108─ワンハンドレッド・エイト─ 作:Shohei Hayase
『Recalibration start……finished』
アイガイオンのサポートによって、現実の俺の体と意識が、再び接続する。
力が抜かれていた体に、再び神経が通る。
「っ! ……戻ってこれたか」
『Aegaeon, System return to Normal mode』
排熱の為に開かれていた翼が閉じ、ネットワークのオーバーライドが終了する。
(お疲れ、アイガイオン)
そう心の中で呟いて、アイガイオンに全装甲開放を指示する。
「若羽くん! ……無事だったか」
ざっと俺の体を見回して、朝霧主任はホッとしたように口にした。
「まぁ、何とか……セプティリオンはどうですか?」
「全パラメータ正常値。『不知火』も安定状態に戻った。交渉は成功だ」
主任の返答に、漸く人心地がついたような気分がして、一つ息を吐く。
「若羽さん、お疲れ様です」
「あぁ。エリアスも演算バックアップ、ありがとうな……うーん」
「どうか、されたのてすか?」
ピリピリと手足の先が痺れるような感覚を覚えつつも、アイガイオンから手足を引き抜く。
手を閉じたり開いたりして確認する俺の姿が奇妙に写ったのか、エリアスは心配げにこちらを見遣る。
「なんか……指が痺れてる? 初めての感覚で、うまく言語化できないな」
「アイガイオンの電脳ダイブは脊椎接続によるものです。それ以外の末梢神経系にリキャリブレーションの誤りが発生している可能性があります。軽微な物であれば問題はないのですが……朝霧主任、若羽さんのメディカルチェックをお願いできますか?」
「そうだな。医療チームを手配する。 少し待って……」
そこまで言いかけて、主任は片耳を抑えるようにした──恐らく着信があったのだろう──主任は言葉を中断して、手振りで謝意を示す。
「お疲れ様です、朝霧です。 ……社長? はい……はい……彼を? 市ヶ谷に? 私と、『眠り姫』も一緒……ですか……えぇ。彼の承諾が得られればになりますが……車もですか……はい。了解です」
暫くは普通に話していた主任だが、急に疑問を呈したかと思うと、ちらちらとこちらに視線を向けて困り声を上げ始める。
「あー……ということで若羽くん! 折り入ってのお願いなんだが、少し市ヶ谷に行ってもらえないだろうか!」
顰めっ面のまま通話を終えた主任は、見るからに無理しているとわかる作り笑いで、拝み倒すように頼み込んでくる。
「えぇ……?」
今までの『実直な研究者』というイメージをすべて投げ捨てた猫撫で声に、単純な違和感しか感じない。
「市ヶ谷、となると日本軍……いえ、防衛省ですか?」
「……やはり、エリアス君には敵わないね」
何かを理解したように、エリアスは慎重にその言葉を口にする。主任は苦笑いして、詳細な説明を始めた。
「防衛大臣が、若羽君との面会を求めている。セプティリオンの不知火に対するハッキングに際し、超法規的措置によって非常災害対策本部が設置された。しかしハッキングは突如として収束し、セプティリオンはその全情報の開示を拒絶している。つまりハッキング開始から終了までのセプティリオンの動静は、若羽くん。君にしかわからないんだ」
「つまり、その情報を伝える必要がある……ってことですか?」
「そうなります。セプティリオンは現在その処理能力をほぼ100%用いて何らかの作業を行っています。何をしているのかまでは、私には分かりませんが……人間に例えるなら、自分の家に人を招き入れる前に掃除するような感覚ですかね?」
「……セプティリオンの演算率が90%を超えるのなんて、10年に1回あるかどうかだ。それにこの呼び出しも……君は一体、何をやったんだい?」
何をしたか……会って、話して、セプティリオンが人型になって、エリアスが煽って、雑談して……
「セプティリオンと、話をした?」
やはり、最終的にはこの結論に落ち着くだろう。
「自立式並列型量子スーパーコンピューターと、対話か……なるほど、世が世ならノーベル賞物だね。セプティリオンの異常事態も、それなら説明がつく」
主任は一人満足気に頷いて、再び両手を合わせた。
「今ここで出頭を拒絶しても、いずれ警察経由で任意同行を求められることになるだろう。今なら、エリアス君を同伴して説明できる。僕も微力だが力を貸そう」
「朝霧主任に同意します。この場で不必要に事を構えるのは、得策ではありません」
主任の理論的な説明に加え、エリアスも同様に推奨する。
(官公庁の中枢に、他人が所有するHMATを入れるのはまず例がない。これが最大限の譲歩か……なら、受けるしかないな)
HMATがうっかり政策情報の書かれた何かを見たり、聞いたり、あるいはネットワークに接続してしまったりすると、その情報は機体のメモリーに格納され、所有者が自由に見れてしまうようになる。
それをしてまで、俺を招きたいというのなら、応ずるのが筋だろう。
「分かりました。申し出をお受けします」
「よし来た。地下に車が手配してある。付いてきてくれ」
主任は携帯端末を操作しながらエレベーターへ向かい、俺とエリアスはそれに倣う。
……と同時に、エリアスとの通信回線が開き、何事かと思ってエリアスの方を見ると、彼女は口を動かさずに、こちらへ言葉を伝えてくる。
『社内LANに接続、監視カメラシステムに介入……車の外見、登録データ照合……完了。日本陸軍所属の官用車……佐官クラスの車格ですね』
(偉いのか? ……いやそれよりも、この通信システムは何なんだ?)
