108─ワンハンドレッド・エイト─ 作:Shohei Hayase
とはいえ、流石に人の形をしたものの前で何もかも脱ぎ捨てる趣味は無い。オマケにマネキンと違って喋るし動くし恥ずかしがる。
「エリアス、後ろを向いててくれ。俺が準備できたら声を掛けるから」
「わかりました」
エリアスの姿を見ないようにして手早く服を脱ぎ、フェイスタオルを引っ掴んで腰に巻いてから風呂場に飛び込む。
「どうぞ」
と呼び掛けて暫く立つと、足音が後ろから聞こえて、風呂場のドアが閉まる。
「椅子、使いなよ。突っ立ったままってのは良くないし」
「お言葉に甘えて」
風呂場の床に座り込んで、エリアスの姿が反射する鏡に視線を合わせないように下を向きつつ、手探りでシャワーヘッドを見つけてホルダーから外す。
「家内システムからお湯を張ってくれ。大体7分で……入れる位にはなるはずだ」
エリアスは答えなかったが、湯船にお湯が貯まる音が左耳に飛び込んで来る。
「……先に浴びるか?」
気遣い半分、エリアスをさっさと湯船に叩き込みたい半分で、俺は彼女に提案する。
「ええ。シャワーをお借りしますね」
後ろから伸びた手が、俺の手からシャワーヘッドを奪い去る。
その腕はほっそりとしているが、肉付きは良く、適度に丸みを帯びていた。
(……いかんいかん、煩悩退散煩悩退散)
その何も身に着けていない腕の、その先を想像してしまいそうになって、頭を振って冷静さを取り戻そうとする。
水音も、ディスペンサーを押す音も聞こえないのを不思議がっていると、いきなりお湯が俺の頭に掛かり、堪らず飛び跳ねた。
「うわっ! エリアス!?」
急にお湯が掛かって慌てて目を瞑った俺は、急いで顔を下に向けて、手で数度顔を拭って目を開く。
「いきなり何すんだよ! 『先に浴びるか』って聞いたのに、なんで俺を洗うんだ……」
お湯が止まり、エリアスの手が俺の髪に触れると、頭の上に冷たくぬめった物が塗りたくられる。
シャンプーだ、と気付くのにそう時間は掛からなかった。
(は、恥ずかしい……!)
他人の手で洗われることなど、子供の頃の朧気な記憶でも数度あったかどうかなので、それがエリアスのような美少女であれば、尚更羞恥心が湧き上がってくる。
エリアスの細い指は髪をサラサラと通り抜けて俺の頭皮を押したり、ほぐしていく。
「……わざとだろ、頭を揉むな」
揶揄われた、と分かってキツい口調になってしまうが、くつくつと喉を震わせるようなエリアスの笑い声に、毒気を抜かれたような気分になる。
「反応が面白かったので、つい意地悪をしていまいました」
「俺は子供かよ……」
自分でも出来ることを誰かにやらせる、というのは、どうにも収まりが悪いように思えて、シャワーヘッドを自分に向けてお湯を流す。
「さっさと出て、ご飯にしよう。こんな時間だし……」
この際カランでも構うものか、とシャワーヘッドをエリアスに握らせ、手早く体を洗って湯船に飛び込む。
壁の方を向いて、浅い風呂から水を掬って体に掛けながら湯冷めしないようにしていると、唐突に水深が上がり、湯船の水が揺れ動いた。
「……寒いですね」
「シャワーでも突っ込むか。マシになるだろ」
二人が入ることで腹位の深さにはなったが、狭い湯船でもこれとは、やはり性急に過ぎた気がしないでもない。
ノズルをエリアスに渡し、自分はお湯を掛け続けていると、2分くらいで胸元まで浸かるようにはなってきた。
「よし。 ……それにしても狭いな」
この家は元々一人暮らし用で、湯船も当然一人用である。俺は限界まで足を曲げてエリアスのスペースを確保しているが、やはり体勢としては辛い物があった。
