師と共に歩む道   作:ひろせとら

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師と共に歩む道(1/2)

 乙女の聖地での会合は、思いもよらない結果となった。

 

 だって、そうでしょう?

 

 いくら『先輩』との思い出のお店だからって、いきなり泣き出すとは誰も想像できるわけがない。それも、あのユイ先生が。涙なんて似合わない人なのに。涙の似合わない知り合いのトップを独走しているくらいなのに。

 

『ビールは楽しく飲むものだと思うから、ユイ先生が辛いんだったら話はまた別の時に…』

 

 これは私の本心だった。何より、この教えを私に授けたのは他ならぬユイ先生自身だったわけであるし、彼女の涙を受け止められる自信もなかった。

 

 にも関わらず、『先輩』の話を続けたユイ先生に対して私がはじめに抱いた感情は、正直に言えば、困惑だった。

 

 思い出深いのは、わかる。気持ちが突然あふれてしまうのだって、わかる。

 ビールとの馴れ初めと、『先輩』が繋いだ関わりが、ユイ先生と創作を分かちがたく結びつけていたことも、理解できた。

 

 でも、なぜ?

 

 なぜ、そんなに大事な話を私にするのだろう?

 

 私以外にだって、たくさんの仲間がいるのに。いいえ、私なんかよりもっとクラフトビールに熱心な人の方が多いくらいなのに。ヨーコさんたちに比べれば、私と彼女は出会ったばかりのようなものなのだから。

 

『ずいぶん不吉だと思いますよね?』

 

 そんなこと、そんなこと!

 思うに決まっている!決まってるじゃない!なんてこと言ってくれるのよ!縁起でもない!

 茶化せる雰囲気ではとてもなかったのも、いっそうのことタチが悪かった。

 

 それに加えて、私はあの瞬間に異様で不穏な気配を感じた。

 この会話の流れが意味するところ、行き着く先は一つしかない。

 

『教え伝えることこそが最大の学びである――と』

 

 ああ、言われてしまった。つまり、そういうことだ。これではっきりした。

 

 ユイ先生は『先輩』と自身の関係を、自身と私の関係になぞらえている、と。

 

 もちろんイヤというわけじゃない。たまったもんじゃない、とも思っていない。

 

 彼女に認められるのは嬉しいことだし、たぶん、名誉なことであるとも思う。でも今、言ってもらいたくはなかった。この流れで言ってもらいたくはなかった。

 

 私はどう受け止めればいいのだろう?

 

 そりゃあ、ユイ先生とは色々な醸造所もビアバーもめぐって、少なからぬ種類のビールを一緒に飲んできた。彼女の薫陶を受けたといっても過言ではない。

 

 クラフトビールの世界の奥深さ、人と人を繋ぐ可能性、創作活動に通ずるクラフトマンシップにも共感するし、少しは理解できたつもりでもある。

 

 でも、だからといって、特段詳しくなったわけではない。お店を回るたびに、種類の多さ、この世界の広さを痛感するし、ユイ先生の知識とアンテナの感度には及ばないと思い知らされる。それに、ユイ先生はひとりだって誰とだってビールを楽しんでいるみたいだけれど、私は。

 

 私は、誰かと一緒じゃないと、彼女と一緒じゃないと、楽しいと言い切れる自信がない。

 

 そんな私たちの関係は、作家同士の飲み仲間に留まるのであれば、それでもよかった。遊び心あふれるビールを楽しんで、酔っぱらって、ちょっと仕事の話をしたりして。

 

 けれど、ユイ先生はもう一歩、いや、二歩三歩と踏み込んだ関係を示唆している。

 

 師弟。

 

 言うは易しだけれど、この語の指す意味はフィクションにあらず、実際にはとてもヌキサシならないものだ。一子相伝という言葉があるくらいで、時に師弟の間に走るモーメントは親子のそれさえをも凌駕する。

 

 直接口には出さなくても、彼女の意図とその重さはイヤというほどわかった。

 

 もちろん「ビールの」師弟という但し書きは付くわけだけれど、ユイ先生にとってのビールがどれほどの意味を持つのかを考えると、大したことではないと無視できるわけがない。

 

『付き合ってくれてるケイ先生にはご迷惑かもですが』

 

 その声は私を気遣うようでいて、張り詰めたように必死だった。

 

 私は答えられなかった。答えられるわけがない。

 

 迷惑なんかじゃなかった。でも、困惑は否定しようがなかった。

 と同時に、彼女の気持ちと私へ託そうとする思いを無碍に扱うこともできず、

 

「もっとふさわしい人がいるんじゃないの?」

 

 声にできない言葉を私はのみ込んだ。

 

 思いもよらない結果とは、そういうことだ。

 

 私には彼女の気持ちに応える準備も、その余裕もなかったのだ。

 

