「あら、あらあらあらあらぁ」
白玉楼に戻った俺を待っていたのは、
俺の周りをぐるぐると回りながら声を上げる亡霊だった。
「あら、あら、うふふ、あらあら」
ぐるぐる、ぐるぐる。
幽霊ってバターになるんだろうか――
そんな現実逃避をしていると、横からふっと気配が割り込む。
「まぁ、意外と和装も似合うものね」
紫が、いつもの調子で顔を出した。
「そりゃまぁ、日本人だからな。で、紫。これ、どういうつもりだ」
「単なる魔除けみたいなものよ。
幻想郷でその衣装に身を包んだ者を、襲う妖怪はいないわ」
「襲う妖怪どころか、近づく人間すらいなくなってるぞ」
「……そういう効果も、あるかもしれないわね」
「もう、紫ったら。素直じゃないんだから」
幽々子が、くすくすと笑いながら言葉を挟む。
「こんなの、立派な婿入り衣装じゃない」
「まぁ……正直、そう思われても仕方ないとは思うぞ。
早苗なんか、痛いカップルセーターみたいだって言ってた」
「そこまで深い意味はないわよ」
紫は肩をすくめる。
「受け取る側がどう受け取るかは、自由でしょう?」
「もう、紫ったら」
……ああ、これは。
流す空気だ。
でも。
俺は一度、息を吸ってから、口を開いた。
「あのな」
紫がこちらを見る。
「お前は境界を引いたつもりなんだろうけどな」
言葉を選びながら、続ける。
「お前が引いたっていう事実は、動かせないんだぞ」
「……っ」
紫が、言葉に詰まる。
受け取る側がどう受け取ろうと自由だ。
だが、そう受け取られることを許容したという事実は残る。
「……私、やらかしたかしら」
「俺が知るか。
俺はただ、恥ずかしいで終わる話だ」
沈黙。
「……」
「もう、別にいいじゃない。嘘じゃないんでしょ?」
幽々子が、穏やかに言う。
「でも、本当じゃないわ」
紫が小さく返す。
「本当に?」
幽々子の声が、少しだけ鋭くなる。
「これっぽっちも、そんなつもりなかった?
自分のものだって主張して、周りに認めさせたい意図は
なかったって言える?」
「幽々子さん、それ以上は……」
さすがに、と思って口を挟むが。
「貴方がそんなんだから、紫が甘えるのよ」
視線が、俺に向く。
「それは貴方の美点でもあるけど……弱いところでもあるわ。
奇跡が終わるのを畏れる気持ちは分かる。
でもね、手放す勇気も持ちなさい」
永い時を死してなお過ごしてきた存在の言葉が、
正論として胸に落ち、俺を黙らせる。
「紫」
幽々子は、今度は真正面から向き直る。
「貴方の振る舞いが曖昧なのは、今に始まったことじゃないわ。
でも……自分の気持ちの境界までずらしてしまったら、
何も分からなくなってしまう」
そこにいたのは、
ぽわぽわとしたお嬢様亡霊ではなかった。
八雲紫の親友として、
同じ時間を生きてきた“個”だった。
「……そうね」
紫が、ゆっくりと頷く。
「そう、よね」
「紫……俺は――」
「言わないで」
紫が、珍しくきっぱりと遮る。
「……そして、少し時間を頂戴」
揺れる瞳から、目が離せない。
「ああ」
その返事だけを残して、
紫は背後に隙間を開き――
静かに、その中へと消えていった。