108─ワンハンドレッド・エイト─ 作:Shohei Hayase
現在、俺はショッピングモールのモノレール駅向けの出口から出て湾岸線の方に向かったところだ。ありあけ高速鉄道の駅までは、この道をまっすぐ東に向かって行けばいい。
簡単な道だ。行き方だけ教えて、自分は動かないという選択もできた。
「ありがとうございます。親切な人で助かりました」
「いえいえ、どういたしまして」
だというのに、俺は女性と連れ立って、鉄道駅への道を歩いていた。
「初めて来た場所で、全然土地勘が無くってですねぇ……偶々貴方と会っていなかったら大変な事になってたと思います」
「まぁお台場も40年前から再開発が始まって、ビルも商業施設も増えましたからね」
臨海副都心に含まれるお台場は、コンテナ埠頭を有する巨大な貿易基地でもあり、優先的な再開発の他、首都機能の一部移転も行われている。
50年前に商業施設が立ち並んでいた時と比べても、建物の量は比較にならない。
「そういえば、さっきモール内でチラッとお見かけしたことが有るような無いような……その時は女性がご一緒していたはずですけど、今はどちらに?」
「え? あー、ちょっと別行動を」
話を振られたが、当たり障りのない答えを返しておく。自分の問題を人に悟られるのは、少し嫌だった。
「お暇でしたら、少し寄りたいところがあるので、そこに行きませんか?」
「いや、人を待たせているので、そう言うのは」
その後のお誘いには、すぐに否定で返す。先程は駅に行きたいと言っていたのに……と、違和感を覚える。
「ふーん、そうですか。残念ですねぇ。それはそうと、先程の女性の様子で、何かヘンなことはありませんでしたか?」
「ヘンなこと、と言われても、普通としか」
「そうですか。それは良かった」
……いまいち、発言の目的が要領を得ない。
先程感じた違和感が、どんどん膨れ上がっていくのを感じる。
「何が目的なんですか?」
「聞きたいんですか? ……後悔しますよ?」
「怪しいんですよ。さっきから言ってることチグハグで。道順は教えますから、これ以上は他の人に聴いてください」
突き付けた最後通告。この恐怖はただの瞞しなのだと思いたかった。
……そう、思わせてほしかった。
「残念ですねぇ、茅原若羽さん」
俺は彼女に、1度たりとも名乗ったことがない。なのに、彼女は俺の名前を知っている。
思わず一歩後ずさって、彼女が一歩距離を詰めた。
「残念? 何がです?」
「えぇ、とても残念です。こんなに良い人を……」
膨れ上がる何かが俺を通り過ぎて、背を向けることも厭わず「逃走」の一手を俺の頭が命じた直後、とても大きな力が、俺の体を捉えた。
「──殺さなくてはいけないなんて」
「がはっ……!」
体が正面から壁に叩きつけられる。
辛うじて動く首で辺りを見回すと、ショッピングモールの搬入口が見えた。
歩道から10m近くを吹っ飛ばされた割には、体に損傷は少ない。壁と強かにぶつかった額から血が流れているが、その程度だ。
「あ、あなたは、一体……!?」
「おっと失敬。つい加減が効かなくなってしまって。はいっと」
俺の意志とは全く関係なく、何か物凄い力で無理やり首の向きが直される。
例えるなら巨人に摘まれたような……抗うことさえも許されないような、絶対的な力の差。
「でもまぁ、冥土の土産に答えてもいいですよ。私はエステル。エリアス姉さんがお世話になりました」
(エリアスが、姉!?)