「足を伸ばしても宜しいのでは? 場所もまだありますし」
「……悪いな、嫌になったら教えてくれ」
エリアスの厚意に甘えて、少しずつ足を伸ばしてエリアスのスペースを侵略していく。
しかし4割を超えても、まだエリアスは止まれと言わず、已む無く半分位までスペースを確保してしまう。
「……もう十分じゃないか?」
「むしろこちら側に来て頂いても良かったのですが」
「良くないわ!」
真面目な口調ですっとぼけたことを言うエリアスに、思わずツッコミを入れた。
(これ以上動いたら当たるっつの……)
互いに湯船に座り込んでいるが、感覚としてはそろそろ俺の背中にエリアスの足が当たる頃合いだろう。
「これはこれで、あまり状態が良くありませんね」
その意味を問う前に、水が動いて、次いで背中に何かが当たる。
「折角「裸の付き合い」と言うものを試しているのに、これでは本末転倒です」
しっとりと水に濡れた、艷やかな腕が俺の肩に回され、水を含んだ髪が右頬を擽る。
回された腕が締まり、背中に張り付いたエリアスの胸が面白いように形を変えた。
「若羽さんは、私の体について、どのようにお思いですか?」
「あ……いや……」
喉が乾いたように声が掠れ、意味を成さない喃語のような言葉が漏れる。
エリアスは俺に体重を預け、吸い付くような柔らかな肌が隙間もなく密着して、えも言われぬ法悦が全身を駆け巡る。
「そんなに魅力、ありませんか……?」
囁くような声が耳を撫でて、首から上がかっと熱くなるのを感じた。
(これは……駄目だ、マズい!)
誘惑されているのだ、と気付いて、全身を固めて欲望に抗う。
「エリアス、止まれ!」
俺が下した命令に従い、彼女は即座に動きを止めた。
僅かな自己嫌悪を覚えつつ、回された腕を解く。
「人とモノの関係は、多分、そんな即物的な物じゃない。エリアスから見て、俺はとても扱いやすいように思えるかもしれないけど……それでも、俺にだって気付けるだけの頭はあるんだ」
「やはり、お嫌なのですね」
その言葉に、暫し考える。
……正直に言うべきだと考え、息を整えて、口を開く。
「俺だってこんな年だし、男だし……そういう欲望が無い訳じゃない。けど、もしこの感情が、誰かに誘導されて作られたものだったとしたら……俺は多分、そこまで明け透けな物に身を任せないと思う」
結局、これが全てなのだと思う。単純というか、潔癖というか……全てに構わずにエリアスの手を取ったら、多分楽にはなる。つまらないことは考えなくて良くなる。
だが、それは多分
俺の意思を感じ取ったのか、彼女は自然と手を引いてくれた。
「……失敗です。やはり、先程の話は性急すぎましたか」
「出会って1日経ってない男に言う台詞じゃないのは確かだな」
「そうですね……」
気落ちしたような声を出してエリアスは押し黙り、暫く沈黙が流れる。何か励ましになるような言葉を紡ごうとして、口をモゴモゴと動かす。
「……でも、嬉しいよ。エリアスが自発的に行動してくれて」
口を衝いて出てきたのも、また正直な気持ちだった。
ずっと受け身で、一歩引いた態度でいたエリアスが、自分から踏み込もうとしてくれた。それがどれだけ打算に満ちた行動だとしても、俺にはそれを責める資格などない。
「えぇ。なので、私もちょっと背伸びをしてみます」
その直後、するり、と後ろから伸びた腕が顔と首に掛かり、絶妙な力加減で抱き寄せられる。
迂闊に暴れると何処かに当たりそうな気がして、俺の頭はほぼ無抵抗のままエリアスの胸元に収まった。
(……へ!?)
