北方諸国の外れにあるその街は、もともと粘り強い場所だった。吹雪と魔物と貧しさに慣れ、壊れても直し、減っても埋め合わせ、そうやって今日まで続いてきた。
そんな街で起こった異変。それは、夜が深くなるにつれ眠りが重くなり、朝になっても目が覚めない者が増えるというものだった。
疲れが溜まっているのだろう、と誰かが言い、皆がそれに同意した。実際、眠りは心地よかった。抗う理由がないほどに。
混沌花、そう名付けられた魔物が、街の外れ、森の奥で静かに根を張っていた。北方特有の濃密な魔力と、長い年月を吸い込んだ植物が結びつき、通常の混沌花とは異なる性質を得た亜種。
直接襲うことはしない。距離を保ち、眠りを与え、その隙に魔力を吸い上げる。気づいたときには、街そのものが干上がる仕組みだった。
そんな街の外れに繋がれた馬車の荷台に、ひとつの輸送用木箱が置かれていた。中身は荷物。正確には、荷物として扱われている魔族。
そこでレンファは眠っていた。自分がどこにいるのか、今どうなっているのかを考えることすらない。当たり前だ。そんなことを考えることに気力を使うほどレンファは勤勉ではない。
混沌花の力は、箱の中にも及んだ。 寝ている相手から魔力を探し当て、引き寄せ、吸い上げる。
そう、及んでしまった。
レンファの体内を巡る魔力は、性質が悪かった。
怠惰。ひたすら底抜けの怠惰。まともな精神では、無機物ですら堕落させるレンファの性質が染み込んでいる。
動かないことを良しとし、変化を拒み、努力を嫌う、重く澱んだ魔力。
それはレンファによってコントロールされていれば、相手を無力化し、時間を浪費させるだけの穏やかな毒だ。
それを、混沌花は原液のまま引きずり出した。
効果は劇的だった。毒薬を、希釈せずに飲み下したかのように、混沌花の魔力循環は即座に破綻した。一瞬で浸透した魔力が混沌花の生命活動を次々に停止していった。
成長を止め、思考を鈍らせる。根は張ったまま動かず、花は咲いたまま萎れ、森の奥で静かに立ち往生する。
同時に、街を覆っていた眠りの呪いが解けた。
一人、また一人と人々が目を覚ます。何が起きたのか分からないまま、ただ生きていることを確かめ、互いを呼び合う。街は救われた。理由は分からないが、結果だけは確かだった。
そんな中、荷馬車の片隅で、木箱の中のレンファは、相変わらず眠っていた。魔力を吸われた痕跡もなく、むしろいつもより深く、満足そうに。
目を覚まして、ぎし、と小さく音を立てながら荷物の中から這い出ると、そこはオイサーストだった。輸送は問題なく成功。数か月か数年か、時間もそれほど経っていない気がする。自分を荷物として扱う方法は、やっぱり便利だ。
街に出て、目的の魔道具屋を見つけたところまではよかった。棚に並ぶ器具も触媒も、質は悪くない。むしろ期待以上だった。
ここならとレンファは喜び勇んで、いくつかのドラゴンの角を所望する。けれど、返ってきたのは想定していなかった一言だった。
「取り扱い規則で、無資格の方にはお売りできません」
少しだけ、言葉を失った。どうやら今は、魔法使いにも資格が要るらしい。大陸魔法協会という謎の組織が定める認定制度があり、最低でも五級以上でなければ一定以上の魔道具は扱えないのだという。
五級というのは基礎的な攻撃魔法や防御魔法を、安定して使えることの証明。要するに魔法使いとして一人前として認められる程度だそうだ。理屈としては分かる。事故防止だとか管理だとか、そういう理由だろう。
「……規則が変わるまで、寝て待つのもありだけど」
口に出してみて、さすがにそれはないな、と思った。何十年も寝るならともかく、数年程度で変わる制度でもない。
街を歩きながら、ふと別のことが頭をよぎる。そういえば、さっきから視線を感じる気がする。
それに、オイサーストに来てからどこか変な魔力が纏わりつく感じがある。レンファに触れると魔法としての形を失って崩れていくけど、気持ちが悪い。
もしかして、魔族として疑われている?
一応、角はない。魔力もそもそも特に多いわけではない。見た目だけなら、人間の少女で通じるはずだ。たぶん。
新たな判別法が出てこなければいいんだけど……
「うーん」
五級程度なら、魔法協会でまともな魔法が使えることを示せばいいらしい。問題は、そのまともな魔法だ。
現代の魔法使いが使う術式は、正直よく分からない。効率は良さそうだけど、逆にどれも回りくどくて、無駄が多い気がする。複雑なのに力で押す前提の構造だ。ああいうのは、長く使うと疲れそうだ。
それに、そういうのは攻撃魔法なのだろう。なんで魔法を攻撃に使うのか、嘆かわしいこと限りない。
判断に困ったレンファは仕方がないので、図書館に籠った。
情報収集。結局いつも最後はそれだ。
オイサーストの図書館は広かった。
広いというより、積み重なっていた。石造りの建物の奥へ奥へと、階段と回廊が続き、古い本の匂いが空気に染みついている。紙と革と埃。それに、インクの乾いた痕跡。
人間の知識は、こういう匂いをしている。
毎回思う。数十年という短い時間で、膨大な量の知識を溜め込む。人間のそういうところは、素直にすごい。別に尊敬しているわけではない。ただ、厄介だと思う。彼らは忘れる速度と同じくらい、覚える速度も速い。
レンファは机に座り、面倒そうにページをめくった。
目が滑る文字列を、必要な部分だけ拾って、頭の中に放り込む。理解というより分類。
ここは役に立つ、ここは要らない、ここは危険、ここは面倒。
疲れたらその辺で休み、時々本を手に取る。
気が付けば日が落ち、また日が昇る。そういう繰り返しが続いた。
数か月、多分一年すら経っていない。
断続的で、しかし妙に精力的な調査だった。レンファにしては頑張った方だ。頑張ったというより、先送りしたくなかっただけだ。先送りすると、もっと面倒になる。
結果として、収穫はあった。
嬉しい知らせとしてはこの街からさらに北へ行った先、結界の起動に必要な初期燃料としては申し分ないドラゴンの出現が確認されていることだ。
魔力の籠った物品は市場の棚に並ぶとは限らないし、並んでいたところで値段が面倒になる。なら、最初から場所を特定して、最短の手間で取りに行くのが一番いい。
困った点だが、 そこへ行くためには、許可がいる。これは正確には本ではなく、その辺の話を聞いて分かったことだ。定期的な隊商や故郷へ帰るような特別な理由を除いて、一級魔法使いクラスの実力が要求されるようだ。五級程度で困るレンファにとっては本末転倒といってもいい。
そして、さらに悪い点。
その高原のさらに先、そこに帝国が、今も健在だということ。
魔法技術をひたすらに高め続ける、人間の中でも特に最悪な種類の集団。個人としての強さと組織力があるという厄介な相手だ。それらがいる限り、結界の安全性は「時間の問題」になる。
レンファはページを閉じた。
つまり結論はこうだ。
北へ行けば、必要な素材はある。だが北へ行くには許可がいる。そして北の奥には帝国がいる。帝国は生きていて、しかも元気に技術を積み上げている。
……面倒が、層になっていた。
レンファは小さく息を吐く。平和に暮らすための準備は、どうしてこう、平和から遠いのだろう。