女性……エステルの言葉は、俺を混乱の渦に叩き込んだ。
HMATであるエリアスの妹とは何なのか、そしてなぜ、妹が俺を……
「妹? それに、殺すって……」
「ええそうです。非常に残念ですが、私は今から貴方を殺します」
何かをキャッチするような音が耳に届く。音は重く、軽い素材のものとは思えない。
「んー、何処が良いんでしょうね? 脳か、延髄か、それとも脊椎を切れば苦しみを感じないんでしたっけ」
至って普通の口調とは裏腹に、体の中心線を、脳天から背中にかけて冷たい感触がなぞる。
……刃物だ。
「……ッ、……!!」
「あぁこら、暴れると余計危ないんですから。狙いが逸れちゃいます」
今更ながらの恐怖が体を突き動かすが、決死の抵抗もあっけなく潰され、金縛りに遭ったかのように全身が硬直する。
「せめて痛くないように……一撃で仕留めますんで、その点はご心配なく」
途方も無い恐怖に全身が凍りつき、喉を引き攣らせながらも肺から残り少ない空気を振り絞ってエステルに問う。
「なんで、俺なんだ……!」
「強いて言うのであれば、貴方が姉さんの所有者だったから、ですかね?」
(……は?)
理解出来ない。理解することが出来ない。
ただ、エリアスの所有者だったから。
そんな理由で……俺は殺されるのか?
確かにエリアスにも言われた。セプティリオンにも言われた。俺の命を狙う勢力はいると。
……しかしそれは、俺が「アイガイオンのテストパイロット」だからで、対策も既に始まったと聞いている。こんなに急に、別の理由で「今から貴方を殺します」と言われたって、納得出来ないし理解出来ない。
「まぁ、運が悪かったってことです、偏に。億分の1の悪い確率を引き当てたと思って、大人しく死んでくださいな」
そんな俺の憤りも露知らず、後頭部に押し当てられた刃物が離れ、首を後ろから掴む片手が、僅かに俺の首を引っ張る。
(あ、やばい。これ、死ぬ)
明確な「死」を悟って、俺の頭が高速で回転を始める。
(嫌だこんなところで死ねないまだやりたいこともある明日の予定もある会いたい人もいる)
風切り音が耳に届き──
(──エリアス)
「……マスター!!」
後ろで生じた轟音の後に、俺の全身を縛る力が消失した。
振り返ると、エリアスは右手でエステルの左手を掴み取り、左手で彼女の持つ剣を防いでいる。
「あ、りがとう……助かった」
急激に空気を吸い込んで咳き込む俺を庇うように、エリアスは一歩前に出て、エステルと対峙した。
「若羽さん、申し訳ありません。この状況を招いた責任は、全て私にあります。 ……『エリアス』より『セプティリオン』へ。緊急懸案事項第784号の発生を確認……最悪です」
「エリアス姉さん……なんで」
舞い降りたウイングユニットがエリアスの背中に接続され、その砲門をエステルへと向ける。
「あぁエリアス、貴女は勘が良くて間が悪過ぎますよ。あと数秒遅れてくれれば、全てが本当に、本当に丸く収まったのに!」
フード越しに頭を掻き毟るような仕草を見せたエステルは、拘束を振り払って一歩下がる。
それを見たエリアスは一度深呼吸をして、目線を鋭く変化させた。
「『センチュリオン』、
「──あぁ、本ッ当に……面倒臭い!」
エステルがフードを取り払う。顕になった大海を写す蒼玉の瞳と、鮮血のような真紅の髪色をした少女は、エリアスよりも少し幼い……高校生と中学生の間のような外見で、その顔立ちには確かにエリアスの面影があった。
「たかが欠陥品風情が、私の邪魔をしないで下さいッ! 『ジャガーノート』、
センチュリオンが白く輝き、エステルの持つ剣が赤く染まる。
「若羽さん、逃げて下さい。今からこの一帯は戦場になります。貴方の力では……」
「くたばれ──ッ!」
彼女は言葉を途中で切って、エステルの振り下ろしを白刃取りの要領で受ける。
……瞬間、周囲のあらゆる音が消失し、遅れて猛烈な勢いで俺の体は吹き飛ばされた。
「……ッ!?」