顔一杯に広がる柔らかな感触と、微かに香る甘い匂いは、意識ごと俺の体を釘付けにした。
「私の所有者に貴方を選んで、良かった」
首元までが湯に浸かる。目が泳いで、見てはいけないものを見そうになって、急いで目を閉じる。
いつの間にか、湯船は満たされていた。
「私はまだ、その力を貴方に全て明かすことは出来ません。……それでも、私の判断機構は貴方の下にあります。ですのでどうか、私を上手く使って下さい」
恥ずかしがることも無く、エリアスは涼し気な口調で言い切った。
全身を委ねることは無い。それは俺の、ちっぽけなプライドでもある。
「……努力するよ。取り敢えず、ご飯にしよう」
彼女の体に手を着く訳にも行かず、湯船の縁を掴んで、身体を離す。
彼女と離れて漸く人心地がついたような気がして、心の中でそっと胸を撫で下ろした。
「先に上がりな、エリアス」
「了解しました」
水の滴る音と共に、水面に波が立つ。
人ひとり分の体積が消えた湯船が、随分と寂しく思えた。
「昨日は若羽さんにご飯を作って頂いたので、今日は私がお作りします」
風呂を上がるなり、エリアスはそう宣言した。
「……いやいいよ。俺がやるよ」
唐突な言葉に困惑しつつも、俺は腕を振って断りの意を示す。
伊達に、高校に上がってから親元を離れて自炊生活を続けてきた訳ではない。
もともと自炊は得意ではないが、それなりの自負はある。
「そも、HMATは適合クラスⅢ以上であれば家庭内の家事を代替出来るように設計されています。炊事、洗濯、掃除といったことも、その範疇に入ります」
だというのに、エリアスは頑として譲らず、俺を言いくるめようとする。
「せめて私の機体価格程度は働いて返します。それが、私を所有することで貴方に降り掛かる困難への償いです」
「機体価格って……6000万円以上じゃん。月々30万だと考えても、16年以上は俺と居続けることになるぞ?」
エリアスの言葉に、俺は愕然とする。
彼女の機体価格など、ただの高校生の収入程度で到底賄えるものではない。
一人暮らしと言う事で、バイトをしたり、新製品のモニターをしたり、あるいは個人情報を企業に売ったりとか……そういった手段で生計を立ててはいる。
が、それにしても6000万円という金額は膨大だ。
あるいはそれ以上になる可能性すらあるのだから、質が悪いとしか言いようがない。
(高々……と言うのもアレだが最高級メーカーのフラッグシップと、世界に1つしか存在しない人類未知物象。余程のことがない限り、高価なのは人類未知物象の方だ)
そもそも機械製品であるHMATは、5年から10年ごとに大規模なメンテナンスを必要とする。高級機ともなるとメンテナンス費用だけでも馬鹿にならない。
やはり断ろう、と考えて口を開きかけるが、エリアスは先回りして理論武装を整えていた。
「オーナーの仕事を高度に代行するのが、私達HMATの存在意義です。一先ずは今日だけでも、私に任せてもらえませんか?」
存在意義、今日だけ……そう言われては否も言えず。
(結局押し切られてしまった……)
何処か嬉しげな様子で台所に立つ彼女を見ながら、心の中で頭を抱えた。
エリアスは冷蔵庫の中身を知っているのか、食材が次々と俎板の上に並べられ、見る間に用意が整った。
代用肉のバラ肉とソーセージ……諸々の製造コストと倫理的問題により、穀物から直接肉を作るのが現在の主流だ……と、出来合いの野菜袋、それと調味料各種。
「野菜炒め、か?」
「そうですね。時間を掛けるのは今では無いと判断しました」
俺が料理名を呟くと、彼女は微笑して肯定する。
サラダ油をフライパンに少量引き、バラ肉をその上に乗せる。温める間にソーセージを一口大に切り、バラ肉に火が通ったら一旦皿に上げて代わりに野菜を投入。
野菜を炒めている時間に、大根をざるに卸して水気を切り、ポン酢と顆粒だし、チューブ生姜と和えておろしソースを作っていく。
フライパンにバラ肉とソーセージを戻し、塩コショウを振り掛けてから火を止め、皿に盛り付けておろしソースを掛ける。
仕上げにネギを散らして、エリアスは俺の前に皿を持ってきた。
「………ぐぅ」
「若羽さん!?」
机に突っ伏した俺に、エリアスが慌てて駆け寄る。
「何だよ、普通に上手いじゃん……昨日は持っただけで丼ブッ壊してたのに」
「あれは……俗に言う黒歴史なるものなので、触れないで頂けると助かります」
感情の読めない声でエリアスは言うと、再び台所に向かっていく。
彼女に全て任せてしまったら負けのような気がして、俺の分とエリアスの分のご飯を盛り付けて食卓に置く。
黒胡椒、胡麻、追加のネギと箸を持って、エリアスは戻ってきた。
「頂きます」
「……頂きます」
早速、肉野菜炒めに箸を伸ばすと、肉を多めに使っている割には、おろし大根の風味とポン酢によって脂の味は控えめで、食べやすくご飯と合うような味付けになっていた。
「美味い……ってか美味すぎる! 凄いな!?」
「お気に召して頂けたのでしたら幸いです」
「いや本当に……どうなってるんだ?」
HMATはその動作を外部のクラウドに依存する。インプットされる動作には限りがあるが、エリアスの調理技術は熟練のそれだ。
(専用のクラウドに接続している? でもそういうのって基本有料じゃないのか?)