◆◆◆

 ジャクソンホールでの一件があってから暫くして、ユイ先生からとあるビアフェスのお誘いがあった。『先輩』との経緯を打ち明けられてから何とも返すことができず、彼女に対する態度を決めあぐねていた私にとって、これは吉報なのか凶報なのか。

 

 とはいえ、それこそあの会話の流れからして、誘いを断って逃げるわけにもいかず、私は腹をくくって参加を決めた。ヨーコさんたち、いつもの面々も集まるとのことだから、そこまで突っ込んだ話にはならないだろうと踏んだのだ。

 

 行きの電車の中で会場を確認する。郊外の広い公園を貸切るタイプのフェスで、何か所かにわかれてビールも提供されているみたい。右も左もわからなかった頃に比べると知っている、また飲んだことのあるブルワリーが増えてきて、嬉しくなる。一方で、まだまだ聞いたことのないところの方が多いとため息も出てしまう。

 

 そういえば、ユイ先生も

「最近はもう出店スピードに頭も身体も追いつけなくなってきていて、嬉しいやら困るやら」

 時たまボヤいていたことを思い出して口角が上がりかけて、止まる。

 師弟という言葉がチラついて、笑うに笑えなかった。

 

 そうこうしているうちに目的地の最寄り駅に辿り着くと、改札前には既に人の波ができていた。

 ユイ先生に連れられて初めて参加した時にはビールを飲むためだけにこれだけの人混みができるなんてと戸惑ったものだけれども、今では地図アプリを開かなくても会場まで移動できて楽ちんだと思えるくらいにはなった。

 

 メッセージを確認する。ユイ先生からの連絡はまだない。

 

 ユイ先生が一杯でも飲み始めると、途端に常識人のフリができなくなるのは、この短い付き合いで散々に思い知ったわけだけど、泥酔しても私のようなビギナーに甲斐甲斐しいことは変わりない。だから返事がないのは彼女らしくはなかった。

 

「呼びつけただけってことは、ないよね」

 

 考え過ぎだろう。良くも悪くも、裏表のない人だ。

 他人に意地悪するのだって、下手そうだから。

 

 気を取り直した私は、人の波に身を任せて会場まで歩を進める。

 

 ヨーコさんに連絡してみてもいいけれど、どうだろう。もしかしたらブルワリー側で参加されているかもしれないし、迷惑かな。

 

 いやいや、私だってもう初心者じゃないわけだし、ここは思い切って自分でも新規開拓してみようじゃないか!

 

◆◆◆

 

「う~ん、う~ん」

 

 先ほどの決意はどこに行ったのやら、会場入りしてすぐに私は立ち尽くしていた。

 

 目の前には視界の端から端まで出店がずらりと並んでいて、各ブルワリーの店員さんとビールを求める人々が熱い応酬を繰り広げている。

 

「種類が、多い!あまりにも」

 

 わかっていたことだけれど、東京のヤエチカをひとり散策した時とは桁違いにビールの種類が多い。あの時だって10種の中から聞いたことのあるスタンダードな1つを決めるのがやっとだったのに、ここでは何十ものブルワリーがそれぞれ5種や多いと10種は繋いでいるから、100種類以上が提供されているかもしれないのだ。

 

「この中からはじめの一杯を選ぶなんて」

 

 何をどう飲もうかまでは考えてなかったから、途方に暮れてしまった。

 

 携帯を見つめても、助けを求められる相手からはまだ返事がこない。

 

「なんで返事がないんだろう」

 

 あのビールを飲む!と決めたら文字通りに万難を排してビアフェスに辿り着くのがユイ先生だ。過剰なくらいに備えるし、びっくりするくらい早く着いている。その点については、尊敬だってしている。もう酔い潰れていることはないだろうけど、うん、ないだろうけれど。どうだろう?

 

「あーあ。ユイ先生がいないだけで、こんなに迷うなんて」

 

 こういう時はどうすればよかったんだっけ?記憶を探る。ユイ先生なら言いそうなこと。

 

「まずは知っているところから、だよね?」

 

 そうだ。足掛かりになりそうなブルワリーはいくつかあるし、さっき電車でも確認した。まずはそこを探してみよう。見つかれば儲けものだし、なければもう目についたところの一番売りのビールを選んじゃおう。

 

 そうして気を取り直して勇猛果敢に進もうとしたところ、

 

「あれ!もしかして、ケイ先生?」

 

 見慣れない人物から声を掛けられた。

 

「ケイ先生じゃないですか!」

「私?」

 

 誰か、着物姿の女の子が駆け寄ってくる。和服を着こなす知り合いなんて、ひとりしか思いつかないけれど、

 

「春河童先生、ではないよね」

 

 似ているようで似ていない、黒髪でちょっと自信なさげな様子の、

 

「あっ、広瀬ちゃん?」

「わあ、うれしいなあ。覚えていてくれたんですね。お久しぶりです、広瀬です」

 