石畳が見えたと思ったら、その次にはアスファルトが視界に映っていて、受け身を取りながら地面を転がる。
ふらつきながらも立ち上がり、慌てて歩道に戻るために一歩踏み出そうとすると、再度俺の体を衝撃波が叩く。
「一体何が……」
起きている、と言いかけて、横を見る。
俺の立っているすぐ横の場所が、ごっそりと抉られていた。
(……は)
呆然とする暇もなく、生体コンピューターに日本国政府からの通知が届く。
『東京都お台場にて原因不明の爆発を観測、当該地区にいらっしゃる方には迅速な避難を、半径30km圏内にいらっしゃる方には屋内退避を命令します。対象地域:東京都、埼玉県、神奈川県、千葉県』
「逃げろったって……!」
無情なメッセージに軽く毒づいた。
少なくとも、エステルの狙いは俺なのだ。下手に逃げて誰かを巻き添えにしようものなら死んでも死にきれない。
HMATの対人セーフティも、機能しているようにはとても思えなかった。
(……だが、離れたほうが良さそうなのは事実だ。エステルもエリアスも、港湾部まで戦域を広げることはしないだろう)
お台場の港湾部には世界中から貨物が集う。これが破壊されれば東京港の機能は大きく損なわれ、回復にも時間が掛かる。当然、経済的損失も大きい。
エステルはいざしらず、セプティリオンの影響下にあるエリアスが、日本の害となるような行動を取るとは思えなかった。
港湾施設の方へ向けて走り出しながら、セプティリオンをコール。避難計画の策定に忙しいのではないかとか、相手の都合を斟酌する余裕はなかった。
『あぁ若羽君無事か!? 無事だね!? なら良かった! いますぐそこから離れて!』
(離れるって……)
『良いから!』
3コールと立たずに即座に繋がり、続けて回線に飛び込んできた、飄々とした雰囲気を欠片も感じさせないセプティリオンの言葉に、思わず足を早める。
(何なんだよエステルって! セプティリオンなら、何か知ってるのか!?)
『知っているさ。エステルは……エリアス型HMAT2号機。彼女の妹に当たる』
(妹……!?)
今まで与太話だと思っていた妹云々の話が真実だったことに、驚愕を隠せない。
それを他所に、セプティリオンは話を続ける。
『エリアス型において与えられた役割は技術実証機。概念実証機たるエリアスの開発データを元に、より洗練された高機能な次元制御ユニットを装備している。 ……エリアスも頑張ってはいるが、厳しいだろう』
「……エリアスが?」
思わず、口に出していた。
シミュレーション上とは言え、数万発のミサイルを苦もなく撃墜し、室長達に『日本の総軍と相手をできる』とまで言わしめたエリアスでも、厳しい……?
後ろから何度も爆音が響き、ビリビリと地面に振動が伝う。前方には積み上げられたコンテナ群とガントリークレーンが見えてきた。
『ガントリークレーンの上に上がってくれ。ジップラインで上に上がるんだ』
「分かった」
既に避難したのか、誰もいないゲートを通り抜け、一番近いクレーンに向かう。
1キロをほぼ全力で走ったことで体のあちこちが悲鳴を上げるが、構わずハーネスを取り付け、リニアジップでクレーンの頂上まで上がる。
『制御室から双眼鏡を取ってみて。それならエリアス達が見えるはずだ』
小さな電子音とともに扉のロックが外れ、扉の左側にある小さな机の上に置かれている双眼鏡を取り、覗き込む。
「識別コード……エリアス……あれか!」
エリアスの発する信号を頼りにおおよその目星を付け、双眼鏡のピントを合わせた。
「……エリアス!」
『参ったな……これは』
左から、右から、上から、下から……
四方八方から襲い来るエステルの斬撃に、エリアスは防戦一方となっているようだ。
「セプティリオン、エステルを止めることはできないのか?」
無駄だとわかっていながらも、どうしても質問してしまう。
『総合リンク、予備リンク、全て反応がない。緊急停止コードの受信システムも破壊されているようだ。エステルは現在、スタンドアローン状態で稼働している』