これが汎用のクラウドで動いていたら笑うしかない。
「エリアスは、この動作をどこから?」
「各クラウドからセプティリオンに渡される動作データを抜き出して使っています。彼も承知の上で、法的に問題はありません。 ……想定されていない、とも言えますが」
「……そりゃそうだ。セプティリオンから直接融通を受けるHMATなんて、想定する方が阿呆らしい」
保安上の観点から、HMATの動作データはセプティリオンが全て纏め、専用クラウドのサービス登録に応じてHMATの動作プロファイルに追加される形式を取っている。
自己防衛と犯罪者確保以外でHMATは人間に危害を加えることはないが、それはセプティリオンが送る命令セットにそういう記述がされているからで、それをソフトウェア側から解除することも……種々の問題は除いて、不可能では無い。
他のサーバーにクラウド動作を移管すると、もしそのサーバーがクラックを受けた際にHMATが異常な行動を取ってしまうからでもある。
(だから、セプティリオンには日本国内で公開されている全てのHMAT動作データが記録されている。エリアスはそれを流用して、動作しているのか)
彼女が例外である理由は、やはりセプティリオンが作り上げた人類未知物象だから、ということなのだろう。
「ちなみに、どの程度の?」
「各有名料理店の調理データをパッケージ化した物で、ユーザー評価では50万人で平均星4.5、中央値は星4.7ですね」
「そいつは凄い……」
中央値と平均値にほぼ差が無く、高い点数で纏まっているのは、優れた評価の証だ。
50万という大人数でこの値を維持しているのだから、さぞ素晴らしい調理技術を持っているのだろう。
「HMATは実際の動画やモーションデータを基に動作を行います。それが例えどれだけ熟練の技術であろうと、HMAT主機の精密動作能力が許す限り再現できます」
「料理人たちが必死に修行した何十年と、俺が自炊を練習した1年が等価とは思わないけど……やっぱりモヤモヤするな」
ガワをなぞれば全く同じ、という事実は抜きにして、それを1度覚えてしまえば安易に複製、応用が可能であるということに言い知れぬ嫌悪感を覚えてしまう。
「人間が行っていたことを機械が代替する時、人間は反発と嫌悪を以てこれに相対します。ミシンや力織機の破壊が有名でしょうか」
「……ラッダイト運動か」
今から300年前、産業革命によって蒸気力が実用化されたとき、それを利用した自動織機が発明されたが、労働者達は自分たちの仕事が奪われることを恐れ、機械を破壊するという行動を取った。しかし……
「結局は、成功しなかった」
「力織機は現代に至るまで織物生産のスタンダードで有り続けています。人は機械による自動化に反対しますが、それはあくまでも反発に過ぎず、時代の流れに逆らうほどの力を生み出せる訳でもありません」
「……それと変わらない、って言うのか」
多少の反発は、より大きな力に押し流される。HMATは登場から40年以上が経過し、その機体数は2000万機弱。日本人の3人に1人はHMATを所有している計算になる。
HMATによる自動化は、もはや避け得ぬ潮流なのだろうか。
エリアスの赤い瞳に、俺の顔が映る。
「若羽さん。貴方は私の所有者です。『私に仕事をして貰う』のではなく、『私を使う』ことを考えて下さい」
それは、彼女が散々言ってきたことだった。
「その方が気が楽になるかもしれないけど……そうなりたくはないんだ」
HMATに最初から全てを任せていれば、俺はそれに疑問を持たなかったのかもしれない。だが、今までやってきたことを「これからは私がやります、もう貴方はやらなくても良いです」と言われても、戸惑うことしか出来ない。
「そういえば、若羽さんのご実家にはHMATがいらっしゃらないのですか?」
「実家は明石だけど……そうだな。祖父は研究者上がりで、一代でウチの基礎を作ったから、HMATを買う余裕が無かった。父さんは宇宙工学の研究者で、いまは『ジェラルド・オニール』に居る」