 確か、広瀬由希ちゃん。春河童先生や観音さんと現れることが多くて、作家志望のちょっと不思議な女の子。ユイ先生からも、一緒にビールを飲んだりしてるとは聞き及んでいる。少し前に、観音さんたちが開いた羊肉を食べる集まりで少し話したっけ。

 

 簡単に挨拶を交わす間も、なぜか彼女はとても機嫌がよさそうだった。しきりに可愛いとかちっちゃいとか、言われることは流石に慣れてきたところだけれど、年下の子にも連発されるなんて…。

 

「今日お会いできると思ってなかったので、びっくりです!なんだ、ユイ先生も言ってくれればよかったのに。ケイ先生に会いたいって人、いっぱいいるんですよ」

 なんで私に会いたがっているのかは、あえて聞かない方がいい気がした。

 

「そう、なんだ。ユイ先生からは何も?」

「ええ。というより、どうせ見知った顔ばかりが集まると思ってたので聞かなかった、という方が近いのですが。それはそうと、ユイ先生は?」

「それがね、連絡が返ってこなくって」

 

 そういって彼女に携帯の画面を見せた。

「ユイ先生のリアクションがないのは珍しいですね。いくらあの人でも、流石にまだ酔い潰れる時間ではないですし、あれはほぼほぼSNS中毒ですから、見てないとも思えない」

 

 酔い潰れているわけではない、というのは私と同じ意見みたい。広瀬ちゃんは思案顔であごに指を当ててなんだか考え込む仕草を見せていたけれど、次第にソワソワと、意味ありげな笑みを浮かべ始めた。

 

「あっ、ということは」「何か気付いたの?」

「ということは、ケイ先生は今おひとりということですね、ね?」

 

 なんだかコワい笑顔だった。私を出会い頭に抱き上げようとする、ある種の人達が浮かべる捕食者の表情のようでいて、少し違う。言葉を選んだ方がよさそうだ。

 

「まあ、そういうことにはなるけれど」

「へへ、じゃあユイ先生から返事があるまで、わたしと見て回りませんか?」

 

 身構えた割には意外と普通なお誘いだった。

 迷っていたところで渡りに船でもあるし、断る理由も見つからない。

 

「もちろん構わないけれど、広瀬ちゃんはお友達とかと会わなくてもいいの?」

「あはは!わたし、友達とかいませんから!」

 

 反応に困る。そうだ、こういう子だった気がする。

 自信ありげなのに、卑屈。自信なさげなのに、大胆。

 

「というのは半分冗談なんですが」「は、半分…」

「ユイ先生やヨーコさんたちみたいにビール関係の知り合いなんて全然いませんからね。こういう場所だと先生たちと会わなければ、いつもひとり飲みなんです」

 

 どうやら彼女は彼女で遊び方を心得ているようだった。

 

「なるほどね。そっか、じゃあ見て回ろっか」

「やった!」

 

 彼女はガッツポーズまでして全身で喜びを表現しているようだった。着物の袖がバサバサと暴れて、いそがしい。

 

「私なんかで、そんなに嬉しいものなの?」

 怪訝そうにたずねると、

 

「そりゃあもう!ケイ先生とはずっとお話してみたかったんです!それもユイ先生抜きで!」

「というと?」

 

「だってユイ先生がいたら、ユイ先生ばっかり!ずっと話されちゃうじゃないですか。ユイ先生がいなくても、はるか先生とか観音さんたちはあれはあれで、目の前で私たちだけが話しているのを放っておいてくれる感じでもありませんし」

 

 本人たちがいないと酷い言い様だ。そっか、広瀬ちゃんはこういう子なんだ。春河童先生が「いい子ちゃんのフリ」をしていると口走っていたことを思い出して、彼女に調子を合わせる。

 

「酒飲みは皆、声が大きいところがあるからね」

「そう、まさにそうなんです!楽しいことは否定しませんけどね、とにかくうるさくって」

 

 そういう彼女も大概に声が大きいのだけれど、楽しそうだから敢えて指摘はしないでおこう。何より酒飲みのための、酒の祭典だ。きっと少しうるさいくらいが、ちょうどいい。

 

「でもいいの?私、ビールに詳しいわけじゃないんだよ?」

「だからいいんです、といったら失礼ですけれど、クラフトビールに関する蘊蓄はもう聞き飽きているというか、ユイ先生たちでもう十分ですので。わたしだって所謂にわかなもんで、知らないなりの楽しみ方を見つけたいんです」

 

 よくわからない子だとは思っていたけれど、やっぱりわからない子だった。

 

「うれしいなあ、ケイ先生とふたりっきりなんて!善は急げです、さっそく行きましょう!」

 

 やたらと上機嫌な変わった道連れと一緒に、私はビアフェスの探索を始めるのだった。

 

 

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