エリアスの妹、という点で予想はしていたが、やはり彼女も高度な自律機能を備えているらしい。
『……会話を始めたようだね。音声を回す』
セプティリオンがそう言うと、頭の中に直接エリアスとエステルの声が響いてくる。
『本当に面倒ですね。いい加減死んでくれませんか?』
『無理な相談です。貴女こそ、さっさと消えてください』
底冷えするような声音と、互いに向けられる暴力の応酬は、聞いているだけでこちらの息が詰まりそうにたる。
地面はあちこちが抉らたり、クレーターが出来たりしていたが、エリアスとエステルには傷一つなく、人っ子一人いない街で一人向き合う姿は、彼女たちの美貌と相まって、映画のワンシーンのようにも見えた。
『そういえばなんで死なないんです? 性能はこっちが明確に上なのに……欠陥品の癖に!』
……欠陥品。
エステルがエリアスをそう幾度となく評したのは、一体何故なのだろうか。
明確な侮辱を前にして、エリアスは涼し気な顔で彼女を挑発する。
『確かに欠陥品かもしれませんが……試してみなければ分かりませんよ』
『ほざけ!』
怒声と共にエステルの剣が凄まじい速度で振り抜かれ、ジャンプで回避したエリアスの後ろにあるショッピングモールの外壁が真一文字に切れる。
『……正気ですか、貴女』
『うるさい……! 私の前から消えろ、エリアス!』
『不味いな、エステルは完全に激発した。避難施設も『ジャガーノート』の前では紙屑同然だ。かといって軍も頼りにならない。この状況では、エリアスに期待するしか……』
俺は何をすべきだ? 逃げること? だが今頼れるのは彼女だけ。他の何処に行こうと他の人たちを危険に晒す。
俺という存在を消す? でもどこに行く宛がある? 俺を消すのに、セプティリオンにどれだけの代償を払わせればいい?
なら、立ち向かうしかない。
「……俺も行く」
『バカなことを言うな! 死ぬ気か君は!』
心底驚愕したようにセプティリオンは叫ぶ。
だが俺の意見は曲げない。曲がらない。
「死ぬ気はないが、弾避けくらいにはなる。 ……それに、エリアスを放っとけない。エリアスを一人にしない。これは俺のエゴだけど、それを通さなきゃ俺は俺でいられない。自分で啖呵切ったんだから、尚更だ!」
彼女一人戦わせておいて……酷く情けない。
恐れるな。現実を飲み込め。直視しろ。直視しろ。直視しろ。
己の弱さ脆弱さ愚鈍さから目を背けず、立ち上がれ。
『……エリアスが入れ込む理由もよく分かる。そういう性質だからこそ、我々は君に期待するのだから』
しばしの沈黙の後、セプティリオンは溜息交じりにそう口にする。ただ、彼の声からはこちらを批難する意図は感じられなかった。
「……ありがとう。セプティリオン」
深く、感謝を込めて頭を下げる。我儘であることは百も承知。それでも我を通させてくれたことへの、俺なりの誠意。
『『アイガイオン』を呼ぶ。君の鎧であり、剣だ。……気を付けて!』
ジップラインでガントリークレーンを降り、視線を上げると、青い光が遠くのビルから打ち上がり、段々と近づいてきて、黒い人型の輪郭を形作る。
「……来てくれ。『アイガイオン』」
視線が向く。『アイガイオン』が、俺を見る。
両膝を付き、装甲を開放したアイガイオンに向けて、ゆっくりと進む。
歩みに迷いはない。恐怖はある。だが超えられる。
"AEGAEON BOOT MANAGER TASK COMPLETED,SYSTEM ALL GREEN,COMBAT MODE START UP PROGRESS NOW……FINISHED"
第1から第31脊髄接続完了、メタ運動野最適化完了、システムフロー正常、リアクター出力正常、各スラスター正常、思考交感率100%。
「行こう」
深く膝を沈め、スラスターの出力を上げる。
1km程度、アイガイオンならすぐに着く。
(……待っててくれ、エリアス)
そう心の中で呟いて、足に力を込めた。