紫が、藍を連れてくるまでの間。
俺は白玉楼の庭で、何をするでもなく空を見上げていた。
夜の名残を引きずった幻想郷の空は、やけに澄んでいる。
星の位置を目で追っていると、ふと――視線を感じた。
振り向くと、魂魄妖夢がこちらを見ていた。
「……なんか用事か?」
「いえ」
妖夢は一拍置いてから、言葉を選ぶように続ける。
「幽々子様から聞きまして。
貴方は……紫様を見分けた、と」
「ああ」
思わず鼻で息を吐く。
「話が回るの早ぇな。どうせ紫が、あることないこと言ったんだろ」
「幽々子様は『愛の力ね』と」
少し困ったように、妖夢が首を傾げる。
「……そうなんですか?」
ぶっしつけな質問だった。
答える義理はない――が、一宿一飯の恩があったか。
俺は空から視線を下ろし、庭先の石を軽く蹴った。
「あれを愛って呼ぶかどうかは、見る側が決めりゃいい」
間を置いて、続ける。
「俺には分からん。分からないとしか言えねぇな」
「……分からない、んですか?」
「少しお節介かもしれんが」
妖夢を見る。
「教えてやるよ」
「え?」
「これから藍が来る」
俺は指先で地面をなぞりながら言った。
「まぁ、紫が連れてくるわけだが……
多分、何か試される」
「……試す、ですか?」
「ああ。主に相応しいかどうか、とか。
妖怪ってのはそういうのが好きだ」
妖夢は小さく頷く。
「取る手段は限られてる」
俺は淡々と続けた。
「一番無難なのは、紫に化けての入れ替わりだ」
「……それは」
妖夢が目を伏せる。
「賢者の方の紫様が、もう失敗したやり方では?」
「だな」
俺は肩をすくめる。
「でも、その事は藍には教えられない」
「なぜですか?」
「賢者が、自分の失敗を事細かに語る理由がない」
一拍置いて、
「藍も、試させるためにそれを教えたりしない」
「……同じ失敗を、黙って見ている、と?」
「もう賢者の試しは終わってる」
きっぱりと言った。
「今すぐ二度目をやる意味がない。
俺が博麗の巫女なら話は別だがな」
妖夢が首を傾げる。
「それに」
俺は続ける。
「リスクもある。
もし賢者が関わって、藍がまた失敗したら……
賭け金の上乗せが発生する」
妖夢が目を瞬かせる。
「しかも今度の支払先は、俺だ」
「……なぜ?」
「一度試した相手に、二度目を仕掛けるなら」
俺は妖夢を見た。
「今度は俺も賭けの卓に座る権利が生まれる」
妖夢はしばらく黙り込んだ。
「それでも……」
ぽつりと。
「紫様が、藍に説明してしまう可能性は?」
「ないな」
即答した。
「紫は、藍が失敗するのを楽しむ。
せいぜい、化けるのを手伝うくらいだ」
「貴方で楽しむ可能性は?」
「初対面じゃなければやる」
俺は正直に言った。
「でも、藍はまだ俺を知らない。
理解させる前に、過剰な手出しはしない」
妖夢は完全に言葉を失っていた。
「他の試しは?」
「似た者主従だ」
俺は庭の奥を見る。
「発想は同じになる。
しかも相手は外の人間。
舐めてかかって、単純な手を打つ」
「……そこまで考えて?」
「正攻法だけは、まず取らない」
静かに言った。
「正面から来て、話をして、見極める。
そういうやり方なら、藍みたいな高性能な頭脳相手じゃ、俺の方が分が悪い」
一拍置いて、肩をすくめる。
「もっとも、それは人間のやり方だ。
妖怪は、そんな面倒な手は使わない」
沈黙。
「……考えすぎかもしれん」
俺は付け加えた。
「何もしない可能性もある」
「そう、ですね」
「でも」
俺は立ち上がった。
「現れるなら、この庭だ。
従者が先導する。
紫が先に出てきたら偽物だ」
「……なぜ?」
「格を見せる」
短く答える。
「完璧な従者なら、先に出る。
斥候も囮も全部引き受けてから、主を迎えに来る」
妖夢は、従者だ。
理解は――できたらしい。
「あと」
ちらりと妖夢を見る。
「お前が藍の可能性も考えたが……違いそうだ」
その瞬間。
隙間が開いた。
紫が先に現れ、
その一歩後ろに、藍が控えていた。
妖夢が、はっと目を見開く。
俺は二人に歩み寄る。
「お待たせ。待ったかしら」
「妖夢と話してた」
俺は言いながら、
後ろに控える――藍の姿をした紫の目を見た。
そのまま、間を置かず。
パンッ。
紫の姿をした藍の尻を叩く、乾いた音。
「きゃっ」
弾けるように姿が入れ替わる。
紫は紫に。
藍は藍に。
「以上だ」
俺は肩をすくめる。
「斬れば解る、の本当の使い方」
一拍。
「俺流だけどな。参考になればいい」