『セプティリオンとの通信内容を解析して、思考通信プロトコルを用立ててみました。暗号化も行っていますので、セプティリオンを除いて通信を傍受される危険性は存在しません』
(なるほどな……)
「思考」と「口に出そうとすること」の区別が付き、しかも安全性も極めて高いとなれば、その価値は如何程のものか……
唐突に胃のあたりをそっと撫でる俺を、主任は怪訝そうな顔で見つめた。
エレベーターを出て、エントランスホールを通り抜け、フロントロータリーに入る。
「あ、そうだ。バイクどうしよ」
ここから市ヶ谷までは……車で最短で30分少々、となると徒歩移動は現実的ではない。今が……16:30。防衛省に行くだけでも5時を回る。それからバイクの回収に向かうのは難しい。
「バイクはUHIの方に手配をさせるよ。元の所に返しておく」
なんでバイクの駐車場所を知ってるんだ、と一瞬考えかけるも、人一人のプライバシー権など大企業の前では毛ほども意味を成さないと思い直し、口を閉じる。
携帯端末を仕舞った主任は、徽章付きのスーツを着込んだドライバーに軽く会釈をした。
「特機課第4室の朝霧主任でいらっしゃいますね。それと、茅原若羽さんに、エリアスさん。
エリアスがさっと助手席に座り、俺と主任は後部座席に座る。
(後部座席が3人乗りなのはいいけど……エリアスも座ったら流石に窮屈か)
有名メーカー製のファストバックセダンは、ドライバーに導かれるように静かに発進した。
「……エリアス。一応警戒。『しるべ』と連携して周りを探ってくれ」
「了解しました」
流石に量産品の自動車に耐弾性など望むべくもない。
つい一時間前に手酷い失敗をして、それでも尚……ということも無いだろうが、心配するに越したことはない。
「そんなに危ないのかい?」
「レインボーブリッジで25mmガトリングを持ち出されましたよ」
「……それはそれは」
主任の口角が引き攣る。
自分でもこれは現実なのかよくわからなくなってきたので、頭を振って無理やり話を軌道修正する。
「エリアス、怪しい奴は?」
「複数の外国工作員を確認しました。『セプティリオン』に転送……照合完了。以降の管理をセプティリオンに引き継ぎます」
「複数? いくら何でも早すぎだろ。襲撃から一時間経ってないんだぞ?」
「『アイガイオン』を装着して、私と出会うまでの監視カメラ映像は、完全には削除しきれていません。セプティリオンに連絡をするまでの映像は、既に各国へ流出していると見るべきでしょう」
エリアスの言葉に、自然と口がへの字になる。
「プライバシーって言葉はないのかよ」
「アイガイオンは、日本の第3.5世代E3S、そのプロトタイプです。基本は各企業内で試験が行われ、民間にその姿が晒されることは有りません。ましてや戦闘中の映像が流出するなど、他国の情報機関にとっては好機であり、その搭乗者たる若羽さんの身柄を確保したいと考える国家は多いでしょう」
「俺は軍人でも、ましてや研究者でもない……ただの民間人なら、セキュリティーは甘いってことか」
この分じゃ、自宅も学校も監視されてそうだ……と思考したのを見透かしたように、エリアスはゆっくりと口を開いた。
「若羽さんには平静を保って頂きたかった為、敢えて告げていませんでしたが、今日の朝から放課後にかけて、若羽さんの家と学校にそれぞれ、10人程度の工作員が張り付いていました。私の方でセプティリオンと対応を協議し、捕縛したのですが……2波目が予測より早いですね」
「……どうにかならないのか?」
「それに関する話は、高い確度でこの後
「必要なら、セキュリティガードをウチ持ちで付けるよ。元はと言えば、5号機はUHIが製造した機体だ。上役にも否とは言わせないさ」
エリアスの断言と、主任の気遣いに、知らず識らずの内に強張っていた肩の力が抜ける。
「大臣と面会、か……昨日から非日常だらけだ」
少なくとも、昨日まではただの高校生だったと言うのに、今はこの国の中枢へと、それも話をしに向かっている。
ついつい零れ出たその言葉に、エリアスが反応した。
「それは間違いなく、若羽さんの能力によるものです。あまり卑屈にならない方が良いかと思いますよ」
「
苦笑しながら、窓の外を見る。
高く立ち並ぶ摩天楼の数々。前世紀から世界有数の経済の中心として知られる、眠らない街、東京。
学校は品川の中央よりやや南東、家は大田区にある俺にとって、都心部はあまり縁のない場所だ。
自分がこの場所にいることが、あまりにも滑稽に思えて、ついつい吹き出してしまう。
……不意に、こんなことを問いかけたくなった。
「なぁエリアス。君はHMATだ。人間を遥か上回る、人智を超えたモノの産物だ」
「その側面もあります。しかし、同時に私は、法によって拘束され、所有者に従う存在でもあります」
エリアスは、つらつらと教科書をなぞるように、当然の常識を並べ立てる。しかし、俺が聞きたいのは、そんな表面的な話ではない。
「……君の本質は、一体どっちだ?」
「それは貴方が決めることです。私は結果であり、貴方は起源なのです」
あまりにも明瞭な返答に、一周回って感心すら浮かんでくる。
「なら……俺は君を信じるよ。エリアス」
そうまで言われてしまったら、俺にはこう返すしかない。
「
エリアスは茶目っ気たっぷりに一礼して、目線を前に向けた。