止まる。服従の術式が、途中で途切れる。命令を発するための回路が、機能しなくなる。

 

「……ありえない……」

 

声は、途中で力を失った。膝が崩れ、身体が前に傾く。自分が何をしようとしていたのか、それすら曖昧になっていく。

 

「……この、私が……」

 

その先は、続かなかった。

 

フリーレンは、迷わない。動けなくなった魔族の前に踏み込み……

 

アウラの首が落ちる。

 

 

 

 

 

 

夜風が、静かに吹き抜けた。

 

その風の先で安全を確認したレンファは静かになったことを喜んでいたのだった。

 

 

 

 





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