2104年に完成した、環太平洋の国々が共同で建造した宇宙建造物。ある物理学者の名を冠するこのコロニーは、地球-月L1……地球から約32万キロ離れた所に浮かぶ、人類の未来の住処だ。
「妹もそれに付いて行ったから、地球に居るのは俺と祖父だけ。宇宙にHMATは持ち出せないし、
正確に言えば、相当に機能を制約したシュリンク版であれば、HMATを宇宙に持っていくことが出来る。
宇宙にはHMATの行動プログラムを管理できるだけのマザーコンピューターが存在せず、また宇宙開発に関する条約によってマザーコンピューターの建造が制限されているからでもある。
「なるほど。それであれば確かに、HMATに詳しくないのも頷けますね」
「悪かったな世間知らずで」
何処と無く責められているような気分になって、軽く悪態を吐いてしまうが、彼女はそれに頓着せずに言葉を続けた。
「4分の1という数字を、多いか少ないか判断するのは困難です。比率的には過半数を超える訳ではありませんが、精神的忌避感を持つ人にとっては十分に過多な数字でしょう」
「……祖父さんが、HMATを嫌ってる?」
あまり考えたくは無い想像だったが、ついつい口に出してしまった。
「祖父、と言うことは、おそらく60年程前の生まれでしょうから、HMATの登場する前ですね。HMATは民間に普及しながら行動プログラムを修正し、洗練させていきました。初期のHMATは、今と全く違う動きをしていたようです」
それはHMATと言う物の制御機構上、避けては通れない問題だ。ファクトリー内で事前検証を何回も行った所で、実際の環境に適応出来るかと言われれば、首を捻らざるを得ない。
しかし、例え祖父がHMATを嫌っているとしても、俺がHMATを嫌いになる理由にはならない。
「俺はエリアスが初めてのHMATだからな……うん。交代制にしよう。明日のご飯は俺が作るよ」
頭を回転させて出した妥協案に、エリアスは怪訝そうな顔をした。
「……それは、命令ですか?」
「命令じゃない。お願いだ」
彼女は困惑を更に強め、数秒経ってから溜息を吐いた。
「若羽さん。貴方は所有者で、私は所有物です。どうか賢明な判断を」
「人だから、物だからで縛ったって、意味なんて無いさ。多分今の関係のままだと、人はいつか間違いを起こす」
個人的な感情ではあるが、そういった関係は無しにしたかった。HMATは前提として
「俺は君とちゃんと向き合いたい。たとえ法的な関係が変わらなくとも、俺達は対等でありたい」
「……意思提示であると判断します。であれば、私は承諾しなくてはなりません」
しまった、と少しの後悔を覚えながらも、彼女の言葉を待つ。
「その旨を了解しました。貴方が望むのであれば、そのように振舞いましょう」
「いやそうじゃないって。結果は同じでも、過程が違う。 ……宜しく、エリアス」
ツッコミながらも差し出した手が、躊躇いがちに握られた。
「若羽さんは……不思議な方ですね」
「ヒトガタを人として捉える奴は、多分俺みたいになってるし、ヒトガタだろうが物は物って考える奴は、こんなことは気にしない。マジョリティーがどっちかを論じる気は無いんだ。ただ単に、俺が気分が悪いってだけ」
彼女の言葉に僅かに嘆息しつつも、俺は自らの意思を彼女に伝える。
たとえ俺が異端で、彼女が正しいとしても……伝えなければならないことは、ある。
「今まで俺がやって来たことがどれだけ非効率で、未完成なものでも……それが横から取られて、俺より高効率で完璧に終わらされて、それでおめおめと引き下がれるかって聞かれたら……そうじゃない」
「それは……プライド、と呼ぶべきものでしょうか?」
彼女は直接、俺の核心を突いた。
「まぁそうかもな。突き詰めて言えば、そんな幼稚な形容になる。ただの意地っ張りだ。 ……それでも、無いよりは、多分有ったほうが良い」
「社会の大部分は自動化され、政治を動かすのも人から機械に移り変わりました。それを甘受しながら、末端の自動化に反対するのは、少し不自然に感じます」
「違う違う、言いたいのは「餅は餅屋」ってこと。未来を予想する能力では、人間はセプティリオンに遥か及ばない。だから、それを彼が行うことには反対しないさ。けど家事労働において、その全てをHMATが代替可能では無い」
HMATの適合クラスには、故障機に割り振られるレベルⅠと、簡易的なワーキングロボットに割り振られるレベルⅡがあり、これらは限定的な用途に使われるものであって、家事労働を代行できるわけではない。
「……HMATは適合クラスによって確かに行動制限が課されます。しかし、レベルⅢ以上であれば、人間と同等かそれ以上の効率で仕事を遂行可能です」
HMATの割合は、一般的な家事や代理労働を行えるレベルⅢとレベルⅣが全体の4割以上を占める。
「だからこそさ。人間に向き不向きがあるように、HMATにも向き不向きがある。エリアスはちょっと、自分の機体性能を基準にし過ぎじゃないか?」
今日本にあるHMATの総てが、全て人間を上回っているかと言われれば、そうでは無い。エリアスは超高級機なので並の人間数十人分以上の能力がある筈だが、それは総てのHMATがそうである訳ではない。
「使うのでもなく、使われるのでもなく、共に協力し合う……それが多分重要なんだと思う」
「……今の人間社会は、そのように出来ていません。人類はHMATによって労働から開放され、苦役を行うのが奴隷からHMATに変わりました。人間の進歩は、そこで止まっています」
現代の奴隷制、とHMATを評した人間が居なかった訳ではない。しかし彼らは──エリアスが言う所の──時代の潮流に押し流され、封殺された。
「それでも、この手は何かを害する為じゃない。重ねる為に在るんだ」
たとえ人類が進歩の行き止まりに達したとしても、俺はそれを打ち破ることが出来る。
彼女なら、きっとそれに応えてくれる筈だ。
「それは今を先に進める、新たなピースの1つとなる……そう、私は予想します」
エリアスは噛み締めるように呟き、胸元に手を当てた。
「私には心がありません。クオリアが無い故に、判断系も感情も、人とは本質的に異なります」
彼女の両手は丸を作った。
伽藍堂を示していた。
「しかし、私に心があると言うのであれば……私はそうなる事ができます。貴方が望めば、私は変わることが出来るのです」
「随分……詩的な表現だな」
エリアスは丸を解いて、俺と両手の指を絡める。
「HMATは主に似るものですから」
「俺に責任転嫁するのかよ」
苦笑しながらも、嬉しい気持ちで心が満たされる。
絡まった指が強く握られ、額と額がくっつき、祈るように目を閉じたエリアスが、俺の視界を埋め尽くした。
「私は若羽さんと、一緒に居たいと思います。これからも、ずっと。貴方となら、私は多分、本当の私になれる気がします」
「……そうか。嬉しいよ。なら俺も、エリアスの力にならないとな」
囁かれるように告げられた言葉は、俺の表情を赤面させるに足るもので、それを最大限押し隠して、俺は一つの誓いを立てる。
「私の……力に?」
キョトンとしたような表情を見せるエリアスに、俺は自然と笑っていた。
「そりゃそうだ。エリアスは俺の力になる、俺もエリアスの力になる。それをやって初めて、対等な約束ってもんさ」
使うのでもなく、使われるのでもなく。
カタチは違えど、確かに対等なのだと。
それでようやく、俺は君の隣に立てる。
俺の言葉を噛み締めるようにして、エリアスは一度頷いた。
「若羽さんの言葉を、私はとても嬉しく思い……また、そう在れる事を、共に期待します」
「俺も……そう思うよ」
手は解かれ、けれど額は付けたままで、少しの間だけ無言の時間。
アナログ時計の音と、二人の息遣いだけが反響する静寂を破ったのは、エリアスの心配そうな声だった。
「──もうこんな時間ですか。明日の学業に差し障るといけませんし、どうぞお休み下さい。 若羽さん……良い夢を」
「ん? ……あぁ、そうだな。エリアスこそ、お休み」
案外疲れていたのかもしれない。まだリビングの椅子に座っているというのに、視界がボヤけて、強烈な眠気が俺を襲う。
(なんだ、これ……)
彼女は温かな笑みを浮かべ、バランスを崩した俺の体を受け止める。
柔らかいものが前面に広がって……それが、俺の意識した最後の感触だった。